第4話 開始! 兵科合同陸上演習

 第二日本国国防軍の最高司令部から派遣された槙原寺まきはらじ啓介ケイスケにとって、今回の任務は実戦よりも過酷であった。

 本日の早朝より開始される、陸上防衛高等学校が主導する兵科合同陸上演習の監察が、その内容である。

 監察官として拝命された壮年の職業軍人士族は、苦悩と苦渋に染まった表情で、天をあおがずにはいられなかった。

 それは参謀本部から同様の任務で派遣された同年代の二徳寺にとくじ辰吉タツヨシも同様であった。

 軍用ホバーカーから降車した両監察官を、陸上防衛高等学校の教員たちが、軍人にふさわしい敬礼と挨拶で出迎えると、さっそく二人の上官を案内する。

 広大な演習場を一望できる|崖上の監視・観察モニタリングテントへと。

 森林で埋め尽くされたその林間には、濃淡の入り混じった朝霧が漂っていた。


『……………………』


 その中を林道にそって歩く教員たちは、今回の監察官派遣を、国防強化の一環として認識しているようだが、実態は『当たらかずとも遠からず』の真逆なのである。

 案内される両監察官にとって。

 そもそも、自国の国防に対して、誰よりも危機感を抱き、強化を煽っているのは、軍上層部ではなく、不特定多数の自国民たちなのである。

 『東浮遊大陸』に関する情報はおろか、その存在すら、どの界隈よりも認知されてない大多数の層にも関わらず。

 契機きっかけは、一学期に開催された武術トーナメントにあった。

 その一年生の部で優勝を果たした優勝者のそれが、単なるマグレだという認識が拡散・浸透したのだ。

 その優勝者が、のちに受けた実技の模擬戦闘で、武術トーナメントでは瞬殺勝利したその候補相手に、あっけなく惨敗した動画が、アスネに流出したことで。

 しかも、開催前にも実施したその時のそれも、おまけとして付随していた。

 アイ勇吾ユウゴが対戦した模擬戦闘のことである。

 

 それだけではない。

 流出前に先立ち、開催日の翌日に順延した武術トーナメントの表彰式で、表彰台に立った各学年の優勝者、準優勝者、三位に、それぞれ、金、銀、銅の各メダルを授与する際、一年生の部にかぎって、『どこに優勝者と準優勝者と三位がいるのだ?』と、軍上層部のお偉いさんが困惑する姿も、感覚同調フィーリングリンク生放送で流れたのだ。

 対東浮遊大陸諸国の国防強化政策で多忙だったとはいえ、ありえない珍事であった。

 確かに、優勝者はとても将来職業軍人を目指しているとは思えない糸目の顔立ちである。準優勝者もとても生きているとは思えないゾンビ顔である。そして、第三位に至っては物理的にいなかった。無断で表彰式を欠席したのだ。『こんなヤツらが立つ表彰台に(三位オレは)上がりたくはない!』と吐き捨てて。

 当初はお笑い芸人のネタが受けたみたいに抱腹絶倒、もしくは腹筋崩壊していたが、前述した模擬戦闘の内容を知ると、泡を食ったように、政府や軍部に早急な国防強化の大合唱が上がったのだ。

 アスネでも、炎上さながらな激しさで、国防軍に対する不信感を、剣山のごとく募らせた。

 無理もないと言えば、無理もなかった。

 将来の国防を担うべき陸上棒鄭高等学校の生徒――それも、そこで開催された武術トーナメント一年生の部の優勝者が、この体たらくでは、不安と悲観に天秤が傾くのは、必然ですらある。ましてや、その角度が垂直ではどうしようもなかった。

 こうして、そんな剣山の上に立たされた軍部は、いずれ東浮遊大陸諸国の存在を公表しなければないと思っている。国防軍の創設はそのためなのだが、まさか中央政府よりもはやく、それも国民から、こんな形で要請されるとは、予想だにしてなかった。このままでは現政権の支持率低下が免れないと判断した中央政府も、軍部に対して、国民同様、早急な国防強化対策の具体的な草案を要請した。結果、軍上層部が苦しまぎれに挙げたのが、今回の兵科合同陸上演習だったのだ。

 元を正せば、この事態におちいった責任は、こんな生徒を優勝させてしまう軍事教育指導体質にした陸上防衛高等学校の教員たちなので、当然の結果とも、自業自得とも言える。そして、国民が納得できる結果など、早急に出せるわけがないのも、軍上層部も知っている。国防軍の最高司令部と参謀本部からそれぞれ派遣された二人の職業軍人は、早い話、損な役回りを、監察官という肩書きで背負わされたのである。各々の上司からの命令である以上、部下として逆らえるわけもなく、サラリーマンと同じ宮仕えの悲哀も背負っている。同然、林道を歩く足取りは重く、両者を案内する陸上防衛高等学校の教員たちから、今回の兵科合同陸上演習について熱心に語られても、脳内あたまの記憶中枢機能に入力インプットされることなく、そのまま見聞記録ログに保存される。二人の監察官が腐心しているのは、どうやって上司に結果を報告――ではなく、言いくるめてごまかすか、この一点にしか尽きてなかった。国民や上司が納得できるだけの成果など、期待する方がどうかしている。

 監視・観察モニタリングテント内で|、旧知と再会するまで。


「――お久しぶりです。槙原寺まきはらじ啓介ケイスケさん。二徳寺にとくじ辰吉タツヨシさん。お元気そうでなによりです」


 入口で出迎えた特別顧問教員は、両者と正対して一礼する。


「……………………」


 一礼された両監察官は、しばらくの間、沈黙するが、


「……も、もしかして、勇次ユウジ、なのか?」


 見覚えのある容姿に気づき始めた槙原寺まきはらじ啓介ケイスケが、恐る恐るの態で尋ねる。


「――かっ、櫂寺ではないかっ!?」


 しかし、それに答えたのは二徳寺にとくじ辰吉タツヨシであった。


 驚愕の声を張り上げて。


「……お前だったのか。あの高度な交戦規定レギュレーションを提出し、今回の兵科合同陸上演習の最高責任者として抜擢された特別顧問教員というのは」


 それはここまで案内した教員たちが、その際に伝え済みだったのだが、その時の両監察官は、脳内の処理能力リソースを『事後処理』に全振りしていたので、脳内に記憶しなかったのである。幸い、見聞記録ログはON《オン》にしていたので、すぐに確認は取れたが。


「――名字が『小野寺』だったから、気づかなかったぞっ!」

「……まさか、婿むこったのか? その名字の女性士族と」

「――はい。今は地元の平民学校で働きながら、実家の総合武術道場を営んでいます。


 勇次ユウジが答えたあと、二人の監察官は驚きから落ち着きのある表情へと変化する。

 それに連れて、失っていた平常心も取り戻す。


「――相変わらず変わったヤツだなァ。今にして思えば、特に失態を犯したわけでもないのに、せっかく就任できた軍の要職を辞めてしまうといい、ホント、変わったヤツだよ」

「――なぜそんなことをしたんだ? こっちも今にして思えば、お前の才幹なら、充分に務まる要職のはずだぞ。現にお前が提出した交戦規定レギュレーションだって、上層部でさえ発案が難しそうな内容ではないか。教員たちの見聞記録はなしでは」


 二人の監察官は、今度は残念そうな表情と口調で感想や疑問を述べる。


「……実を言いますと、軍部に提出するつもりで組んだ交戦規定レギュレーションではなかったのです。地元での仕事の合間を縫って、思考遊戯的に構築していたら、軍の関係者から、この件を精神感応テレパシー通信で相談されました。そして、口頭でそれを説明した結果、なし崩し的にこうなってしまったのです……」


 勇次ユウジは申し訳なさそうに答える。


「――そういえば、お前の息子も今回の兵科合同陸上演習に参加するんだったな」


 二徳寺にとくじ辰吉タツヨシが険しさのある声と表情で問いかける。


「――それじゃ、ひいきに採点をつけられるのではないかと疑わても、無理はないぞ」


 槙原寺まきはらじ啓介ケイスケも腕を組んで述べる。


「――はい。だからこそ何度も断ったのですが、陸上防衛高等学校の校長に押し切られる形で、結局、このように……」


 これも申し訳なさそうに答える旧知の勇次ユウジに、辰吉タツヨシ啓介ケイスケは視線と顔を合わせて苦笑すると、


「――いずれにしても、これで安心だな」

「――ああ、上司を言いくるめる必要がなくなって」


 会心の笑みに変えてうなずき合う。

 まるで成功を確信したかのように。


「……どうやら本当のようだな。小野寺|が創設したばかりの国防軍の要職に就いていたというのは……」


 三者の会話を聞いていた一人の男性教員が、とまどい気味な視線で眺めながら、同様の口調で同僚たちに述べる。


「……けど、他家の女性士族に婿っていたことまでは知らなかったぞ」


 別の男性教員もそれに輪をかけて応じる。


『……本当に変わった男性ひとだ……』


 それが、監視・観察モニタリングテント内にいる教員たちの共通した感想である。


『……………………』


 それは監察官たちと同じ旧知の女性教員たちも例外ではない。

 第二次幕末の最中に出会った時から、一八年ぶりに再会を果たした一週間前のあの時を振り返っても、常に抱き続けている感想だが、それでも、あらためて思い知らされてたのである。


『…………………………………………』


 ……しかし、小野寺勇次ユウジを眺めやる両者の双瞳には、複雑な光が点滅している。


「………………………………………………………………」


 特に、武野寺勝枝カツエのそれは、親友の多田寺千鶴チヅよりも激しかった。




「……ついに来ちゃったね。この日が……」


 朝霧がただよう森林の中で、アイは七人の仲間たちに告げる。

 声も表情も不安で揺れている。


「……そうね……」


 けどそれはアイにかぎったことではなかった。

 同じ表情で応じたリン以外も、程度の差はあれど、安心にはほど遠かった。

 交戦規定レギュレーションの全容はいまだ明かされてない上に、対戦部隊チームの情報収集や対敵対策は無意味だと、今回の兵科合同陸上演習の主催者から忠告されては、手の打ちようが無い――とまでいかなくても、極めて限られていた。

 ゆえに、打てた手は、味方同士の情報交換と役割分担を元に組み立てた戦術シミュレーションが関の山であった。

 それでも、主催者の忠告上、対戦部隊チームの情報が当てにならないのでは、自部隊チームの戦術バリエーションを絞るにも限界があった。

 結局、当日の開始直前になるまで、なるようにしかなかった。

 そして、当日をむかえた。

 周囲の所々で集まっている対戦部隊チームも、自分たちと同じ条件なのが、せめてもの救いである。


『……………………』


 即断即決即行即応そくだんそっけつそっこうそくおう座右の銘モットーにしている蓬莱院キヨシも、不安を隠せないでいる。

 だが原因はそれではない。

 それは、


「……おなかがいたァ……」


 そこを両手でおさえてうずくまりそうな勇吾ユウゴのセリフがそれである。

 主催者が課した制約で、指定された時間以降、飲まず食わずなのた。

 当日まで可能なかぎり食い溜めした上に、準備運動ウォーミングアップ以外の運動は極力ひかえるように努めても、当日までは、やはり持たなかった。

 これでは、戦闘は元より、思考さえも満足に働かない。

 いくら精神エネルギーや生命エネルギーが豊富でも、本領の発揮は困難である。

 まさに、『腹が減っては戦はできぬ』状態を、身をもって思い知らされているのだった。

 対戦部隊チームも同じ状態なのが、これもせめてもの救いだが。


「……どこかにドックフード缶が落ちてないかワン……」


 犬飼釧都クントが地面を舐めまわすように見回す。


「……あったらどないするんや?」


 イサオが愚問を承知でただす。


「――もちろん食べるんだワン」

「食うなァッ!! そないな人外フードォッ!!」

「――でもキャットフードよりも美味しいニャ」

「おまいも食へ比べるなァッ!!」


 犬派と猫派の偏食カップルに、それぞれ激しいツッコミを入れるイサオ


「……よせ、龍堂寺。そんな激しいツッコミは、貴重なエネルギーの浪費むだづかいでしかないぞ……」

「……わかっとる。せやけど、ツッコまずにはいられへんのや。蓬莱院弟……」


 イサオはフラフラになりながらもキヨシに弁解する。


「……………………」


 その傍にたたずんでいるユイは、相変わらずの状態なので、言うまでもないが、病弱で虚弱体質な身体に反して、異常なまでにタフで頑丈な二十四時間死ぬ死ぬ詐欺者フルタイムデストリッカーでも、ゾンビでもない限り、飲まず食わずを、天寿のみょうが尽きるまで持つわけがない。もし持ったら、それこそ、正真正銘のゾンビである。


「――おう。大丈夫か? おめら」


 そんな状態の八人に、津島寺豊継トヨツグが、相変わらず陽気な口調で心配の声をかけて来た。

 その声を聴いた瞬間、ユイが無意識のうちに『氣』の消耗が激しい美氣功を使いかける。しかし、これも瞬時にそれを悟ったアイが、迅速にユイの口をふさぎ、氣功術の使用に不可欠なリミッターの呼吸法を封じる。

 両者ともその記憶を記憶操作で消去したにも関わらず。

 どうやら『身体で覚えた記憶』までは消去できなかったようである。


「……元気、そう、です、ね……」


 勇吾ユウゴユイみたいなたどたどしさで感想をつぶやく。


「――おいは熊んごつ食い溜めが利く身体じゃってな。一日くれなら持つ。どうじゃ。うらやましかか?」

「……チビやからな……」

「……そのぶん、栄養にまわす量が少なくて済むのね……」

「……どうして、その栄養が……」


 ……乳房ムネに、と言いかけたアイの口を、今度はその幼馴染が慌ててふさぐ。一週間前に起きた保健室の『惨劇』をふたたび呼んでしまう可能性が高かったからである。もしそれが実現したら、兵科合同陸上演習が開始する前に、自部隊チームの全滅が必定だった。そして、その事態の防止が可能な人間が、『惨劇』の場に居た中で、唯一記憶を保っていた小野寺勇吾ユウゴしかいない以上、普段の天然ナチュラルボケや能天気さを叩き捨てて実行しなければなかなかった。


「――そいじゃ、こんグルーブ対戦、楽しみにしちょっぞ」


 そう言い残して、豊継トヨツグは自部隊チームの元へ戻って行くと、男女半々の隊員メンバーたちに的確な指示を出す。


「――どうやら津島寺が部隊長チームリーダーみたいね」


 その後姿を見て独語したリンに、イサオが応じようと口を開く。

 ――前に、


「――龍堂寺さんじゃないですか」


 豊継トヨツグと入れ替わりでやって来た声にさえぎられる。


「――おお、保坂やないか」


 さえぎった声の主に視線を向けたイサオは、驚きの声を上げる。


「――ハール・ヒーッ!」


 その保坂は、いきなり両手を斜めに上げて叫ぶ。


「……な、なんや、そのポーズ?」


 イサオはドン引きの表情でのけぞりながら問いかける。


「――アレ? 知らないんですか?」


 素人の水面ダイプ直前みたいな姿勢を解いた保坂は、意外そうな表情で問い返す。


「――一周目時代に存在していたと言われているドイツの敬礼ですよ。全盛期の」

「――どいつ? なんや、それ? どついたるの誤読か?」

「――いえいえ。違います。国名ですよ。欧州ヨーロッパという国家群のひとつの。この軍服もその国の当時のデザインです」


 保坂は見せびらかすように両手を広げて一回転する。


「――そういえば、今回の兵科合同陸上演習は、自由に軍服を選べるんでしたよね」


 勇吾ユウゴが思い出したかように確認する。


「――ええ。敵味方の視覚的な識別を容易にするための措置だと、あなたの父さんが言っていたわ」


 リンが応じるが、それでも、確認を求めた当人は釈然としなかった。


「――でも、どうして僕たちの部隊チームだけが、陸上防衛高等学校指定の野戦用戦闘服なのですか?」


 いまさらな勇吾ユウゴの質問に、リンは言葉に詰まる。当初はアイが率先して選定していたのだが、それが、一周目時代のアニメに出てくるような、非実戦的で派手ハデな軍服――とは名ばかりの、中二好みの和風コスプレ衣装ばかりだったので、すったもんだの末、今の軍服に落ち着いたのだ。幸い、六部隊同時に対戦するグループの中で、軍服のカブった部隊チームはいなかったので支障はなかった。


「――ちょい待てェ。国家群って、一体いくつあるんやァ? 一周目時代の国はァ?」


 勇吾ユウゴリンのやり取りをよそに、統合生徒会の管轄下にある警察の組織では、上司と部下の関係にある両者の会話は続いている。


「――確か、もっとも多い一周目の時代だと、二○○は超えていたと――」

「二○○やとォッ!?」


 イサオは素っ頓狂な声を上げる。

 むろん、驚愕のひびきである。


「そないにぎょうさんあったんかいっ!? 信じられへんっ! 二周目時代じゃ、最大の時代でも二桁すら届かへんかったのにっ!?」

「――ほう。それでは、アメリカ合衆国とやらも、その国家群のひとつに過ぎなかったというわけか。兄の言う通りであったな」


 その会話に、蓬莱院キヨシが加わる。


「――自分も最初に知った時は驚きましたよ。でもおかげで、一周目時代の国々に興味を持つようになって、今では一周目時代の世界に存在していた国の名をすべて言えますよ。エスパーダ無しでも。それでも、一番好きな国がドイツなことに変わりはありませんけど」

「……おまいもずいぶんとけったいな興味にハマっとるなァ……」


 イサオは残念そうな表情でしみじみと述べるが、


「――それじゃ、イサオさんはどんな趣味にハマっているのですか?」


 保坂からふたたび問い返された瞬間、イサオの表情が正視しがたいほどのまぶしさで輝く。


「――おっ、よう言うてくれたっ! ワイは今、鉄ど――」


 ガンッ!


「――それじゃ、頑張ってね」

「――手加減しなくていいから」


 リンアイが一同を引き連れてその場から離れて行く。

 ぐったりとしたイサオの両脇を抱えて。

 両女子が慌てて拾い上げて叩き落とした大岩で気絶したため、自力歩行が不可能なままあお向けで引きずられて行った。

 イサオの頭頂部に大きなたんこぶが赤く腫れあがっている。


「――ニャぜ龍堂寺をニャぐったんニャ?」


 同行する有芽ユメが不思議そうに尋ねるが、


「――兵科合同陸上演習で好成績を残すためよ」

「――他部隊チームの迷惑防止も兼ねてね。下手をしたら、妨害行為と見なされて失格されかねないわ」


 アイリンは視線を正面に固定したままそれぞれ答える。


「……戦闘、不能、に、なっ、ても……」


 それはユイの問いに対しても変わらなかった。

 答えの内容だけでなく、視線の方角も。


「――でも、本当に変わった敬礼ですね。保坂さんの部隊チームは。国防軍が採用している敬礼とは全然ちがいます」


 勇吾ユウゴが肩越しに背後を見やりながら話題を変える。

 女子たちの『禁句タブー』と同様、絶対に広げたくない話題なので。


「ハール・ヒー!」

『ヒー!』


 そこでは、部隊長チームリーダーの保坂が、全盛期のドイツが採っていたと云う敬礼を、整然と並んでいる七人に対して施す。そして、保坂隊長リーダーの隊員たちも、それに倣って応える。


「――本当に敬礼なのかワン? ぼくには一周目時代の昭和テレビ番組に出ていた雑魚ザゴな気がするワン。声だけだと」


 犬飼釧都クントも振り返った上に首をひねる。


「――仕方あるまい。正しい情報が正しく伝達されて正しく記憶されるとは限らないからな。何事も。ま、伝言ゲームみたいなものだ」


 肩をすくめて総括した蓬莱院キヨシが、正面に視線を戻すと、思いがけぬ光景がその視界に飛び込む。


「――これはこれは」


 それを認めたキヨシの声に、軽い驚きがこもる。


「――今年の武術トーナメントにおいて、優勝候補の双璧として名が挙がっていた士族と華族の子女たちではないか」


 その両者――海音寺涼子リョウコと平崎院タエは、背後に自部隊チーム隊員メンバーたちを、それぞれ控えて対峙していた。相談とも口論とも言えぬ会話を交わしていが、勇吾たち八人が歩いて来る姿を、視界の端で同時に捉えると、そちらに身体ごと視線を向ける。

 勇吾ユウゴたち八人の先頭に立って歩みを止めたキヨシは、


「――もしかして、軍事同盟の交渉中であったのかな? 従来のジンクスにのっとって、密約を結んだというわけか」


 邪推同然の見当をつけて挑発する。


「~~なんだとテメェッ!!」


 非友好的な目つきで見やってた涼子リョウコは、当然のごとくいきり立ち、硬氣功で固めた拳を振り上げる。

 だが、


「――よしなさい、涼子リョウコ。失格になりたいの」


 タエが水平に伸ばした繊手せんしゅと声に制されて、振り上げた拳を相手の眼前で止める。そして、しばらくの間、殺人的な眼光と形相でキヨシをにらみ続けるが、そのキヨシは平然とした表情で見つめ返す。

 ボテトチップスの袋を片手に、黙々と食べながらテレビでも視聴しているような眼差しで。


「~~~~~~~~っ!」


 他人ひと事さながらな態度に、涼子リョウコの怒気は更なる刺激を受けるが、それを察したタエが、今度は身体を張って制する。その力強さに、涼子リョウコは硬氣功で固めた拳と氣功術を解いて下がる。

 しぶしぶというには、あまりにも憎悪と殺気がこもり過ぎていた。

 両眼や表情を始めとする全身に。


「――別に手を組んでも一向に構わぬぞ、吾輩は。これも立派な戦略だからな。ただ、相手は選ぶべきであろう。この程度の挑発に乗って失格しかける輩が隊長リーダー部隊チームでは、全力で足を引っ張られるだろうに」


 忠告に擬したキヨシの再挑発に、


「――ご心配なく。少なくてもあなたが隊長リーダー部隊チームよりはマシですから」


 再度いきり立つ涼子リョウコの宥めを兼ねた皮肉を、キヨシに返す。


「――そういえば、貴殿は華族でも、士族に劣らぬ軍事的な能力があることを証明するために、この軍事学校に入学したのであったな。入学式の新入生代表の挨拶では。となると、吾輩と同様、国防軍最高司令官の座を目指すのは必定。ではたがいに全力を尽くそうではないか。同じ華族として」


 タエと正対したキヨシは、右手を差し出して握手を求めるが、


 バシッ


 すげなく払いのけられる。

 それも光線剣レイ・ソードの端末で。

 相手の皮膚に触れるだけでも汚らわしいと言わんばかりの使い方である。


「――一緒にしないでいだだけないかしら」


 タエの声と表情に憎悪と嫌悪の二色が同割合で浮かび上がる。


「――涼子リョウコと違って、わたくしの眼中にあなたは無くてよ。わたくしが割って入らなければ、涼子リョウコの拳を無防備で受けていたのに、その認識もなく、ご大層な御託ごたくを並べても、滑稽にしか聴こえませんわ」


 そして逆に相手を挑発するが、


「――さすが、入学試験首席合格者。三位だった吾輩や、次席だった海音寺とは一味違う応対だ」


 挑発された方は逆上することなく、これも平然と受け流す。


「――しかし、平崎院も海音寺も、左右の靴を逆にするほどの履き違えを犯している。隊長リーダーに必須な能力は指揮能力であって、戦闘力ではない。比率的に非戦闘員を多く抱えるこの部隊チーム構成で、多くない戦闘要員までそこに配置しては、どちらもままならぬだろうに」

「――そんなことはありませんわ。自らの身体で戦ったことのない輜重しちょう兵科の貴方よりは遥かにマシな指揮が執れてよ。机上の書類作業が本分の輜重兵科が、いくら熱心に実戦を語っても、机上の空論にしか、これも聴こえませんわ」

「――では、この兵科合同陸上演習で証明しようではないか。歩兵科と輜重しちょう兵科。どちらがより隊長リーダー適性があるのかを」


 華族の子弟であるキヨシと、その子女のタエが、隊長リーダー対決に火花を散らす。

 ――一方、他方では、


「――よくもユウちゃんをイジメてくれたわねっ! 性懲りもなくっ!」


 アイが怒声を上げていた。

 タエの取り巻き三人組|――一ノ寺いちのじ恵美エミ二伊寺にいでら代美ヨミ三木寺みきでら由美ユミに対して。

 彼女らも平崎院タエと同じ部隊チームである。


「――なっ、なに言ってるのよ?」

「――イジメなんか、ないわ」

「――少なくても、二学期に入ってからは」


 三人の女子生徒は名字の数名詞順に言い立てるが、


「――ウソおっしゃいっ! 一週間前、ユウちゃんは保健室の隅っこでガタガタと震えてうずくまっていたわっ! 明らかにイジメを受けた後よっ! そして、ユウちゃんにそんなことをするのは、アンタたちに以外に考えらないっ! アタシの目は盗めても、ごまかせると思ったら大間違いよぉっ!」


 アイは頭ごなしに決めつける。

 

「…………………………………………………………………………………………………………」

 勇吾ユウゴはイジメっ子三人組を直視しないよう、糸目の視線を逸らしているが、むろん、その三人組が怖いからではない。無実の罪を着せてしまったことに、途方もない罪悪感を覚えているからである。どうにか幼馴染の誤解を解いて諫めたいのだが、心的外傷後ストレス障害PTSDわずらった経緯いきさつを説明しても、その時の記憶をセルフ記憶操作したアイが覚えているわけがない上に、『禁句タブー』に触れる危険性がこれも高かったので、他人事のように沈黙を守るしかなかった。第一、そこまでする義理はないので。

 だが、


「――それを言うなら、アンタだって小野寺をイジメてたじゃないっ!」

「――他人のこと言えるのっ!」


「――エラそうに説教しないでちょうだいっ!」

 それはアイにも同じことが言えるので、勇吾ユウゴのイジメっ子三人組はこぞって勇吾ユウゴの幼馴染を責め立てる。


「――っ!」


 これにはさすがのアイも強く堪える。

 否定する余地が絶無の、厳然たる事実なのだから。


「……………………」


 アイの顔色が目に見えて暗くなり、深くうなだれ、立ち尽くす。

 言い返す様子のないアイを見て、三人の女子生徒たちはさらに言いつのる。


「――結局、アンタもアタシたちと同じじゃない!」

「――小野寺にアタシたちと同じ仕打ちをしておいて、よくも幼馴染ヅラができるわねっ!」

「――違うって言うなら、どこが違うのよっ!」


 かさにかかられたアイは、完全にサンドバックと化す。


「…………………………………………」


 反論の余地も、完全になかった。


「………………………………………………………………」


 幼馴染に対して与え続けた仕打ちが、アイの脳裏によぎる。

 七年に渡る長さの。


「……………………………………………………………………………………」


 先月の夏祭り程度では、到底塗りつぶし切れない。

 あらためて思い知らされる、それは真実。


「…………………………………………………………………………………………………………」


 今にも押しつぶされそうな自責の真実に、アイは、


[――謝ってくれたところです」


 身を挺して三人の前で告げた幼馴染の声と、


「――それが、あなたたちと違うところです」


 その言葉に、救われた……。


『……………………』


 今度は勇吾のイジメっ子三人組がなにも言えなくなる。


「――行こう、アイちゃん」


 そう言って勇吾ユウゴは踵を返して歩き出す。

 幼馴染の手を取って。

 それを合図に、勇吾ユウゴたちはこの場から離れる。


「……………………」


 勇吾ユウゴの手に引かれて歩くアイのうつむいた顔から、数粒の滴がこぼれ落ちる。

 思いの丈がこもった、純粋で透明な滴が。


「――あの二人、ニャす休みの間にニャんかあったのかニャ?」

「……夏、休み、前、より、も、感じ、が、良く、なった、気が、する……」


 その後に続く有芽ユメユイが不思議そうな表情と口調で言葉を交わす。勇吾ユウゴアイの関係と過去については、武術トーナメントが終了した後のリンから、すでに聞き知っているが、すべてではない上に、そこで更新が停止しているので、それ以上のことは有芽ユメユイも知らない。

 それも当然である。

 小野寺勇吾ユウゴが、全国を震撼された『連続記憶操作事件』の解決に、大きな貢献を果たしたヤマトタケルである事実や、二人の幼馴染が、夏休み中の地元で起きた『ローカルテロ事件』の裏で、その過去に直面する事態に発展した出来事まで、リンは教えてないので。前者は絶対に言えないし、後者は機を見て話す予定だった。そして、その機が、たった今、到来する――


「――小野寺勇吾ユウゴォッ!!」

 ――タイミングを潰す大声が、朝霧のただよう森林に轟きわたる。

 憎悪と怨嗟に満ちた海音寺涼子リョウコの怒声が。

 表情もそれにふさわしい形相である。


「~~お前の下僕、ヤマトタケルに伝えておけェッ!!」


 立ち止まった一同の先頭に位置する勇吾ユウゴは、アイの手を放さずに、呼び止めた当人に振り向く。

 同様の反応リアクションと行動を取った仲間たちの間を挟んで。


「~~あの時のオレの行為が当然じゃねェのは、認めてやるゥ。認めてやっていもいいィ。だがなァ、お前まで認めたわけじゃねからなァッ!!」

「……………………」

「――絶対に伝えろよォッ!! いいなァッ!!」


 すさんだ怒声を放ち捨てると、涼子リョウコはむき出しな殺気を振り撒きながらこの場を去って行った。その後を、隊長リーダーである涼子リョウコ隊員メンバーたちが、おっかなびっくりの態で続く。どういった経緯で涼子リョウコ部隊チームに入ったのか不明だが、少なくても積極的ではないのは確かである。性別に関係なく、どの隊員メンバーも、消極的で気乗りでなかった。その場に残った平崎院タエ部隊チームとは対照的である。


(――安心しなさい。アンタが言った、その時点で、もう本人に伝わっているから――)


 リンが皮肉げに内心でつぶやくと、ふたたび歩き始めた一同のそれに合わせて足を動かす。


「――あの時ってなんのことだワン?」


 まだ気絶中のイサオを、アイリンに代わって背負っている犬飼釧都クントが、誰となく尋ねる。当人は『念動力サイコキネシス大騒乱事件』の現場には居合わせてなかったので、その現場で起きた出来事の一部始終を知らない。それはキヨシも同様だが、現場にいた兄から、事件後に口頭で聞いたので、すでに知っていた。


「――クンたん。それはね――」


 現場にいた猫田有芽ユメが、夏休みにできた犬派の彼氏に説明する。


「――『お前まで』って誰のことをなんだろう?」


 その隣で、アイが疑問に首をひねる。海音寺涼子リョウコが言い放ったそれが、幼馴染の勇吾ユウゴを指すのか、『裏小野』のヤマトタケルを指すのかを。後者はアイ自身が勝手に設定した中二妄想なのだが、今では当たり前のように浸透している。発信元の当人ですら定着するほどの。もっとも、両者は同一人物なので、どちらを指していても差し支えないが、その事実を知らないアイは、自力では発見が困難な疑問に首をひねり続ける。


「――相変わらず慢性カルシウム不足なオンナだ。入学式に見かけた時から、短気で粗暴で偏狭で差別的だなと思っていたが、武術トーナメントや『念動力サイコキネシス大騒乱事件』を経た現在いまとなっては、さらに拍車と磨きがかかったな。そんな奴を隊長リーダーとしてついて行かなければならない隊員メンバーたちが気の毒だ。その狭量さでは、勝負にすらならん。平崎院とちがって」


 さらに隣のキヨシは、隊長リーダーとしての涼子リョウコを酷評すると同時に、その隊員メンバーを気遣う。


「……これ、で、対戦、部隊チーム、の、顔、合わせ、は、終わり?」


 ユイが確認の問いを一同にただすが、その顔色が悪いのは、病弱で虚弱体質な身体よりも、空腹による飢餓が大きかった。当然、時間が経過するにつれて、その割合は増大する。


「……そう、だった。アタシ、たち、腹ペコ、なのよ、ね……」


 その事実と状態を、質問者を見て思い出したアイは、ふたたび空腹感に襲われる。それを耳にした一同も、アイと同様の状態に見舞われる。それは気絶状態から回復したイサオも例外ではなかったので、ユイの質問に答えた者は一人もいなかった。そして、質問者も含めて、どうでもよくなった。


 その頃、勇吾ユウゴたち八人の部隊チームにどうでもよくされた唯一の対戦部隊チームの――


「――クソッ! なんでこの組み合わせなんだよォッ!!」


 ――部隊長チームリーダー、佐味寺一朗太イチロウタは舌打ち混じりにはき捨てる。


「――どいつもこいつも組みたくねェ部隊チームばかりじゃねェかァッ!!」


 次男の二郎太ジロウタも同様に吐き捨てる。


「――これじゃ、小野寺や浜崎寺がいる部隊チーム集団私刑フルボッコできねェぜェッ!!」


 憎悪に歪んだ表情で歯ぎしりする二人の兄に、


「……あの部隊チームは組めないの?」


 三男の三郎太サブロウタがその部隊チームに指さして尋ねる。

 津島寺豊継トヨツグは元より、平崎院タエや海音寺涼子リョウコ隊長リーダーではない部隊チームを指さして。

 それに対して、一朗太イチロウタは、


「組めるわけねェだろうがァッ!!」


 一喝のごとく一蹴する。


「あんな――」

「ハール・ヒー!」

『ヒー!』

「――って叫ぶ意味不明イミフ部隊チームなんざァッ!!」


 三男と同じ方角に指さして。

 それは密約を交わした平崎院タエや海音寺涼子リョウコも同様であった。

 ――しかし、彼らは演習終了後に知る。

 その私的な軍事同盟は、締結の有無や可否に関係なく、完全に無意味だったことを

(――お待たせしました――)


 対戦グループとして組まれた六部隊チーム、四十八人のエスパータに、特別顧問教員が発した精神感応テレパシー通話の声が伝わる。


(――一年生の部、第三グループの対戦準備が終わりました。事前の指示にしたがい、それぞれ所定の位置についてください――)


 鼓膜を通さずに聞いた六部隊チームは、特別顧問教員の指示通りに、それぞれ所定の位置へと向かった。

 



「……う、う~ん……」


 鈴村アイが、寝ぼけまなこを片手でこすりながら起き上がると、その眼差しで周囲を見回す。

 朝霧に包まれた森林が、寝ぼけ眼のそれにふさわしく、ぼんやりと浮かんでいる。

 実体のない幽霊のように。


「……ここ、は……」


 緩慢な動作で立ち上がったアイは首を傾げる。時間が経過するに連れて、意識も視界も鮮明になる。

 だが、それでもわからない。

 なぜ自分がここにいるのか。

 なぜ自分は野戦用戦闘服を身に着けているのか。

 なせここが、


「……どこ、なの?」


 ――か、わからないのも。

 しかし、その疑問はアイの口から発した声ではない。

 その足元に横たわっていたリンが発した疑問の声であった。

 至近で聴こえたその声に、ツーサイドアップの少女は思わずのけぞり、後ずさる。

 ――と、背中からなにかにぶつかる。

 樹木にしては柔らかい感触に、これにも驚いたアイは、驚いた表情で振り返る。

 その目の前には、


「――だいじょうぶですか?」


 幼馴染である勇吾ユウゴが、優しく受け止めたアイの顔を間近で見つめていた。


「……う、うん……」


 アイは安心してうなずくが、それでも、その表情から動揺と困惑の二色は消えなかった。

 目の前の幼馴染が誰なのかわからないからではない。


「……どう、して、こんな、ところ、に……」


 近くに立っていたユイの疑問に、


「――ワイらがおるんやっ?!」


 同様の距離で棒立ちしているイサオが、そのあとに続く疑問を最後まで言い終える。


「――そもそも、その理由がだれ一人わからニャいニャんて、それ以上におかしいニャッ!?」


 これも同距離の位置で立ち尽くしている有芽ユメが、更なる疑問を上乗せする。


「――おかしいワンっ! おかしいワンっ!」


 その傍にいる犬飼釧都クントが、チンチンした犬のような立ち方でそれに同調する。


「…………………………」


 そんな七人の隊員メンバーたちを、隊長リーダーである蓬莱院キヨシが、集団から少し離れた位置から一通り見回す。


「――しょうがない連中だ――」


 ――と言いたげな表情が、露骨なまでに浮かんでいた。

 そして、自分と同じ野戦用戦闘服を着用している七人の隊長リーダーたちに対して、口を開こうとしたその時――


(――全員、所定の位置に、無事転送したようですね――)


 突如他者の声が聴こえて来た。

 自身の脳内に直接ひびいたそれは、明らかに鼓膜を通した音声ではなかった。

 無論、目の前にいる隊員メンバーからではない。

 どう聞いても年配の年長者の声にしか聴こえなかった。

 精神感応テレパシー通話で聴こえる声と、声帯を使った肉声は、同一人物であるなら、声優でもないかぎり、同じ声にしか聴こえない。

 第一、そんなことをしても、なんのメリットもない。

 言う方も聞く方も。

 である以上、この声はまぎれもなく精神感応テレパシー通信による精神感応テレパシー通話あった。

 此処ここにはいない、声質相応の誰かからの。

 それにより、自身の耳裏にエスパーダが装着されていることに、今更ながらに気づいた隊員メンバーたちと、すでに気づき済みの隊長リーダーは、その隊長リーダーを除いてあらためて周囲を見回す。

 音声によって聴こえたそれではないとわかっても、見回さずにはいられなかったのだ。

 本能もさることながら、それ以上の不安に心中を支配されて。

 ここで目を覚ます以前からの記憶が、歯抜けのように喪失していては、無理もなかった。

 なぜ自分たちが朝霧の漂う森林の中にいるのか。

 どうやってここへ移動して来たのか。

 だがその不安は、今しがた脳内に直接聴こえた精神感応テレパシー通話によって払拭される。

 全員、空間転移テレポートで瞬時に此処へ移動させられた事実や、その直前、すべてを承諾した上で眠らされた事実が。

 とはいえ、それ以外は依然と不明のままである。

 払拭されたと思っていた不安も、間を置かずに引き返し、再占領する。


(――それでは、これまで伏せていた残りの交戦規定レギュレーションをすべで開示伝達します。口頭で一回しか述べませんので、聞き逃しの心配がある生徒は見聞記録ログ機能の使用を推奨します。ただちにご準備を――)


 その不安をさらに煽るような前置きに、山林の各所にいる陸上防衛高等学校の生徒たちは、エスパーダの機能のひとつであるそれを慌ててON《オン》にする。

 推奨に従わなかった生徒は、一人もなかった。


(――なお、交戦規定レギュレーションの開示伝達が終了次第、開始します。質問はいっさい受けつけませんので、そのつもりで傾聴してください――)


 ――そして、念を押すように付け加えてから、今回の兵科合同陸上演習用に組んだ交戦規定レギュレーションの口頭説明が始まる。


(――当演習の交戦規定レギュレーションコンセプトは、前回と同じく、『限界まで整えた戦闘条件の平等性と均一化』です。一部隊チーム当たりの人数とその兵科構成の内訳に、所持の可能な装備の種類と数が、それでした――)


 大講堂ホールで全校生徒たちと酷似した内容を、あえて繰り返し述べたのは、おさらいだけではなく――


(――そして今回、前回までの演習では、超心理工学メタ・サイコロジニクスの技術上、そこにまで手をつけられなかった部分の条件も、平等かつ均一に整えました――)

「……それって、まさか……」

(――各個人が知っている他者の個人情報をリセットしました――)

「――つまり――」

(――記憶操作で――)


 ――消去されているからである。

 大講堂ホールでの説明が終わってからの記憶が、全校生徒たちの脳内から。

 その時間的範囲は、空間転移テレポートで転送される直前の記憶までであった。


「……やはり……」


 リンの予想通りだった。

 核心を伝えられる直前であったが、その彼女でさえ、驚愕の衝撃から逃れられなかった。

 それをよそに、精神感応テレパシー通話での説明は続く。


(――とはいっても、記憶操作でいじった部分は、敵部隊チームに関する個人情報のみです。味方部隊チーム内までの個人情報や、これまで本学校で学習した授業の内容まではいっさい手を加えていません。敵部隊チームに関する情報も、個人を特定させない範囲の内容しか残していません。これも、今回の交戦規定レギュレーションコンセプトに沿うための措置です――)


 ゆえに、今回の兵科合同陸上演習実施の最高責任者に関する個人情報も、参加生徒たちの記憶から消去されていた。

 身内がそれに参加しているので。


(――そのため、敵部隊に関する情報は、どの部隊も、同じ内容に揃えています。つまり、これから今の状態のみなさんが戦う相手は、個人情報は元より、名も顔も知らない敵なのです――)

『――っ?!』


 演習場という名の戦場に立たされた生徒たちは息をのむ。

 その宣告に。


(――みなさんが対戦相手に関して知っているのは、各敵の個人戦闘情報――つまり、個々の能力アビリティ能力値ステータスといった仕様スペックだけ。みなさんはそれだけの情報と、近くに置いてある装備で対戦してください。戦闘不能リタイヤ判定は意識の有無で実施します――)


『――――――――っ!』


 続いて告げられた内容に、今度は騒然となる。

 だが、説明はこれだけに留まらなかった。


(――あと、食糧や装備といった軍事物資の補給は、輜重しちょう兵科の隊員メンバーさえ健在であれば、その人数分だけ、定期的に空間転移テレポートで受けられます。逆に言えば、その時点で輜重しちょう兵科が戦闘不能リタイヤしていたら、補給はいっさい受けられません。どうかご留意を――)


 そして、


「――最後に、今回の対戦は早期決着の短期決戦です。長期戦になればなるほど、評価や採点は低下する減点方式です。どの部隊チームも、例外なく。さらに、演習開始からの戦闘不能リタイヤが早ければ早いほども、同様の方式で採点します。これもご留意を」

「いイッ?!」


 イサオが思わず呻くが、それは彼に限ったことではなかった。


「――これにて、今回の兵科合同陸上演習に関する交戦規定レギュレーションの全容説明を終了します」


 説明者はその終了を宣言した。


「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――」


 すべてを聞き終えた生徒たちは、脳内と胸中と心中に渦巻いていた動揺と困惑と不安に、驚愕と混乱の二つが加わり、そのすべてが表情と動作に表面化する。

 取りつくろう余裕すらないほどに。


(――全員、自身の脳内に記憶したようですね。それでは、予定通り実施します――)


 脳内あたまには記憶しはいっても、理解や納得には縁遠い生徒たちの制止や質問の大合唱を無視して、今回の軍事訓練最高責任者は淡々と宣言する。


(――第一五回、第二日本国国防軍、陸上防衛高等学校、兵科合同陸上演習――――開始っ!)




 ――されても、された方は、途方に暮れるより他がなかった。

 その一択しかないと言わんばかりに。

 制止や質問の大合唱を自ら静めても、どこから手をつけていいのか、見当や判断がまったくつかなかった。


「――ふざけんじゃねェぞォッ!! こんな状況と状態で戦えるわけねェだろォッ!! なに考えてやがんだァッ!!」


 海音寺涼子リョウコは引き続き怒声を上げるが、むろん、質問はいっさい受けつけないと、説明者が前言していたので、応答はなかった。ましてや、その内容が文句や不満ではなおさらである。

 佐味寺三兄弟もそれに唱和するが、いずれにしても、自分たちが置かれた現状に、ただ、


「小野寺に続けエェェェェェェェェッ!!」


 立ち尽くすこともなく、迅速な命令を下した部隊チームが存在した。


「はい行けゴー行けゴー行けゴー行けゴー行けゴーっ! 走れラン走れラン走れラン走れラン走れランっ! 急げハリィ急げハリィ急げハリィ急げハリィ急げハリィッ!」


 蓬莱院キヨシが率いる部隊チームであった。


「えっ?! エッ?! えッ?! エっ?!」


 あおり立るようにしか聴こえない隊長リーダーの命令に、六人の隊員メンバーは慌ててしたがった。

 先行する勇吾ユウゴの後を追って。

 隊長リーダーの命令を待たずに、勇吾ユウゴは走り出していたのだ。

 開始の合図と同時に。 


「……つ、続いて……」

「……どうするんだワン?!」


 それでも、混乱と困惑を引きずり続けているアイ釧都クント


「――ニャにがニャんだか――」

「――わからへんわいっ?!」


 だが、有芽ユメイサオにいたっては、さらにそれが加速した。

 走る速度スピードに比例して。


『……………………』


 しかし、それとは逆に反比例しつつあるリンユイ


「――よしよし。いいぞいいそ」


 最後尾を走るイオサにいたっては終始沈着で満足げあった。

 イオサの両脇には、転移地点に置いてあった装備のほどんとを抱えている。

 残りは勇吾ユウゴが、これも隊長リーダーの命令を待たずに持ち運んでいる。


 ――といっても、光線剣レイ・ソード一本だけだが。


「……み、見えなくなっちゃった……」


 幼馴染の背中を誰よりも間近で追っていたアイが、その後姿を見失ってしまう。

 距離を置かれるにつれて、次第に多くなる森林の茂みに阻まれて。

 朝霧は薄まりつつあるが、それでも再発見は困難である。

 そして、


「ぎゃあっ!」

「うわっ!」

「ぐわぁっ!」

「どわぁっ!

「ふげぇっ!」

「ぐへぇっ!」


 ――という悲鳴が、その先で次々と上がった。


「……いったい、なにが……」


 アイの表情が不安に揺れる。

 演習場として指定された森林地帯には、風穴サイズの草地が各所に点在している。そのひとつに入ったアイは、視界が開けたその光景を見て、立ち止まる。

 驚愕の表情で。


「……な、なんや、これは……」


 勇吾ユウゴアイに続いて到着したイサオも、驚きを隠し切れない。


「……倒れてる、ニャ……」


 四番目に到着した有芽ユメも、猫目な両眼を限界まで見開く。


「……敵の|一部隊チームが、一人残らず……」

「……じゃ、ない、わよ……」


 このセリフは五番目に到着したユイである。


「――全員ではなく、六人よ」


 六番目に到着したリンが、眼前の状況に対して修正を加える。


「――ユウちゃんが早斬りで倒したのよ。それも奇襲による瞬殺で。それしか考えられないわ」


 それも断定口調で。


「――うむ、でかしたぞ、小野寺」


 最後に到着したキヨシが、装備一式をリンに押しつけると、満足げな表情と口調で歩み寄る。

 平地の中心にいる糸目の隊員メンバーに。


「――吾輩の命令を待たずに動いてくれたおかげで、吾輩も、混乱の極に達している隊員メンバーたちが従いやすい命令を出すことができて助かったぞ。さすが、吾輩が見込んだ隊員メンバーだ」

「――ありがとうございます」


 勇吾ユウゴは素直に礼を言うと、


「――あと、輜重しちょう兵科らしき敵部隊チーム隊員メンバーたちは、この通り捕虜にしましたけど」


 ウイップ様式の光線剣レイ・ソードでまとめて捕縛している二人を、糸目で指し示す。


「――おお。わかっているではないか」


 それを目にしたキヨシは感嘆の声を上げる。


「――交戦規定レギュレーション上、定期的に物資の補給が受けられるのは、戦闘不能リタイヤ状態ではない全部隊チーム輜重しちょう兵科隊員メンバーのみ。それも同時に。つまり、敵部隊チーム輜重しちょう兵科隊員メンバーを生け捕っておけば、その分も同時に受けられるのだ」


 満面の笑みで説明するキヨシの声が感銘と歓喜に震える。


「――やはり、小野寺を吾輩の部隊チームに加えたのは正解だった。吾輩の意思を以心伝心のごとく汲み取り、その通りに実行し、目的を果たす。まさに、理想のチームワークだ」

「……アンタが加えたんじゃなくて、アンタが加わりに来たんでしょ。押しかけ女房みたいに……」


 リンが押しつけられた装備一式を抱えたまま、訂正すべき点を指摘するが、それでも、ふたたび見直したことに変わりはなかった。

 蓬莱院キヨシの軍事的な能力と見識に。

 一週間前にそれを披露した通りの事態と展開になったのだから。

 見事にハマったとしか言いようがなかった。

 この結果では。


「――たまたまだけどね」


 ――と、皮肉っぽく付け加えるが、


「――当たり前だ」


 キヨシは『なに言ってんだ』と言わんばかりに断言する。


「――いくら吾輩でも、ありとあらゆる事態を想定するのは不可能。だから常に最悪の事態を想定するのた。そうしておけば、最悪から二番目以降の事態に直面しても、対処は最悪よりも容易になる。それが隊長リーダーを務める者の心得というものだ。最悪の事態なんぞ、むしろハマってほしくない。たとえ、たまたまでもな」

「……………………」

「――おっと。熱弁を振るっている場合ではなかったな」


 我に返ったキヨシは、さっそく目の前の現実に対処する。


「――ユイ有芽ユメ釧都クント周囲を警戒。イサオは倒した敵部隊チームの装備を鹵獲。アイ勇吾ユウゴか捕縛した捕虜の武装解除および管理。リンは鹵獲した敵部隊チームの装備と自部隊チームの装備確認チェックだ」


 矢継ぎ早に次々と出すその指示は、隊長リーダーの肩書きにふさわしく、的確で迅速であった。


「――これが終わったあとはどうします?」


 アイに捕虜を預けた勇吾ユウゴが、次の指示を隊長リーダーに求める。


「――そうだな。勇吾ユウゴにはもう一度別の敵部隊チームを奇襲して欲しい。位置と距離はすでに掴み済みだろう。でなければ、壊滅させたこの部隊チームに奇襲をかけることなどできないからな」


 隊長リーダーの推測に、勇吾ユウゴは首肯する。


「――はい。まだ混乱から立ち直ってない敵部隊チームの気配を、今でもいくつか感じます。でも……」

「――腹が減ってはそれも無理か」

「……はい。少なくても、補給を受けてからでないと……」


「――ふむ。ではやむを得ないな。残念だが、それは諦めよう」


 断念したキヨシはアゴを摘まむ。


「――敵部隊チームのひとつを壊滅させ、その輜重しちょう兵科|の隊員メンバー二人を捕虜にし、その部隊チームの装備をすべて鹵獲した。出だしの戦果としてはこれで満足すべきだな」

「――隊員たちみんなも落ち着きましたし、これで落ち着いて戦えますね」

「――まったくだ。どれもこれも勇吾ユウゴのおかげだ。だが、それだけに惜しい。『並列処理能力者マルチタスクラー』であれば、リンではなく、貴殿を副隊長サブリーダーに任命したかったのだかな」

(――『並列処理能力者マルチタスクラー』なんだけどね。事実――)


 副隊長サブリーダーは冷めた目つきで隊長リーダーを見やる。さすがのキヨシも、気配の感知や相手の実力を洞察する能力までは、それほど高くないようである。軍事的能力や見識に比して。


「――でも、いつ来るのかしら? 補給物資は……」


 リンは不安そうにつぶやく。


「――それよりも、自部隊チームの装備と鹵獲した装備の確認チェックは終わったか。優先すべきな状況の対処を終えた今、今度は状況の把握に専念すべき段階なのだからな」

「――わかってるわよ」


 せっつかれたリンは不機嫌そうに応じながらも、


「――装備の数は総計で二十八点。内訳は光線剣レイ・ソードが二本、光線銃レイ・ガンが二丁、光線槍レイ・スピアが六本、エスパーダが一六個よ。装着済みのも含めて」


 的確かつ正確に報告する。


「――なるほど。つまり、一部隊チームごとに割り当てられた装備の種類と数は、その半数というわけか。コンセプト通りの交戦規定レギュレーションだ。なら、物資補給のタイミングも、全部隊チーム同時だな。やはり」

「――敵が動くとすれば、その時というわけですね」

「――その通りだ、勇吾ユウゴ。やはり貴殿は戦局というものをわかっている。武術トーナメントの優勝はマグレだの運が良かっただのと、ウワサに流されやすい凡人どもが噂しておったが、しょせん、噂はウワサ。酔っ払いの戯言よりも劣る当ての無さだ」

「――でも、それだけに逆手に取りやすいと思います」

「――まったくだ。いくら肉体的フィジカル仕様スペック精神的メンタル仕様スペックが高くても、そういった心の隙が、だらけにだらけでは、それすら逆用される。いい様にな」

「――では、ボクたちも充分気をつけないといけませんね」

「――うむ。それを聞いて、安心したぞ。慢心とは無縁の心がけだ」


 清は鷹揚にうなずいて勇吾ユウゴの肩を叩く。


「……ホントよね……」


 リン勇吾ユウゴキヨシの顔を交互に見やりながらつぶやく。

 両者の意気投合ぶりに対する感想を。

 一週間前に知り合ったばかりとは思えないほどの親密ぶりある。

 軍事に関しては、特に。

 どちらも高水準ハイレベルで、時折ついていけなくなることすら、リンにはある。

 それだけに、思わずにはいられなかった。


(……素直に職業軍人を目指せばいいのに……)


 将来専業主夫志望者に対して。


「――なにボサッとしている。装備確認チェックが終わったのなら、さっさと捕虜たちにテレハックして脳内記憶情報を引き出せ。吾輩が命令するまでもなかろう」

「……わ、わかったわよ」


 キヨシに怒られたリンは、ムッとなりながらも実行に移す。

 だが、その後、


「――いくら超心理工学メタ・サイコロジニクスの産みの親の娘とはいえ、少々気の利かぬところがあるぞ。これでは勇吾ユウゴと引き換えに副隊長サブリーダーに任命した甲斐がないというものだ。少しは勇吾ユウゴを見習いたまえ」


 不満と愚痴と叱咤の三重攻撃トリプルアタックを、隊長リーダ-からさらに受けたリンの忍耐は――


「……………………」


 ……越えることなく、黙々と従事した。

 反論の余地がどこにも見出せなかったからである。

 とても悔しいことに。


「――あ」


 代わりに見出したのは、テレハックした捕虜たちの脳内記憶情報である。

 勇吾ユウゴが一人で壊滅させた敵部隊チームの名称が、『ドイツ隊』だという情報を。

 統合生徒会管轄の警察では、イサオの部下として働いている保坂ノボルが、憲兵MP科でありながらも、隊長リーダーとして率いていた部隊チームである。

 むろん、事前の記憶操作で、対戦相手の個人情報を消去された勇吾ユウゴたちに、その事実をこの場で知ることは無理であった。

 ちなみに、蓬莱院キヨシが率いている部隊チームの名称は『アメリカ隊』である。

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