第2話 思いを馳せる二人の女性士族教師が果たした思わぬ再会

 ――される一週間前。


「――ホントですかっ?! 武野寺たけのじ先生っ!」


 陸上防衛高等学校の職員室に、昼休みの喧騒をかき消すほどの大声が上がった。

 感動と興奮に震えた突然の声に、思わず眉をしかめた武野寺勝枝カツエは、鼓膜が破けそうな錯覚に襲われる。それでも、懸命に堪え、回転式の椅子に座ったまま、声の主である一人の女子生徒に向き合う。

 だが、


「――なんで今まで教えてくれなかったんですかっ!? そんな重要で大切なことをっ!?」

「――そうですよっ! 教育上の立場は違えど、同じ身分と性別を有する女性士族同士なのに

、水くさいですわっ!」


 その女子生徒の左右に並ぶ、もう二人の女子生徒が続いて上げた同質の大声に、武野寺勝枝カツエのしかめっ面がさらに悪化する。口を開く間すら与えずに畳みかけてくる三人の女子生徒たちの表情は、大声にふさわしいそれである。それを見て、武野寺勝枝カツエは目の前に並ぶ三人の女子生徒たちをなだめる意思を、一時的に放擲し、諦観の眼差しで左から見やる。


 |ウェービーロングの一ノ寺いちのじ恵美エミ

 ポニーテールの二伊寺にいでら代美ヨミ

 ボブカットの三木寺みきでら由美ユミ


 ――の順に。

 一学期に開催された武術トーナメント一年生の部において、なにかの間違いで優勝した疑念がいまだ拭えない小野寺勇吾ユウゴをイジメている、例のいじめっ子女子三人組である。

 その時の実況と解説を担当した小倉こくら理子リコ二階堂にかいどうアキラから、それを示唆するような言動があったことを思い出した武野寺勝枝カツエは、教師の責務として、事実確認のため、その三人を精神感応テレパシー通話で呼び寄せたのだが、その旨を本人たちに伝え終えてから五秒も経たないうちに、不意打ち同然の第一声を受けたのだ。

 いつの間にか至近に立っていた、三人の真ん中に位置する二伊寺にいでら代美ヨミから。

 士族の身分を持つ三人の女子生徒が、『瞬歩』よろしくな速度スピードで駆けつけ、かつ、真昼の陽月さながらな輝きや煌めきを放つ三者の両眼を確認した武野寺勝枝カツエは、


(……ついに知られてしまったのね……)


 ――と、観念混じりに悟らざるを得なかった。

 それが諦観の眼差しで三人の女子生徒を順々に見やった理由であった。

 そして、それに思い当たる節が、どの節に当たっても、ひとつしか思えないので、


『――武野寺たけのじ先生があの『桜華組おうかぐみ』の隊士だったなんてっ!!』


 予想が当たってもまったく驚かなかった。

 驚きの表情と口調で声を揃えて上げた三人の女子士族たちとは対照的に。

 もっとも、士族とは思えぬ凄まじいミーハーぶりには、第一声の時からドン引きしていたたが……。

 それでも、自分にとって事実であることに変わりはなく、自身の過去を想起させるには充分な言葉ワードであった。

 記憶操作ですら改変が不可能だと確信させるほどの、鮮烈で強烈な過去を。


 ――桜華組――


 ――それは、現在の二周目時代に生きる世の女性たちにとって、現在の天皇と同様、『神聖にして不可侵なる』存在の、女性のみで構成された戦闘集団の組織名称である。

 第二次幕末では、『幕府派』と対立していた『朝廷派』に味方した、数少ない武闘派組織のひとつでしかなかった。しかし、当時次期皇位継承者の一人として浮上していた明日宮あすのみや内親王の暗殺計画を、実行直前に阻止したことで、一躍勇名を馳したのがすべての始まりだった。

 その暗殺計画が幕府派の仕業である事実が判明すると、それを突き止めた桜華組は、当時劣勢であった朝廷派から重く用いられ、当時の天皇や明日宮あすのみや内親王を始めとする朝廷の守護神として、優勢だった幕府派相手に八面六臂はちめんろっぴの大活躍を繰り広げた。

 それは、第一次幕末で活躍した『新選組』と比較しても、なんの遜色もなかったと、現在の遺失技術ロストテクノロジー再現研究所所属の歴史研究者は、個人用記憶掲示板メモリーサイトに掲載している。

 そして、なによりも凄まじいのは、桜華組のNo1トップである局長、No2の副長、そして、各番隊隊長の幹部級を含めた、桜華組結成最初期構成員メンバーの隊士全員が、第二次幕末の動乱終結を迎えることなく、戦死、刑死、病死を、相次いで遂げたことだった。

 桜華組としての活動期間も、幹部級の生き残りがいた『新選組』のそれよりも短かかった。

 ゆえに、桜華組の生き残りは、結成後に入隊した中途加入者のみで、その待遇も準隊士である。現在でも存命なのは両手指の本数に留まっているかすら、中央政府でも把握されてない。

 『叢雲むらくも幕府』以来、武家が実権を握り続けていた政権を、『江渡えど幕府』の終焉とともに奪回し、復権を果たした朝廷は、二周目時代初の女性天皇の誕生こそ、動乱の最中に発覚した諸事情で見送られ、その影響で政治機構としての『朝廷』は名実ともに消滅し、一周目時代の近現代日本的なそれに取って代わった。だが、桜華組が立てた『歴史的な功績』と、それをもたらした活躍は、身分や体制に関係なく、『江渡えど幕府』末期まで続いていた男尊女卑の観念を、根底から打ち砕き、女性の社会進出の契機を作った『人類的な功績』は計り知れなく、今の世の社会で活躍している女性たちにって、桜華組は、身分や体制に関係なく、『神聖にして不可侵なる』存在なのである。桜華組に対してちょっとでもディスれば、同性でさえ身分に関係なく集団私刑フルボッコされるのだ。ましてや異性だと…………。

 ――そのようなわけで、そういった事象は、動乱後に生を受けた次世代の女子たちにも劣化なく受け継がれ、前世代の女性たちと同様の念を抱いている。

 満開のごとく咲き乱れながらも、一輪も残さずに散ったさくらはなに。

 そのため、誰も種子ひとつ残さなかったので、桜華組隊士の血筋を受け継いだ次世代の子たちも、桜華組にまつわる逸話エピソード横顔プロフィールも、ともに現存せず、表層的な出来事しか知らされていないのが、武野寺勝枝カツエの教え子たちの実情であった。その武野寺勝枝カツエが、準隊士だったとはいえ、桜華組の一員として、第二次幕末の動乱を戦い抜いた女性士族だと、一世代下の女性士族たちが知れば、信じて疑わない表情で本人に詰め寄っても、無理もないというものである。たとえそれが、出所が不明な怪しいウワサでも。ましてや事実では、ウソでもつかない限り、否定のしようがなかった。


「――ねぇ、ねェ、教えてっ! その時の活躍をっ!」

「――オトコの武士相手に、互角以上の立ちまわりで渡りあったんでしょっ! 松岡流の氣功術でっ!」

「――オンナだとあなどっていたあの時のオトコどもは、さぞビビったでしょうね。その時の表情カオが目に浮かぶわ」


 ……だから知られたくなかったのである。

 うっとうしいまでの質問攻めやはしゃぎようが、それこそ目に浮かぶから。

 事実、目の前にいる三人の士族女子生徒たちの言動が、武野寺勝枝カツエの目に浮かんだ通りでは、異論をはさむ余地もなかった。


「……あ、あのね、あなたたちを呼んだのは、その話をするためじゃなく、小野寺――」

「――が、その時代に生まれていたら、誰よりも真っ先に殺されていたわねっ! 桜華組にっ!」

「――うんっ! そうよねっ! あんなヘタレ、敵として認識することすら、桜華組にとって恥辱の極みだわっ!」

「――もし、アイツが桜華組を素粒子でもディスったら、今までもよりも激しくイジメてやるわっ! 口にするだけでもおこがましいって言うのに、生意気よ、小野寺のクセにっ!」

 武野寺|先生の宥めに対してもまるで聞かず、取り合おうとしない。


「……………………」


 だが、確認したかった事実が、今の発言で判明したのは、なんとも言えぬ皮肉であり、気分であったが……。

 それでもなおはじゃぎ続ける三人の女子生徒たちに、


「――その小野寺君に武術トーナメントで負けて、優勝を許してしまったのは、いったい誰なの?」


 氷点下に近い冷や水がかかった。


『……………………』


 かけられた三人の女子生徒は、一瞬前までの騒々しさがウソのように静まり返る。


「……千鶴チヅ……」


 勝枝カツエは女子生徒たちを静かにさせてくれた同僚の親友に視線を向けてつぶやく。


「――もし、あなたたちもその時代に生まれていたら、小野寺君よりも先に殺されていたということになるわね。その論法をあなたたちに当てはめるのなら」


 武野寺先生よりも奥の席に座っている多田寺千鶴チヅの、皮肉っぽい口調と、静かな怒りを秘めた表情に、三人の女子生徒たちは怯みを覚え、後ずさる。


「……で、でも、桜華組が、オンナのアタシたちに刃を向けるとは思えないわ」


 それでも、三人の女子生徒の一人、一ノ寺いちのじ恵美エミが、勇気を振り絞って反論する。多田寺千鶴チヅから見れば、使い道を間違えた勇気の無駄遣いに、これも皮肉げな苦笑を閃かせる。普段は士族らしからぬ温厚な表情を振りまいている多田寺|先生が、この時に限って、普段の武野寺勝枝カツエよりも辛辣な表情を向けられて、三人の女性生徒たちは更なる怯みを覚える。


「――そうね。確かに、桜華組は、組の法度上、女性に対して刃は向けなかったわ。それは準隊士だったあたしの戦友も例外じゃない。でも、桜華組以外にも、女性のみで構成された戦闘集団が、あの時代にはいくつも存在したわよ。そんな法度を定めてなかったのも」

『……………………』

「――あたしも、その戦闘集団の構成員としに所属していたわ」

『?!』

「――もし、あなたたちがその集団に遭遇していたら、いったいどうなっていたのかしらねェ?」

『…………………………………………』

 みるみると青ざめる三人の女子生徒たちに、多田寺千鶴チヅは表情を一変させる。

「――そんなくだらない仮定や桜華組の武勇譚で話を弾ませるよりも、その小野寺君に感謝と謝罪をするべきでしょ! 『念動力サイコキネシス大騒乱事件』の時、小野寺君はつたない復氣功であなたたちを一生懸命治療していたそうじゃない。それまであなたたちにイジメられていたにも関わらず。仇を恩で返してくれた彼に対して、まだ仇で返し続ける気なの?」


 教育者として手厳しくたしなめられた三人の女子生徒たちは、ついさっきまで浮かされていた熱が、ウソのように冷めきり、結局、その件について一通り説教されると、無言のまますごすごと職員室を後にした。


「……まったく、しょうがない女子たちね。一人の人間としてまだ未熟な半人前以下が、桜華組の武勇譚を喜々として軽々と語らないで欲しいわね。それだけでも、イジメの対象になるかもしれないことを、自分たちの口で示している自覚すらないなんて――」


 その三人の後姿を見送ったあと、千鶴チヅはすくめた肩のまま、かぶりを振ると、


「――って、ゴメン、カッちゃん。三人を呼んだあなたが説教すべきことなのに、それを奪っちゃって。教師としての面目を丸潰れにしちゃって、ホント、ゴメンね」


 手を合わせて謝罪する。

 第二次幕末の戦友にして、陸上防衛高等学校でともに教鞭を振るう、唯一無二の親友に。


「……あやまる必要なんてないわ。むしろ感謝している。あたしが言いたかったことを、チッちゃんが代弁してくれたんだから」


 それに対して、勝枝カツエは苦笑してこちらもかぶりを振る。


「――それに、チッちゃんと違って、なりたくてなった職業じゃないしね。だから、丸潰れになる程、あたしの面目は大したものじゃないわ」

「……カッちゃん……」

「……………………」

「……もしかして、後悔している? あたしの誘いに乗って教師を選んだこと?」


 不安と心配をない混ぜた親友の表情に、勝枝カツエはふたたび頭を振る。

 今度は慌てて。


「――するわけないでしょっ! これだってむしろ感謝しているっ! あの時、チッちゃんが誘ってくれなければ、今頃、あたしは……」


 そこまで言うと、乗り出しかけていた身を引いて、目と口を閉じてうつむく。


「……ゴメンね、カッちゃん。今更なことを訊いて……」


 親友の様子に、間を置いてから謝罪した千鶴チヅも釣られてうつむくが、


「――さっきから謝ってばかりよ。それで気を遣うくらいなら、あたしがこの職業に向いている事例のひとつくらい、上げてくれた方がはるかに効果的だわ」


 要求の形で勝枝カツエに気を遣われていることに気づくと、ハッとした表情で千鶴チヅは顔を上げる。その先には、苦笑している親友の顔が、自分のそれと合う。


「――それもそうね」


 そして、自分も親友の表情に倣う。

 しばらく間、千鶴チヅと見つめ合っていた勝枝カツエは、


(――今頃、どうしているのかしら――)


 ――ふと、思い出す。


(……あたしと違って、結局、あの時も討たないままアイツを去らせた……)


 ……奇しくも、自分と同じ時期と年齢と境遇で入隊した、もう一人の桜華組準隊士を……。

 あれから一八年。

 それ以来、勝枝カツエは一度も会ってない。

 現在いまでも存命なのかすら……。


「――それじゃ、昨日、カッちゃんが、まだ浜崎寺さんをイジメている佐味寺三兄弟たちへの教育的指導は、とても立派だったわよ」


 そこへ、不意に聴覚を刺激した声に、回想と心配にふけっていた勝枝カツエの意識と視線が、声の主にふたたび向けられる。


「――あの兄弟たちも、『念動力サイコキネシス大騒乱事件』の際に負ったケガを、浜崎寺さんが治療したのに、その恩を恩として感じず、引き続き仇で返し続けると、堂々と宣言された瞬間、激高して叱りつけた姿は、まぎれもなく教師の鏡よ。だから、向いてないことなんて、決してないわ」


 必死に親友を励ます目の前の友人に。

 それを認識した勝枝カツエは、


「……そんな取ってつけたような励ましをされてもねェ……」


 苦笑して首を傾げる。

「――なにそれっ!?。長年の親友のあたしが落ち込んでいるあなたをなんとか元気づけようと励ましているのに、その言い草はないでしょっ!」


 千鶴チヅは不服そうに頬を膨らませるが、相手は表情と首の角度を変えなかった。


「――でも効果がないと意味がないわよ」

「これ以上はない効果でしょ! 脳内記憶や見聞記録ログにもきっちり残っている厳然たる事実なんだからっ!」

「……………………」

「……………………」


 二人の親友はしばらくの間にらみ合うが、決して非友好的ではなかった。それどころか、


「――ウフフ……」

「――フフッ……」


 二人は同時に吹き出し、笑い出し始める。


「――のんきなものですねェ……」


 ――前に水を差されたので、実行には移せなかった。

 その温度は自分たちが出来の悪い教え子たちにかけた水よりも冷たかった。


『……ふ、副校長……』


 ――の、神経質で不機嫌な顔を視認して、二人の女性教師は気まずい表情を浮かべる。


「――今度の兵科合同陸上演習の実施日まで、あと一週間だというのに、うるわしい友情の確かめ合いにうつつを抜かす時間ヒマがあるなら、さっさとその交戦規定レギュレーションを提出してくれませんか。でないと、最悪、あなたたちのクビが飛びますよ」


 五十代半ばの痩身な中年男性は、諦観の表情で恐るべき宣告を淡々と述べる。


『……え……?!』


 それを耳にした瞬間、二人の女性教師は茫然となる。

 寝耳に水というべき宣告に。

 二人の女性教師の様子に、陸上防衛高等学校の副校長は深いため息をつく。


「……あなたたち、エスパーダの見聞記録ログ機能を常時ON《オン》にしているのですか? この前の職員会議で決まったではないですか。国防軍の上層部から、実戦的な軍事訓練と、確かな採点がつけられる交戦規定レギュレーションを、校長を始めとする全教員が総力を挙げて考案することを」

『……あ……』

「――以前から文句クレームがあったではないですか。こちらの評価に見合った実力が伴わない卒業生が多くて困っていると」

『……………………』

 二人の女性教師の反応リアクンションに、陸上防衛高等学校の副校長はふたたびため息をつく。

 一度目よりもさらに深く。

 そして、


「――いっけないっ! どうしよう、カッちゃんっ!?」


 今更のごとく慌て始める。


「――どうしようって、もしかして、チッちゃんも考えてなかったの!?」


 二人とも。


「当たり前でしょ。そんな強敵を倒すよりも難しい『宿題』なんか、あたしが解けるわけないでしょっ!」

「それはあたしも同じよっ! 頭脳労働は教科担当のあなたの領分でしょ! なのにそんな『宿題』も解けないなんて、教師に向いてないのはそっちの方じゃないっ!」

「さっきまで自身にその疑念を持っていたあなたには言われたくはないわっ! 前言撤回、やっぱりあなたは教師に向いてないっ!」

「なにをそれっ?! それが長年の親友に対して言うセリフっ!?」

「それはこっちのセリフよっ!?」


 ……二人の女性教師は、ついさっきまでのうるわしい友情を床下に叩き捨てて、教え子たちよりも醜い口ゲンカに没頭し始める。


「……………………」


 そして、互いの両頬の引っ張り合いにまで発展した双方の争いを、副校長は、冷めたとも虚ろなとも言えぬ眼差しで一通り眺め終えると、吐くため息も振る頭もないまま、踵を返して立ち去る。


(――免職クビは確定ですね――)


 引っ張った両頬を上下に揺らし合い始める二人の女性教師を背に。


(――副校長。今どこにいる?)


 しかし、精神感応テレパシー通話が入って来たことで、副校長は図らずも職員室のドアの手前で立ち止まる。


(――これは校長、なにかご用ですか?)

(――以前から職員会議でたびたび挙げられていた兵科合同陸上演習の交戦規定レギュレーションについてだが――)

(……あきらめましょう。もう、どうしようもありません。なので、武野寺と多田寺以外の教員たち全員の再就職先の斡旋あっせんを……)

(――なんでしなければならないのだ? せっかく軍上層部が納得するに違いない『宿題』の『回答』が出せるというのに――)


 今度は副校長が寝耳に水を受ける番となった。


(本当ですかっ?!)

(……嘘を言ってどうする? これ以上は考えられないほどの重大な議題に対して――)


 不機嫌な口調に変わった陸上防衛高等学校の校長の言葉を聞いて、副校長は焦り慌てる。


(――も、申し訳ございませんっ! して、その内容は――)

(――校長室で詳細を伝えたいから、至急、来てくれたまえ。あと、この件は他の教員たちにはまだ伝えないように――)

(――はっ、わかりましたっ! ではただちに――)


 そう伝えて精神感応テレパシー通話を切ると、副校長は肩越しに振り向く。

 長年の親友であるはずの二人の女性教師は、両頬の引っ張り合いを、やむ気配もなく続けている。

 そして、視線を正面に戻し、止めていた足をふたたび動かし始めると、断固たる決意をした。


「――校長に釘を刺されるまでもなく、あの二人には絶対に告げない――」


 と。

 少なくても、自分の口からは。


(――それまで、せいぜい醜悪な争いを、絶交したあとになっても続けるがいい――)


 副校長が愉快そうに思い捨てると、喉元までせり上がっていた留飲を心地よく下げながら、昼休みの廊下を歩いて行った。

 



「……うーん……」


 その下の廊下の窓から、組んだ腕と頭部を半ばはみ出している小野寺勇吾ユウゴは、悪夢にうなされているような呻きを漏らしていた。ただ、両眼が糸目なため、実際に悪夢にうなされて眠っているようにしか、校庭のあちこちで談笑している生徒たちには、見えないので、不安で落ち着かなかった。


「――どうしたの、ユウちゃん?」


 ――にも関わらず、覚醒状態だと信じて疑わずに安心して尋ねて来た生徒がいた。


「――心配そうな表情カオをして」


 しかも心境まで察知して。


「――あ、アイちゃん」


 窓枠に上半身を持たれていた勇吾ユウゴは、両腕を下ろして身体ごと振り向き、幼馴染と正対する。


「――なんの心配をしてるの?」


 アイの左隣に立っている観静リンが、こちらも心配そうにうながす。


「……一週間後の兵科合同陸上演習なんだけど……」


 勇吾ユウゴ音調トーンの低い声で前置きすると、


「――ああ、アレについてやな」


 なにを言いたいのか察して先取りした龍堂寺イサオが、アイの右隣りでしきりにうなずく。


「――やっぱアレを聞いてもうたら、無理もあらへん。おまいにとっては」

「――ニャによ、アレって?」


 その背後から、猫田有芽ユメイサオに対してうながす。


「――ジングスがあるんや」

「――ジングス?」

「――せや」


 イサオがふたたびうなずくと、この場にいる一同に説明する。


「――武術トーナメントの優勝者と準優勝者は、兵科合同陸上演習では必ず最下位とその二番目の成績でワーストワン・ツーフィニッシュするんやって」

「――へェー、そうニャんだァ。初耳ニャ」


 有芽ユメは感心したように得心する。


「――せやから、この前のトーナメントの優勝者は、そのジンクスに対して、どないすればええんか、悩んどるっちゅうわけや。せやろ」

「……うん」


 勇吾ユウゴは力なくうなずく。


「――それで思い悩んでいたのね」


 リンも得心の表情を作って対象者に向けると、


「……ユイも……」


 もう一人の対象者にも向ける。

 武術トーナメントの準優勝者、浜崎寺ユイは、先程までの勇吾ユウゴの隣の窓枠で、勇吾ユウゴと同様の姿勢で、引き続き窓枠に持たれている――というより、引っかかっているようにしか、他者には見えない。窓の外に投げ出している両腕と頭部が、ベランダの柵に干した布団のようにだらりと下がっているので、素粒子一個分でも均衡バランスを崩したら間違いなくずり落ちる。それが廊下の方面なら大したケガは負わないが、もし外の方面だと頭から校庭に直下する。もっとも、病弱で虚弱体質なそれに反して、何回殺したら死ぬのか不明な身体の上に、一階なので、ダメージは廊下のそれと、これも大して変わらないが。

 それでも、尋常な状態ではないのは、先程までの小野寺勇吾ユウゴ以上に、誰の目で見ても明らかなので、ユイの通常状態を知らない他の生徒たちは、それを目撃する都度、判断や対処をせまられる。幸いそれは、他以外の生徒たちが、その都度その旨を伝えて『処理』しているので、今のところ大騒ぎに至ってはいない。とはいえ、この通常状態自体が異常なことに、他以外の生徒たちが慣らされている事実の方が、はるかに異常である。そして、当人たちにその自覚がないのが一番の異常なのは、言うまでもない。


「――どうしてそんなジンクスが立つようになっちゃったんだろう?」


 一通り『処理』を終えたアイが小首を傾げる。


「――そりゃもちろん、立って当然のジンクスだからよ」


 親友の疑問に答えたのはリンであった。


「――どういうことニャ?」


 有芽ユメに促されたリンは、当然と言いたげな表情と口調で、


「――武術トーナメントの優勝者と準優勝者だからよ」


 と、答えても、


「――せやから、なんでその優勝者と準優勝者が、兵科合同陸上演習ではワーストワン・ツになるんかと聞いとるんや」


 イサオがまったく理解の兆しが見えてないので、有芽ユメに続いて問いただす。


「――そんなの、決まってるじゃない」


 これに対しても、リンは変わらぬ表情と口調で前置きした後、


「――嫉妬よ」


 三文字で答えた。


「――武術トーナメントの敗退者や、参加すらできなかった生徒たちからすれば、それ以外の何者でもないもの。ましてや、彼ら『負け組』からすれば、詐欺同然の勝ち方で優勝したり、決勝まで勝ち上がって置きながらあっさり負けて準優勝したこの二人ワン・ツーじゃ、なおさらだわ」

 言いながら横目で見やったリンの視線に釣られて、三人の少年少女は注目する。


「――――――――?」


 イマイチピンと来ていない武術トーナメントの優勝者と。


「……………………」


 同大会の準優勝者を。

 ただし、直立状態の優勝者と異なり、いまだ窓枠に引っかかった状態を保っている。

 絶妙な均衡バランスで。


(……もしかして、本当に死んでるんじゃ……)


 ……ないかという疑惑が、他の生徒以外の誰かが抱き始めても、おかしくない頃である。


 二十四時間死ぬ死ぬ詐欺者フルタイムデストリッカーに対して。


「……だから、その二人ワン・ツーに次の兵科合同陸上演習で好成績を残させまいと、裏で手を組んで真っ先に集団私刑フルボッコするのよ」


 その疑惑を振り切るかのように、一同は会話を続行する。

 絶妙な均衡バランスで窓枠に引っかかっている限り、まだ死んではないと必死に信じ込んで。


「――それじゃ、公正で正確な採点ニャんて、つけられニャいニャ」

「――だから二学期が始まってからの先生たちは職員室まで来た生徒たちの悩み相談そっちのけで悩んでいたのね」


 有芽ユメアイはそれぞれの語調で得心し、しきりにうなずく。


「――そないなザマじゃ、あないなジンクスが立ってもしかたあらへんなァ」


 イサオも納得するが、どことなく他人事のように――否、他人事にしか聴こえた小野寺勇吾ユウゴは、


「そんなこと言わないで助けてよォッ!!」


 地元で起きたローカルテロ事件の時でさえ上げなかった泣き言を、死人や亡者みたいなすがりつき方と泣き方で、すがりついた失言者の学生服ブレザーを掴みながら徐々に這い上がってくる。


「――今度は集団チーム戦だから、僕と同じ部隊チームに入るんでしょ? 今回も僕の将来がかかってるんだっ! 僕たち友達でしょ? 先にそれを言い出したのはイサオだよ。いまさらそうじゃないなんて言わせないよっ! もしそんなことを言ったら――」

「わかったワカッタわかったワカッタッ!! おまいと同じ部隊チームに入ったるっ!! せやからとりあえず離れたってくれいっ! ごっつ怖いさかいっ!」

 ホラー映画よりもホラーな迫り方に、イサオは悲鳴同然の叫びを上げながら即座に了承した。元よりそのつもりだったが、こんな形で了承するハメになるとは、素粒子サイズの微塵すら思わなかった。


「ありがとっ! やはり僕たちは友達だねっ!」


 やっとの思いで引きはがした勇吾ユウゴの満面な笑顔と感謝の言葉に、イサオは見聞きする余裕はなかった。廊下に両手をついて、限界まで乱れた呼吸を整えるのに精一杯だったので。


「――あとは――」


 それを見届けた勇吾ユウゴは、その表情で、イサオ以外の仲間を求めて、周囲に糸目をめぐらす。


「アタシもユウちゃんと同じ部隊チームに入るわっ!」

「アタシも入るわっ!」

「あたいもニャッ!」

「あたしも入れてっ!」


 ――までもなく、四人の女子生徒たちが、小野寺勇吾ユウゴと同じ部隊チームに入る意思を、我先とばかり表明したので、実行はされなかった。

 イサオみたいな目に遭いたくはない一心で。

 イサオと同様、元よりそのつもりでも。

 それでも、別に構わない女子は、いるにはいるが、こんな形でのそれはまったく望んでないので、断念せざるを得なかった。

 その度合いは、死亡の疑惑が高まりつつあった浜崎寺ユイが、蘇生直後とは思えない健常者のそれさながらな迅速さで表明した一事だけ取っても推して知るべきである。


「――みんなありがとうっ! 演習が終わったら僕の手料理をご馳走してあげるっ! やっと認可が降りた野外実験場でっ! 僕の頼みを無言で受けてくれた女子たちには、特にっ!」


 感を極まった勇吾ユウゴのお礼に、


(~~誰だよォ~~ッ!!。コイツにそんな認可を降ろしやがった無能な統合生徒会役員はァ~~ッ!!)


 アイリンは血の涙を流す思いで歯ぎしりする。


「――ところで、その兵科合同陸上演習は、どんニャ交戦規定レギュレーションで実施するんニャ?」


 勇吾ユウゴの下手の横好きな家事の腕前を知らない有芽ユメが、一同に尋ねる。


「……それは、教えらない、そう、よ。武術、トーナメントと、違って、一般に、対して、非公開な、軍事訓練、だから、それは、生徒に、さえ、事前まで、秘密の、ようよ……」


 ユイが相変わらずたどたどしい語調で答える。


「――となると、それまで対策が立てにくいわね」


 リンが深刻な表情で腕を組む。


「――どうしたらいいのかしら――」


 困惑の表情でそこまで言ったアイの語尾に、


「――てめェッ! この前はよくもやりやがったなァッ!!」


 憎悪にたぎった怒声が、廊下の向こうから鋭く飛来した。




「――だいぞ? おはんら?」


 同じ階の廊下の一角で、生徒たちが作っている野次馬の輪を描き分けた勇吾ユウゴたち六人は、他の野次馬たちと同様、注目する。

 誰何すいかの声を上げた、先着した野次馬たちが対象の一人とする男子生徒に。

 数本の前髪を垂らしたセミオールバックの髪型に、ヤマトタケルよりも更に野性的な顔立ちの、それほど悪くないイケメンだが、その背丈は驚くほど短身で、とても同学年の男性には見えなった。しかし、一瞬でも女性に見えなかったのは、男性用の学生服ブレザーや野太い声を見聞きしたよりも、女性的な痩躯そうくにほど遠い筋肉質な体格が印象的だったからである。巨体なマッチョをスモールサイズにダウンサイズしたような感じである。

 無論、誰何の対象が、今しがた到着した勇吾ユウゴたち六人ではない。

 それは――


「とぼけんじゃねェッ!!」

「エスパーダをつけてるんなら、忘れるはずがねェだろうがっ!」

「白々しい演技マネをすんなっ!」


 佐味寺三兄弟であった。


「――別にとぼけとなどなか。そいに、おいのエスパーダは、記憶媒体ストレージ機能の類は削除オミットしちょっで、脳内記憶以外、残しようがなか。あいをつけちょると、精気を吸われちょる気が、今でもして、どうにも落ち着かん。じゃって、脳内記憶流出防止に、必要最低限の機能と性能しか、搭載しちょらんぞ」


 セミオールバックの小柄な男子生徒は、関西弁とは異なる方言で、微塵も動じずに応対する。

 いきり立つ佐味寺三兄弟を見上げながら。

 どの相手も、相対的に、頭一つ分よりも長身なので。


「うるせェッ!! このドチビがァッ!!」


 短身の相手を罵るには、月並みだか絶好で効果的な悪口が、佐味寺三兄弟の長兄から口汚く吐き出される。それを聞いた瞬間、野次馬たちの誰もが、喧嘩沙汰への発展が不可避だと確信する。

 ――が、


「――よか言葉ぞ。おはんらの言う通り、おいはチビじゃ。いつだいが聞いても、心地よか」

(えェェェェェェェェェぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ?!)


 野次馬たちの誰もが、心の声を揃えて叫ぶ。身長が低い男性にとって、それは、女性に喩えるなら、ムネの無さに等しい劣等感コンプレックスである。なのにそれを、悪口ではなくても、激怒するどころか、恍惚こうこつな表情で聞き入れるなど、ありえなかった。どんなに心の広い男性でも、不可能な行為である。

 無論、それは口汚く罵った佐味寺三兄弟の長兄や、一字一句間違いなく代弁してくれた次兄や末っ子も同様だったので、まったく堪えてない相手に、すでに募っていた苛立ちがさらに先鋭化する。


「……だれ?、あの男子?」


 アイがドン引きに似た表情で小柄な男子生徒について尋ねる。


「――アタシは知らないわ」

「――あたいもニャ」

「――僕もです」

「――あないなおもろいヤツ、わざわざ見聞記録ログに保存せんでも、なかなか忘れられへんで。セルフ記憶操作しても」

「……津島寺つしまじ豊継トヨツグ……」


 尋ねられた他の五人はそれぞれ答える。


「……そうよねェ。知ってるわけ――」

『――――――――』

「……………………」

『……………………』

「――――――――」

『――――――――』

「――あったのォッ?!」


 アイは驚愕の表情でその返答者を見やる。

 首を横に振った返答者たちも、同様の表情で、同時に。

 その返答者である二十四時間死ぬ死ぬ詐欺者フルタイムデストリッカーは、


「……あの、男子ひと、は、あたし、を、あの、三、兄弟、の、イジメ、から、守って、くれた、の……」


 他の五人から注目を集める中、説明を開始するが、台詞ではテンポが壮絶に悪くなるので、ここからは要約を兼ねた地の文で続行する。

 浜崎寺ユイは、念願の陸上棒絵高等学校の入学を果たしてから間もなく、イジメが趣味としか思えない門閥士族の子弟、佐味寺三兄弟のファーストターゲットにされた。それを、白馬にまたがった王子さまのごとく助けてくれたのが津島寺つしまじ豊継トヨツグであった。

 その結果、津島寺つしまじ豊継トヨツグは長期の停学処分を受け、佐味寺三兄弟も一ヶ月近くの間、休学した。

 佐味寺三兄弟の方に非があったにも関わらず、津島寺つしまじ豊継トヨツグに対する処分の方がはるかに重かったのは、佐味寺三兄弟の実父である門閥士族の当主が、この件を知って激昂し、当校に圧力をかけたのもさることながら、三つ子の息子たちの休学が、津島寺つしまじ豊継トヨツグによる面が大きかったからである。

 名目上は休学だが、実際は津島寺つしまじ豊継トヨツグとの拳での会話で、相手が一人にも関わらず、三人であるはずの佐味寺三兄弟が集団私刑フルボッコされたみたいな一方的さで、大敗、完敗、惨敗の三拍子を喫し、入院を余儀なくされたのだ。

 それも、旧型の氣功術を会得した凄腕の医者が在院する大病院の集中治療室での。

 その有様は、『半殺し』を超えた『九割殺し』だったと、当時それを目撃した生徒の一人は語っていた。

 それが、助けに入ったはずの津島寺つしまじ豊継トヨツグに、さも非があるような錯覚と印象を受けた一因となったのは、否めなかった。

 大勝、完勝、快勝した津島寺つしまじ豊継トヨツグに、一発はおろか、かすり傷ひとつすらついてない事実も、それに輪をかけた。

 早い話が『やりすぎ』てしまったのである。

 なんとか一命を取りとめた佐味寺三兄弟は、退院後復学し、性懲りもなく浜崎寺ユイをイジメ続けた。その最中に出会った勇吾ユウゴたちと友達になってからは、勇吾ユウゴをイジメ続けていた士族の女子生徒三人組と同様、やりづらくなった。そして、『念動力サイコキネシス大騒乱事件』でまた病院送りにされ、再退院したあと、ほどなく夏休みに入り、二学期が始まると、それと同時に停学が解けた津島寺つしまじ豊継トヨツグと、因縁の再会を、たった今この場で果たしたという次第であった。


「……よか、った。停学、が、解け、て……」


 ユイは感涙にむせるが、傍から見たら持病が悪化したようにしか見えない。そのため、勇吾ユウゴたち五人はおろか、他の野次馬まで不安で気になり、肝心の対象に集中できなくなってしまう。

 そして、その間隙を的確に突いたかのようなタイミングで――


「――おおっ! ここにおいもったかぁっ!?」


 対象の一人が、短身に似合わず、大股で野次馬の一人に接近する。


「――ついに見つけたど。会いたかったどっ!」


 糸目の少年に。


「――えっ?!」


 正面にその視線を戻した勇吾ユウゴは、自分より背の低い津島寺つしまじ豊継トヨツグに見上げられて、色々な意味で困惑する。それは、しげしげと自身の五体を観察し始めたことで、さらに増す。


「――こいがあん武術トーナメント優勝者の身体つきと腕回りかァ。停学中やったから、感覚同調フィーリングリンク放送でしか見れんかったが、こげな華奢きゃしゃなんに、あげな瞬斬を繰り出せっとは、さぞ凄まじか鍛錬を積んだんじゃろなァ」

「――ええ、そうよ。小野寺流光線剣レイソード長距離ロングレンジ型斬撃術――『ハヤブサ斬り』よ」


 アイが横合いから本人も命名も採用もしてない中二チックな名称でそれを教える。


「――おお、略して『早斬り』かァ。そん時の実況で聞いたが、いつ聞いてん、よか名ぞォ」


 豊継トヨツグは嬉しそうな表情でしきりにうなずく。

 まるで自分のことのように。


「――いずれにしてん、すごか技に変わりはなか。やっぱおいのこん目で見たい。小野寺。ぜひ、おいと手合わせを――」

「ヤダ」


 豊継トヨツグの唐突だが礼儀正しい申し出を、勇吾ユウゴは即座かつ言下に断る。


『……………………』


 廊下の一角にしばしの沈黙が下りる。


「……なぜじゃ? おいと同じく、士族の子弟――そいも、そげな強さば誇るつわものなら、立ち合いは受けるものが普通じゃど。自分ん強さを、確かめたくはなかか?」


 それを破った豊継トヨツグは心底不思議がる。


「……だって僕、戦い、キライだもん……」


 そして、その理由をそっぽを向いた当人の口から知ると、豊継トヨツグの不思議がりようはさらに深まる。


「……そいじゃ、おはんはなぜ陸上棒絵高等学校に入学したんじゃ? いくさいイヤなんに、ないごてじゃ?」

「……………………」


 勇吾ユウゴは答えない。答えても理解してもらえないと思ったからである。かたくなに沈黙を守る勇吾ユウゴに、豊継トヨツグは、


「――はっはッハっハッはァッ!」


 体躯に似合わない豪快な笑い声を上げる。

 その場いる生徒たちは驚きの表情を浮かべる。

 視線を元に戻した勇吾ユウゴも。


「――おもしろか男ぞっ! そんだけの強さを持っちょるのに、いくさがキライなど、おもしろかだけなく、おかしか男じゃっ!」


 お笑い芸人のギャクでもウケたような笑顔で勇吾ユウゴを見やりながら、豊継トヨツグはそれで出た涙をぬぐう。


「――ま、イヤならしかたなか。だがますまずおはんば気に入った。もし気がむいたら、おいはいつでん受け――」

「――オイィッ!!」


 不意に上がった怒声が、豊継トヨツグの言葉を中断させた。

 むろん、小野寺勇吾ユウゴではない。

 佐味寺三兄弟の長兄、佐味寺一朗太イチロウタが上げた怒声である。


「――いつまでも無視シカトしてんじゃねェぞォッ!!」

「――これでもオレ達は最大の権勢を誇る門閥士族の子弟なんだぞっ! てめェら下級士族なんざ、佐味寺家当主オヤジがその気になれば簡単にひねる潰せるんだぜっ!」

「――いい加減にしねェとブチ殺すぞォッ!!」


 怒り狂った声で脅し立てる佐味寺三兄弟。

 ――に対して、


「――こん前おいにまったく歯が立たんかったおのれらが、おいを殺すじゃと?」


 肩越しに振り返って言った豊継トヨツグの声に、初めて怒気がこもる。

 たった今、思い出したのである。

 その先にいる三つ子の兄弟を。


「~~大の男子なんし三人が、親の権勢ば振りかざし、あげく、女子おなご一人ばよってたかって嬲るクソどもが、士族ば名乗るなァッ!! 士族の名がクソでけがれるッ! 今度は『九割九分殺し』にしてやっどっ!!」


 そして、身体ごと振り返って再対峙した豊継トヨツグの殺人的な怒声に、佐味寺三兄弟は大きくのけぞる。自分たちよりもはるかに背が低いはずの同学年の男子生徒の姿が、自分たちよりもおおきく見える。それは、豊継トヨツグが隠す意思もなく発した殺気が、シルエットとして擬人化したものだった。それにより、以前、その一人に集団私刑フルボッコされた記憶が、三兄弟の脳裏に蘇る。その瞬間、殺人的な迫力も相まって、瞬時に身体がすくみ上がり、失禁すらしそうになる。

 そして、その努力もむなしく決壊する、まさに寸前――


「――そこでなにをしているっ!」


 別方角からの叱咤が、野次馬の環を揺るがす。

 それを耳にした佐味寺三兄弟は、叱咤の主の姿を確認することなく、野次馬の環を溺れるように掻き分け、慌ててとんずらする。

 おかげで、佐味寺三兄弟の遁走は、津島寺豊継トヨツグにビビッての逃走ではなく、面倒な事態を避けるための一時的な退避である体裁を、同じ生徒である野次馬たちに対してかろうじて保てた。

 ただ、豊継トヨツグから申し出た立ち合いを断った勇吾ユウゴの印象が、負けるのが怖いから逃げたという誤認識を、叱咤した主の副校長に解散させられた後になっても変わらなかったが。


「――そいじゃ、また会おうぞ」


 唯一、勇吾ユウゴたち六人以外で誤認識しなかった豊継トヨツグが、その流れの中に乗りながらも、片手と声を上げて去って行った。


「……………………」


 その流れの中に立ち止まっている勇吾ユウゴは、無心ではいられない表情で、その後姿を見送る。


「――なんか変わったヤツやったな」


 隣にいるイサオが、自身が抱いた感想を、勇吾ユウゴに打ち明ける。


「……お礼、言い、そび、れた。今度、は、しっ、かり、伝え、ない、と……」


 ユイが後ろ髪を引かれる思いで、自分とは反対方向へ歩き去って行く豊継トヨツグの後姿を、何度も振り返りながらつぶやく。

 野次馬を解散させた副校長は、ほぼ無人となった廊下で、本日の昼休みだけでも何度吐いたかわからないため息を吐く。


「……まったく、夏休みと停学明け早々、騒ぎを起こしおおって。あの女性教員たちといい、この調子では、軍上層部が期待する人材の輩出は、あの『宿題』の回答にかかって――」


 ――来た。

 精神感応テレパシー通話が、副校長のエスパーダに。


(――副校長。いったい何をしている。早く校長室へ来たまえ――)

(――も、申し訳ございまぜん、校長。その途中で遭遇した生徒同士でのいさかいの鎮静に――)

(――言い訳はいい。急ぎたまえ――)

 叱咤まじりに精神感応テレパシー通話を切られた副校長は、多少の理不尽さを感じながらも、失敗は許されない今回の兵科合同陸上演習の交戦規定レジュレーションにおいて、正確な採点がつけられる『宿題』の『回答者』に、興味が移る。職員会議を開く都度挙がるこの難題に対して、軍上層部が納得するだけの回答が、どの教員の脳内からもひねり出せず、お手上げ状態だったのだ。なので、思わずにはいられなかった。


(――いったい誰なのだろうか?)


 ――と。

 それは――

 



「――『櫂寺かいでら』?」


 校長室の校長からその名を告げられた副校長は、これも思わずにはいられなかった。


(――だれ? その人?)


 その名を検索の条件に、自身の脳内記憶や、エスパーダの各種記録ログに保存されてある、陸上防衛高等学校の教員一覧リストを一通りかけても、ひとつも浮上ヒットしなかったので。


「――ま、無理もあるまい」


 デスクから立ち上がった校長は、痩身な副校長とは対照的に、かっぷくのよい身体を反転させると、副校長に背を向けたまま応じる。


(――テレハックで読まれたのかっ?!)


 ――の、疑惑に駆られる副校長に。

 副校長の神経質な顔つきに驚愕のシワが寄る。


「――その者は、第二次幕末の活躍と功績により、『寺』の称号を授けられた女性士族たちの中で、数少ない男性士族なのだが、その活躍と功績が国家機密に準じる類の内容でな。非公式の場でさえ、口にするのも慎重を期さなければならない士族の家名であり、志士であったのだ。戦国時代から代々続く格式の高い佐味寺家よりもな。そういう意味では、あの桜華組と同じだと言っても過言ではない」


 校長はカイゼル髭を摘まむように撫でながら、自身では『威厳のオーラが出ている』と思い込んでいる表情と口調で語を次ぐ。そんなものなどまったく感じない副校長は、校長の思い込みをさらに込ませる態度で反応する。


「……そ、その櫂寺かいでら家の当主が、今回の兵科合同陸上演習の交戦規定レジュレーションを提案した部外者――いえ、超重要人物であると」

「――そうだ、副校長。第二次幕末の動乱終結後には、創設したばかりの国防軍の要職に就いていたのだが、ほどなく辞職し、現在は自身の出身地である地元で暮らしている。平民相手に道場を開いたり、今年の春からは平民が生徒の学校に教員として兼務したりと、とても士族とは思えぬ、平民みたいな暮らしぶりらしい」

「……詳しくはわかりませんが、ずいぶんと変わった経歴と人物ですねェ。そこまでの功績と活躍をされたにも関わらず、軍の要職を辞し、一地方のありふれた士族当主に自ら甘んじてしまうとは……」


 副校長は校長の説明に納得するが、それでも疑惑は晴れない。むろん、その疑惑は自身の脳内思考を校長にテレハックされたそれではない。


「――だからこちらの私的で非公式な依頼に応えて組んでくれた彼を、今回の兵科合同陸上演習の特別顧問教員として、これも非公式な来訪を要請したのだ。当初は自身の息子が在学しているという理由で固辞していたが、この完成度の高い交戦規定レジュレーションで今回の兵科合同陸上演習を実施するには、提案者である彼の指導なしでは、とても成功には導けない内容だ。ゆえに、ゴリ押しでなんとか了解を得た。今回限りといった諸々などの条件を呑んでな。前述の通り、教員としての資格を取得しているから、超常特区の在住に法的な支障はない」


「……な、なるほど」


 副校長はうなずくが、それでもやはり疑惑は晴れない。むろん、その疑惑は自身の脳内思こ――以下略。


「――とにかく、その彼は地元からの長距離テレタクで本校に来訪する。むろん、交通費はこちらで全額負担する。条件のひとつに含まれているからな。そして、テレ管との手続きが終わり次第、到着する。それまでに、全校生を大講堂ホールに集めておきたまえ。この昼休みが終わった後の授業は急遽それに差し替える」

「……ほ、本当に、急遽ですね。校長……」

「……理由は言わずもがなだろ……」

「……………………」


 副校長はなにも言えなくなる。


「――とにかく、さっそくこの旨を全校生徒と教員たちにテレ通で伝えたまえ。もうすぐ昼休みが終わる。急いでくれ」


 校長の指示に従った副校長は、右耳の裏にあるエスパーダに触れながら、校長室のドアを開き、それを背に閉じた後、


「――いかん。まちがえた」


 校長は思い出したかのように声を上げる。


「――提案者は櫂寺かいでら家の当主ではなかった。その当主の弟だった。しかも、その弟は他家の当主に婿むこって、今は――」

「――なによ、急にっ!」


 多田寺千鶴チヅ憤慨ふんがいの声を上げながら廊下を早歩きで歩いている。


「――昼休みが終わる直前に、全校生を大講堂ホールに集めるなんて、そんなの午後の授業が始まるまでに終わらせられるわけないでしょうっ!」


 その指示を精神感応テレパシー通信で下してきた副校長に。


「――まったく、ろくな交戦規定レジュレーションを提案できなかったわたしたちの当てつけかしら。絶交寸前まで悪化したわたしたちの仲を取り持とうとすらしなかったことといい……」

「……………………」

「……どうしたの、カッちゃん? もしかして、まだ怒ってるの? あれはもうお互いさまという事で――」

「――そうじゃないわ」


 千鶴チヅの後を追うように歩いている勝枝カツエは、視線が下げ気味の頭を振って否定する。


「……思い出していたの」


 どこどなく暗い表情で。


「――それって、カッちゃんと同じ時と組に入った準隊士の――」

「――あ」


 声を視線を上げた勝枝カツエの反応に釣られて、千鶴チヅも正面に視線を戻す。

 勝枝カツエのそれと同じ先にいる人物に。

 廊下の壁に張り出してある掲示板を、なかば屈んだ姿勢でしげしげと見回している。

 糸目で。


「――小野寺君。テレ通で聞いたでしょ。午後の授業は大講堂ホールで行うって。みんな集まっているわよ」


 千鶴チヅの声に反応した小野寺は、近づいて来る二人の女性教師を見やると、屈んでいた姿勢を正し、直立で正対する。

 勝枝カツエと同時に立ち止まった千鶴チヅは、


「――小野寺君?」


 ――にしては、背が高い上に、大人びている違和感を覚える。三十歳前後といっていいくらいに。そしてなによりも、着ている服が、陸上防衛高等学校の学生服ブレザーではなく、基本色が同じなだけのディテールの異なるスーツなのが、


「……じゃ、ないわね……」


 自分が知っている糸目の男子生徒ではないことに、ようやく気づく。


「――はい、わたしはその小野寺の父親です」


「――ああ、なるほどォ。どうりで似ているわァ。そっくりなまでに」


 千鶴チヅは破顔して手を合わせる。


「……その、小野寺の父親が、どうして本校に……」


 親友とは対照に、勝枝カツエは不審そうな表情を浮かべて問いただす。


「――実は、地元からの長距離テレタクで、今しがた到着したところなのです。ですが、出迎えの教員が見当たらなくて、校内をさ迷っていたら――」

「――そこで掲示板を見回していた――」

「――はい、その通りです。武野さ――いえ、武野寺先生」


 小野寺の父親は答えるが、勝枝カツエの不審はさらに募る。

 言い間違えかけたことに。


「――どうしてわたしの名前を?」

「――息子から聞きました」

「……………………」


 簡潔に答えらえた勝枝カツエは、口を閉ざしたまま押し黙る。


「――それで、なんのご用件で本校を来訪されたのでしょうか?」


 今度は千鶴チヅが尋ねる。


「――はい、本校からの要請で、一週間後に実施される兵科合同陸上演習の特別顧問教員として、事実上の最高責任者を務めることになりました。短い間ですが、どうかよろしくお願いします」

「――ああァッ?! あなたのことだったのですかァッ!」


 一礼する小野寺勇吾ユウゴの父親に、千鶴チヅは思わず口に手を当てる。


「――小野寺君から聞きました。二学期の始業式の時、自分の父親が念願の教師になれたと。それも嬉しそうに。あと勝枝カツエにも伝えてました」

「――勇吾ユウゴがそんなことを言っていたですが。でもあまり言いふらさないようにと、超常特区へ帰る前に念を押したはずなのですが」


 小野寺の父親は苦笑とも照れくさそうともれぬ表情で後頭部を掻く。


「――ですが、それだけ息子も両先生方を尊敬しているのですね。嬉しい限りです。父親のわたしも、色々な意味で安心しました」


 胸をなでおろす小野寺の父親に、勝枝カツエの不審は疑惑に変化する。


「……………………」


 だが、それが何なのか判ったのは、


「――おお、待っていましたぞっ! 櫂寺かいでらどのっ!」


 たまたまそこを通りすがりかけた校長の言葉だった。

 校長は一直線にその姓で呼んだ糸目の壮年男性の前まで小走りで駆け寄る。


「……あ、いや、あの、校長どの。その呼称は、条件に違反……」


「――ああ、そうだったそうだった。今は女性士族の当主に婿って、今は『小野寺』であったな。当主の妻や我が校の在学生とともに、地元で起きたローカルテロ事件を解決に導いたその手腕と活躍ぶりは、私もアスネで知り及んでいるぞ。第二次幕末の動乱よりも有名になってしまうとは、皮肉なものだ」

「……いえ、そのことではなくて……」


 勇次ユウジは困った顔で制止を試みるが、校長は感慨深い表情のまま構わずに続ける。


「――いずれにしても、提案した上に引き受けてくれたことに感謝している。武野寺教員。多田寺教員。どちらでも構わないから、彼を大講堂ホールまで案内したまえ」


 そして、その指示を両教員に残して、その場を去って行った。

 これも小走りで。


『……………………』


 それを見送った三人の壮年男女は、その姿が消えても沈黙する。


「……まさか、お前……」


 勝枝カツエが破るまで。


「……気づく様子のないあなたたちを見て、できれば、最後まで知られずに去りたかったのですが、やはり、虫が良すぎましたね。いつか通過しなければならないとわかっていても……」


 そう言って勇次ユウジは二人の女性教員に改めて正対すると、瞳が見えるほどの糸目を開眼する。

 武野寺勝枝カツエは、


「……かい|、勇次ユウジ……」

 ――に、豹変した見覚えのある姿に、窒息するほどの息を呑む。


「――えエェッ?! あのかいくんっ!?」


 それは多田寺千鶴チヅも同様であった。ただ、その身振りが大げさなのに対し、武野寺勝枝カツエのそれは直立不動のままであったが。


「――ヤダッ! 第二次幕末の動乱終結直後以来じゃないっ! あれからもう十八年も経つのよっ! なのに、今までなんの音沙汰もないから、びっくりしたわっ!」

「――それはわたしもです。感覚同調フィーリングリンク生放送されていた武術トーナメントの解説者として、両者の姿を発見した時は、妻と同様、驚くと同時に、安心しました。ご壮健で、なりよりです」

「――それはアタシもよ。まさか二人が結婚してた上に、子供まで生んでこの学校に通わせていたなんて」


 千鶴チヅは驚きをもたらした張本人と話すにつれて落ち着きを取り戻すが、


「……小野寺、勇吾ユウゴが、お前の、息子……」


 勝枝カツエの方は依然としたままである。

 それどころか――


「――待てっ!」


 なにかに思い当たったことで、さらに増大する。


「……姓と称号の組み合わせ語呂が良くて今まで気づかなかったけど、まさか、お前と結婚したのは……」

「……………………」

「……小野、景子ケイコ、なのか……?」

 恐る恐るの態としか言いのようのない問いただしに、勇次ユウジは両眼を糸目に戻して静かにうなずく。


「――っ?!?!」


 それを肯定と受け取った勝枝カツエの驚愕は、勇吾ユウゴの父親が『かい勇次ユウジ』だと知った時の比ではなかった。


「――けっ、景子ケイコちゃんが、かいくんとっ?!」


 千鶴チヅもそれに引けを取らない。

 そこへ、


「――おおっ、いたいたっ!」


 副校長が声を上げながら駆け寄ってくる。


「――櫂寺どの。お待ちしていました。もうすぐ午後の授業が始まります。急いで大講堂ホールへお越しください」


 そして、勇次ユウジの手首を掴むと、引っ張るように連れて行った。


「――積もる話はよければ後ほど――」


 ――という勇吾ユウゴの言葉を、残された二人の女性教員に残して。


「……ホント、信じられない……」


 廊下の角へと消えた勇次ユウジの姿を、千鶴チヅはまだ尾を引いている驚きの口調で独語する。


「……共闘していたとはいえ、とてもそんな雰囲気と関係には見えなかったから、とんでもないサプライズだったわァ……」

「……………………」

「――たしか、桜華組を脱退したあとにそうするようになったのよね。あたしがカッちゃんたちと出会った時は――」

「…………………………………………」

「……カッちゃん……?」

「………………………………………………………………」

「……どうしたの……?」

「……………………………………………………………………………………」


 勝枝カツエは応えない。

 ――否、応えられない。

 ただただ、その場に立ち尽くしている。

 茫然としか例えようのない状態に。

 だからである。


「……景子ケイコが、あの男と……」


 ……結ばれた、事実に……。

 ――勝枝カツエにとって、それは衝撃以外の何者でもなかった。

 親友の想像をはるかに上回るほどの。

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