第89話 五層

 後で聞いた話によると、あの時の受付のお姉さんはベリトのギルドマスターだったらしい。

 貴重な書物を私蔵していたはずだ。それを気前よく貸し与えてくれる価値観は、少しばかり豪胆すぎると思うけど。


 あれから一週間ほどの時間が経過した。

 その間、わたしたちは低階層を探索しながら迷宮に慣れ、罠に就いて実践で学習するという毎日を送っている。

 どうやら罠についてはわたしが感知し、アルマが解除するというコンビネーションが有効な様子だった。

 わたしの高い感知力と、アルマの繊細な指先に掛かれば、大概の罠はあっさりと発見・解除されてしまう。


「討伐や護衛系の依頼ばかり受けてたから、こういうのはなかなか勉強になるね」


 リムルは罠を解除したアルマを見て、安堵した風にそう呟いた。

 アルマは天然のスネアトラップ――あの、踏んだら人を吊り上げる罠だ。それを解除して、額の汗を拭っている。

 失敗して居たら彼が吊り上げられていただろう

 罠の解除率が上がったとはいえ、やはり緊張するものらしい。


「わたしたちは大物討伐ばっかりだったものね」

「それが一番簡単にケビンの名声を上げれたからなぁ」


 単純に戦闘力だけを考えるなら、おそらくわたしたちは世界でも有数の存在だろう。アルマを除いて。

 というか、ファブニールのイーグがいる段階ですでに反則である。

 だがそのイーグとて、迷宮という特殊な環境には勝てるものではない。

 罠に掛かって、落とし穴とかに落ちたところを襲い掛かられたら、さすがに大幅な戦力ダウンの状態で闘わなければならない。

 こんな低階層ならそれでも問題なく対処できるけど、上層に行けばその隙が命取りになる……と破戒神が言っていたらしい。


 加えてこの迷宮の巨大さだ。

 低層ならば馬車という移動手段があるけど、上層へ向かうとなれば、それこそ数週間から、下手すれば一か月掛かりで迷宮に篭らねばならないらしい。

 神話では、あの破戒神ですら三年の月日を費やしている。


「まぁ、それに関しては裏技があるんだけどねー。もっとも今の状態でオヤビンたちを中層には連れて行けないよ? すぐ死んじゃいそう」


 というイーグの言葉で、現在は迷宮での立ち回りを学習しているというわけだ。

 彼女の言では、五百層付近の外壁に横穴が空いていて、そこから内部に侵入することができるらしい。

 わたしやイーグの翼があれば充分に飛んでいける範囲ではあるけど、上層のトラップの殺意はとんでもないモノがあるそうだ。


 ギルドマスターに借り受けた本にもあったが、転移トラップが世界樹の外壁に繋がっていて、引っかかると迷宮の外、高度五千メートルの上空に放り出されるなんて罠も存在するらしい。

 魔王が一度この罠に掛かって地面にクレーターを作ったとか、ぷぎゃーな感じの挿絵入りで罠解説本に書いてあった。


「とりあえず、ボクたちには余り時間がない。低層で迷宮の感覚を掴んだら、イーグに頼んで、即上層に向かうことにしようと思う」

「異議なーし」

「大丈夫かなー?」

「任せろ、どんなトラップだって解除して見せるぜ」


 いや、キミが一番不安なんだよ? アルマ。


「まぁ、五十層くらいまで登れるようになったら、多分上層でも何とかなるでしょ。戦闘力自体はかなり過剰気味だし」

「ジャイアントゾンビとか倒せるもんね」

「あー、オヤビン。それ六百層くらいだと結構雑魚だから」

「マジで!?」


 あの巨人が雑魚とか、どれだけ人外魔境なの、この迷宮。


「でも、今この迷宮は六百層までしかないからね。運が良ければもう戦うこともないさ」

「むぅ、破戒神たちはどうやってあれ倒してたの?」

「ユーリ様の苛粒子ビーム砲の魔術とか、凝光収束レーザー砲の魔術とか、反物質弾の魔術とか?」

「なにそれ?」

「わたしにもよくわかんない」


 とにかくよくわかんないくらい、高出力の魔術をかっ飛ばして、敵を薙ぎ払っていたのだろう。

 あの性格ならば、充分にありえる。


「ボクたちにはそんな切り札はないよなぁ」

「オヤビンの連装ブレスはー?」

「あれ、一回撃つ度にイーグにチャージしてもらわないとダメだよ?」

「それならわたしが直接撃つ方がマシじゃん……」

「うん、そのレベルになると俺が役に立てないことは理解した」


 がっくりとうなだれるアルマ。彼の技能ではそこまでの火力は産み出せない。

 そして、その高みに届く予定もない。

 おそらく上層では彼はサポートに徹することになるだろう。


「とにかく、今日はこの後、五層のフロアボスと戦ってみるから」


 フロアボスというのはこの迷宮に存在する独特のモンスターのことだ。

 およそ五層に一体の割合で、次の階層の手前の部屋に出現する、格の違う敵。

 それを撃退するのが今日の目的で、こいつを倒してようやく迷宮探索者として一人前と認められる。


 わたしたちが今いるのは三層で、昨日の段階ではすでに五層のボスの部屋の手前まではマッピング済みだ。

 もっとも五十層以下のマップはギルドでも売られているので、不必要な行為だったとは思う。

 でもわたしたちの目標は、神話時代以降誰も踏み込んだことのない領域なので、マッピングという行為に慣れておかないといけない。

 そのためにこの無駄な行為を行っていた。もちろん迷った時のために地図自体はすでに購入してある。開いたことが無いけど。


「それじゃ行こうか。最初の難関を倒しに」


 今日の予定を宣言してリムルが先を歩く。

 そして――その姿が消えた。


「ボス、まだ罠調べきってないのに……」

「リムルって所々ドジだよね」


 リムルの消えた辺り――落とし穴になっていた窪みを覗きながら、イーグと溜息を吐く。

 彼は即死さえしなければ、たちどころに治してしまうので心配は無いだろう。


「うぐぐぐ……」


 怪我のせいなのか、恥ずかしいからなのか、顔を真っ赤にして呻いている姿は、悪いとは思うけど少しばかりおかしかった。



 五層の最奥部。一際立派な扉が先を塞ぐ。

 おそらくはここがフロアボスのいる部屋だろう。少しズルイかも知れないけど、カンニング(既存マップとの突き合わせ)の結果も、ここがボスの部屋だといっている。


「まず最初だから情報通りに戦ってみよう。ここに居るのはグリフィンで良かったっけ?」

「うん、鷹の顔と翼、獅子の体を持つ魔獣」

「特殊な技は、真空を発生させて打ち出す風刃もどきだっけ」

「わたしなら一撃ー」


 イーグはヒョイとグラムを突き上げて主張するけど、それをやったら訓練にもなりはしない。


「今回は危ないところをサポートする程度で抑えておいて。ボクやアルマの修行にならない」

「ちぇー、わかったー」


 イーグは頬を膨らませて了承の意を示す。

 不服そうではあるが、彼女がこの程度ではなんとも思っていないのは、みんな理解している。


「わたしはどうする? 多分余裕で倒せるよ」


 グリフィンの最大の売りは、高所から遠隔で攻撃できることだ。

 空を飛べること、そして遠隔攻撃。この二つが通常の冒険者より有利な点である。

 だがそれは、同じく空を飛べて遠隔攻撃手段を持つわたしにとっては、何の意味も持たない。

 より速い速度で空を飛び、丸太の一つでも頭にぶつけてやれば、それで倒せてしまうだろう。


「それで勝っても、見も蓋も無いなぁ……エイルは飛行禁止、近接攻撃だけで頑張ってね」


 さすがに戦うなとは言われなかったけど、飛行は禁止させれた。

 まぁ、ギフトや能力に頼りすぎるのもよくない。


「情報ではグリフィンだけど、確実にそれが出るという保障はないし、上層ではそもそも何が出てくるかわからない。それを念頭に置いて心構えをしておいて」

「了解」

「応!」

「わかったー」


 桁外れに大きな扉をわたしが押し開ける。

 こういう場所で先陣を切るのはわたしの役目だ。タフなイーグでも構わないんだけど、能力の汎用性という面でわたしの方が適していると判断されたのだ。


 扉の向こうは三十メートル四方の円形のホール。

 その中央に、情報通りグリフィンが鎮座していた。

 ホールは高さも二十メートルほどもあるため、飛行には全く影響を与えない。

 緊張のため、誰かがゴクリと唾を飲む。それを合図に、背後の扉が勢いよく閉じた。

 別に開かなくなった訳じゃない。ただ逃げるのにどうしても一手間掛かってしまう。そういう類の罠。


「クルルルルルォォォォォォォォ!!」


 甲高い、喉を鳴らすかのような威嚇音。

 経験の浅い冒険者ならば、足を竦ませただろう、奇怪な唸り。


「ひ――」


 わたしの左から、引き攣れる様な悲鳴が漏れる。

 ああ、そう言えばわたしたちの中にもいたっけ。経験の浅いのが。

 まぁ、それも仕方ないところだけど。


「アルマ、いつも通りしてれば大丈夫。勝てる」

「あ、あぁ……」


 震えの混じった返事を返してくるアルマ。

 そう言えば彼は大型の魔獣と戦うのも初めてだったか。へたり込まないだけ大したものだ。


「行くよ!」


 ここは冒険者の先輩として、先陣を切って仲間を奮い立たせなければならない場面だ。

 同時にアルマに大型魔獣との戦いを経験させなければならない。

 一瞬で頭を斬り落とすなんて真似は、出来るけどやっちゃいけない。


 意表を付く勢いで飛び込み、翼目掛けてクト・ド・ブレシェを振り下ろす。

 グリフィンはそれを間一髪で躱すが、完全には避け切れなかったようだ。

 翼の根元から浅く血が飛沫しぶく。


「アルマ、追撃!」

「あ、ああ!」


 高空に逃げられないように、リムルから牽制の火弾が飛ぶ。

 彼の攻撃魔術は大した威力が無いため、ダメージには期待できない。それでも獣相手に頭を抑える程度の威力は出せる。

 目を見張るべきはその連射速度だ。リムルは無詠唱で魔術を起動できる連度があるので、続けざまに攻撃を放つことができる。

 そしてそれを維持するだけの魔力も持っている。とはいえ――


「翼を狙うよ。リムルの攻撃だっていつまでも持たない。左に回りこんで」

「わかった」


 リムルの攻撃で高さ数mで足踏みしているグリフィンに向かって、斬りかかる。

 もちろん相手もそれを回避する訳だけど、その先にはアルマが回りこんでいた。


「起動、焔纏。おらあぁぁぁぁっ!」


 気合一閃、アルマの大剣が炎を帯びてグリフィンの翼をしたたかに打ち据え、大きなダメージを与える。

 まだ飛行能力は維持しているが、それでも回避能力はかなり落ちたはずだ。


 だが、わたしは追撃を入れようとするアルマの首根っこを引っ掴んで、距離を取らせる。

 そこに残った翼を羽ばたかせ、発生させた真空波が襲い掛かってきた。


「深追い禁止」

「……済まん」


 だが攻撃は確実に効いている。アルマは充分いい仕事をした。次はわたしの番だ。

 いつまでも当たらない真空派を発生させる訳がない。

 こちらが回避したことを悟って、能力の行使を停止し、高空へと移動を開始する。

 そこへ再び、リムルの炎弾が撃ち込まれ、体勢が崩された。


「安全地帯から炎弾を撃つだけの簡単なお仕事ですっと」

「調子に乗らない」


 こちらが懐に張り付いている以上、それを無視してリムルを狙えない。

 グリフィンはリムルに撃たれながらも、こっちを何とかしないといけないのだ。


「わたしをどうにかするとか、無理な話だけど」


 グリフィン程度では力も技も、わたしには及ばない。

 高度を落としたその翼に、クト・ド・ブレシェの一撃を叩き込み、今度こそ両断して地に這わせる。

 アルマが、苦痛と墜落のショックで転がり暴れるグリフィンに駆け寄って、更に追撃。

 わたしも脇から斧槍を突き出して援護する。


 こうなってはグリフィンに、反撃の余地など残されては居なかったのだ。

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