第88話 欠力

 さすがに最初の階層では、苦戦するような敵は現れなかった。

 例外的に、アルマが多少掠り傷を負った程度だろうか。

 世界樹の迷宮は植物が築き上げた物だから、壁や床が樹の幹の様な材質をしている。これが光源と組み合わさり、複雑な陰影を作り上げて、そこかしこに闇溜まりとも言うべき死角を作り上げていく。

 そこに落とし穴やトラバサミが仕掛けられていたのだ。


 わたしの魔力感知では、生物を感知することはできても、罠は感知できない。

 斥候系のスキルを持つものがいないわたしたちでは、罠に対処できなかった。


「うーん、これは想定外」

「いや、気付こうよ、リムル。斥候大事」

「まぁ今のところ、トラップに引っかかってるのがアルマだけだから、別にいいんだけど」

「いいのかよ、チクショウ!」


 前衛を受け持っているのは、わたしとアルマ。

 つまり罠に掛かる可能性が高いのも、わたしとアルマだ。

 そしてわたしの場合、罠の存在に気付いてからは、翼を展開して宙に浮いている。

 これで地面設置型の罠を回避できる。だが、アルマは直で踏み抜いてしまうため、一人で罠を受け持つことになってしまっている。


「やはり罠対策に斥候役が必要だよね。いっそ雇っちゃう?」

「とはいえ、わたしたちの目的で人雇うのもねー」

「最上層目指してるのに来てくれる人、いるかな?」

「フリーの人間からしたら、『何言ってんだ、コイツ』って思われても仕方ねぇな」


 イーグの存在、目指す目標、そして倒さねばならぬ敵。

 どれを取っても、正気とは思えないような話ばかりだ。普通なら初対面の人を巻き込むのは、避けた方がいい。


「いっそ、誰かが斥候技能を学ぶのも手かな」

「二か月だよ。そんな余裕あるかな?」

「魔術的な罠なら、エイルとイーグが感知できるし、こういった物理系の奴だけを学べば……どうだろう?」


 それはそれでいいとして……そもそも誰が教えてくれるのかと言う問題がある。

 特に最大の問題として、わたしの器用さの低さがネックだ。罠を発見できても解除する繊細さがわたしにはない。

 これができそうなのはアルマとリムルの男性陣だが、こちらは感知力が低く、しかもリムルに至っては後衛である。

 彼が罠に気付いた時はすでに手遅れ、という可能性も無きにしも非ずなのだ。


「まだ負傷する程度の罠だからいいけど――」

「よくねぇよ!」


 ただ一人怪我をする羽目になったアルマが、抗議の声を上げてくる。

 今のわたしたちに可能な解除方法は、踏み潰していくことくらいだ。


「じゃあ、頑丈なイーグを先頭に立たせて……」

「えー、ボスってば鬼畜ー!」

「さすがにそれは……見かけ幼女を罠踏みに使うとかは、なぁ?」

「でもエイルは不可だぞ。怪我したら危ないじゃないか」

「さらっと矛盾したこと言ってんな、オイ」


 あ、リムルはやっぱりわたしのことが大事なんだ?

 これはちょっと嬉しい。でへへ。


「オヤビン、ほっぺた押さえて体くねらせないで。気持ち悪いッス」

「失敬な。ちょっと溢れて垂れ流さんばかりの喜びを表現しただけ」


 イーグの頭にキックを繰り出すけど、そこはそれ。腐っても武術の師匠である。

 ヒョイヒョイと躱して、掠りもしない。

 なお、パンチで無くキックなのは、わたしが宙に浮いているからである。


「ぐぬぬ、色ボケドラゴンのクセに生意気な」

「あー、あー! オヤビンが言いますか、それ!」


 今度は逆に殴りかかってくるイーグを、わたしが避ける。

 本来翼で飛行する生物ではありえない動きでヒラヒラ躱し、反撃のキックをお見舞いしてやる。

 この翼は物理現象で飛行するための物ではなく、魔力放射で飛行する物なので、こういった複雑怪奇な機動も可能なのだ。


「はぁ、エイルとイーグがいつもの調子になっちゃったし、ここは一旦撤退することにしよう」

「そうだな。戦力だけしか考えてなかったのは失敗だった」

「ボクも。罠はエイルの感知力で何とかなるかと油断してたよ」


 迷宮一層の広さは直径にして数キロメートルにも及ぶ。今から帰っても結構な時間が経っているはずだ。

 なお、この広さは上層に行くに従って次第に狭くなっていく。これは幹が細くなっていくからというのが理由だ。

 そして、移動の時間を短縮するために、入り口付近の広場にはゴーレム馬車が存在するらしい。

 これは一定時刻で出発し、二層の手前まで運んでくれるという優れものだ。

 乗っているのが冒険者で、しかも運ぶのがゴーレムなだけに、モンスターが襲い掛かってきてもあっさり撃退してのける戦力がある。

 そして二層にも似た馬車が存在し、これを乗り継ぐことによって高速で上階へと移動ができる。

 今回わたしたちがこれを利用しなかったのは、自分たちの力量や攻略能力の把握が先決だと判断したからだ。


「これはユーリ様が考え出したシステムなんだよー」


 育ての親の産み出したシステムが、未だに継承されていたと知って、イーグは凄く上機嫌だ。

 なんだか最近でも見たこと無いほどのドヤ顔で胸を張っている。


「とか言ってるうちに、次の馬車が来たようだね」


 わたしたちが留まっていたのは二層の手前。つまり馬車の停留所だ。

 そこに一台のゴーレムが引く馬車……馬というのもおかしいけど……とにかく、そんなのがやってきた。

 入り口前に乗り付けると十数人の冒険者が飛び降りて二層へと向かっていく。


「ほら、早く行かないと次の乗り継ぎに送れちまうだろ。さっさとしろ」

「しばし待つのじゃ、さっきの揺れでちょっと腰が」

「あーもう、爺さんはこれだから」


 七十歳くらいのお爺ちゃん魔術師が戦士に担がれて階段を運ばれていった。


「えーと……リムル、ここって冒険者の最高峰だよね?」

「え、うん。多分」

「七十歳くらいでも現役なのかー。がんばるなー」


 ちょっとあんまりな光景を目撃して、呆然としてしまった。

 そんなわたしたちに御者の魔術師が声をかけてきた。


「お前たち、帰るけど乗ってくか?」

「あ、えと、はい。料金は?」

「銀貨五枚。安いだろ?」

「じゃあお願いします」


 銀貨五枚は確かに安い。

 だけど一パーティ全員が乗るとなれば二十枚から二十五枚は稼げるわけだから、結構な稼ぎになる。

 何せ元手がほとんど掛かっていないから。


「二十枚、確かに。ほら早く乗ってけ。結構揺れるけど、それはサポート外だから文句は受け付けんぞ」


 そそくさと乗り込むと、馬車が出発する。

 その揺れはお爺ちゃんがKOされただけあって、凄まじいものがあった。

 理由はやはり、自然環境で生成された路面である。

 ただ、何度も往復しているせいか、馬車の通る所は削られて平坦化し、多少はましになっている。

 それでも揺れる事は揺れるわけで。


「ぐふっ、し、尻が――」

「飛べない人は大変だねぇ」

「そーだねー」

「エイル、膝に座ってもいい?」

「うぇるかむ、大歓迎」


 馬車の中で翼を展開し、十センチばかり浮いて運ばれていくわたしとイーグを見て、リムルがずっこいことを言い出した。

 アルマはガタガタ揺れる馬車に、一人お尻を痛めつけられている。

 さすがに一瞬イーグに視線をやったけど、プライドが勝ったようだ。

 宙に浮いて振りをしてるわたしの膝の上に、リムルが移動してくる。

 落ちないように腰元を支えてあげるけど、意外と腹筋が硬い。


「む、前は華奢な感触だったのに」

「ようやく肉が付いてきた感じなんだよ。でも頼むから下腹まさぐらないで。変な気分になってくる」

「あ、了解」


 男性の背後から抱きつき、下腹をまさぐっているという今の状況を改めて認識した。

 さすがにこれは少し恥ずかしい。

 そんなわたしたちの様子を見て、イーグとアルマが肩をすくめて見せた。



 行きに四時間も掛かった一層を、馬車は十五分で帰還した。


「この馬車は三十分おきに出発してるから、使うならいつでも来るといい」

「三十分? 結構ギリギリで運行してるんですね」

「御者が俺だけなわけないだろ。休んでるヤツも入れて全員で八人体制、八時間交代でやってんだ」

「そう言えば、途中で一台擦れ違ったか」


 御者の魔術師さんはギルドの人で、ゴーレム馬車専任で派遣されてきているらしい。

 一層ごとに八人の魔術師、それが三十層まで配置されてるそうだ。

 なんと二百四十人の魔術師である。冒険者が豊富なベリトだからこそ可能な力技である。


「でも馬車を走らせるだけだなんて……辛くないです?」


 六時間で十二往復。ほとんど休み無しで走らせねばならないのだ。

 冒険もできず、ゴーレムに命じて馬車を走らせるだけなんて、せっかく冒険者になったのに、強くなるという夢も果たせないでは無いか。


「そうでもないぞ。さっきもスライムを三匹ほど蹴散らしたからな。往復で走ってると、そこそこ敵を倒してたりするんだ、これが。それに一旦命令を出したら、後は御者台に座ってるだけだからな。メシもそこで食えばいいし」


 ゴーレムはある程度、自動で判断を下すことができる。

 目的地を指定して、『そこへ馬車を牽いて行け』と命じておけば、勝手に目的地に走ってくれる。

 しかも障害物を避けるように命じておけば、これも自動で避けてくれるのだ。

 普通の馬車と違って、御者が意識を配る必要がない。これはラクチンだ。


「ま、腰に来るのだけは、どうにもならんけどな!」


 ガハハと大笑いを残して、次の客を乗せて出発してしまった。

 それを見てリムルがポツリと呟く。


「すごいね。なんだかんだで迷宮に適応しちゃってるよ」

「人間、その気になれば、どこででも生きていけるもんだね」

「それをエイルが言うと感慨深いね」


 確かにわたしも、この一年ばかり衝撃的な生活を送ってきている。

 でもそれはリムルにも言えることだ。

 お互い顔を見合わせ、くすくす笑いながらギルドへ戻る事にしたのだった。



 ギルドのカウンターでは、いつもと違うお姉さんが受け付け業務をやっていた。

 メガネで黒髪で、セミロングの綺麗なお姉さん。

 お昼過ぎのこの時間は、冒険者の数も少なく、依頼も大体出払ったた後ということで、ロビー全体に倦怠したムードが漂っている。

 そのお姉さんはこちらを目敏く見つけると、気さくに声をかけてきた。


「おや、お帰りなさい。今日は迷宮に潜ってたんやなかった?」

「え、ボクたちを知ってるんですか?」

「君らというより、そっちの子やね」


 変な方言のお姉さんが指し示した先には、イーグの姿があった。

 そして、そのイーグは、アルマの陰に隠れようとしてる。なんだかどこかで見た反応だなぁ。


「ああ、確かに。ギルドマスターにまで迷惑をかけたようで」

「ええて、気にせぇへんとって。珍しい子が来たから、ちょっと騒ぎが大きいなっただけやし」


 気安く世間話をするお姉さんだけど、少し気安すぎやしませんかね?

 よくみれば肩口で切りそろえた黒髪は艶々で、メガネを掛けた綺麗な顔も、笑うと愛嬌があって親しみやすさがでている。

 ちょっと変な方言も相俟って独特の雰囲気を持っている美人さんだ。


「むぅ」

「おっと、彼女さんが妬いてはるから仕事の話に移ろか。今日は何の用なん?」

「あ、はい。実は斥候職の不足を感じまして……」

「仲間の募集?」

「ええ、期間は二か月で、それも口が堅くて腕が立つ人。ンでもって結構危険な所にも付いてきてくれる人?」

「えらい高いハードルやね。それやったら、身内で育てた方が早いんちゃうか?」


 リムルも自分の要求が無茶な事は理解している。

 一度の遠征で臨時に雇われる冒険者は一定数存在する。だが二か月もの期間の雇用依頼となると、意外と存在しない。

 街間の移動ならともかく、目の前の迷宮でそこまで長期間拘束されること自体があまり無いのだ。


「それも考えなくは無いんですけど……物理的な罠の発見と解除だけでいいんだけど、なんとかなりません?」

「ふぅん……それやったらちょっと待ちぃ」


 お姉さんはそう言って奥の部屋に引っ込んで、一冊の本を取り出してきた。


「これが迷宮の罠を調べた資料や。何回か代替わりしてるけど、五百年前の情報も載っとるで」

「五百年前というと……あの神話時代の!?」

「そや、歴史的資料っちゅうヤツや」

「そんなの貸し出していいんですか!?」

「ウチの私物やから、かまへんよ」


 そんなのを私物で持ってるとか、どういう人なの、この人?

 とにかく、その資料を基に、わたしたちは斥候の勉強をすることになったのだ。

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