第85話 引越
破戒神から世界樹へ向かう許可をもぎ取り、わたしたちはすぐさま出発の準備を始めた。
その日のうちに荷物を整え、翌朝には出発する。
その見送りに、ケビンとセーレさんたち、それに破戒神もやってきていた。
「それじゃ行ってきます。ケビン、セーレさんをくれぐれもよろしく」
「任せろ。お前らも気をつけろよ」
「俺もいるからな。そうそう隙を突かれたりしねぇよ」
「任せとけ。こいつらは私生活は抜けてるから、フォローしてやるさ」
バルゼイさんが胸を叩いて引き受ける。ケビンと違い、こちらは凄く安心感がある。
アルマがリムルの背中を叩いて自己主張してる。言っとくけど、あんたが一番弱いんだからね?
そして、アミーさんもわたしを抱きしめ、ワシャワシャと頭を撫でてきた。
「このさらさらフワフワヘアーともしばらくお別れかぁ。早く帰ってきてね」
「うん、わたしも早く帰りたい」
「これを使ってください」
そこへ割り込んできたのは破戒神だ。
持ち出したのは小さな鍵。
「わたし達がベリトで暮らしていた頃の家があります。今も時折整備はしているので、利用できるはずなのです」
「確かに拠点は必要になると思うけど、いいんですか?」
「構いません。むしろそこだとわたしが転移できるので便利なのです。地下にいくらかの道具類も残ってますし」
「わかりました、ありがたく使わせていただきます」
リムルが鍵を受け取ってわたしに渡してくる。それを受け取って異空庫に仕舞う。
このギフトの中は、誰にも盗まれない世界でもっとも安全な保管場所だ。
彼がわたしに鍵を渡すということは、この鍵をどれほど大事に思っているかの示す証でもある。
破戒神はその行動を見て、にんまりと笑みを浮かべる。
「中は自由に使ってくれて構いませんが、あまり汚さないように」
「ご安心を。ボクはこう見えて清潔好きなので」
「ユーリ様ほど汚したりしないと思うなー」
「うっさぃ。イーグも彼女たちを頼みましたよ? わたしまた出産とかいやですから。アレは死ぬんです」
そりゃその体格で子供を産んだら死ねる……というか、風神ってどれだけロリコンなのよ。
「それじゃ、行きます。後のことはよろしく」
「うん、がんばってね」
「ああ」
アミーさんが大きく手を振ってくれる。ケビンも同じく頷いて見送ってくれる。
そうだ、もう一度――必ず、ここへ戻ってくるんだ。エリーと共に。
転移ゲートを使ってベリトへと飛ぶ。
わたしたちのような年若い冒険者がゲートを使うとあって、少々出発時に揉めたけど、リムルがケビンの腹心であることが判明した途端、係員は手の平を返した。
一応彼は街の救世主でもある有力者なので、下っ端への影響力は非常に強い。
こういうところでも、リムルの計略は効果を発揮しているのだ。すごい。
「いや、そこまで考えてたわけないじゃない。贔屓の引き倒しだよ、それ」
リムルはそう言って謙遜して見せるけど、彼のことだから十歩も百歩も先のことを考えているに違いないのだ。
さすがわたしの……まぁ、その……彼氏である。うん。
ベリトのゲートは世界樹のそばにあった。
朝出発したはずなのに周囲は薄暗く、一瞬夕方と錯覚するくらい、日当たりが悪い。
「へぇ、ここがベリトか。意外と日当たり悪ぃんだな」
「世界樹の麓の街だからね。ここは外輪部の方が地価が高いのさ」
リムルが先輩風を吹かせて、アルマに街の解説としている。
本人だって長くここにいたわけじゃないのに、なんだかおかしい。
わたしがほくそ笑んでいるのに気付いたのか、リムルがこちらに振り返ってくる。
「なんだよ?」
「ううん、なんにも。それより早く行こう」
鍵には番号が刻まれていた。これが住所を示しているらしい。
ベリトは世界樹の根が四方八方に広がり、街をブロック単位で仕切っているので、移動には意外と時間が掛かる。
しかも根っことはいえ世界樹の一部。その頑強さは他に類を見ない。
これを切り取って区画整理を行うというのは、多大な苦労を強いられることになるのだ。
なので、結局根をくぐるようにして往来するようになってしまっている。
二時間ほどかけて街を半周し、目的の家屋に到着……した?
「ここがその家か?」
「どう見ても樹に埋まってる」
「屋根突き破ってるんじゃないかな?」
「ここで間違いないよー。わたしもここに来るのは久しぶりだな」
イーグが懐かしそうに目を細めている。
その視線の先にあるのは、屋根の部分が世界樹の根に覆われ、半ば押し潰される様な形になった家だった。
根が地面から少し浮き上がり、その隙間に家を挟み込んだと言えばいいのだろうか?
「とにかく、中に入ってみよう」
異空庫から鍵を取り出し、リムルに手渡す。
魔術のように魔法陣が出るわけじゃないので、こんな小さな物を取り出すのは人目に付かなくて済む。
アルマにはわたしのギフトのことはすでに話してあるので、心配いらない。
リムルの、アルマに対する信頼は無条件で、わたしも嫉妬するレベルなのだ。
なぜそこまで信頼するのか聞いてみても、本人も理解できないように首を傾げている。
鍵穴に差し込んで回してみると、カチリと音を立ててロックが外れた。
そのまま扉が音も立てずにスライドして開く。
開き戸じゃないんだ……無駄に手が掛けられているあたり、あの破戒神の家っぽい。
そのまま中に入って家中を探索。意外と掃除が行き届いていて、埃一つ見当たらない。
柱や壁にはしっかりと頑強の魔術式が掛けられてあり、根っこの侵食を防いでいる。
驚いたことに、世界樹の根が吸い上げた水を利用した水道設備まで整っているのだ。これは便利。
「ここの水は世界樹の樹液でもあるから、疲れとかあっという間に吹っ飛んじゃうんだよ」
設備を解説するイーグの声が弾んでいる。どこか自慢げな声色は、彼女にとってここが懐かしい場所であることを示していた。
水道設備を確認したところ、錆などが浮いていることもなく、普通に口にできるレベルの水が流れ出してくる。
布団はやや黴臭い匂いがしていて、ここに長らく人が宿泊して居ないことを証明していた。
「布団とか毛布は干しておこう。二階に物干し台があったよね」
「わたし地下見てくる」
「俺は荷物置いてくるよ。鍛冶道具とかあるから、重くてしかたねぇ」
「わたしお風呂洗ってくるー」
温泉好きのイーグは、早速風呂洗いを開始しに行ってる。
まぁ、世界樹の樹液で満たしたお風呂とか、わたしも少し興味あるけど。
森で生きるエルフたちから見たら、最高の贅沢なんじゃない、ここ?
地下は二層構造になっていて、それぞれ六つの部屋があった。
半数は行き先不明の転移魔法陣が複数敷かれていて、正直触るのが怖い。
地下一層には氷漬けになった食糧なんかも保存されていた。
「これ一体いつの物なんだろ……? お腹壊したりしないよね」
五百年前のドラゴンの生肉齧ったわたしが言うのもなんだけど、見たこともない獣の死骸とかも氷漬けにされているのだ。
おそらく迷宮のモンスターで、食用に耐えれるものを持ち出して保存しているのだろうけど。
さらに怪しげな
もはやこの地下は、マッドなサイエンティストの研究所という雰囲気すらある。
「アルマ、鍛冶道具持って来る必要なかったじゃん」
一通りの道具の揃った鍛冶場を見て、思わず口に出した。後でからかってやろう。
地下を見て回って一階に戻ると、リムルが昼食の用意を始めていた。テーブルを拭いて食器を洗っている。
「丁度いい所に来たね、エイル。お昼の準備するから、適当に食材を出して」
「あぃ」
適当と言われたので、シタラからの帰りにこっそりシメレスさんに分けてもらっていたヒュドラの肉を取り出した。
およそ十キロほど。
「真っ先に肉を出すの?」
「お肉だいじ。絶対」
「はぁ、じゃあ軽くバーベキューでもするか。調味料はどこだったかな」
バーベキューと言っても、シタラでやったような本格的なものじゃなく、室内で網焼きにした物を皿に持って出すやつだ。
追加で異空庫から野菜を少量取り出し、適当な大きさに切って串に刺す。
そのまま
「アレ、これどう使うんだ?」
そこには薪を放り込む場所もない、石の塊があった。
石台の上には鍋を置く台のようなものが取り付けられ、その中央には赤い宝石のような物が埋め込まれていた。
前面に摘みの様な物が付いている。
「リムル。その赤いの、魔力が出てるよ」
「魔力……あ、ひょっとして」
リムルが摘みを掴み、魔力を少し込めながら捻ってみると、赤い石から炎が吹き上がった。
「なんとも……無駄に魔法具が使われているな。でもこれは便利かも」
噴き出す火力は魔力次第。つまり、わたしは絶対触れない。馬鹿げてでかい上に、魔力の調整がヘタだから。
手早く野菜を刻んで串に刺し、肉を合間に挟み、火に掛けて行く。
リムルのその手並みは、もはや熟練の主夫である。
三つある発火台全てを使用して、あっという間に百本近い串焼きを完成させた。
尚リムルは丁度百本焼いたのに、なぜ『近い』なのかは……まぁその、つまみ食いは正義なのだ。
お昼になり、食堂のテーブルに四人(三人と一匹)が集まってくる。
自然とそのまま食事する流れになり、家の状況を報告しあった。
「リムル、寝具の方はどうだった?」
「ああ、人数分はあったよ。質も悪くない。ちょっと黴臭かったので今干してる」
「そっか。こっちは荷物を置いてきたけど、ここ部屋数多いな」
「ユーリ様が世界樹攻略の拠点にしてた場所だからね。当時も人数それなりにいたし」
イーグの発言にアルマは目を白黒させる。
「お前がファブニールだってのが未だに信じられんかったけど、本当に五百年生きてるんだな」
「失敬な。わたしは世界でも有数の災獣なのだよ?」
「イーグ、お風呂の方は問題ない?」
「うん、お湯もいい感じに沸かせるみたい。少し草っぽいのが素朴でいいねー」
「地下には薬研設備とか鍛冶場もあったよ」
「なに! じゃあ俺の荷物は大半が意味無いのか!」
「アルマ、乙」
悔しがったアルマが串焼きを両手に抱えてヤケ食いモードに入った。
ずるい、両手に抱え込むのは反則だ!
「む、お行儀悪い。串は一本ずつ食べるべき」
「お前が言うな。取り皿に中身を溜め込んでいるくせに」
わたしは、タレをいれた取り皿に山の様に串の具を積み上げている。
一口ずつ齧り取るより、こうやって後でまとめて食べる方が効率いいのだ。
少しお行儀悪い気もしなくはないけど、きっと気のせい。
「はいはい、どっちも行儀悪いからやめようね。とにかく、家の方はなにも問題ないのなら、午後からはギルドに顔を出そうと思うけど?」
世界樹の迷宮に入る人間は、それなりに管理されている。
ベリトのギルド所属者で無いと不可能なのだ。
わたしたちはベリトでギルド登録しているが、ここに来ていることを連絡しない限り、無断で迷宮に入れない。
それにアルマもイーグもはまだ冒険者ギルドの登録を終えていないのもある。
「ああ、そういや俺も試験あるのか」
「あるだろうね。丸太運びが安全かな」
「わたしたちの時は災獣出たけどね」
「普通出ないから」
今後の予定を立てつつ、初めて潜る迷宮という物に期待を膨らませる。
ここから、最後の一踏ん張りが始まるのだ。
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