第41話 鑑識

 森で一夜を明かし、翌朝早くから再度坑道に挑む。

 わたしは大欠伸を垂れ流しながら、暗い穴倉を進んでいる。


「ふあぁぁっぁぁぁぁぁ……」

「エイル、弛みすぎ。ほら涎」

「あぅ」


 ご主人が横に来て、ハンカチでぐしぐしとわたしの顔を拭う。

 わたしの方が年上なのに、なんか子供みたいに扱われてる気がする。


「リムル様、わたしの方が年上。子供扱いしない」

「涎垂らして歩いてて、なに言ってるんだか」

「うぬぅ」


 手に持った松明を不快気に揺らす。

 坑道に入るに当たって、明かりの確保は光球の魔術ではなく松明たいまつを使用している。

 火はガスの噴出などに敏感に反応してくれて、危険がわかりやすいからだ。


「ほら、二人ともいつも通りじゃれてないで、もうすぐ最下層に着くわよ」

「こいつらはいつもこんな感じなのか?」


 ハウメアさんの言葉に、コールさんがげんなりした顔をした。

 そんなにわたしの涎顔が気に入らなかったのか……まぁ、好物と言う人は余り居ないだろうけど。


 謎の毒素が湧いてるとは言え、元々は試験用の坑道。

 生徒の安全を護る為にもモンスターなどは配置していないし、入り込むような危険な獣も生息していない。

 定期的に解毒を掛けてもらいながら、一時間ほどで最奥部までは何の問題も無く到着できた。


「なによ、これ……」

「ここで採掘はできそうに無いな」


 コールさん達が声を上げたのも当然で、最奥部は水で水没していた。

 正確には温泉で水没していたのだ。


「イーグ、温泉だよ? 入ったら?」

「やだー、こんな身体に悪そうなお湯は気持ち良くないの」

「身体に悪いって判るの?」

「うん、これは毒水と同じくらいなレベルだね」


 イーグは自信を持って、このお湯を毒と断言した。

 ご主人はそれを聞いて、懐から採取瓶を取り出した。


「エイル、この水ちょっと調べてみよう。ボクもこれに水入れて持って帰るけど、キミもいくらか持って帰ってくれないか? イーグはちょっと頼むよ」


 ご主人はわたし達に指示を飛ばす。

 イーグがその言葉を受けて、ハウメアさんとコールさんを少し離れた場所に引き離し、わたしはその隙にお湯を異空庫に仕舞い込んだ。

 貯まっていた量が結構減ったけど、見る間に元の嵩に戻っていく。

 この水源は結構な湧出量があるようだ。


「イーグ、この水源の他に怪しいところは無いか?」

「毒素は間違いなく、この温泉からだねー」

「外も麓までしか毒素は来ていなかった?」

「そだね」

「わかった、じゃあ村長に言ってこの山周辺を閉鎖してもらおう。当面はそれで被害の拡散を防げる」


 対処した訳じゃないけど、封鎖してしまえば拡散は防げる。それに原因は究明した訳だし、これで苦情が出ることは無いだろう。

 それにしても何故いきなり温泉が……


「おそらく、三組が採掘した時に地盤を掘り抜いてしまったんだろうね。水が急に湧き出してきたので、慌てて帰って口をつぐんでいたか」


 稼ぎ所を潰してしまって怖くなったのかな? どっちにしろ黙っていたのは、褒められた行為じゃないけどね。

 結局、村に戻って村長に坑道の閉鎖を申請し、収集した水の成分の分析などを約束した上で自宅に戻ることにしたのだ。

 村長も、山を封じておけば実害は無いことを確認して、閉鎖を快諾してくれた。

 村の人間が賄賂を受け取り、試験の優遇を行っていたという後ろめたさもあったのだろう。



その日からご主人の多忙な日々が始まった。


 早朝に起きてトレーニング。

 そのまま朝食を作り、タカリに来たアミーさんとケビンを交えつつ食事。

 その後、学校。

 終業後は閉校時間まで地下書庫で【蘇生】の魔術式を調査。

 帰宅後は持ち帰った水の検査。

 ほんの五日ほどだがその表情は見る見るこけて行き、今にも倒れそうな風情を漂わせ始めた。


「リムル様、少しは休まないと体に悪い」

「そうは言ってもね……明日にはまた森に行く訳だし、ちょっとは進展させておかないと」

「報告だけなら、わたしが行ってもいい」

「こういうのは検査した本人が行かないと」


 確かに検査した当人が行かないと、突発的な疑問や質問には対応できないだろうけど、倒れたら元も子もない。

 今のご主人の様子では、いつ倒れてもおかしくない。


「でも、そのままじゃ倒れる。ちゃんと休まないと。どうせ研究はわたしが邪魔するから進ませないよ?」

「どういう脅迫の仕方だよっ!? まぁ、一週間で結果を出そうとしたのは、確かに勇み足だったかもしれないけど」


 ご主人は手に持ったスポイトを投げ出し、椅子の背もたれにぐったりともたれ掛かる。

 わたしはそんな彼の肩を、できるだけ優しく揉みながら、励ますことにした。


「気分転換も大事。お茶でも飲んで……そうだ、お芝居とか行こう。どうせ報告とか半日もあれば終わるんだし、マクスウェルさんのところの劇、まだ見に行ってないから」


 途中でデートに誘ってるみたいな流れになって、終盤は少し早口になってしまったけど、悪いアイデアじゃないと思う。

 ちょっと顔が火照ってる気がするし、力んでスカートの裾握り締めてたりした気がするけど、気のせいに違いない。うん。

 後で皺、伸ばしておかないと。


 ご主人もそんなわたしの状況を見て気が抜けたのか、小さく微笑んで頭を撫でてくる。

 頭には角が生えているので、迂闊に人に触らせる事はできない。だからご主人のように、気兼ねなく触ってもらえる相手は稀少だ。

 思わず感触を堪能して目を細めたわたしを、ご主人が眺める。


「なんか……犬みたい」

「なっ、失敬な! わたしはドラゴン。半分だけ」

「ハイハイ。じゃあ今日はここまでにするから、お茶入れてくれるかな? ボクは片付けしないと」

「ん、わかった」


 多少言いたいことはあるけど、身体を休めるというのだから、わたしに否は無い。

 デートの方ははぐらかされたような気がするけど、まぁいっか。

 足取りも軽く炊事場に向かって湯を沸かす。お茶っ葉を袋に詰めて水に漬け込み、そのまま煮出して終了。

 途中でメンドくさくなったので、火力アップに異空庫に取り込んだ焚き火の火力を三つほどかまどに叩き込んでおいた。

 するとゴポガポと危ない感じに沸騰したけど、まぁいいや。

 お盆にお茶と焼き菓子を添えてご主人のところに戻ると、片づけを終えたご主人が着替えていた所だった。


「……エイル」

「リムル様、少し背が伸びた?」

「できればドア閉めてくれない?」

「あ、うん」


 部屋に入ってドアを閉める。ついでに悪戯心で鍵もかけてやった。


「こっちに入るのかよ! しかもなんで鍵をかけたし!?」

「ふっふっふ。にーちゃんえー体してるなー」

「怖いからやめろ!」


 今ご主人は女性のように服で身体を隠してる。

 なんか反応が逆じゃないかなぁ。こういうのってわたしの役だよね?


「それよりお茶持ってきた」

「今着替えてるんだけど?」

「終わるまで見てる」

「見るなと言ってるの。部屋を出て待っててよ」

「女の子に寒い廊下で待たせるだなんて……」

「男の着替えを凝視しに、部屋に乱入する方がおかしいから」


 まあ、ご主人をおちょくるのは楽しいけど、程度が過ぎると本気で嫌われちゃうのでこの辺で引くとしよう。


「しかたない、わたしは廊下で温かいお茶飲んで待ってるよ」

「そのお茶、ボクに淹れてくれた奴だよね?」


 でも過剰に反応して一喜一憂するご主人は可愛いので、つい弄ってしまうのでした。



「まったく、エイルは主人をなんだと思っているんだ……もっとこう、敬意を持ってだね」


 しばらくして、わたしにからかわれたと自覚したご主人が愚痴を言っている。

 正直子供がふくれっ面をしているみたいで、逆に微笑ましい。


「聞いてる?」

「はいはい、聞いてる。反省してます」

「もう、疑わしいなぁ。イーグはどうしてるの?」

「あの子がお風呂に入ると二時間は出て来ないよ」

「火を吹くのに何で風呂好きなんだろう……?」

「水浴びはあまり好きじゃないみたいだけど。お湯に浸かることが好きなんだと思う」

「ま、いいけどね。水はタダだし、お湯にするのは自分でやってくれる訳だし」


 この家は風呂の設備が付いていて、いつでも身体を洗うことができる。

 しかも我が家の場合、井戸から水を異空庫で持ってきて、それをイーグが熱球の魔術で沸かすので、タダも同然で入れるのだ。

 そしてそれを目当てに、アミーさんやらケビンが頻繁に遊びに来る。

 このラウムという国は水源豊かで気候が穏やかな分、風呂ではなく水浴びで済ます家庭が多い。

 さすがにこの冬場では水浴びはしないけど、代わりにサウナなんかで汗を流し、濡れタオルで身体を拭くのが主流だそうだ。

 湿度の高い山で育ったわたしとしては、身体ごと流せるお風呂が付いてる事がとてもありがたい。


「まぁ、彼女は風呂を沸かす湯加減調整だけは本当に達人級だから……エイルも見習おうね?」


 豪快に沸かしたわたしのお茶は、凄まじく渋かったらしい。


「これはさすがに煮詰って渋すぎ……ん、煮る?」


 そこで何か思いついたのか、ご主人が首をひねる。

 机の上の試料を見てから、わたしに尋ねてきた。


「エイル、あの水の水分だけを異空庫に取り込む事は可能か?」

「水分だけ?」

「水に含まれた不純物は取り込まずに残して……」

「それは無理。わたしの認識が重要だから、目の前にある水全体ならともかく、見えない物まで除外できない」

「となると……煮沸で水分だけ飛ばすか。イーグはこの水を毒と言った訳だから、何かが溶け込んでいる事は確かだし」


 そう言って実験用の鍋を丁寧に洗い、そこに試料を入れて煮沸する。

 加熱する熱球の温度を高めにしたせいで、一時間もすれば水分はすべて飛ばす事ができた。

 途中で何度か体のだるさを覚えたので、ご主人に解毒してもらう。ご主人も数回自分に解毒を掛けていた。


「今までまったく変調はなかったのに、沸騰させた途端にこの不調か……この水を沸騰させる事がキーになっているのかも」

「蒸気に毒素が含まれたまま飛散するって事?」

「そう。だから麓まで影響が出てた。そして予想だけど、毒はかなり比重が重いものだと思う。山の周辺までしか影響がなかったからね」

「軽いものだともっと広範囲に広がっていたから、かな」

「うん。そう言う点では幸運だったかもね。大惨事になりかねなかった」


 完全に水分を飛ばされた鍋の底には、銀色の小さな粒がいくつか残留していた。

 ご主人がヘラで粒を回収し、小瓶に移して密閉する。

 それが済んだ所でわたしは部屋の窓を開け換気した。

 瓶に回収された粒は銀に鈍く輝き真球状に丸まっている。ここまで綺麗に丸い結晶なんて初めて見た。


「これは結晶じゃないよ、エイル。これがリグニア石だ」

「リグニア石?」


 確か魔法陣の塗料なんかに利用されると言う話は聞いた事があるけど。


「うん、魔法陣のインクなんかに溶かし込んで使う。考えてみれば、インクに溶けるんだから、お湯にだって溶けるよな」

「どうして、そんなのが地下の温泉の中に?」

「むしろ地下だからだろうね。リグニア石の鉱脈がある場所で水源を掘り抜いた。水に溶ける物質が沸騰するお湯に触れて溶け込み。そのまま蒸気に乗って周辺に飛散したって所かな」

「でも重いんでしょ? 飛ぶかなぁ?」

「リグニア石はね、こう見えても液体なんだよ。だから水に溶け込むことができるんだ」


 液体と言っても……どう見ても丸い粒なんだけど。


「丸い、よ?」

「表面張力が強いせいだね。広がる力より強い力で自身を丸く纏めてしまう不思議な鉱物なんだ」

「ふぅん……とにかく、これで謎はすべて解けた! ってこと?」

「まぁね。後はどう処理するかだけど……そこは村の問題かな。これで心置きなく観劇に行けるね」

「あ、忘れてなかったんだ?」

「ボクだって、あそこの劇は楽しみだったんだぞ」


 そう言ってご主人は鼻歌交じりでお茶を啜る。

 問題が解決してよかった。あのままもう一週間もしてたら、ご主人が倒れてたかもしれないもの。

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