第29話 解放

「……え?」


 今ご主人は一体なんて言った?

 わたしを解放する?


「エイル、キミを解放すると言った」


 それは確かにわたしの望んだことだ。自由になれる、それは喜ばしい。

 でも……それから?


「……やだ」


 それから、どうすればいい?

 故郷の集落はすでに無い。両親もすでにいない。親戚らしい親戚は、みんな土砂の下だ。

 マレバに戻っても奴隷として売り直されるだけ。

 マクスウェル劇団を頼る? それなら、まだいいかもしれない。

 でも、ここでご主人を放り出すことが……別れる事が納得できない。


「……やだ、よ」


 元々、赤の他人。

 しかも禁忌に触れる死者蘇生を研究しようとしてる少年。

 これ以上、傍にいれば厄介ごとに巻き込まれるだけ。

 だけど、彼は――


「手伝、う……わたし、リムル様の研究、手伝うから……」


 わたしを助け、家族を失う悲しみを共有してくれた、仲間だ。

 だから、ここで見捨てたりなんか、しない。


「わたしを、傍に置いてください」

「エイル?」


 わたしはご主人の胸に飛び込み、抱きついた。


「置いていかないで。わたし行くところが無い。リムル様と一緒に居たい」

「エイ――ぎゃああぁぁぁぁ!?」


 ご主人の否定の言葉が怖かった、だから抱きつく腕に更に力を入れた。


「傍に置いて?」

「わかっ、わかったから……腕! 腕の力をおぉぉぉ」

「ん、感謝」


 腕の力を抜いて、ご主人から距離を取る。

 照れ隠しのつもりで極上の笑顔も向けてあげる。


「くそぅ、せっかくいい雰囲気と思ったのに、なんて落とし穴だ」

「ん、リムル様、ひょっとして期待した?」

「しちゃったよ、チクショウ! 仲のいい女の子とか今まで居なかったんだから、仕方ないだろ」


 それはおかしい。ご主人の外見と、治癒術師としての力量や将来性を考えたら、引く手数多あまたのはず。

 これはきっと、本人が気付かなかったに違いない。彼は鈍感系魔術オタクだから。


「ええ話や」


 そんなわたし達を見て、イーグはどこからとも無く取り出したハンカチを目元に当てている。

 この子がすると、芝居臭くて仕方ない。


「とにかくエイル。傍に置いてあげるのはいいけど、奴隷の身分からは解放してあげる。それはいいね?」

「はい」


 それを聞いて、わたしは首元の首輪に手を当て、首輪だけを異空庫に収納。そして手を離してから再度現出させた。

 つまり……首輪が外れた。


「は?」

「ん、はい。これ返す」

「外せたのか!?」

「多分できると思ってた」


 このギフト、接触部分では無く、認識した部分のみを取り込むことができる。つまりわたしが首輪だけを認識すれば、あっさり外せるとは思っていた。

 この異能、便利すぎる。というか強力すぎる。


「それはねー、きっと破戒神様の血統を継いでるからだと思うよー?」

「そうなの?」

「元々からして、感覚惑乱の結界が掛かった領域で炭焼きなんてしてる時点で異常なんだよ? 普通だと山にすら到達できないんだもの」

「何で、そんなややこしい魔法陣引いてるんだよ……」

「破戒神様って、世界樹教徒からしたら神敵だからねぇ。世界樹をへし折った当時は刺客とか一杯来たんだー」


 そういえば神魔戦争以前は、世界樹信仰一色だって話だったっけ?

 破戒神のせいで信者が激減したんだから、そりゃ憎まれるでしょう。


「そうやって聞くと、ろくな事してねぇな」

「そんなわけで、破戒神様の血統は強力なギフト持ちがいっぱい居たんだ」

「どんなわけだか知らないけど、それでわたしが役に立ててるなら、まぁいっか」

「エイルが協力してくれるのなら心強いしね。それで、だけど……」


 ご主人がそこで、荷物袋から一本の瓶を取り出す。

 それは、見るからに高そうな酒瓶だった。でも、お酒は禁止にしたはず……


「ご主人?」

「いや、他意は無いよ? ボクたちはまだ未成年でお酒に弱いのは前回思い知ったし!」

「でも飲むんだ?」

「お酒、好きだし。というか、エイルの解放祝い、かな? ちょっと飲みたい気分なんだ」

「どんな気分ですか、まったく」


 少し言い訳がましく、ご主人がグラスを三つ用意する。

 そこに水を少し注いで、氷結を掛け凍らせ、その上に酒を注ぐ。

 氷結の魔術は解呪されない限り永遠に溶けない氷を生み出す魔術だ。

 ご主人は難易度の高い氷結の魔術も、遺体安置などの必要性があったので覚えていた。

 こうしておくと、氷が溶けないのでお酒が薄くなる事は無いが、いつまでも冷たいままのお酒を堪能することができる。


「それじゃ、エイルの新たな人生に」

「リムル様の入学祝に」

「えーと、えーと、わたしはー……なんでもいいや」

「乾杯!」


 わたし達はグラスを合わせ、刺激の強いお酒を一気に喉に流し込んだ。

 高価なお酒と言うだけあって、喉越しがよく、つい一杯二杯と杯を重ねて……案の定意識が途絶えたのだった。



 翌朝、わたしは全裸でベッドに眠っていた。

 しかも今度はご丁寧に下まで着ていない。まさかついに……と思って隣を確認したら、なぜかイーグが全裸で眠っている。


「……これは、どういう状況?」


 よく見ると、ご主人が簀巻きにされて部屋の隅に転がっている。

 きっとイーグがやったんだ。そうにちがいない。

 とにかく、あのままだとさすがに酷いので、ご主人を解放しておく。ついでにペチペチ頬を叩いて起こす。

 ご主人は寝起きいいはずなのに、お酒が入ると途端に朝が弱くなる。


「リムル様、リムル様? 起きて」

「ん、ぅうう……エイルか? なんか頭痛い」

「二日酔いじゃない? それとも風邪かも。あんな格好で寝てたから」

「何でボク、こんなところで寝てるの?」

「わたしにはわからない」

「だよねぇ」


 そこでご主人はわたしを見て、それはもう見事なまでに硬直した。


「え、えいる……」

「はい?」

「ふ、ふく……服を着ろぉ!?」


 そういえばまだ着替えてなかった。簀巻きのご主人を見て気が動転してたのかもしれない。


「ん~、なにー?」


 そこにむくりと起きだしてきたイーグ。

 ご主人ってば朝から全裸少女二人を侍らせるとは……なかなかやる。


「ボクのせいじゃないだろ! って言うか、二人ともなんで裸なの!?」

「それはねー、ボスがオヤビンに――」

「言うな! なんだかよくわからないけど、聞いちゃいけない気がしたから言うな!」

「迫って、オヤビンがボスを簀巻きにした後――」

「わたし、そんなことしないよ!?」

「わたしを無理矢理ひん剥いて、『イーグは冷たくて気持ちいーねぇ』って抱き枕にして寝たの」

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」

「そしてベッドで絡み合う二人を見て、ご主人がなんだかモゾモゾ動いてたのー」

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」


 二人して、イーグの暴露話でダメージを受ける。やっぱりお酒はやめよう。もう決めた。


「と、とにかく……今後の予定を立てよう。うん……昨夜の事は忘れて」

「そうする。やな事は忘れるに限る」


 ご主人と現実逃避に走るわたし達を見て、イーグはなんだかニヤニヤした表情を浮かべている。


「まずは着替えるから、ご主人は外に出ててくれる?」

「あ、ああ」

「別に中で見ててもいーよ。生着替え、見る?」

「断固却下する」


 イーグの無駄な挑発に、慌てて部屋から飛び出すご主人。

 しばらくして着替えを済ませ、ご主人を迎え入れた所で昨夜の続きを始めることにする。


「まず、今後の事なんだけど、試験には受かったけど入学式を済ませて無いので、まだ学院には入れない」

「それはまぁ、当然?」

「だから入学式のある来月までの一か月、暇になる」

「だったら、温泉行こー」

「イーグは少し黙る。で、その間にイーグに体術と魔術を習いつつ、ケビンやアミーさんとギルドの依頼をこなそうと思う」


 なぜだろ、ギルドの登録証はパスポート代わりに必要だったから取ったけど、ランクを上げる必要なんてないのに。

 わたしがそれを告げると、ご主人が返答してくれた。


「学院の図書館は基本的に学生ならいつでも利用できるけど、稀少な書物や文献は厳重保管区域に保存されている。稀少な物はギルドの中でも黄ランク以上、モノによっては緑ランク以上じゃ無いと閲覧できないようになってるんだよ」

「ご主人が欲しているのは死者蘇生の術式だから、稀少な分類にされてることが予想される?」

「その通り。まぁ、確実にそうだというわけじゃ無いけど、知ってからランク上げするより、今のうちから上げておいたほうが確実だろ」

「念には念をって意味で」

「そ。それに学院には寮があるけど、エイルたちは寮に入れないだろ?」

「そうなの?」

「そうなの。あそこに入れるのは学院生と特別に許可された従者、つまり貴族の従者のみが許可される。ボクは貴族じゃ無いし、エイルは解放されたから奴隷じゃ無いでしょ。だから無関係の一般市民になっちゃう」

「奴隷だったら寮に入れるの?」

「奴隷は人権が無い『物』扱いだからね。その代わり色々と厄介ごとが発生するみたいだよ。イジメとか暴行、冤罪なんかも」

「それは……やだ」


 学院ないは入試のときの状況を見ても貴族が多いと言うのは予想できる。

 そんな連中が集まる寮に、奴隷を連れて行ったとしたら……間違いなく劣悪な環境になるであろうと予想できる。


「だからね。この学院の近くに家を買おうと思う」

「ならわたしが――」

「ダメだ」


 わたしの異空庫には大量の金貨や白金貨が納まっている。それを使えば家の一軒や二軒、と思ったのだけど、ご主人に却下された。


「悪いけど、これはボクの問題。エイルには護衛として手伝ってもらうのはやぶさかじゃ無いけど、お金まで貰ってとなると……さすがにヒモ臭い」

「男のぷらいど?」

「無駄な見栄だと思うけどね。それに禁忌に触れる研究をするのに、誰が同室になるかわからない寮生活は問題がある」


 都合よく一人部屋、なんてのは貴族にだけ許された特権だ。

 ご主人のような一般市民はまず相部屋になるだろう。

 ましてやご主人は試験最下位。こんな生徒に一人部屋をあてがうなんて、ありえない。


「他人がいる部屋で、蘇生関連の資料を読み漁るなんて、流石にできないからね。それに薬剤の調合もしないといけないかもしれない。拠点を作る意味でも家は確保しておきたい」

「ん、それは納得」

「できれば表向きの住居と、裏の研究用の施設を分けておきたいのだけど……これは地下室かな?」

「家を購入したら、わたしが地下室掘ってあげるよー?」


 イーグがそこで立候補する。

 何かと大雑把な彼女に任せて大丈夫何だろうか?


「そこはほれ。わたしにはブレスと言う強い味方があるのだよ」

「街中で元の姿になる気か!」

「ダメー?」

「竜化、ダメ。ぜったい」


 そうなると手掘りになるかな? あ、異空庫に土を仕舞い込めば何とかなるかも?


「できるのか? 水と違って、土は視界が効かない範囲まで取り込まないといけないんだぞ」

「あ、そうか……取り込む際はわたしの認識が必要になるから、見えない部分までは取り込めないかも?」

「となるとやっぱ手掘りかなぁ……不要な土砂は異空庫で輸送すれば、目立たず改装できそうだし」

「あ、やっぱブレスで行こう」

「目立ちすぎるだろ!」

「違う、わたしが使う」

「はぃ?」


 わたしの発言に『なに言ってるの?』的表情を浮かべるご主人。


「街の外でイーグのブレスを取り込んで、わたしが使う。これなら目立たない」

「あー、なるほど。その手があったか。じゃあそれも視野に入れて……ひょっとしたら地下室付きの物件もあるかもしれないし、無駄になるかもしれないけど」

「念には念を、でしょ」

「そうだな」


 こうしてわたし達は、ラウムでの拠点探しを始めることにした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る