第27話 入試
奴隷の朝は早い。
日の出と同時に目を覚ます。
抱き合うように隣で寝ている姿を確認し、頬を突いて健康状態をチェック。
部屋の隅でイーグが寝ているけど、アレは冷たいのでベッドには入れてやらない。やはり人の姿をしていてもトカゲだからだろうか?
二度寝の誘惑に耐えながら、起こさないようにベッドを抜け出す。
サイドテーブルの水差しからコップに注ぎ、水分を補給。
サッと着替えてトイレと洗顔を済ませる。
サッパリした所で庭に出て念入りに柔軟体操。朝の修練には必須だ。
痛いほどに澄んだ、冷たい朝の空気を胸いっぱいに吸い込んで、ゆっくりと身体を
充分に身体が解れた所でランニングを開始。
イーグ曰く『戦場では足を止めた者から死んでいくのだ! 走れ! 人は歩みを止めた瞬間に死ぬ!』だそうだ。
その後に飛び出した『どうした、その程度か! それだからお前は
なんでも破戒神式訓練法らしい。
ランニングから戻ってくると、今度は起き出して来たイーグと立会い稽古を行う。
庭全体に
静寂を掛けていないと、打ち合う音で他の宿泊客に迷惑が掛かるので、これは必須だ。いつか覚えよう。
イーグは五百年生きているだけあって、実に多彩な技を持っている。
本来ドラゴンと言うのは底抜けの身体能力により、技を軽視する傾向にあるのだが、彼女はどうやら違うらしい。
一時間ほど打ち合った所で朝錬は終了。
部屋に戻って服を脱ぎ、タオルを取り出して身体を拭う。本当は風呂に入りたいけど、この宿に風呂は無いので我慢。
もう一度、水差しから水分を補給してから、身体をチェック。
生まれつき肉付きの薄い体格なので、筋肉が目立たない。鍛錬の効果は薄い。
風邪を引く前に服を着たところで、朝八時の鐘の音が街に響いた。
そろそろ軽食屋が開く頃だ。朝食を摂りに行かねば。
いまだベッドから出て来ようとしない相方に近付き、頬をもう一度突きながら優しく声を掛ける。
なんだか恋人を起こすみたいでこそばゆいけど、結構お気に入りの瞬間。
それはともかく、早く起こさないと人気のモーニングセットを食いはぐれてしまう。
「ほら、エイル。朝だよ。朝食、食べに行くよ?」
「……んぅ?」
奴隷の朝は早い。
わたしはもっと惰眠を貪っていたいのだ。
ラウムに到着してから一週間が過ぎた。
何度かアミーさんやケビンから依頼の同行の申し出があったけど、ご主人が受験を控えているので、丁重にお断りしている。
そして今日は受験の当日だ。こんな日まで朝錬を絶やさないとは、ご主人もマメな性格である。
「というか、試験項目に武術も含まれてたんだよ」
「試験項目、いくつ?」
「歴史、言語、数学、魔術学、薬学の五つに、武術、魔術の実技2種。後は魔力測定だね」
「リムル様なら学科は安泰。魔力も問題ないね」
「問題は武術と魔術なんだよね。武術はからっきしだし、魔術は偏ってるから」
軽食屋のモーニングセットを貪りながら、試験項目のおさらい。
ちなみにわたしの前には三人前が置いてある。この身体は燃費が悪い。
「ボクは貴族と違って後ろ盾が無いから、一科目も落としたくは無いんだよね」
「ん、がんばって」
「軽く言ってくれるなぁ」
ラウム魔術学院は、いわば高等教育機関だ。そして、どこの世界も高等教育と言うのはお金が掛かる。
国一番の学院となると、もはや貴族たちの巣窟と言っていい。
平均受験が十五歳以上のこの学院の試験を、十二歳で受けるリムル様としては、難癖付けられる隙を残したくないのだろう。
この世界には四つの高名な学院がある。
一つはフォルネリウス聖樹国の首都ベリトにある、冒険者支援学院。
ここは世界樹を攻略する為の冒険者を育成する組織で、魔術を含めた実用的な技術を教えることで有名だ。
二つ目はわたしの故郷、南部都市国家連合にある、コルヌス騎士学院。
ここは魔術も教えるけど、戦闘術に重きを置いた教育で有名。
数多くの高名な騎士を輩出している。
三つ目が東の果てにある、マタラ魔道器教育院。
魔道器の作成技術を重視した、一風変わった学院である。
魔剣の作成技術もあると言う噂だ。
そして四つ目、ラウム魔術学院。
世界最古の学院と言われ、その図書館の蔵書量は世界一とされている。
もちろん、重視しているのは魔術だ。
他にも有象無象の学院はあるが、最高峰と呼ばれているのはこの四つの学院だ。
「正直、今でも緊張で手が震えてるってのに」
よく見ると、スープの皿とスプーンがカチカチと音を立てている。
ご主人、意外と本番に弱いタイプ? 災獣戦とか見てると、開き直るタイプかと思ってたんだけど。
プルプルと震えるご主人を見てると、なんだか可愛くなってきたので、わたしは席を立ってご主人の傍へ行き、その首をかき抱いた。
「大丈夫。リムル様なら問題ない。わたしが保証する」
緊張や不安を感じている人は、心臓の音を聞かせてあげると落ち着くという話を聞いたことがある。
これでご主人の緊張が和らぐといいんだけど。
「あれだけ努力したのを、わたしは見てた」
「そう、だね。落ちても、また来年受ければいいんだし」
ご主人の蓄えと、わたしの手持ちを合わせれば一年宿暮らしをしても余裕がある。
それに冒険者なんだから、依頼をこなして日銭を稼ぐ手段だってあるから、一年くらい問題ない。
わたしがご主人の背をポンポンと叩き、ご主人が軽く抱き返してきたところで身体を離す。
「いーけど、ここ公共の場だし、もうちょっと控えたらー?」
そこで今まで黙っていたイーグが、ポソリと呟く。
ハッと周囲を見渡すと、なんだかみんなホッコリした表情でこっちを見てた。
「は、早く食べて試験会場に行くぞ、エイル」
「うぁ……はい」
その後、流し込むように朝食を摂って、足早に店を出る事になった。
貴族たちが住む上級区画、その一角に魔術学院はあった。
受験日だけあって正門は混雑しており、ひっきりなしに馬車が行き交う。
「おお~」
「これは……壮観だな」
わたしとご主人は、その異様な風景に言葉をなくした。
ちなみにイーグは『寒いから温泉入ってくる』と言って行方不明になった。まあトカゲだしね。
「まるで馬車の見本市」
「紋章官を呼んだら忙しくなりそうだな」
入り口にずらりと並んだ貴族の馬車、そこに立てられた家紋の旗。
馬車の御者に護衛に従者。
「なんだか、すっごい場違い感がする」
「リムル様、落ち着け?」
「エイル、悪いけどもう一回あれやってくれる? ギュってするの」
「ん」
とは言えご主人の身長はわたしより高いので、屈んでもらってから頭を抱える。
「落ち着いた?」
「うん、少しね。それじゃ行って来る。試験は夕方まで終わらないから、その間ゆっくりして来ればいいよ」
「従者の待機所みたいなのがあるから、そこに行っとく」
「ああ、そう言うのもあるのか……考えて見れば当然だね、これだけ人がいるんだから」
校舎の脇に大きなテントが建てられ、そこに護衛や御者の人達が待機していた。
従者の人は校舎内に別の部屋が用意されてるみたいだけど、わたしは従者では無いので中に入るのは憚られる。
「じゃ、行ってくる。エイルも気をつけてね」
「はい、リムル様もがんばって」
わたしは小さく手を振ってご主人を見送ったのだった。
テントの中に入ると、そこは異世界だった。
いや、そうとしか表現できないくらい異様な緊張感が漂ってた。
各貴族に抱え上げられた護衛たちと、その御者。
おたがいが牽制し、隙をうかがっている。こんなところでまで権力争いしなくても……
多分『誰に雇われたか』とか、『どの程度のランクがあるか』とかで上下関係を決めてるんだろう。
「うわぁ……」
「おい、寒いからさっさと閉めろ」
「あ、はい」
入り口の幕を開けて思わず固まったわたしに、不機嫌そうな声が掛かった。
いそいそと中に入り、近くの椅子に腰掛けようとして――
「待て、お前奴隷か?」
「え、はい」
おそらくはわたしの首輪を目にしたのだろう。若い戦士風の男が声を掛けてきた。
妙にピカピカした鎧と剣を持っているけど、魔力の反応は無し。
「チッ、奴隷なんぞが俺たちと同じテントに入ってんじゃねぇ」
「え、あ……」
ご主人のフランクな態度ですっかり忘れていたけど、本来奴隷と言うのは同じ場に居るだけでも嫌悪される。
「大体誰だ、こんな場所に奴隷を連れてきた勘違い野郎は」
「えと、ごめんなさい。すぐ出ます」
「大方、従者も付けられない弱小貴族だろ。庶民じゃ奴隷なんて飼えねぇしな」
ちょっとイラッと来たけど、よく考えたらご主人は貴族でもなんでもない。
それにここで揉め事を起こすと、受験に来たご主人に不都合があるかもしれないから、暴れるのは危険だ。
少し寒いけど、外で待つ事にしよう。
人目に付く所にいると絡まれる危険性があるので、校舎の裏側に回りこんで日当たりのいい場所を探す。
適当な場所を見つけて日向ぼっこをしていたけど……やはり寒い。
考えてみればもう冬なんだから、当たり前な話なんだけどね。
ジッとしてたら寒くて仕方ないので、異空庫から大剣を取り出してイーグに習った型を流して身体を温める。
取り出したのはイーグが『センチネル改』と呼んでいた大剣。
大きさは二メートルを超え、幅も五十センチほどある。厚さも十センチくらいあるので、ほとんど鉄板のような剣だ。
本来は軽量化の魔術が掛かっていたらしいけど、その魔力も切れて鉄本来の重量になっている。
その重さ、ざっと成人男子二人分の百二十キログラム。
「この剣を作った人はきっとバカだ」
こんなもん、普通に振れるわけ無いだろうと。まあ、わたしは振れるけど。
よく見ると剣身に波打つような模様が入っていて、純粋な鉄で出来ていない事が判る。
それが更に重量を増している原因になっているっぽい。
イーグ曰く、『竜の鱗を溶かし込んだらこうなった』だそうだ。
「竜の鱗を溶かすとか、どうやったことやら」
わたしは自分に魔力付与を掛け、両手で鉄板の如き剣を振り回す。
剣を一振りするたびに『ゴッ!』だの『ブォッ!』だの、不穏な音が周囲に響く。
「ふっ! はぁっ!」
剣の風切り音以外にわたしの呼気や踏み込みの音まで響いてきたところで、パチパチと拍手する音が聞こえた。
見上げると、二階の窓から一人の女生徒がこちらを眺めていた。
「だれ?」
「うーん、それはこちらのセリフかも? 君は誰かな?」
わたしの疑問に疑問で返してくる彼女。
言われてみれば、学校敷地内で剣を振り回していたのだから、不審人物はこちらの方かもしれない。
「あー、ごめんなさい。わたしは受験生の付き添いで来たエイルといいます。奴隷です」
隠しても後で面倒事になるだけなので、奴隷と言うことを先に宣言しておく。
こうして置けば、近付いてくることも無いだろう。
「うん、エイルちゃんね。わたしはこの学校の一年生のエリー=ライム。図書委員をやってるの」
「図書委員……なんで今頃校舎にいるの?」
試験期間中は一般生徒は校舎にいないはずだ。
「まあ、ちょっと延滞してた本を返しに……」
てへへ、と愛嬌ある笑顔をこちらに返す。
「それにしても凄い剣ね。それに、それを軽々と振り回すエイルちゃんもトンデモないけど」
「そう? うん、そうかも」
ここは下手に誤魔化さない方がいいかも。こんな見た目からしてバカでかい剣を振っているところを見られたのだから。
今、この剣は魔力が完全に抜けて、鉄塊となっている。魔術学院の生徒なんだから、魔力を感知するくらいはできそうだし。
こういう時はギフトのせいにしておけば、多分問題は無いだろう。
「ちょっと腕力系のギフトがあるから」
「へぇ、戦闘系のギフトと思ったんだけど、違うんだ?」
「ちょっと馬鹿力があるだけ。剣術は今勉強中」
「ふぅん……あ、ちょっと待っててね。そっち行くから」
「はぇ?」
このクソ寒い中をわざわざこっちに? なんて物好きな人だ。
……これがわたしとエリーの、最初の出会いだった。
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