第15話 討伐
◇◆◇◆◇
グランドヘッジホッグの前から、エイルがいきなり立ち去っていく。
それも、物凄い速度で……まさか?
「おい、嬢ちゃん逃げちまったぞ!」
「……違う」
自分でも一瞬、そう疑った。だから否定する。逃げたんじゃないと。
目の前の災獣の目がこちらに向く。震えが止まらない。
「どうすんだ、俺たちも早く逃げないと――」
「怪我人を置いて、僕は、逃げない!」
父さんだって逃げなかった。母さんも――こんな状況で、こんな悲惨な状況でも、逃げたりしなかった!
怪我人を見捨てない。息がある限り、癒し続ける。それがボクたち治癒術師の誇り、そう態度で示してくれた。
「ボクは逃げたりしない、それに……エイルも逃げたんじゃない!」
「この……死んじまったらどうしようもないんだぞ」
「それでも、ボクはイヤだ!」
「くそっ!」
グランドヘッジホッグがこちらに向き直り、その体毛を逆立てる。
槍の様に太く、硬く、鋭い。
何人もの人をズタズタに引き裂いた、それ。
「ああ、もう! 小僧、俺が何とか足止めする。お前はその隙に怪我人を運んで逃げろ!」
伐採用の
「なっ、無茶だ! そんな斧では何の役にも――」
「俺だって子供を置いて逃げられやしねぇんだよ!」
「グルルルルルアアアアアアォォォォォォォォォ!!」
腹に響く、見かけとは大きく違う、おぞましい咆哮。
怪我人を運ぶ? 冗談じゃない、その叫びで足が竦んで動けない。
その場にへたり込んで、立ち上がることさえできない。
股間からは生暖かい液体の感触までする。
「ああ……」
「冗談じゃねぇ! くそ、冗談じゃねぇぞ、嬢ちゃんはこんなのを相手にしてたのかよ」
どっちにしろ、相手の方が速い。ましてや怪我人を抱えたままで逃げ切れやしない。
ボクが生き延びる方法は一つ。ゴースンもケビンも、他の怪我人もすべて見捨てて、一人で……
「――えぃる……」
そんな真似……
「――エイル」
――できる訳ないじゃないか。だから……
「エイルウゥゥゥゥ!!」
ボクは叫んだ。ボクの守護者の名を――今のボクが信じるに足る、ただ一人の名を。
その声に応えるように――
「はい!」
小屋を突き破って、彼女は戻ってきた。
◇◆◇◆◇
グランドヘッジホッグと詰所を挟んで反対側。
そこにケビンの馬車が倒れているのが見えた。わたしが目指したのは、そこだ。
そこらじゅうに散らばった、積み込み途中の原木。目当てはそれ。
もちろんただの丸太を叩きつけたところで、グランドヘッジホッグにはダメージは与えられないだろう。
槍衾のような毛皮に阻まれ、外皮に到達する前に丸太はズタズタに裂かれてしまうはず。
「それでも……」
手当たり次第に丸太を異空庫に放り込んでいく。
今必要なのは、重さと大きさ。すなわち体積。
取り込んだのは十本か、それ以上か……その時。
「エイルウゥゥゥゥ!!」
ご主人の叫びが聞こえた。わたしはその声に、反射的に――
「はい!」
そう応え、最短距離をつっ走った。
正面には詰所。迂回している暇は無い。
左手に掴んだ丸太に魔力を付与する。わたしの持つギフト、魔力付与。
物質に取り込める魔力は、体積と魔法陣の大きさによって決まる。
魔法陣を刻んでる暇なんて無い。だけど――
「これだけ大きければ!」
丸太に魔力を注ぐ。いや、付与する。内部に注ぎ込むのではなく、表面を這わせるように。
純粋に硬さのみを強化。いや、硬さ『しか』強化できない。素材的な強度が無いから。でも、今はそれでいい!
纏わせた魔力は、やはり目に見えて拡散していく。でも数秒は持つみたいだ。
正面の詰所の壁を、強化した丸太でぶち抜く。
ぶち抜いた勢いを殺さず、ご主人の脇を抜け、グランドヘッジホッグにチャージを掛ける。
「あああぁぁぁぁぁ!!」
わたしの魔力で強化された丸太が、毛針をへし折り、外皮を叩く。
「まだ……だあぁぁぁぁぁ!!」
竜化した手足の力に物を言わせ、力尽くで押し込んでいく。
魔力付与を受け、鋼よりも頑強に硬化した丸太は肩骨を押し砕き、わたしが槍衾に触れる直前まで貫く。
「ギャルルルルルルガアアアアアアァァァァァァァァァ!!」
耳を
おそらくは、生まれて初めて受けたであろう苦痛。
故に動きが止まる。隙が出来る。その隙を利用して翼を展開し空へ舞い上がる。
その頃になって、グランドヘッジホッグは森へと引き返そうとし始めた。
「逃がすわけ……ない、でしょ!」
取り込んだ丸太を左手に現出。魔力付与してから、投げつけた。
ただの丸太の平らな切断面であるにも拘らず、外皮を突き破り背に突き刺さる。
その数、二本、三本、四本……最初の突撃分を合わせ、計五本の丸太を突き立てられたところで、森の中に逃げ込まれた。
深い森はグランドヘッジホッグの巨体すら覆い隠してしまう。上空からの攻撃はできそうも無い。
「とりあえずは、一安心」
当面の危機は去ったようだけど、ひとまずご主人の様子を見に戻る。
詰所を吹き飛ばして脇を抜けたんだから、破片とか飛んで危なかったし。
「リムル様、無事?」
「あ、ああ……大丈夫、死んだかと思ったけど」
「ついでにオッサンも無事?」
「俺ぁ『ついで』かよ! まあ、怪我は無いがな」
「なら、いい。じゃあ行ってくるね」
「行くって、どこへ?」
どうもご主人はまだ呆けてる様子だ。この状況で行く所なんて一つしかない。
「そりゃもちろん――トドメを、刺しに」
一言、そう言い置いて、わたしは再び舞い上がった。
◇◆◇◆◇
その魔獣は、生まれてから、これまで苦痛を感じたことはなかった。
そもそも、外皮まで攻撃を届かせることが不可能だった。
なのに、あの小さな人間は……いや、悪魔は自分の毛針すら物ともせず大木を突き立ててきた。
――ありえない! ありえない! ありえない!!
響いて来る激痛に身を
背に刺さった大木を何とか引き抜こうと、のたうち、這いずる。
――早く抜かないと、抜いて……逃げないと!
野性の本能が、危険を知らせてくる。あれには勝てないと。
――早く! 早く! 早……!?
そんな彼の前に、小さな影が舞い降りてきた。
その左手に、巨大な丸太をまるで小枝の様に掴んで。
「お前だけが逃げれるとか、そんな都合の良い事を考えてない?」
「キュルルルル……」
――なぜここにいる! 血の跡も足跡も消してきたはず!
その長い毛足で地を耕し、足跡を消してここまでやってきた。なのになぜここがわかったのかが、謎だった。
大量の木材を運搬した結果、そこら中に引き摺った跡が残っている。
そこに自分の足跡が混じった所で、見分けが付くはずが無いのに。
「お前がお前である限り……わたしからは逃げられない」
グランドヘッジホッグは強大な魔力器官で毛針を操作する。そうである以上、常に魔力が放射している。
額の角はその反応を感知できる。
「さあ、報いを――受けろ!」
そう宣言し、小さな白い悪魔が巨獣に襲い掛かった。
◇◆◇◆◇
グランドヘッジホッグは強化した丸太で、滅多撃ちに殴り倒しておいた。
わたしは周辺に散らばった毛針を十数本回収し、死体を漁る。
毛針を回収したのは、ちょっと使い道があるかもしれないから。
「この種の魔獣なら、魔力器官が魔石化してるはず……」
魔石は魔力を持つモンスターの魔力器官の別称だ。
魔力器官は体内で結晶化して虹色の結石の様になって存在している。
通常は数cm程度の大きさで、これはギルドで結構な額で売れるそうだ。
「あれだけの魔力を使ってたんだから、結構な大きさが期待できる……あった!」
角の反応頼りに、手持ちの短剣で肉を裂いて魔石を探り当てた。
「うわぁ……なにこれ」
体内から引きずり出した魔石の大きさは、なんと五十センチを越えるサイズだ。
さすがにこっそり持ち帰るってわけにはいかないかな?
「うーん、わたしとしては目立ちたくは無いなぁ。かと言って『魔石ありませんでした』なんて言えない」
そもそも災獣を倒した時点で、目立たないのは無理かもしれないけど。
とりあえず、厄介なことは全部ご主人に押し付けてしまおう。
「わたし、しーらない、っと」
わたしは隠し様のない魔石を担いで、ご主人の元に戻ることにした。
すっ飛ばした大剣を回収して、木材集積場ではご主人が怪我人を癒しに走り回っていた。
ちゃんと着替えてる余裕があるところを見ると、一段落付いたんだろうか。
「リムル様、魔石回収してきましたぁ」
「あ、エイル! 無事か!?」
ご主人がこちらを見つけ、駆けつけてきた。怪我人を置いて。
「リムル様……『怪我人は見捨てない』んじゃなかったんですか?」
「それはそれ、これはこれ」
「嬢ちゃん! 無事だったか。災獣は? グランドヘッジホッグはどうした?」
「森の奥で死んでる。コレが魔石」
わたしは抱えてきた魔石をゴースンに渡す。
「なんだ、こりゃあ!?」
五十センチ超の超大型魔石を見て、素っ頓狂な声を上げる。
これほど大型の物は普通見かけることは無い。
「あのハリネズミの魔石」
「そりゃ知ってる! これほどの大きさって……」
「でかいな。エイル、これアイツから?」
「はい。どう処理する?」
そう聞いてご主人は頭を抱えて悩みだす。
これを届ければ、テストどころでは無い。英雄扱いは必須だから、今後は動き難くなるのは目に見えている。
ご主人はなんだか、目立ちたくは無いそうだし?
「これ、いい金にはなるんだけど」
「絶対、悪目立ちしますね。ひょっとしたら足止めとかされるかも」
「そりゃあ、グランドヘッジホッグを倒したとなりゃ、ちょっとした英雄だもんな。しかも嬢ちゃん一人で」
「え、わたしが倒したの、バレる?」
「何でバレねぇと思うんだ?」
「エイルが身動き取れなくなるのは困る。ボクには彼女が必要なんだ!」
「……ほほう?」
ニヤリとゴースンがいやらしい笑いを浮かべる。
その笑みにご主人はハッとした表情を浮かべた。
「いや、違う、違うぞ! これはそういう意味じゃない」
「いいって、いいってぇ。言わずともわかってる」
「ぜってぇわかってねぇ!」
「リムル様、そんなに奴隷が必要?」
「いや、そうでもなく……」
「なら、えーっと……もしや性奴隷的な意味で?」
「残念、さらに離れた」
ご主人は疲れた表情で肩を落とした。となると、やはり労働力的意味かな?
対してゴースンはニヤニヤ笑いを深める。
「そーか、そーか。坊主も男だもんなぁ、そう言う相手も必要かぁ」
「だから違うと言って――」
「……奴隷だから、覚悟は……出来てる。でも起きてる時にして欲しい」
以前の様に意識の無い時に、というのは心臓に悪いし、やはり乙女としてはそれなりに夢も持ってる。
「坊主、寝てる子に手を出すのは感心せんぞ?」
「出してない! ああもう! それより、この魔石……ゴースンさんが倒したことに――」
「できるわきゃねーだろ。俺程度に」
「ですよねぇ。どうしたもんか」
「だったらヨォ」
そこでゴースンが意見を出した。
「そこで気絶してる、そいつに押し付けりゃいいんじゃね?」
そう言って指差したのは、手足の再生が終わっていないケビン。
わたしとご主人は、思わず顔を見合わせ……
「それだ!」
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