第14話 災獣

 扉を開けて入ってきたのは、ガタイのいい作業員のオジサン。

 そして肩から出血している、もう一人の姿もあった。


「……怪我を? ボクは治癒術を使えるので、すぐ治します」


 怪我人に即座に反応したご主人を制して、オジサンが告げる。


「それどころじゃねぇ! さ、災獣が……出やがった!」

「災獣だと!?」


 報告を聞いて、席を蹴り倒して詰め寄るゴースンさん。

 ご主人もその報を聞いて呆然としています。


 災獣とは、あまりに獰猛且つ凶悪である為、存在自体が災害と認定された魔獣の総称。

 たとえば、地を砕く魔獣ベヘモスや、海すら断ち割る海獣リヴァイアサン、そして天を焦がす魔竜ファブニールなど、様々な種族が存在する。

 共通するのは、それ等を制圧するのに多大な犠牲を必要とする、ということ。


「何だ! 一体何が出た!?」

「あれは多分……グランドヘッジホッグだ……」


 肩を怪我している人が、息も絶え絶えに報告する。


 グランドヘッジホッグ。その姿は全長十五メートルを超える巨大なハリネズミ。

 何処か愛嬌のあるその外見に反し、体内に巨大な魔力器官を持ち、その毛針は魔力を受けて硬化し鋼鉄より硬い槍と化す。

 しかもその長さは三メートルを超え、外皮自体も強靭でるあるため、近接攻撃で有効打を与える事がほぼ不可能と言う、非常に厄介な魔獣。

 こいつを倒すには、百人を超える前衛を揃え、それが蹂躙されている間に、攻城戦用の破城槌か魔術を叩き込んで倒すしかないと言われている。


「ゴースンさん、この伐採場の兵力は?」

「そんなもん、あるわけねぇ。猛獣対策に四・五人の騎士が常駐してるだけだ」


 圧倒的に、足りない。


「それは、逃げた方がいいですね」

「ああ、だが……」

「怪我人が大量に出てるんだ! 騎士達も抑えに向かったが……たぶんもう……」

「くそっ!」


 壁を叩いて、苛立ちを現すゴースンさん。このままでは作業員の命が大勢失われてしまう。

 いや、すでに騎士たちも命を落としただろう。

 それがわかっているから――


「とりあえず怪我人をこの詰所前に集めてください。逃げられない人は片っ端からボクが治します。それと……エイル、何とか時間を稼いで貰えるか?」

「わかった、やってみる」


 たった一人で災獣の足止めとか、ご主人も無茶なことを言っている自覚はあるんだろう。

 その表情は泣きそうなまでに崩れている。

 でも、竜化した手足を持つわたしの能力なら、なんとかなるかもしれない。そんな考えがあったのだと思う。


 グランドヘッジホッグに近接攻撃はできない。わたしは、近場にあったナイフや鉈、手斧なんかを掻き集めて、表に飛び出した。



 そこはすでに修羅場だった。

 崩れ落ちた小屋、散乱した木材、泣き叫ぶ大人たち、そして、散らばった……人間だったモノ。

 伐採場の外れに到達したグランドヘッジホッグは、その猛威を存分に発揮していた。

 わたしはその酸鼻極まる光景に、足が竦んで身動きが取れなくなった。


「……あぁ……」


 喘ぐ様な溜め息しか出て来ない。あれを一人で? 絶対無理だ、今すぐ逃げ出したい。

 そんな視界の中で一人だけ、意気軒昂な姿が目に入った。ケビンだ。

 力量差を把握していないのか、単にバカなのか――彼は大斧を振りかざし、一人突撃を掛けていく。


「ハッ、でかいだけの鼠なんざ、俺の敵じゃねぇ!」

「ケビン様、どうか戻ってください!?」

「うっせぇ! てめぇらはすっこんでろ、『命令』だ!」


 引きとめようとする奴隷たちに『命令』を下し、攻撃を仕掛ける。

 奴隷は『命令』に反する行動を取ることはできない。取ろうとすれば、首輪から死にも等しい苦痛を与えられるから。

 ケビンの『すっこんでろ』という曖昧な『命令』は、それでも効果を発揮したのか、奴隷たちは声もあげられなくなっていた。


「おい、馬鹿な真似はよせ!」

「臆病者の素人は口出すな! 手前ぇらに舐められたままじゃ、この先やってけねぇんだよ!」


 彼は、制止したご主人の声を無視し、奴隷を置いて、ただ一人で突撃した。


「うおぉぉぉ、死ねええぇぇぇ!」


 絶叫と共にグランドヘッジホッグの頭部に斬りかかる。

 そこは唯一毛針に覆われてはいないが、十五メートルを超える体躯の為、その位置は高い。

 だから彼は大きく飛び上がり――串刺しにされた。


「あ、ぎ……ゃああぁぁぁぁぁぁぁ!?」


 グランドヘッジホッグは首周りの毛針の向きを操作し、顔面の前に持ってきたのだ。

 刺さった位置は左腕と右足、それと右脇腹。

 そして、その毛針の位置をゆっくりと元に戻す。それは突き刺さった彼の身体を引き裂く事になる。


「やめ!? ひぁっ、たすけ……ぎゃあああぁぁぁぁぁ!」


 ブチブチと肉の裂ける音。それは奇しくもわたしと同じ右足と左腕のちぎれる音。

 手足がちぎれ、ずるりと腹に刺さった毛も抜ける。

 ぼとりと、ケビンはグランドヘッジホッグの足元に転げ落ちた。

 気絶しているのか身動き一つしない。だが手足から噴き出す大量の出血が、彼の生存を知らせてくる。


「くそ、言わんこっちゃ無い……」


 歯軋りするかの様なご主人の声。治癒術師としては、怪我人を見捨てられないのだろう。

 彼は視線を災獣から外さず、わたしに尋ねてくる。


「エイル、アイツを回収できるか? 生きてさえいればいい」

「……あ、はぃ」

「無理だったらそう言ってくれ。あんなの、相手にできる方がおかしいんだから」

「大丈、夫」


 まだ歯の根が合わない。足も震えている。でも――


「い、行きます!」


 わたしはご主人の奴隷だ。

 ご主人がここから動けないなら、この場で護りきってみせる!



 左目を覆っていた包帯を毟り取り、右足で地面を蹴って一気に懐へ。

 グランドヘッジホッグはその速さに対応できなかった。運よく懐にもぐりこめたわたしは、ケビンを掴みあげて、ご主人の横にいたゴースンさんめがけて投げつけた。

 これで、たとえゴースンさんが怪我をしても、ご主人が治してくれる。そう見込んでのこと。

 優しく運ぶなんて暇は……もちろん無い。


「――っ!?」


 投げ返したほんの一瞬の隙に、グランドヘッジホッグは毛針を突き立ててくる。

 投げつけたせいで体勢の崩れたわたしは、とっさに右足の鉤爪で毛針を掴み、それを足場に距離を取る。


「よくやったエイル! 後は任せろ。手が届くなら……死体だって生き返らせてみせる!」

「おい、坊主、マジで逃げないのか!?」

「怪我人を前に逃げただなんて、死んだ父さんたちに叱られる!」


 視線をご主人戻すと、ゴースンさんが受け止めたケビンの止血に入っている。

 その他にも、方々から怪我人が次々と運ばれてきている。


「後はわたしが時間を稼げば、あの人たちは、助かる」


 こんな戦場のど真ん中で医療行為だなんて、ご主人は根っからの施療師だ。

 両親の教育の賜物かな? 本当に迷惑な。

 でも、そんな危なっかしい姿が、少し誇らしい。彼のせいでわたしも逃げられないのだとしても、だ。

 ならば、その奴隷のわたしは、彼に攻撃が行かないようにするのが仕事。

 

「こっち来い! お前の相手はわたしだ!」


 その鼻面に持ってきた鉈を投げつける。

 竜化した腕での投擲は、表皮を突き破り骨まで削り取る。


「ガアアアァァァァァァ!!」


 完全に舐め切っていたグランドヘッジホッグはその苦痛に苛立ちの声を上げる。

 多少は痛手を負わせられた。そうか、近接は無理でも射撃なら当てれるかも?

 異空庫から黒水晶でできた弓を取り出す。邪神の神殿で見つけた弓……コレが引ければ、あるいは――


「――くっ!」


 一緒に置いてあった鉄製の矢をつがえ、全力で引いてみるがピクリとも動かない。

 人のままの右腕が非力すぎるせいだ。


「このぉ!」


 苛立ち紛れに弓を仕舞って、残った矢を槍投げの要領で投げつける。

 多少は刺さるが、やはり有効打にならない。わたしはすぐさま大剣を引き抜き、構えを取る。

 ダメージが与えられないなら、魔術師が来るまで粘るまでだ。

 グランドヘッジホッグはわたしの踏み込みに反応出来なかった。その隙を突ければ、この剣で致命傷を与える事も?


「……やってやる」


 体勢を下げ、最大速度で踏み込む準備をした時、額の角が異様な魔力の流れを感知。

 今までの針を尖らせる魔力とは違う?

 一瞬の疑惑が驚愕に変わる。

 グランドヘッジホッグは今までどおり毛針を尖らせ――それを飛ばして来たからだ。


「う、わあぁぁぁぁ!?」


 咄嗟に剣を振り、槍の様な毛針を弾く。

 まるで矢の様に降り注ぐ毛針。身体に命中するのは四本。

 その動きを左目はしっかりと捉えていた。

 左目の動体視力の良さが発揮されると同時に、脳の処理能力も加速されるのか、通常ならなす術も無く貫かれる速さにも反応出来ていた。

 ――ただし、三本までなら。


 弾く、逸らす、そして斬り払う。

 同時に発射されたそれ等を、三つまでは捌く事ができた。

 だけど四つめは――


「間に、合わないっ!?」


 同時に打ち出された物を三つ弾けただけでも、大した物だと思う。

 だけど全部躱せないなら、意味は無い。

 切り返す速さが足りない。剣の質量が、慣性が、邪魔になる!


 ――なら、捨ててしまえっ!


 思い切って大剣から手を離し、竜爪で最後の一本を斬り払う。

 ついでに右に持っていた短剣を左に持ち替え、グランドヘッジホッグの頭めがけて投げつけるが、これは毛針に防がれた。

 徒手空拳になったので、異空庫から代わりの剣を取り出す。今度は二本一対のショートソード。

 大剣を出したところで近付けないなら、速さで粘る。そう考えて選択した。


 ――それでも……わたしの体力が持つかどうか、際どい。


 一応右手にもショートソードは持っているが、こっちの腕は人間相応の速さしか出せない。

 あの毛針の一斉射撃には対応できないだろう。

 さっきの四本でも精一杯だったのに、運悪く五本も六本も当るようなら、次こそ回避できない。


「長引けば、不利……なら打って出るしかないんだけど」


 周辺を見渡して、得物になりそうなものは無いか物色する。

 崩れた小屋、人だった肉塊、散らばった木材に伐採用の斧。

 あの斧を投げつけて……ダメだ、気休めにしかならない。なら、なにか――


 その時、ふと、脳裏に閃いた物がある。

 ご主人との魔道具製造の修行中に習った知識。

 ご主人も魔道具は専門じゃないけど、知識は持っていた。その時に教わったことを思い出す。


 魔法陣を組み込む上で重要になる要素。すなわち、面積と素材価値。

 高度な素材でなければ多くの魔力を取り込めない。面積が大きくなければ複雑精緻な魔法陣を書き込めない。

 もちろん例外は存在するけど、魔道具を作る上で必要なのは、この二つと言われている。


 目の前のグランドヘッジホッグを睨み据える。

 お互いを敵と看做みなしたおかげで、他の被害は出ていないけど、この場を離れるとまた他の人を襲いだすはず。

 あるいはご主人目掛けて突き進むかもしれない。


 そもそも、できるのか?

 考えは正しいのか?

 そして……間に合うのか?


 疑問の種は尽きないが、わたしが死ねばご主人は確実に死ぬ。

 ご主人は怪我人がいる限り、その場を離れないだろうし、そもそも彼の体力では逃げ切れないと思う。

 ならば、体力の残っている今のうちに、打てる手を打っておかないと。


 わたしは意を決して、その場から駆け出した。

 目指すは詰所の向こう。グランドヘッジホッグの視界から外れる場所へ。

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