第6話 ロード・オブ・ウェポン(6)

 短剣を手にしたテオフィルが、忌々しげに部下の傷をえぐり、肉を削っている。屋敷の玄関が血の生臭さで充ちる。だが、悲鳴をあげる情けない部下など、ひとりもいない。

 数ある魔剣のなかで、毒刃はもっとも侮蔑されている。宿敵を討ち取る最後の一閃を、おのれの振り抜く刃ではなく、刃に隠された魔性にまかせるからだ。

 ウリヤスとともに玄関に入ってきた医術師に、傷をえぐった部下の手当をまかせ、テオフィルは、鞘に納めた鉄剣に手を添え、ヒルトゥラ家当主のひとり息子の脇に立った。この毒刃を振るう異邦人から、主人の子息を守らなければならない。

 若さに似合わず、ウリヤスは腰のうしろに手を重ね、サジワンの長身を見上げている。異邦人は、剣を外套のなかに隠しているが、抜いたままだ。

 まっすぐに見上げてくる少年にサジワンは答えた。

「俺はサジワン。ティアトロコープの魔剣士サジワンだ。棄滅都市オルアベスで見届けた双子の剣士から、その父への遺言を頼まれてここに来た」

「オルアベス? 遠くからご苦労だな。用件は当主にかわって私が聞こう。言っておくがお前は騒ぎすぎた。さっさと言え、そして出ていけ」

 ウリヤスは、神梯都市で生活する自分の身分の高さと、棄滅都市に流れ着いた異邦人の身分の低さをよく知っているようだ。

 実に堂々として、さげすむのではなく、あたりまえのようにサジワンに命じた。

 サジワンは気にせず首を振った。この少年には尊大になる資格と素質がある。だからといって、したがう理由はなかった。

「断る。双子は父親に遺言をのこした。剣士の頼みだ。本人に伝える」

「であれば言うが、その双子なら、父の嫡子ではない。正しく言えば、あのふたりに父などおらんのだ。ヒルトゥラ家に息子は私ひとりだけだ。まったく、あの私生児どもめ。いい迷惑だ」

 目をそらさず、忌々しげにウリヤスが漏らす。いまの玄関の惨状と、双子の知らせと、この眼の前に立つ異邦人を、こころの底から疎んでいるのだ。

「あの双子の母親は誰も知らん。昔から屋敷で、召使いとして働かせていた。だが、父の血筋のせいか、魔剣の才能があった。そこで取り立ててやり、聖剣の見張りを任せてやったのだ。それがどうだ、血が優れようと生まれが卑しい――」

「小僧、父親はどこにいる。あのふたりの生まれなんて俺にはどうでもいい」

 サジワンがさえぎった。

「あのふたりはいい剣士だった。自分より強い敵といつ戦っても、悔いなんてないように技を磨き上げていた。でなきゃあ、あの決闘はできない。魔剣のちからなんて頼らず、ただ鍛えた血と肉と技に命を懸けたんだ。勝って生きるためですらない、わかるか小僧、生まれだとか生き方だとか、そんなものからいちばん遠いところで、あの双子は運命を決した。その遺言を受け取ったからには、俺も命がけで守らなくちゃならん」

 異邦人のしずかな、だが、重くたしかな口調に、ウリヤスは首を振った。

 どうやら、双子が聖剣を持ち去ったという噂話で小遣いを稼ぎに来たわけではないようだ。

「……父はいま、神梯都市にはいない。お前がベレンスレブについて知っていることを教えろ。それがわかったらこちらも教えよう」

「ベレンスレブは決闘の胴元が持っている。オルアベスのアヴィドという金貸しだ。あいつは金を稼ぐためならどんな汚いことでもやるし、神のはしごの威光なんて信じちゃいない。天吏の賜り物だと、もう知っている。買い戻すなら早くするんだな」

「聖剣を金貸しに渡したのか? なんということを……」

「オルアベスの夜、剣士たちが果し合いをするには、仕切りがいる。高い金を払って一帯を封鎖して、街の剣士たちに手出し無用の通告と警備をする。その見返りに、決闘賭博の胴元になる。決闘の証として、死んだ剣士の剣も巻き上げられる。双子は相討ちだった」

 ウリヤスが顔をしかめた。

「そしてお前らも金を稼ぐわけだ。使命も持たずに鍛えた技をいたずらに振るい、誰かを殺して、薄汚い街のなかでおのれの強さにひたるのだろう」

「そんなやつもいるな。だがすぐ死ぬ。小僧、お前も剣の腕が上がったらわかる。……知っていることは話した。当主はどこにいる」

「棄滅都市オルアベスだ。お前らの巣だ。今日の朝か、部下を連れてこの家を出立した。入れ違いで残念だったな」

「わかった。邪魔したな」

 サジワンはウリヤスに背を向け、玄関から屋敷を出た。

 頭巾をかぶって顔を隠し、神梯都市のととのった街並みのすみを足早に進む。

 神梯都市から棄滅都市まで、街道を駅馬車で乗り継いで、四日はかかる。いますぐ馬車に乗れば、まだ充分に追いつく。

 だが、魔剣ベレンスレブを取り巻く、すべてがおかしい。

 双子の決闘の翌朝には、オルアベスの司祭が、聖剣にまつわる説話の記載を修正していた。都市国家に配布されることを考えれば、内容はもっと前から決まっていたことになる。

 ヒルトゥラ家の当主もオルアベスに向かっているという。たしかに神梯の奇跡を処分するなら棄滅都市がまず思いつくだろう。大陸の魔剣がつどう街だからだ。

 教会、ひいてはヒルトゥラ家が聖剣の行方を知りたがっているのは明らかだ。

 つまり、双子はベレンスレブを持って教会と当主から逃げたことは事実だ。

 この事実を隠すためだけに、説話の修正をすることは考えられない。奇跡の解釈に神学者たちが研究と討論を重ね、たった一行の記載のために何十年もかかることもある。

 説話の管理と修正は、教会だけが神々のはしごの意味を掌握していることを証明する学問として、重大な意味を持つのだ。聖典に誤りがあってはならない。

 住宅地を通り抜け、エドレステアの出口の大門に立つと、すでに夕方になっていた。

 サジワンは夜の道を行く四人乗りの街道馬車を捕まえ、銀貨を握らせる。顔を見せないサジワンを、上品な格好の御者は乗せたがらなかった。

「駄目だ、あんたみたいなうさんくさい旅人を夜に乗せる馬車なんてないよ。わかっているだろう。朝で信用のできる同乗者がいるんなら別だがね」

「頼む。金が足りないのか? まだ払える。途中の駅でおろしてくれてもいい」

 サジワンは頭巾を脱がなかった。異邦人だと知られれば、さらに悪い状況になるだろう。

「その馬車に私も乗ろう。それで出発できるのではないか?」

 サジワンと御者に話しかけたのは、ヒルトゥラ家の剣士たちをまとめていたテオフィルだ。旅装に着替え、腰に鉄剣を吊るしている。

 外套に刻まれた刺繍とテオフィルの顔を見て、御者はうなずいた。

「あんた……ああ、ヒルトゥラの、テオフィル様! これはありがたい。あなたに乗ってもらえるなら誰を乗せても、何が来ても夜道は安全ですな。ぜひお願いします。ほら、あんたも、あと銀貨二枚で乗せてやるよ。はやく支度をするんだ」

 サジワンは御者に銀貨を渡し、自分の荷物を肩にかつぐと、テオフィルと目を合わせた。

「どういうつもりだ。知っていることはすべて話した。俺はオルアベスで、あんたの当主に双子の遺言を伝える、それだけだ」

「ぼっちゃんの命で私は旦那様の手助けに向かうだけだ。お前の言う双子とも縁がある。この件に無関係ではない」

「神梯の剣士様は苦労が耐えないな。あの双子は、屋敷にいた剣士なんぞ相手にならない使い手だった。俺はな、生まれだとか才能だとかで他人を見下す野郎どもが大嫌いなんだよ。お前もそのひとりだ」

「光栄だな。あのふたりの剣の師は私だ」

 サジワンはこたえなかった。馬車に向かって歩き出す。

 テオフィルがとなりに並ぶ。

「あのふたりは幼いころから剣を握ることは許されなかった。奉公の合間に、家の裏庭で見様見真似の訓練をしていた。誰が見てもわかる才能を持ち、生まれさえ正しければ、偉大な剣士として讃えられただろう」

 サジワンとテオフィルは馬車の前で足を止めて、乗り込んだ。屋根も壁もなく、荷台に粗末な椅子があるだけだ。

「剣を教えたのは、ほんの気まぐれだった。丁寧に教える時間はなかったが、兄弟で教えをよく考え練習した。優れた弟子だった」

 馬車が走り出す。このまま夜通しで街道を行くわけではない。途中の馬車駅をいくつか過ぎて、夜中には野営するのだ。

 揺れる座席の上で、テオフィルが話をつづける。

「あのふたりに何があってベレンスレブを持ち出したのかは、私も知らない。貴様の話に嘘はないのだろう。旦那様に聞かなければならないことがある」

「あの双子、魔剣の使い方は知っていたのか?」

 テオフィルの腰に吊るされた鉄剣を見ながら、サジワンが聞いた。

「ああ。なんの魔剣を渡しても、触れただけで使い方を心得ていた。それどころか、魔剣の真の力を引き出すことすらできた。あらゆる魔剣を使役した伝説、魔剣の君主、ロード・オブ・ウェポンとはああいう才能を言うのだろう」

 サジワンは答えなかった。双子は魔剣のちからを使わずに、おのれの運命を決したのだ。

 ――ロード・オブ・ウェポンか……。

 テオフィルの言う通りなら、あの双子はベレンスレブに触れ、何を感じたのだろう。サジワンと同じことを感じ、そしてあの堂々とした決闘をしたのであれば、あの双子はただの人間ではないのかもしれない。

 魔剣ベレンスレブは使い手のこころを侵す、破壊の魔剣だからだ。実に巧妙に呪術がかけられ、おのれの使命を正当化し、殺害と破壊をうながし、剣身に帯びた破壊の魔術で敵勢を粉砕する兵器だ。

 まさに神々のはしごの天吏が、伝導師に授け、異教徒と蛮族どもを打ち砕くにふさわしい魔剣だ。

 ただの剣として握ればこころを侵されることはない。

 だが、わずかでも魔剣のちからを引き出そうとすれば、こころの弱いものはたちどころに、勇猛な神々の使徒となり、信仰のために暴虐の限りを尽くすのだ。

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