第2話 ロード・オブ・ウェポン(2)
冬の朝は寒い。
サジワンは目を覚ますと、すぐに寝台から置きて服を着替えた。鏡の前で長くのばした黒髪の寝癖を直す。ひげは短くうすい。いくら放っておいても長くならない。父親のように精悍なひげは生えないのかもしれない。
長い黒髪をうなじで結い、サジワンは鏡の中から自分の部屋を見回した。せまく古い部屋だ。お気に入りだ。家具は最初から置かれていたものをつかえばよかったし、なにより家賃がない。
せまい部屋のすみに置かれた、かたくきしむ寝台には、毛の抜け落ちたうすっぺらい毛布とつぶれた枕が置いてある。サジワンは鏡に背を向けて、すぐに毛布をはたいて寝台にかけ直し、枕をたたいて空気を入れてふくらませて置き直す。
着替えて寝癖を直して寝台をととのえる。わずかな時間で済ませる、毎朝の習慣だ。清々しい一日は規則正しい朝の早起きからはじまるのだ、と昔から叩き込まれている。
サジワンは部屋のすみに立て掛けておいた、ふたふりの魔剣に手を伸ばした。昨晩、決闘を見届けた剣士たちが持っていた剣だ。家に帰ってからふたたび血を拭い、手入れをしておいたのだ。
両方を鞘から抜いて、刃を見つめる。意匠はちがうが、おなじ鉄床で打たれたのだろう。業物だ。幾重にも魔術がかけられ、魔物や亡霊、あるいは呪術にすらその刃が届くだろう。
朝食を済ませたら、金貸しのアヴィドのもとへ、この剣を持っていかなくてはならない。あの金貸しにはこの剣の価値がわからない。なのに渡さなくてはいけないことが気に入らない。
部屋の扉が叩かれた。向こうから声が聞こえてくる。
「起きてるかい。朝食だよ。冷めるからはやく食べてくれ」
「いま行く」
持っていた剣を鞘に納め、魔剣をふたふりとも持って、サジワンは扉を開けた。起こしに来た相手の後ろすがたが、廊下の先の食堂に入っていくのが見えた。
サジワンも食堂に入る。冬のあわい陽の光が部屋のなかを照らし、暖炉が燃えている。あたたかい。置かれた食卓は十人が座れる大きさだ。ふたり分の料理が向かい合って置かれている。
サジワンが席について見下ろした料理は、野菜を煮込んだ色のうすいスープとサラダとチーズだ。味はうまいとよく知っている。数日はこのスープしか食べていない。
サジワンは袖をまくりながらぼやいた。
「作りおきがやっと片付いたな。うまくできたけど、ちょっと作りすぎた」
「しばらくは楽できたじゃないか。でも、もうパンもパスタもないから、出かける用事があるなら買ってきてほしいな」
サジワンの正面に座っているのは家ゴブリンの少年バガンだ。サジワンより年下だ。何歳かは知らない。いろいろあって一緒に住んでいる。
家ゴブリンは、ひとのこどもくらいの背丈しかない妖精だ。祖先はもっとちいさく、ひとの家にひとりで住み込んで、家事を手伝い、そのささやかな礼にコップ一杯のミルクとか、ひときれのパンとかをもらって生きてたらしい。
いまの家ゴブリンは、あまり見かける種族ではない。誰かの家に奉公してなければ、教会に奉仕して生きている。ほかは、あまりひとと生き方は変わらない。
サジワンとバガンは、神に祈りをささげると、食事をはじめた。
おたがいの顔も見ずに、チーズをかじり、スープをすすりながら街の噂話をする。オルアベスの剣士たちの話から、隣接する別の都市の事件など毎日退屈はしない。
バガンがスープの芋を木匙で割りながらしゃべる。
「知ってるかい、神梯都市に神吏が降りてきた。司祭たちは大騒ぎさ。最近のお祈りがたるんでるって説教されてるんだって」
「聞いた。金勘定しかしてないからな。あいつら全員、地獄に落ちるだろう。それより、北八番通りと東三番通りの角に果物売りの荷車が来てる。市場の裏だ。そこの売り子の女の胸がデカい。あとで見に行ったほうがいいぞ」
バガンの木匙を持つ手が止まり、スープがこぼれた。スープ皿のなかに広がる波紋を見ながらため息をつく。
「ぼくは、その、いいよ。だいたいなあ、女性をそういう目で見るのは失礼だぞ」
「聞けよ。見たのは昨日の昼だったな。市場の裏だから客が来ない。商工会に許可を取ってないんだろ。その女、わざわざ胸元が開いた服を着てる。ありゃあ、わかっててやってる。いや、ほんとうにデカいんだ。行ったほうがいい」
チーズのかけらを口に入れて、サジワンは朝食を終えた。バガンもひとくち遅れて食べ終える。
朝食の片付けをはじめるバガンに、サジワンはアヴィドのところへ行くと伝えた。
「ふうん。そのふたり、強かったのかい?」
「いい腕だったし剣も業物だ。ふたりともこの街で眠るには惜しかった。見るか?」
足元の剣をひとふり、鞘ごとバガンに渡す。片手でも両手でもあつかえる柄の長い剣だが、バガンには長剣だ。
鞘からわずかに抜いて刃を眺めると、バガンが驚いた顔をする。
「すごいじゃないか。いくつ魔術がかかってるのかわからないよ。決闘も派手だったろう。市場の半分は吹き飛んだんじゃないかな」
「いや、魔剣のちからは使わなかった。おたがいに一撃で、相討ちだ」
「まっとうな剣士だったんだな。だったら、アヴィドに渡すなんて……」
「あの決闘を仕切ったのはアヴィドだ。これはあいつの取り分だ」
バガンもわかっている。無言で剣をサジワンに返す。剣士たちが眠るこの街には、仕切り役とその見返りが必要だ。
サジワンは部屋に戻り、外出の用意を終えて剣を抱えると、すぐに玄関口に立った。家の奥に向かって大声を上げる。
「バガン! いいか、北八番と東三番の角だぞ。そこの果物売の女だ! 忘れるなよ!」
「わかったよ! いいから行けったら! パンとパスタ、忘れるなよ!」
返ってきたバガンの大声に笑って、サジワンは家の外に出た。
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