剣鬼と剣魔が眠る街
しーさん
第1話 ロード・オブ・ウェポン(1)
棄滅都市オルアベスの夜に闇はない。
砕けた月の残骸が夜空に残り、星々よりもきらめいて、街の暗がりを照らしているからだ。
だからといって、月影のなかを好んで出歩こうとする者など、この街にはいない。もしなんの準備もなく夜中に家の外へ出るというなら、壁の影に隠れ、誰にも見られず、月明かりからも逃れなくてはならない。
もし何者かにすがたを見られれば、たちどころに、月光で輝く斬光に首を刎ねられると、誰もが知っている。
この街の夜を歩むものは、相手が誰であろうと、自分よりはるかに強大な敵であろうと、月明かりのもとに、死力を尽くして、おのれの技を信じて戦う剣士だけだからだ。
いま、オルアベスの市場のすみに、三人の人影が月光にさらされて立っていた。日中にぎわっていた活気もなく、はるかな昔に棄てられて、忘れられたかのように静かだ。
三人ともはなれ、ふたりが剣を抜いて向き合っている。冬をむかえた夜天の下で、白い吐息を漏らすばかりで、無言だ。
剣士たちの決闘だ。剣を抜いていないひとりは、外套をまとい、頭巾をかぶり、ふたりを横から見ている。決闘の見届人だ。
剣士たちが身構え、にらみ合う時間は長かった。構えた剣の間合いに、たがいに踏み込んでいたからだ。わずかな隙を見せれば、宿敵の一閃がまたたく間もなく、おのれの首を叩き落とすだろう。
いつまでつづくかわからないにらみ合いのさなか、砕けた月のかけらが夜空で揺れて、ひとすじの月光がオルアベスの街をなぞった。
そのまばゆい軌跡が、ふたりの剣士の間を横切ろうとした瞬間、ふたつの斬光が、交錯した。
月明かりが街を薙いだ、そのわずか一瞬で、ふたりの剣士は背中合わせに位置を入れ替えて、勝負は決着していた。
ひとりの剣士の首がすべり落ちて市場の石畳にころがり、すぐに身体が倒れた。
宿敵を斃した剣士は、その物音で剣を鞘に納めると、振り返りもできず、その場に尻をついて、夜空を見上げた。
晴れわたって、星々がまたたく美しい冬の夜空だ。砕けた月には背を向けていて、見えなかった。もう、振り返ることもできなかった。
決闘で疲れ果てたのか、身動きもせずに夜空を見上げる剣士に、見届人が近づいた。
「ティアトロコープの魔剣士サジワンが、この決闘、たしかに見届けた。見事だ」
頭巾を脱いで告げたのは、黒く長い髪をうなじで結った若者だった。瞳が見えないほど目が細く、背は高い。オルアベスではほとんど見かけない、大陸の果てから来た異邦人だ。
「首は、落ちているか」
空を見上げたまま、剣士がかすれた声をしぼり出す。口のはしから、ひとすじの血が垂れる。石畳についている尻から黒い影が広がる。この剣士の血だ。
月明かりで赤黒く照らされる鮮血を気にもせず、サジワンはうなずいた。
「待っていろ。見てこよう」
石畳を踏んで、サジワンは死骸にちかづいた。首は離れたところにころがっている。髪を掴んで持ち上げ、眠たげに開かれているひとみを閉じてやる。サジワンと年のちかい若者だった。
磨き上げた鏡面のように見事な切り口だ。身体に合わせれば、また動くような気すらする。
首を見たい、とは言われなかったが、サジワンは生き残った剣士の元に首を持って帰った。
「首はきれいに落ちていた。いい腕だ。言い残すことはあるか?」
剣士は星空を見上げたまま、こたえない。ひろがる鮮血がサジワンの革靴を汚している。ひとみはもううつろだった。
「……ある。父に、我々は勇敢だったと、誇りを守ったと……」
剣士がつぶやいた声は、かすれて、最後まで言えなかった。わずかな息が乱れて、肩が震えている。寒いのだろう。手当をしても、もう助からない。首を落とされた剣士も、互角の腕前だったのだ。
サジワンは首を剣士の脇に置いて、声をかけた。
「……月を砕いた魔剣士の話を知ってるか? 月からたった三人で地上にやってきて、悪い帝国に挑んだらしい。おとぎ話だ」
剣士はもうこたえない。だが聞こえているようだ。震える身体が、わずかに揺れた。
サジワンは話をつづけた。
月の魔剣士たちの戦いは激しく、ふたりが死んだ。だが、帝国は滅びた。山岳が崩され、大地は削られ、いくつもの島が海に沈んだという。
最後の生き残りが月に帰ろうと夜空に昇ると、出迎えたのは仲間の魔剣士たちが抜いた無数の剣だった。
「なぜかはわからない。おとぎ話だからな」
月の魔剣士はそのまま仲間たちに斬りかかって、ついに月までたどり着いた。自分のあるじの宮殿と、建っていた山脈を砕いて、復讐を遂げたという。
「あの月のかけらが、その戦いの名残だ」
話しているあいだに、剣士の震えと息がおだやかになっていた。もう、話が聞こえているのかもわからない。
「本当かって疑うだろうな。俺の親父から聞いた話だ。だから本当だ」
剣士の身体がかすかに揺れた。返事だったのかはわからない。
話が終わり、サジワンは剣士の横顔をしばらく見つめていたが、手を伸ばして、開いたひとみを閉じてやった。身体も石畳の上に寝かせてやる。剣士は目を閉じたきり、もう開かなかった。
サジワンは、ふたりの剣を拾い、丁寧に血を拭ってから鞘に収め、肩にかついだ。死骸は残していく。この街がむさぼり、明日の朝には、わずかな跡も残っていないだろう。
今夜この決闘があったことは、見届人だけが知っているのだ。
サジワンは頭巾をかぶり、白いひといきをついて、冬の夜に耳を澄ませた。
今夜は静かだ。風の音に混じって、遠くから剣の打ち合う、澄んだ美しい音がかすかに聞こえるだけだ。
ふたふりの剣をかつぎなおし、サジワンは市場に背を向けた。
ふたりの剣士の死骸が残され、月明かりに冷たく照らされている顔は、まったくおなじだ。双子の頭はならべられ、顔は眠っているかのようにおだやかだ。
この闇のない街では、毎夜のことだ。
剣士たちが技と血と肉と命をかけて戦い、路上や橋の下、壁のくらがりで倒れては誰にも知られずに消え去っていく。
敗れた剣士たちがどこへ行くのかは知られていない。闇が喰うのだとも、夜がさらっていくのだとも言われている。たしかなことは誰も知らず、剣士たちはこの街でおだやかな眠りについたのだと、まことしやかにささやかれている。
いつからか、おびただしい剣士たちが争い、夜に去っていくこのオルアベスは、剣鬼と剣魔が眠る街と呼ばれていた。
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