第19話 崩壊
「うそだ」
うそだ。
「うそだ」
こんなの……うそだ。
こんな所に魔王様が居るわけがない。魔王様は安全な魔王城に今も居るはずで……こんな所に居る訳なんてなくて……。
「まおう……さま」
だから、これは夢だ。幻だ。
違う、違うと心の中で何度も否定する。
しかし――間違いないと認識する。これは夢でも、幻でもない。眼前にあるものが真実なのだと頭のどこかですでに理解している。
しかし、それでも違うと信じたい。これは夢か何かに違いないと現実を受け止めきれない弱い俺も同時に存在するのだ。
こんなのはうそだ。あり得ない。あっては――いけない。
しかし、何度目の前の光景を否定して見せても――目の前に広がる答えが姿を変えることはない。
魔王様を刺し貫く黒魔術師ヴァレンの腕。
それが幻影となって消えてくれない。これほど幻であってほしいと願っているのに――
「ふっ」
「ごふっ」
まるでそれが当然だとでもいうような動きで黒魔術師ヴァレンは魔王様を刺し貫いていた腕を引き抜く。
そして血濡れの体をそのままに、腰を抜かす勇者へと手を貸していた。
ゆっくりと、しかし確実にその現実を認識し始める。
そして無意識のうちに足が前へと進む。魔王様の元へと。
「シュリンガー……」
「まお……さま……」
なぜ、そんなに悲しそうな顔をしているのか。
なぜ、泣いていらっしゃるのか。
なぜ、痛いはずなのにそんなに優し気な瞳を見せるのか。
「――すまない」
「――ッ」
たった……一言。
その一言だけを残し――魔王様は瞳を閉じた。
「魔王様?」
崩れゆく魔王様の体を受け止める。
その体を揺さぶる。
幾度も、幾度も、幾度も揺さぶる。
しかし、魔王様は目覚めない。
目覚めてくれない。
あれほどあたたかなお言葉の数々をかけてくださった魔王様。
いつの日か、その大きくあたたかな手で俺の頭を撫でてくれた大きな手。
それらはもう、失われてしまった。
失われて……しまったのだ。
「くっ……ああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
やり場のない体の中の何かを拳にのせて地面にたたきつける。
何度も、何度も、たたきつける。
「なにがっ――」
なにが……『すまない』なのですか!?
それはこちらのセリフでしょう!?
これまで幾度も面倒をかけ、挙句の果てにこうしてあなたを死なせてしまったっ!
「なぜ来たのですか!! あなたは俺たちの長でしょう!? なぜこんな危険な場所へ単身くるのですか!? よもや俺の為などと仰いませんよね!?」
血も繋がっていない。それどころか種族も違う。回りから忌み嫌われる自分。
そんな自分の為に命を落としたのだというなら――
「俺は……どう詫びれば良いというのですか!!」
問いかける。
もう答えてくれない。それが分かっていながらも問いかけるのを止められない。
なぜ、どうして、なぜ――様々なそれらが頭に次々と浮かんでくる。
ただ、やり場のない想いを拳に乗せ、地面へと叩きつけ続ける。
拳が傷ついても構わない。いや、むしろ自分が許せないからこそ、こうして自身を傷つけるためにこうして無駄なことをしているのかもしれない。
「ひひっ、シネ」
そんな俺の耳に――雑音が入る。
「は、ははっ。アッハハハハハハハハハハハハハ! ざまぁみろ!! 死にぞこないの魔人がぁ!! シネシネシネシネシネシネシネェェェ!! 魔人は惨めに、凄惨に、滑稽に死ねばいいんだよぉ!! そう、そうだよ!! 死ねよシュリンガァァァ! そうすれば魔王と地獄で再会出来るかもしれないぞ? アハッ、アッハハハハハハハハハハハハハ!! 痛快っ、愉快っ、絶好調だぁ!! よくやったぞぉヴァレン! さすがは僕の道具だ!!」
「ふふっ」
化け物が……居た。
そこには二対の化け物が居た。
人の姿をした化け物が居た。
死者を悼み、悲しむものをあざ笑い、死者を冒涜する化け物。
勇者と黒魔術師という化け物が魔王様の死を前に、ニヤニヤと笑みを浮かべていた。
「魔王様っ!? クソがぁぁぁぁぁ!! てんめぇえええええ!」
「魔王さんが……そんな……。勇者様、なぜこんなひどいことを……」
後ろに居たダラムとカルシアの方に居た死者も動きを止めたのか、二人は遅れて来てその惨状を目にする。
そうしてダラムはこの惨劇を作った化け物へととびかかる。
「さーてさてさて、波乱もあったが第二幕だ! やれ、ヴァレン」
「イエス、マスター♪」
そうして踊るように小さい方の化け物はその手を動かす。
この地獄のような惨状で、化け物は踊る。
「うぅっ――」
それと同時に俺の手の中にある大切な物が動き出す。
抱きしめていた魔王様がその肩を震わせる。
黒魔術師ヴァレンの能力。それは死者を冒涜する死霊術。
そのヴァレンが今、操る死者は誰なのか? 今、この場で最も効率よく操れる死者は誰なのか?
考えるまでもない答え。だからこそ、この先の展開が簡単に想像できる。
「やめろ」
そんな劣悪で、醜悪な展開。それを認めたくなくて、静止の言葉が口から出る。
「やめてくれ」
静止の言葉は懇願へと変わる。今だけはあの化け物相手に尊厳も誇りもなく、土下座だって出来そうだ。
もっとも、それで止まるような奴らではないのは知っている。それでも、懇願せずにはいられなかった。
そして――恐れていた現実が目の前に現れる。
「うぼぉぉああああああああああ!!!」
抱きしめ、腕の中に居た魔王様が凌辱され、おぞましい別の何かへと変わる。
その瞬間――俺の中にあった一本の張りつめた糸が――切れた。
「お前らに………………人の心はないのかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
俺はヴィネの魔剣で魔王様であった物を原型を留めなくなるまで斬る。
それと同時に自分の中の大切なものまでどんどん零れ落ちていく。そんな感傷を抱きながら腕を動かし続けた。
これは作業だ。そう自分に言い聞かせながら腕を動かし、俺は作業を続ける。
目の前が霞む。滲む。
涙が邪魔だ。正確に斬るのが困難になる。
そうしてやがて作業は――終わる。そして、
「ぐぁぁっ!」
その間にダラムまでもが化け物によって倒され、血を流してうずくまる。
――パチパチパチパチパチパチパチパチッ――
響く拍手の音。音の発生源は勇者からだった。
二対の化け物は場違いに拍手なぞしていた。
「さすがさすが! 血が繋がっていないとはいえ育ててくれた親をよくもそこまで斬り刻めるもんだよなぁ!! 良心が痛まないのかこの人でなしぃぃ!! アッハハハハハハハハハハハハハ!! そらそらどうした? 盛大な拍手でお前のその所業を祝ってやってるんだからその場で死肉を抱きしめ惨めに泣いてみろよ! おっと、抱きしめるほどの死肉なんてもう残ってないか。アッハハハハハハハハハハ!!」
「ふふふふふふふふふ」
俺が……間違っていた。
こいつらに情けをかけようと考えていたことが――ではない。
こいつらを人間として見ていた。それ自体が間違いだったんだ。
『壊せ――喰らえ――破壊――死――滅』
『浄化――滅殺――贄――滅――破砕』
どこかから誰かの声が聞こえる。
壊せと、殺せと、破壊しろと囁く声が聞こえる。
そうだ。こいつらは壊さなきゃ――
『滅――殺――死――殺――滅――死――』
『破壊――破壊――破壊――破壊――破壊――』
「そうだ……あいつらは魔王様の仇。そして――これ以上奪わせるものか――」
『破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊』
『滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅』
俺は――もはやそれが誰の声――誰の意思なのかも分からないけれど――その声を拒むのを――やめた。
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