After2 鋼鉄姫
カイエはサルビア公国の砦から五千人の帝国軍を、コーネリア帝国の帝都オルトワまで強制的に転移させた――今回のサルビア侵攻について、帝国側と話をつけるためだ。
「ラクシエル閣下……我が娘、オリビエの愚行について、心より深く御詫びします!」
オリビエの父親、コーネリア帝国皇帝エドバン・コーネリアにとって、サルビア侵攻など寝耳に水だった。
演習に向かった筈のオリビエの部隊が国境を越えて侵攻して来たと、サルビアから抗議の『
「全く。五千人も兵士を動かしたら、すぐにバレに決まってるでしょ……私たちの情報網を舐めないでよね」
オリビエの暴挙に最初に気づいたのはアリスで――今では世界中に張り巡らせた彼女の情報網によって、不審な動きはすぐに伝わって来るのだ。
人族と魔族の争いを終わらせるために、カイエたちは各国の内情と要人について、最新の情報を掴んでおり。オリビエはとうの昔にブラックリストに載っていた。
エドバンに確認するまでもなく、サルビア侵攻はオリビエの完全な独断だった。
純粋な人族の国であるコーネリア帝国に対して、サルビア公国は自由主義を謳い、魔族に対しても寛容な国だ。しかし、両国の関係は決して悪くはなく、魔王軍との戦いにおいても同盟国の関係にあった。
しかし、コーネリア帝国が魔王軍の侵攻を直接受けて、大きな被害を被ったのに対して。サルビア公国は国土の一部を焼かれた程度の比較的小さな被害で済んだ。この被害の差が憶測を招く――サルビアは魔族と通じているのではないかと。
無論、根拠のない噂に過ぎなかったが。魔王軍との戦いの後、サルビア公国の魔族が経済的に台頭してきた事が、噂に拍車を掛けた。
それでも、コーネリアとサルビアの関係が悪化する事はなく。被害の大きいコーネリアに対して、サルビアは資金と物資の援助を申し出たのだが――これがオリビエの目には欺瞞に映った。
サルビアは援助に対して見返りを求めており――国家間の援助に見返りを求めるのは当然なのだが。コーネリア帝国内の利権を幾つか要求し、その背景にはサルビアで台頭した魔族の勢力がいた。
サルビアの魔族たちは、コーネリア帝国の復興という
オリビエとて、サルビア侵攻が国益に反する事であり。自分の行動が正当化出来ない事は解っていたが。魔王軍との戦いで、帝国を守るために命を落とした兄ジャン・コーネリアの事を想い、行動を
オリビエにとってジャンは、強くて優しい英雄であり。軍人となったのも、兄の剣となるためだ。その強過ぎる想いが――オリビエの目を曇らせた。
そして、『鋼鉄姫』を心酔する部下たちも、彼女の想いが解っていたから。軍法会議に掛けられる覚悟で彼女に従ったのだ。
「まあ、誰も死ななかったし。今回は
「……承知しました。ラクシエル閣下の温情に、深く感謝します」
「あと、その呼び方だけどさ……聞いてて気持ち悪いから、閣下は止めろって」
皇帝の地位をかなぐり捨てて、カイエに頭を下げるエドバン・コーネリアの姿を、オリビエは憮然とした顔で眺めていた。
たとえ相手が『魔神』であろうと、君主が頭を下げるなど国そのものが平伏するに等しい――兄が命を掛けて守った帝国を、
オリビエの目に再び暗い殺意が宿るが――兄の仇に復讐するためには、今はカイエに従うしかないのだ。
かつて、中央大陸西部で猛威を振るった元魔王軍第十二師団の師団長、魔将ギャスレイ・バクストン。その居場所は愚か、生きている事すらオリビエは知らなかった。
「よう、オリビエ。話が纏まったからさ、おまえをギャスレイのところに連れていってやるよ」
まるで世間話のような気楽さでカイエは言う。オリビエは苛立つが、無言で怒りを抑え込んだ。
「だけどさ、俺たちには他にも先約があって。そっちを先に果たす必要があるから、おまえも付き合えよな」
「他に用件があるなら、貴様の手を煩わせる事も無いだろう。ギャスレイの居場所さえ教えてれば、私は一人で向かう」
ギャスレイの居場所さえ解れば、カイエは用済みなのだが。カイエの方には、そのつもりはなかった。
「いや、ギャスレイのところに行く
何を訳の解らない事を言っているのかと、オリビエは苛立つが。結局のところ、カイエに従うしかないと諦めて承諾した。
「なあ、オリビエ……俺たちに付き合うって事はさ。風呂と寝るとき以外は、俺たちと一緒に行動するって事だからな?」
妙な念押しをするカイエを訝しく想いながらも、今さらだとオリビエは聞き流すが――その結果、オリビエは悪夢のような目に合う事になった。
※ ※ ※ ※
天上付近にある太陽から、眩い光が降り注ぐ。白いビーチチェアに優雅に寝そべるのは――黒いビキニ姿のアリスだ。
「うーん……やっぱり、バカンスは最高ね!」
鮮やかな色のパラソルの下で、火照った体を冷たいカクテルで冷やす。隣ではロザリーが澄まし顔で、お代わりの飲み物を用意していた。
二人の前には、キラキラと水面が輝くプールがあり。ローズとエマとメリッサと、もう一人……彼女たちよりも年下の金髪の少女が、キャッキャッと声を上げながら水着姿で遊んでいた。
彼女たちの周囲は、まるで貴族の邸宅のように薔薇の生け垣で囲まれているが――ここは紛れもなく、船の上だった。
コーネリア帝国から南に二千キロほどの海域を、全長百八十メートルの白く輝く金属の船体が進む――カイエの『
彼らはギャスレイ・バクストンの居場所へと向かう途中だが……だからと言って、常夏の海を楽しむ事は別の話なのだ。
「あー! エストだけズルいよ!」
頬を膨らませたエマの視線の先では、カイエとエストが二人乗りのボードに乗って。水しぶきを上げながら海上を滑走していた。
「エマ、文句なんか言わなくても。カイエなんだから、エマの事も考えてるわよ」
アリスの方は、暫くは優雅な気分を楽しみたい気分だ。
「ねえ、ロザリー。あんたも飲み物ばかり作ってないで、こっちで一緒に飲まない?」
「アリスさん、嬉しいですの……ロザリーちゃんも隣りをお借りしますわ」
ロザリーは自分用にフルーツで飾ったパステルカラーのドリンクを用意すると。アリスの隣りにチョコンと座って、ストローで飲む。
「ところで……あんたも、そんな格好してないで。少しは楽しんだら?」
アリスが気怠そうな感じで振り向いた先には――青い軍服姿の『鋼鉄姫』オリビエ・コーネリアがいた。
さすがに海の上だから甲冑は纏っていないが。気温は優に三十度を超えている上に、直射日光を浴びているのだから。襟首が整った厚い生地の軍服を着ていれば相当暑いし、見ている方も暑苦しく感じるが。
「五月蠅い……私は貴様たちと慣れ合う気はない!」
しかし、オリビエは決して軍服を脱がなかった。彼女はギャスレイの居場所を突き止めるために、カイエと一緒に行動しているだけであり……
『貴様たちのように遊び気分でない』と示すために、軍服を脱ぐ訳にはいかないと――オリビエは本気で思っていた。
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