第217話 帝都再び
「ラクシエル殿……済まなかったな。エリザベスの事は、どうか許して欲しい」
深々と頭を下げるフレッドに――
「いや、フレッドさんが謝るような事じゃないよ。それに俺はエリザベスさんの事を悪くなんて思ってないから……エマを必死に守ろうとしたんだって事は、俺にも解るよ。だから、俺が『エマを絶対に幸せにしてみせる』って言ってたって、よろしく伝えてくれ」
バーンとアレクを転移魔法でトルメイラまで送り届けると。カイエたちは黒鉄の塔に戻って、その日の夜を過ごした。
夕食を終えて、大浴場でゆっくりと湯船に浸かる。左の肩に刻まれた深い傷跡――エリザベスが付けた傷は、放っておけばすぐに消えてしまう筈だったが。カイエは自分への戒めのために、敢えて残す事にしたのだ。
「……カイエ、大丈夫? ……痛くない?」
いつの間にか隣にいたエマが、気遣わしげに指をそっと傷跡に這わせる。
「いや、全然。だからエマ、気にするなって……」
カイエはエマを抱き寄せて、唇を重ねる。
「傷跡を消すのは簡単なんだけどさ……エリザベスさんとの約束を忘れないために、残すことにしたんだ」
「カイエ……ありがとう……」
互いを求め合う二人――この場に誰も乱入して来ないのは、ローズたちの気遣いだと解っていたから。
(余計な気を使うよな……)
言葉とは裏腹にローズたちに感謝しながら――カイエは胸に顔を埋めるエマの髪を、優しく撫で続けた。
※ ※ ※ ※
約束の一週間後――カイエはローズとロザリーを連れて、チザンティン帝国に向かった。
城塞を失ったマルクスは、帝都の中心街にある貴族の屋敷を接収して、仮の住処としていた。
『一週間後』という大雑把な指定だったのにも関わらず、皇帝は突然現われたカイエたちを万全の準備で迎えた。
「それで……カイエ殿の用件というのは、どのようなモノなのだ?」
マルクスは護衛の一人も付けていない。カイエに対しては何をしても無駄だと学習したからだ。
「マルクス……良く解って来たじゃないか」
カイエは皮肉っぽく笑う。
「俺が要求するのは簡単な事だよ。一つはバルキリアの北にいる魔族の氏族と、チザンティン帝国が国交を開く事。もう一つは、帝国を訪れた魔族の安全を、皇帝であるおまえが保証する事だ」
「な、何を言って……」
マルクスが言葉を失うのも無理はなかった。
チザンティン帝国には魔族という『敵』を政治的に利用する事で国内を纏め上げて、周辺諸国を侵略して来た歴史があり。マルクス自身も自らの残虐行為と権力に対する欲望を、魔族を利用して肯定して来たのだ。
だから、今さら魔族と友好関係を築くなど、帝国の基盤を揺るがす行為であり。それはマルクスにとっても、政治的な死を意味する。
「ああ。勿論、おまえにもメリットはあるからな……魔族との交易は、おまえが全部取り仕切れよ。おまえも知っているだろうが、魔族は
カイエは意味深な笑みを浮かべる。
「今回の交易なんて唯の切欠で、世界中に点在する氏族と取引するようになれば……魔族との交易で得られる利益は、おまえの城塞を再建しても釣りが来る筈たけど。マルクス……どうするよ?」
甘言である事は解っていたが――今のマルクスには、非常に魅力的な提案であることは間違いなかった。
「しかし、カイエ殿……帝国貴族の多くが魔族との交流に反対するだろう。恥を忍んで言うが……今の私には、貴族たちを強引に捻じ伏せる力はない」
マルクスがバルキリア侵攻に失敗して、自らの城塞すら失った事は、帝国貴族たちも当然知るところであり。彼の影響力は地に堕ちていた。
「そのくらい、どうにでもなるだろ。魔族との交易で得られる利益に一枚噛ませてやると持ち掛ければ、尻尾を振る貴族なんて幾らでもいるよな?」
マルクスの取り分は多少減るが、彼自身の懐は一切傷まない――もっと取り分を増やしたければ、取引きをする対象を増やせば良いのだ。
お膳立ては全て揃っており。マルクスには断る理由などなかったが……
(カイエ・ラクシエルであれば……もっと確実で損など一切ない方法を提示できるであろう? あの人知を超えた強大な魔法を見せつければ……貴族たちも素直に従う筈だ)
マルクスはカイエに対する恐怖を魂に刻みつけられていたが……同時に、彼の大いなる力に魅せられており。その力を利用したいと、狂気の皇帝は
そんなマルクスの思惑など、カイエま見透かしていたし――他人に利用されるほど、彼は甘くなかった。
「なあ、マルクス……おまえに選択肢なんてないんだよ。俺の要求を拒否するなら……今度は帝国海軍の船を全て沈めてやる。とりあえずは、今回も誰も殺すつもりはないけどさ……海軍まで失ったら、マルクス……おまえは完全に終わりだな」
漆黒の瞳は冷酷な光を湛える――俺に逆らうなら、好きにすれば良いが。こっちも、好きにやらせて貰うからなと……
無論、マルクスに拒否権など無く――皇帝は現実を思い知って、床に膝を突いた。
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