第117話 予測外


 翌朝、カイエたちはエマの故郷であるローウェル騎士伯領へと向かったのだが――


「特に危険な場所に行く訳でもないし、せいぜいが一週間てとこだからな。アイシャも一緒に行くか?」


「……はい、よろしくお願いします!」


 アイシャが歓喜の笑みで即答したせいで、出発の際は、ちょっとした騒動になった。


「ア、アイシャ……パパは、パパは……」

「アイシャお嬢様、どうかご無事で、ご無事でお戻りくだざい!」

「お嬢様……このアーウィンの同行を、どうして認めて頂けないのですか!」


 今生の別れのように泣き崩れる三人を――カイエは感情のない目で見る。


「いや、おまえら……マジで迷惑だからさ。アイシャが隠れる気持ち、よく解るよ」


 シルベスタが見えなくなるまで、アイシャは黒鉄の馬車の中に隠れて、決して姿を見せようとしなかった。


(パパもクリスもアーウィンも……お願いだから、そんな恥ずかしいことしないで!)


 アイシャが同行することになって、一人だけ心穏やかではない少女がいたが――


「おい、ロザリー……どうしたんだよ?」


「な、何でもありませんわ……」


 カイエに意地の悪い顔をされても、ロザリーはプイと頬を膨らませるしかなかった。


※ ※ ※ ※


 ローウェル騎士伯領の領都グランバルトは――かつて、魔族の帝国ガドリアが聖王国セネドアに隣接して存在していた時代に、光の神に仕える聖騎士団が初めて結成された伝説の地として知られている。


 当時最前線だったグランバルトに各地から『剣の聖者』たちが集まり、聖王国を守るために聖騎士団を結成したのだ。


 時代は変わり、グランバルトは前線ではなく、聖王国東部の一都市となったが、聖騎士団の本部はそのままグランバルトに残され、王国各地に聖騎士を派遣している。


 第六次魔王討伐戦争の際も、ジャグリーン提督率いる聖王国軍が、連合諸国の主力として魔族の領域に攻め込んだ一方、聖騎士団は聖王国セネドアの守りの要として、国内に留まっていた。


「普通に馬車で行けば、シルベスタからグランバルトまでは街道沿いに一週間ってところかな」


 エマがみんなに、行程について説明する。


「だったら、黒鉄の馬車でなら、二日くらいってとこだな」


 黒鉄の馬車の速度は普通の馬車の倍というところだが、偽造馬フェイクホースに休息は不要だから、さらに移動距離を稼ぐことができる。


「そのくらいの距離なら……この前シルベスタに来たときに、グランバルトに寄っておけば済んだ話じゃないの?」


 アリスが呆れた顔をすると、


「だから……完全に忘れてたって、昨日も言ったでしょう? 私だってもう子供じゃないんだから、いちいち親に報告しようなんて思わないよ」


 エマは言い訳をするが――勇者パーティーの末っ子に、エストとアリスは容赦なく突っ込む。


「いや……むしろ大人なら、親に心配を掛けるような真似はしないな」


「そうね。そういうところが、エマはお子様なのよ」


 完全に子ども扱いされて……エマは何も言い返せなくなった。


「ねえ、皆さん……一つ提案があるわ。道中の警戒は、ロザリーちゃんに任せて貰えないかしら?」


 このタイミングを待っていたかのように――ロザリーが口を挟んできた。


「皆さんが強いことは解ってますけど……だからこそ、面倒事は全部ロザリーちゃんにお任せでどうかしら?」


 ロザリーの狙いは只一つ――同じ少女ポジションとして、アイシャよりも役に立つとアピールすることだった。


「別に構わないけど……ロザリーは何をやるつもりなの?」


 指定席であるカイエの右隣で――ローズは密着しながら、素朴な疑問を口にする。


 ちなみに、ロザリーまで増えたことで、黒鉄の馬車のソファーセットでは人数オーバーだったから、カイエが馬車の後部に追加の椅子を設置していた。


「ローズさんの質問、さすがですわ。今から、ロザリーちゃんの実力をご覧に入れますわよ。せーの……出でよ、魔界の下僕たち!!!」


 ロザリーは馬車の上に、転送門ポータルゲートを開いて――鱗を持つ悪魔デーモンの群れを召喚するが……いきなりカイエに、後頭部を殴られる。


「い、痛っ……何をするんですの、カイエ様?」


「おまえなあ……悪魔デーモンの群れを連れ歩くとか。そんなことをしたら、俺たちは完全に悪役だろうが?」


 何でそんなことも解らないんだよと、カイエは呆れた顔をするが――


「ああ、そういう事ですの? だったら、別の方法にしますわよ!!! 出でよ、天界の――って痛いですわ!!!」


 言い終わる前に、もう一度カイエに殴られて……ロザリーは涙目で抗議する。


「いや、何やってんだよ……悪魔でも天使でも、大差ないから」


 こいつはポンコツだ――そう断言するような冷徹な視線に、ロザリーは危機感を覚える。


(え……ロザリーちゃんは……やらかしてしまいましたの???)


 しょぼんと小さくなる少女に――アリス、エスト、ローズは同情の視線を向けるが、エマは解っていない様子で、カイエは深いため息をつく。


「いや、だから……わざわざ面倒臭いことを増やすのだけは止めろって。警備の方は俺がやるから、ロザリーは暫く、大人しくしていろよ」


 確かに、偽造馬フェイクホースと黒鉄の馬車の索敵能力だけで、馬車の警備は十分だったが――


 行程も二日目の午後に差し掛かる頃……馬車の中に警告音が鳴り響いた。


「ただの盗賊って訳じゃ……ないみたいだな?」


 勇者パーティーの四人も、索敵と気配感知を発動させて、周囲の状況を探ると――


「嘘……こんな場所に?」


「うん……ちょっと、不味いよね!」


 ローズとエマはそれだけ言うと、黒鉄の馬車から飛び出した。

 街道を走り抜けて、二人が向かった先には――巨大な怪物の姿があった。


 全長十メートル近い巨大な熊のような獣……その足は、まるで蜘蛛のように八本あった。


「やっぱり……蜘蛛熊スパイダーベアね!」


 神剣アルブレナと、聖剣ヴェルサンドラ――二人の力を以てすれば、軽く瞬殺できる相手ではあったが――


「こんな場所に……どうして?」


 蜘蛛熊スパイダーベアは獰猛であると同時に、非常に警戒心が強い怪物モンスターだ。だから、身を隠す物がない平野に現れる事など、ほとんど無い筈だった。


「まあ、予想はつくけどな……自分たちの居場所を奪われたから、こいつらは押し出される形で、人里まで来たんだろう?」


 彼らは以前にも、同じような状況に出くわしたことがあった。

 盗賊たちがアジトである荒野を追われて、頻繁に街道沿いに現れるようになったのだ。


 カイエたちがアイシャと出会ったのは、正にそういう状況であり――盗賊たちが追われた原因が、魔族の残党だということは解っていた。


「ロザリー……悪いけどさ。この辺り一帯を警戒するために、おまえの下僕を召喚してくれよ」


 カイエにも手段がない訳ではないが……広域をカバーするには、ダンジョンマスターであるロザリーの能力の方が適切だった。


「はい……勿論ですわ、カイエ様!!!」


 勝ち誇るように大きく頷く少女に――カイエはしたたかに笑う。


「まあ、用心するに越したことは無いし……やれることは、やっておこうか」


「ねえ、カイエ……私たちも、本気で討伐を考えた方が良いんじゃない?」


 ローズは真剣な顔で、カイエに問い掛けるが――


「いや……魔族が動き始めたって、まだ決まった訳じゃないからな。警戒しておく必要はあるが――殺り合うとしても、もう少し先かな?」


 カイエの漆黒の瞳は……まだ見えない敵を見据えていた。


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