第33話 エマの悩み
「これは……本当に馬なのか?」
馬を失った
青一色の目と青黒い毛並みの巨馬に、アーウィンは顔を引きつらせる。
「まあ、細かいことは気にするなよ? そんなことより……おまえのところのお嬢様は、どうなんだよ?」
カイエは
すでに時間は夕暮れ時に差し掛かっており、人々は野営の準備を始めていた。
忙し気に働く彼らの傍らで、アイシャは今もエマの腕にしがみついた格好で、しきりに何か話し掛けている。
「さあな……私のような者が知る由もない。アイシャ様からは、昔の知り合いだと聞いているが……あの方は聖騎士エマ・ローウェル卿、勇者ローゼリッタ様の同胞なのだろう? 確かにローウェル騎士伯の領地は、我らがシルベーヌ子爵の領地とほど近い場所にあるが……私はさほど古株ではないからな? 昔のことまでは、よく知らないんだ」
少し寂しそうな感じで、アーウィンが言う。
カイエは普段女性ばかりに囲まれて自分も苦労しているせいか、アイシャに献身的に尽くすアーウィンに対して、意外なほどフレンドリーに接していた。
真面目で
一方、アイシャに纏わり付かれているエマの方は――
「あの……アイシャ? そろそろ腕を放してくれないか? 私もそろそろ仲間のところに戻らないと……着替えもしたいしね?」
「あ……エミーお姉さま、ごめんなさい。でも……もう少しだけ、お話をしても良い? 」
潤んだ瞳で上目遣いに見つめられると……エマはそれ以上文句は言えなかった。
ローズとカイエに対しては大人びた口調で、
(アイシャって……こんな子だったっけ?)
正直に言えば――エマにとってアイシャは、子供の頃に知り合った貴族の子供の一人に過ぎなかった。
アイシャが言っていたギリーガレットの湖畔の別荘のことも覚えてはいるが、当時、すでに聖騎士の訓練を始めていたエマにとっては退屈な思い出だった。
付き合いの広い両親は、毎年のように他の貴族や騎士を別荘に招いており、ローウェル家唯一の女児であるエマは、アイシャのような年少の子供たちの面倒を見ろと言われて辟易していたのだ。
(まあ……私のことを『お姉様』と呼んでいる時点で、大体予想はつくけどね?)
当時から――ボーイッシュなエマに憧れの視線を向ける少女は沢山いた。
勿論、本人にそういう趣味はないが、好意を寄せてくる相手に対して誠実に接しようとするエマは、彼女たちのことを決して無下にはしなかった。
その結果が――今の状況ということだ。
(こうなったら……アイシャが満足するまでは、付き合うしかないかな? どんなに長くたって、どうせ次の街までだしね?)
エマはそんなことを考えていたのだが――ふと気づくと、いつの間にかアイシャは黙っていた。
どうしたのだろうかと、エマが何気なく視線を向けると――アイシャは何かを思いつめたような顔で俯いていた。
「……うん? アイシャ、どうしたの?」
エマが声を掛けると――顔を上げたアイシャの瞳から、一筋の涙がこぼれ堕ちた。
「……何でもないわよ、エミーお姉様!」
アイシャはニッコリと笑うと――
「エミーお姉様、今日は本当にありがとう……ございました。すごく、嬉しかったです!」
そう言うとアイシャは、おもむろに立ち上がって走り出す。
「……ちょっと待て、アイシャ!」
エマは慌てて立ち上がり声を掛けるが――そのままアイシャは、馬車の中に駆け込んで扉を閉めてしまった。
「アイシャ……」
周りにいる
(私は……アイシャを傷つけてしまったのかな?)
苦い罪悪感を覚えながら――エマはアイシャが中へ消えた馬車の扉を眺めていた。
※ ※ ※ ※
エマとアイシャの一件のこともあって、
夜の見張りについては、カイエが『魔法で警戒しているから必要ない』と言ったのだが、魔法に慣れていない
「どれも美味しかったわ。エスト、ご馳走様」
夕食を食べ終えたローズが、紅茶を飲みながら言う。
今夜の食事は、普段は収納に隠れている
新鮮な食材を
しかし――いつもであれば食事時になると騒がしいエマが、今日はずっと黙っているから、他の四人の会話も何となく弾まなかった。
「エマ……そんなに気にすることはないと思うよ?」
そんなエマのことを気にして、エストが声を掛ける。
「私があまり適当なことは言えないけれど……アイシャのことは、エマのせいじゃないと思う。エマだって、彼女と会ったのは随分久しぶりなんだろう?」
アイシャがエマの元から走り去った様子を、ここに居る四人も目撃していた。
とは言え、ずっと二人に注目していた訳ではないから、彼女たちが何を話していたかまでは解らなかった。
「うん。色々考えたけど、今は私もそう思ってる……」
予想していなかったエマの返答に、四人が注目する。
「正直言ってアイシャのことを、そんなに良く覚えている訳じゃないけど……あのくらいのことでへそを曲げるほど、我儘な子じゃないと思うんだよね? それよりも……きっと何か悩み事があると思うんだけど、私は気づいてあげられなかった」
これが、エマなりに一生懸命考えた末の答えだった。
もしかしたら、この答えも間違っているかも知れないけれど……アイシャの涙は本物で、きっとエマに何かを伝えたかったんだと思う。
「まあ……そんなところじゃないの? あのくらいの子供にしては、妙に大人びているのも気になるし。父親が健在なのに娘一人で王都に来たってのも、何かあるって考えた方が自然じゃない?」
勇者パーティーの長女アリスが、さすがに鋭い指摘をする。
これまで、アリスが今回の件であまり発言をしなかったのには理由があるのだが――
自分で考えて答えを出したエマに対して、少しフォローしてあげたいと思ったのだ。
「それで……エマは、どうするつもり?」
もう答えは解っているのだが……アリスはエマの肩を押すように質問する。
「うん……もう一度、アイシャと話をしてみるよ」
アイシャが何に悩んでいるのかも、自分が何ができるかも解らないけれど――アイシャのために何かしてあげたい。それだけは、迷わずに言えることだった。
「そう……だったら、頑張りなさい」
アリスが優しく見守るような目でそう言ったとき――馬車の扉を叩く音がした。
「……鍵は掛けてないから、勝手に開けてくれよ?」
カイエの声に応じて、馬車の扉が開かれる。
そこに立っていたのは――アイシャだった。
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