第23話 王都の夜


 神聖王国セネドアの王都の夜は長い――


 光の神を信仰する正教会の総本山と、魔術士協会の本部が併設される大都市には、魔法の灯りマジックライトが普及していた。


 貴族や裕福な商人であれば、魔法の灯りマジックライトを自宅に設置するのは一般的であり、彼らを客とする高級飲食店レストラン酒場クラブも、ランプよりも明るい魔法の光を差別化と客寄せのために使っている。


 だから、もし月明かりに照らされる王都を見下ろすことができれば、地上に輝く星空のような王都の姿を目にすることができる筈だが――


 この夜、王都の上空に忽然と出現した存在は――そんな浪漫ロマンティックな雰囲気とは異なるモノだった。


『光の神の子たる聖王国の民よ――我は神聖竜アルジャルス! 神の化身である我の声に耳を傾けよ!』


 神聖なる光に包まれた純白の竜は――銀色の月よりも遥かに輝いて見えた。


 しかし、夜の空を見上げる人々の姿は、然して多くはなく――アルジャルスは蟀谷こめかみの血管をヒクつかせながら、さらに大きな声で叫ぶ。


『もう一度言う――王都の全臣民よ! 神の化身たる我の声を聞かぬ者は、聖なる光に焼かれると知れ!』


「おいおい……とても神聖竜とは思えない物騒な台詞だな?」


 アルジャルスの傍らで――カイエが突っ込みを入れる。


「五月蠅い、カイエは黙っておれ……我の言葉に耳を貸さぬ者など、万死に値する!」


「だからさあ……そういうのが神の化身らしくないって言ってるんだよ? 仕方ない……俺が注目を集めてやるよ!」


 カイエはそう言うと――混沌が渦巻く闇の球体を出現させる。


「……ま、待て! 待つのだ、カイエ! そんなモノを王都に落とせば……それこそ地獄絵図になるであろう!」


「……おまえって、俺のことを馬鹿だと思ってるだろう? よーく解ったよ」


 カイエはジト目でアルジャルスを見る。


「だけど……安心しろよ。俺は神聖竜様よりも、魔力というモノを理解してるからさ?」


 そう言うとカイエは――夜空に向かって混沌の球体を打ち上げる。


 あらゆるものを飲み込み、原始に帰す『混沌』――しかし、それは『混沌』が持つ力の一部に過ぎなかった。


 カイエが打ち上げた混沌の球体は――数多の魔力を放ちながら空中で変化する。


 風の色、水の色、土の色、炎の色……混沌が生み出したあらゆる魔力の輝きを放ちながら――花火のように輝いて、王都の空で爆発した。


 轟音を放つ打ち上げ花火に――アルジャルスよりも先に文句を言ったのは、その背中から降りて地上に降り立ったアリスだった。


「あんたねえ……こんなときに、何やってんのよ!」


「……そうか? エストとエマは、気に入っているみたいだけどな?」


 意地の悪い顔でカイエが応える――その言葉の通りに、傍らに立つエストとエマは、完全に乙女モードで夜空を見上げていた。


「……なんて、奇麗なんだ!」


「うん……そうだね! 物凄く奇麗だよ!」


 そんな二人と同じように――夜空を見上げる王都の民の数は、瞬く間に増えていった。


「カイエ……貴様の行為を認める気などないから、礼など言わぬぞ!」


 アルジャルスの文句に――カイエは苦笑する。


「ああ、勿論構わないからさ……さっさと奴らを黙らせろよ、神聖竜様?」


 カイエに煽られたことが原因なのか――そうでないのかは、アルジャルス自身にしか解らない。

 しかし――このとき神聖竜が放った聖なる光は、花火の輝きなど遥かに凌駕していた。


『聖王国の臣民よ、聞くが良い! 神聖竜アルジャルスがこれから宣言することは、光の神の言葉に等しいと知れ!』


 夜空に響き渡るアルジャルスの声に――この夜、王都の八割以上の住民が注目していた。


『我がおまえたちに告げることは二つ……一つは、勇者とは聖王国に従属する存在ではないというこどだ!』 


 アルジャルスがノリノリに見えるのは、カイエの気のせいだろうか?


『我の眷属である勇者ローズを、人の身である者は――たとえ聖王国の王族であろうとも、裁くことなど許さぬ。もし、そんなことをする者がいるのならば……神聖竜である我の名に賭けて、光の神の裁きが下ることを覚悟せよ!』


 夜空に響き渡る声を――王都の臣民たちは神の声と受け止める。


『二つ目は――カイエ・ラクシエルという者のことだ!』


 こんな台詞をアルジャルスが言うことを――カイエは聞いていなかったし、予測していなかった。


『カイエが何者であろうと――聖王国の全ての民は、彼の者を裁くことも、捕らえることもあってはならぬ。何故ならば……カイエという者は神聖竜である我アルジャルスの同胞だからだ!』


 そう言った直後――アルジャルスは金色の瞳で、してやったりとカイエを見る。


 その後に続いたのは――聖王国の民の喝采だった。


「神聖竜アルジャルス様、万歳!」

「光の神の化身よ……我らに祝福を!」

「神様……私は、神の導きに感謝します!」


 そんな夜の王都の響く人々の声に――狼狽する者も確かに居た。


「こ、これは……何の冗談だ?」


 聖王国の第一王子エドワード・スレインは――魔法の光に照らし出される王宮の一室で、夜空を見上げていた。


 今夜の宴は――父である国王ジョセフに対する不満をぶつける場であった筈だが、野外の轟音と光が、全てを掻き消してしまった。


 勇者であるローズが自分を殴ったという狼藉に対して、エドワードは当然の措置として彼女を投獄したのだが、父である国王ジョセフは――


『勇者とは、一国が裁けるような存在ではない! エドワード、おまえは何という事をしてくれたのだ!』


 予想外に激しく叱責された不満を、エドワードが取り巻きにぶつけているところに――カイエが轟音を放つ花火を打ち上げて、その後に続くアルジャルスの宣言だった。


「神聖竜だと? 何を馬鹿なことを……こんな戯言を、誰が信じるものか!」


「お言葉ですが、エドワード殿下……おそらく相当数の国民が、今起きたことを目にしております……正教会の上層部も、こうなっては黙っていないでしょう……」


「……黙れ! 我は聖王国の第一王子、エドワード・スレインだ! 我が言葉よりも、まやかしの竜の言葉を信じると言うのか!」


「なるほどね……結局のところ、馬鹿は救いようがないってことだな?」


 バルコニーに突如現れた黒髪の少年の声に――エドワードは激しく狼狽する。


「……だ、誰か! こ、この不届き者を捕えよ!」


「ああ、そういうのは無駄だから……止めておけよ?」


 部屋に駆け付けてきた憲兵隊を――カイエは一瞬で麻痺させる。


「文句があるならさ、勝ってしてくれよ? でもさ……だったら俺も、黙っている気はないからな?」


 漆黒の目に見据えられて――エドワードは黙るしかなかった。


 カイエが隠そうとしないから……彼の身体から滲み出る圧倒的な魔力は、さして魔力の才能のないエドワードでも、震え上がる程度には感じる取ることは出来た。


 しかし――そんなことで、カイエはこの男を許す気はなかった。


「まあ、そんなことはどうでも良いんだけどさ? おまえに一つだけ言いたいことがあるんだよ――」


 取り巻きの貴族たちも侍女たちも――カイエの魔力を感じて息を殺すように黙り込んでいる。


(あーあ……またやり過ぎたかな?)


 そんなことを思いながら……カイエはエドワードを見据える。


「神聖竜の言葉を無視して……もし、おまえがローズを傷つけたり、捕らえようとするなら……」


 このとき――漆黒の瞳は冷徹な光を帯びていた。


「俺は――カイエ・ラクシエルは、全力でおまえを叩き潰す! 痛みとか死とか、そんなものが生温く感じるくらいに……徹底的にやってやるから覚悟しろよ!」


 残虐な笑みを浮かべるカイエが何処まで本気なのか――それを知るのは、この世界に四人だけだった。


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