第2話 ローズの決意


 ローズと魔神との間を阻むように、空中に立っているのは――黒髪と黒い瞳の少年だった。


「あなたが邪魔をするなら……私は敵になるわ!」


 ローズは褐色の瞳で見据える。


「邪魔をする……だって? 散々騒いで眠ってる俺の邪魔をしたのは、おまえたちの方だろ? 五月蠅くて迷惑だからさ、他でやってくれよ」


 空中に立っている事。『神剣』を防いだ事。遺跡で眠っていた事――何もかもが、少年が普通の存在ではない事を物語っている。


 しかし、どうしてだろうか……敵意は感じなかった。


「あなたが魔族じゃないなら……そこを退いて! そして、今すぐ出来るだけ遠くまで逃げなさい!」


 真剣に告げるローズに――少年は呆れた顔をする。


「あのさあ……どうして、俺が逃げる必要があるんだよ?」


「何を言ってるの、目の前に魔神がいるのよ! それとも……やっぱり、あなたは魔族なの?」


 場違いなほど落ち着き払った少年の態度に、ローズは苛立つ――こんな話をしている場合じゃないのに!


「おまえも魔族とか人族だとか、下らない事を言うんだな? 俺が何者だろうと……たかが一体の魔神如きに、遅れなんて取るかよ」


「魔神如きって……あなたね!」


 このとき――山羊の角を生やした魔神の巨大な顔が、こちらを向いた。


 そして一瞬後には、地獄の業火が噴き上がり――ローズと少年に襲い掛かる。


「……駄目!」


 ローズは反射的に聖域サンクチュアリを発動させて、少年ごと自分の身を守ろうとした。

 そんなことをすれば、聖域サンクチュアリの防御力が弱まって、自分も無事では済まないと解っているのに。


 しかし――業火に焼かれる痛みは襲って来なかった。


「へえー……俺の事を守ろうとしたのか?」


 気がつくと、聖域サンクチュアリを包み込むように広がる漆黒のが、業火を完璧に遮っていた。


「嘘……」


 勇者であるローズの聖域サンクチュアリでも、史上最強の魔術師と言われるエストの防御魔法でも、これほど完璧に防ぐ事は出来なかっただろう。


 間近で感じる地獄の業火の魔力は――聖域≪サンクチュアリ≫で防ぐ事が出来る許容量を、遥かに超えていたのだ。


(彼が守ってくれなかったら……私は死んでいた?)


 戦慄を感じて呆然とするローズに、少年はフンと鼻を鳴らす。


「その程度の力で俺を守るとか……あり得ないだろ。おまえってさあ……馬鹿じゃないのか?」


「馬鹿って……あなたなんかに、言われたくないわよ!」


 思わず言い返しながら、ローズは不思議に思う――こんな危機的な状況なのに、どうして自分はこんな風に喋っているのか?


「まあ、それだけ文句が言えるなら問題だろ? さっきのおまえは、死人みたいな顔してたからな」


 少年はそう言うと――ローズに背を向けて、魔神に向き直る。


(もしかして……私のことを心配してくれたの?)


 ローズの褐色の瞳が、少年の背中に釘付けになる――自分と変わらないような華奢な背中。身長だって、ほんの少し高いくらいだろう。


「よう、魔神……」


 少年は面白がるように笑っていた。


巨人級ガルガンチュアクラス偽神デミフィーンドってところか? 知能が足りない木偶デクが、俺の眠りを妨げた上に……そんな生温い炎で攻撃して来るとか、舐め過ぎなんだよ」


 少年の挑発に激昂したかように、魔神はこの世のモノとは思えない咆哮を上げる。

 そして、さらに激しく地獄の業火が噴き上がるが――


「だからさあ……さっきから、五月蠅いって言ってるだろう? 良い加減に……黙れよ」


 そう言うと――少年は魔神に向けて、黒い球体を放った。


 渦巻くような闇が蠢く黒い球体は、一気に膨張して魔神を飲み込むと……直ぐに収縮して消えた――魔神とともに。


「えっ……」


 その光景の一部始終を、ローズは間近で見ていた。


 あれほど絶望的で、絶対に勝てない相手だと思っていた魔神が――跡形もなく消えてしまったのだ。


「……どういうこと? あなたが魔神を封印したの?」


「あのなあ……俺はそんなに優しくないからな? 目障りだから、消滅させたんだよ」


 それが事実だとすれば――とてつもなく恐ろしい事だった。

 目の前の少年は、魔神以上の脅威という事になる。


 しかし……どうしてだろうか? ローズは少しも、恐怖を感じなかった。

 それどころか――


「お、おい……どうしたんだよ? 腹でも……痛いのか?」


 ボロボロと涙を流すローズに、少年は明らかに狼狽していた。

 そんな姿を見ていたら――ローズは思わず、少年の胸に飛び込んでしまう。


「お、おまえさ……何考えてんだよ? 本当に馬鹿なのか?」


「……そうよ、私は馬鹿よ! でも……自分が何をしたか、解ってないあなたは大馬鹿よ!」


 胸の中で号泣するローズに――少年は戸惑いながら、両腕の置き場に困っていた。


「おい……勘違いするなよ。俺がおまえに何かしたって? そんな憶えは……」


「私を守ってくれたじゃない!」


 言葉を遮って、ローズはギュッと少年にしがみつく。


「あなたが魔神を倒してくれなかったら……私は死ぬしかなかったのよ。それでも、仕方がないって……思っていたの……」


 涙と鼻水でグッショリと濡れるシャツ――少年は頬を掻きながら、苦く笑う。


「おまえにも事情があるって事は、解ったけどさ……俺は五月蠅い魔神を黙らせただけで、おまえを守った訳じゃないから。まあ……結果として、おまえが助かったんなら……良かったんじゃないのか?」


 まるで他人事のような台詞に――ローズはガバッと胸から顔を上げて、少年を睨む。


「……名前! あなたの名前を教えて!」


 泣いたり怒ったり――いったい何なんだよと思いながら、少年は呆れた顔で応える。


「カイエ・ラクシエルだ。おまえさあ……」


「おまえじゃないわ! ローゼリッタ・リヒテンバーグよ!」


 ローズの勢いに飲まれたように、少年――カイエが言葉を止めると……


「これが私の名前よ。みんなローズって呼ぶから、カイエもそう呼んで!」


 今度は頬を染めながら――潤んだ目で上目遣いで見つめるローズの無言の要求に。カイエは……折れる他はなかった。


「……ローズ。これで良いか?」


「うん……カイエ。私、決めたわ……」


 再び自分の胸に顔を埋めるローズに――カイエはお手上げという感じで、溜息をつく。


「もう……勝手にしてくれよ」


「うん、勝手にするから! 私は……もう一生、カイエを放さないわ……」


「ああ、そうかよ……え? おい、ローズ? 今、何て言った?」


 カイエは慌てて聞き返すが――もはや、手遅れだった。

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