第11話 委員長とエリート

 ぼくは下校のため、尖塔の長い階段をくたくたになって下りてきた。ここを通るときは、なぜかいつも寂しい気分になる。そこは、こちらと向こうの境界のように思える。どこか異国へ追放されたことを強く意識させられる場所だった。が、尖塔の教室は監獄でも、地獄でもなかった。とても心地よい場所だった。この学校で、初めて手に入れた居場所だった。もっとも随分と浮世離れした場所には違いない。ぼくは、ちょっと高嶺から下山してきた顔で、日暮れの迫った廊下を急いだ。偶然にも、誰かとばったり出会った。

「放課後は、特別な用件がない限り、校舎から速やかに出て下さい!」

 誰かは、ぼくを見つけるなり声を掛けた。それは、ぼくに特別に言った訳ではない。それが慣例になっているという口調だ。先生ほどではないが、風紀委員くらいに、咎められる嫌みな気がした。ぼくは、この学校に風紀委員といったものが、存在するのか分かっていなかった。ぼくの前に現れたのは、上級生の男の子だった。

 初めて見る顔だ。目鼻が小さい代わりに、白く広い額が目立っていた。柔らかい毛髪が、その上にぴったりと張り付いている。唇だけが妙に鮮やかだった。だが、その小さな黒い目が、じっとぼくを捉えている。ぼくは一瞬戸惑って、後ろめたいことがあるみたいに足を止めた。その上級生のわずかな威圧にくじけてしまった。素通りすべきだった。上級生は明らかにぼくを注視し、次の言葉を探るようだった。その赤い唇が開く前に、まるで予期せぬ所から声が飛んできた。

「どうかしましたか?」

 女の子の声だ。この明瞭な声には、確かに聞き覚えがある。と思うのと同時に振り返る。女の子の顔よりも先に、分厚いレンズの眼鏡と、鬱蒼と茂った頭髪に目が行った。初めてここに来たときの記憶が甦る。尖塔の教室を教えてくれた女の子だ。どうやら、この上級生と彼女は知り合いらしい。

「あっ、委員長。いえ、ただ僕はこんな時間に、この辺りをうろつく生徒は居ないから。用も無いのに校舎に残らないように、と呼び掛けていただけです」

「そうだったの? あれ! あー、確か君は」

 女の子は急に大声を出し、驚いたようにぼくを見た。上級生も彼女の態度に、面食らった様子だ。

「お知り合いですか?」

「まあ、ちょっとね」

「あっ。もしかして、例のクラスですか? でも、委員長。あのクラスの生徒とは、関わらない方がいいって噂ですよ」

 上級生は、ぼくのことなど忘れたみたいに、女の子へこそこそ話し始めた。

「あのクラスのことは、口外できないって聞いているんですが。偉くグロテスクな内容を含むとかで」

「そういう無責任な噂はね。信じては駄目よ!」

 女の子は、ちょっと不機嫌に眉を吊り上げた後に、上級生を諭すように言った。上級生はまるで悪びれる様子も無く、飄々とした表情のままだった。

「そうですか。それでは、委員長。僕はこれで。まだ用事が残っていますから」

「ええ、ご苦労様。香川くん、あまり遅くならないで。先生がうるさいからね」

「あ、はい。分かってます、分かってます」

 上級生は、何か火急の用事ができたみたいに行ってしまった。女の子は、改めてぼくを見た。

「それで、ここに居るってことは、あの時は問題なく、尖塔の教室を見つけられたっていうことだよね」

 女の子は、何か一つ厄介ごとに決着が付いたという様子で、腰に手を当てて胸を張った。

「その節は、どうも」

 ぼくは、彼女にそのお礼も兼ねて、短く返した。

「いえいえ、お互い様ってことで、いいのよ。実際に君の、えーと名前聞いたかな?」

 そこで、ぼくたちは初めて自己紹介をした。彼女は、園山華子と言って、名前負けしているでしょと派手に笑った。ぐふふふ。彼女は、こんな個性的な笑い方をするのだった。もし初めて彼女に出会ったあの日に、ぼくが名乗っていれば、ぼくは別の名前を言っていただろう。ぼくは、ハジメと魔法を契約して以来、本当の名前が無かったように思い出せない。こんな親切にしてもらった彼女に、本当の名前を告げられないのは、多少の罪悪感も覚える。もちろんハジメからもらった名前は気に入っている。それとこれとは、全く無関係だった。

 ぼくは、クラスのみんなから、令と呼ばれていると彼女に告げた。

「令、いい名前ね。私も令と呼ばせてもらおうかな」

 ぼくは照れ臭そうに、彼女に肯いた。

「どうやら新しいクラスで、上手くやっているみたいね」

「思っていたよりはね」

 ぼくは、生意気に答える。当初は、落ちこぼれクラスに入れられると知らされ、奈落の底に落とされる思いでいた。ハジメや二葉、三郎丸やクラスのみんなに出会って、それが全くの誤解だと気付かされた。

「でも、あまりここ上ってる人見ないな。どこかに隠しエレベーターでもあるのかな。ぐふふ」

 彼女は分厚いレンズの奥の目を光らせ、そんな意味深なことを呟いた。

「えーと、園山さん……」

「委員長でいいよ。みんなからは、ずっとそう呼ばれている。改めて名前で呼ばれるのは、恥ずかしいなー」

「じゃあ。委員長。それって、どう言う意味なの?」

「階段のこと? 隠しエレベーターのこと? あー、ごめんね。ただそう思っただけなの。それに、あまりこの上のことは詮索しないようにと、教頭先生に釘を刺されているんだ。まあ、色々と事情があるんだろうけどね」

「そうなんだ」

 ぼくは、曖昧に口を濁した。あの教室で教えられていることは、部外者に話しても信じてもらえない。それに、魔法のことは他の生徒には秘密だった。

「おや、大丈夫。その腕、どうしたの?」

 ぼくは委員長の驚きに、反射的に左腕を隠そうとして止めた。包帯は巻かれていても、既に膨れ上がった所は、元に治り掛けていた。これならかえって隠す方が不自然になる。

「これは大袈裟にしているけど、大したことないんだ」

「そうなの。良かった。私はまた、いじめか体罰でもあったのかと心配したよ」

「そ、そんな事ないよ。あ!」

「どうかした?」

「ううん、何でもない」

 ぼくは、あの教室に初めて訪れたときに、ハジメに何かとんでもないことをされた気がする。しかし、それについては、記憶に不明瞭なところが多かった。

「一つ聞いてもいい?」

 ぼくは、委員長に尋ねてみた。でも、肝心の魔法については言うことは出来ない。委員長は、快く答えた。その分厚いレンズから、心温かい物が増幅されてくるように思える。

「どうぞ」

「どうしても、上手くいかないことがある場合、どうすれば出来るようになるの?」

「何か解決できない壁に、ぶつかったのかな」

 委員長は、生き生きとした声で言った。その眼鏡の奥に、興味津々という感情がにじみ出ている。

「必須科目なんだ」

「そうね。私なら取りあえず、考えられる方法を、手当たり次第に試してみるけどな。やり方は、たくさんあると思うよ」

 委員長は、自信があるようだった。

「ぼくには、他の方法は思い付かないや」

 ぼくは、首を傾げて見せる。魔法なんて、これまでの常識に全くそぐわない世界なのだから、対処しようがない。

「そうだね。初めてのことだと、やっぱり詳しい人に聞くのが一番かな」

 委員長は目蓋を閉じて、知識を絞るように唸った。それから、急に目を見開いた。

「そう言えば。令は他の尖塔にも、ここと似たような特別なクラスがあること知ってた?」

 ぼくは、頭を振った。

「ぼくのクラスと同じなの?」

「どうかな。私は、そこまでは分からないけど。確か一組だけ、とても優秀な生徒を集めた教室があるって、聞いているんだけどね」

 委員長は、深く思案する素振りを見せたのが、唐突に思い出したみたいに、名残惜しそうな口をした。

「あ、そうだった。もう行かなくちゃいけないんだった。何だか慌ただしくて、ごめんね。でも、いつでも見掛けたら、遠慮なく話し掛けてね。それじゃあ、令。気を付けて帰ってね」

「さようなら、委員長」

 ぼくは、そこで委員長と別れた。すぐに委員長って、何の委員長なのかと疑問が湧いた。そう思ったときには、長い廊下のどこにも、委員長の姿は見つけられなかった。暮色は、生徒が居ないことを除けば、何の変哲もない学校の風景に段々と迫っていた。


「そんな事、誰から聞いたんだ?」

「委員長だよ」

 翌日、ぼくは尖塔の教室で三郎丸を捕まえ、他の塔のことをあれこれ尋ねた。三郎丸は緑のジャージで机上に腰を突いて、いつものスタイルだった。

「ああ、あの眼鏡の子か。彼女なら知ってても、不思議はないだろうな」

「委員長は、委員長で通じるんだ」

 ぼくは、ちょっと驚いた。ひょっとしたら校内でもとても有名人で、偉い人じゃないかと思えてくる。それに当てはまる、役職は限られている。

「おい、令。ここが嫌になったのか?」

 三郎丸が、哀願の目で訴える。多少芝居掛かっているが、捨てられた動物のような眼光だった。

「そうじゃないよ」

「だよな。ここより居心地のいい場所なんて、無いんだ」

 三郎丸は、安堵の笑みを返した。ぼくは、気の毒に言った。

「でも、二葉は毎日、こき使われているけどね」

「はは、違いない。まあ、今は非常事態だから仕方がないんだ」

「そう言えば、優秀なクラスがあるって聞いたよ」

「まあ、あるにはあるんだがな。こことは、まるで雰囲気が違っているんだ。そのうち、会う機会もあるだろう。妙に統制が取れていて、いけ好かない連中だがな」

 三郎丸は詰まんないこと言ったなと、急に鼻白んだ様子で、机の上で片膝をぎゅっと抱え込んだ。

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