第4話 契約と魔法

「君は、いつまで寝ているつもりだ。もう動けるだろ。幾ら素人だからろといっても、体は十分に回復したはずだ。さあ、立つんだ」

 先ほど体験した出来事は、夢ではなかった。僕の顔を、生意気そうな少年が覗いている。少年の髪の毛が逆立って見えるのは、ぼくがまだ床に仰向けになったままだからだ。

「初日から、居眠りだなんて。これは大物か、ただの馬鹿ね」

「まあ、そういじめるな。別に好き好んでしたことじゃないだろ」

 さっきの女の子と、ジャージの男の子の声だ。女の子が椅子に座って、足をぶらぶらさせている。ぼくは、浮き浮きした気分になる。

「そうだね。まずは最初に自己紹介をしよう」

 少年は、ハジメと名乗った。みんなからは、ハジメとかファーストと呼ばれていると言った。それから、大まかに生徒を紹介した。ざっと見て、僕を歓迎する者、敵視する者、あとはまるで無関心な者に分かれた。二葉は、さっきの女の子だ。ジャージボーイは、三郎丸と言った。偶然なのか、みんなの名前には数字が付く。それも番号になっている。静は、恐らく四番だ。このクラスで一番、大人しそうな女の子だ。あまり、ぼくと仲良くしようという意志は見られない。

「言っておくが、僕は君よりも年上だからね」

 とても信じられないが、ハジメはこのクラスの担任教師であった。ここは、普通とは明らかに異なるクラスで、特殊なことを教育していると言うのだ。僕は、ようやく体を起こした。が、立ち上がらなかった。すぐに立ち上がって、目眩がするのを恐れたからだ。それに、ぼくを見下ろすハジメは、上機嫌に思えた。先ほどの事が、帳消しみたいに親切だった。

「それで、何か質問は?」

 質問? 全てが謎だらけで、質問のしようがない。そもそも彼らは、どうやって現れた。消えていたのか?

「さっきのは、どうやったんだ?」

 ぼくは、ふと頭に浮かんだことを口に出した。

「さっきのが、どれを意味しているのか分からないが。多分、姿を消していたことだろう」

 ぼくは、ハジメの言葉に肯いた。

「初めて経験する君には、驚きだろうが。それは姿を消す魔法だ。それでいて、至って初歩的な魔法なんだ」

「魔法?」

「ああ、魔法だ。科学とは異なる、不思議な力を使うんだ、僕らはね」

「なぜ?」

 ぼくは、詰まらないことを口にしたと思う。ハジメの顔色は何も変わらなかった。ちょっと、笑ったくらいだ。

「そう来たか。君だって、何か不思議な力が手に入れば、得意になって使うだろう。それだけじゃない。もっと単純に便利だからだ。あるいは、不可能を可能にするという答えもある。科学では実現できないことが、魔法ではできるんだ。これを使わない手はないだろう。もし同じ事が科学でも実現可能ならば、きっと魔法は使わないはずだ。それでも、法律や規制に縛られた科学技術よりは、野放しの魔法の方が断然、便利だと言えるがね」

 ハジメは、得意になって語った。それを聞くぼくは、困惑した顔をしていただろう。質問の仕方が、まずかったのだ。ぼくは考えを変え、率直な質問をぶつけてみた。

「ぼくにも、それは使えるんだろうか?」

「ああ、きっとね。姿を消すことは、君がここで、一番最初に学ばなければならない魔法だ。この魔法は、僕のクラスでは必須魔法と断言してもいい」

 ハジメはそう答えると、背を向けて歩きだす。すっとその姿が薄くなり、正面の壁に溶け込んだ。ぼくは辺りを見回す。ハジメは、どこにも見えない。誰かが、急にぼくの肩を軽く叩く。ハジメが側に居ることに、ようやく気付いた。

「おい。今のたまには、俺にもやらせろよ!」

「私も私も。ハジメばっかり得意になって、ずるいわね」

 三郎丸と二葉が、皮肉っぽく言った。ぼくは目の前で起こったことが、全く信じられない。姿を消す。これが魔法? しかも、ここの生徒はぼくとは違って、それを全く怪しんでいない。ぼくは、動揺を打ち消すみたいにハジメに質問した。

「なぜ、いつも姿を消す必要があるんだ?」

「それはね。ここでは、一般的な教養は教えないからなんだ。だから、今までのクラスに行って、こっそり授業を盗み聞きする必要があるのさ」

 ぼくは、前のクラスのことを思うと気が病んだ。ハジメはそんなぼくを気にせず、澄ました顔で続けた。

「がっかりしたかね。言っておくが、もし君がヘマをして、授業に忍び込んだことがバレでもしたら、君はこのクラスからも追い出されることになる。下手をすれば、僕らの立場も危うくなるが、そこまでの責任を、君一人に押し付けるつもりはないから、安心していいよ」

 ぼくの頭は、既に混乱していた。その上、嫌なことばかり、あふれてきて止まらない。そこへ鋭い声が、ぼくを混乱から目覚めさせた。

「そんな低次元なこと言ってて、いいわけ?」

 二葉が退屈そうに頬杖を突いて、欠伸をしている。目がとろんとして、随分と疲れているみたいだった。

「まあ、それだけじゃないんだけどね。魔法を使う者は、どうしても存在を隠す必要があるんだ」

「存在を隠す?」

「そう。分かるだろ。もしこんな力を持った者が、世の中に居ると知れたら、そうでない者はどう思う。少なからず、その力に脅威を感じるだろう。必要以上に警戒し、最後にはそんな力を持つ魔法使いを排除しようと、行動を起こすはずだ。僕らは、そんな事望んでいない。君には分かるだろ。爪弾きにされた者の顛末が、如何に過酷であるか。ああ、こんな話ばかりじゃ詰まらないだろ。この話は、ここまでにして。その前にやることがある」

 ハジメは、急に年取ったような深い溜息を漏らした。次の瞬間には、無邪気な表情を取り戻していた。その少年の笑顔は、真夏の日差しのように輝いて見えた。

「それじゃあ、早速。その前に、君の実力を試させてもらうよ。まあ、そんな嫌な顔をするな。簡単なテストだよ。大丈夫、やり方は教える」

 ぼくには、ここも前のクラスと大差ないように思えてきた。落ちこぼれをふるいに掛けるとでも言うのか。ぼくは、この上更に惨めな思いをさせられると顔を歪めたが、そうではなかった。

「頭を空っぽにして、声は出さずに唱えるんだ。我が姿を隠せとね。分かったかい? 簡単だろ。最初は、ゆっくりでいいんだ。慣れてくれば、段々と早くしていく。それから自分の体が消えるイメージを、一緒に浮かべるんだ。それが完全に重なり合えば、成功だ」

 ハジメは、ぼくにも分かるように丁寧に魔法を指南してくれた。ハジメの説明を聞いていると、本当に魔法が使える気になるから、不思議だ。

「まず僕がやるから、見ていてくれ」

 そう言って、ハジメは目の前で、すーと姿を消した。少年の声だけが聞こえてくる。

「それじゃあ、やってごらん!」

 ハジメが、ぼくにそう求めた。次の瞬間、ぼくはまた独りになっていた。教室の全員が居なくなっている。

「お前たちが消えて、どうするんだ!」

 ハジメが怒鳴った。二葉の声がする。その後ろで、何人かの忍び笑いがする。

「見ているだけで、体がムズムズするのよ」

「確かに、みんなすっかり体に魔法が染み付いているようだね。考えただけで、魔法が発動させられるのは、上達した証だ。よし。今度こそ、君の番だ。恥ずかしがることはない。やってごらん」

 誰かが、ぼくの肩を勇気付けるように叩いた。ぼくは、意味も無く足を踏ん張った。そうすると、なぜか上手くいくように思えた。

 我が姿を隠せ! そして、自分の体が薄くなるところを想像した。それを何度も繰り返すうちに、ぎこちなかった言葉が馴染んできた。すらすらと呪文が頭に浮かび、たちまち消えた。いつの間にか、一心にその呪文だけを頭に思い描いていた。が、何も起こらない。さっきまで姿を隠していた生徒たちが、次々と現れる。ぼくの集中力は、とっくに途切れていた。もう自分でも、消える見込みがないと諦めていた。

「はい、そこまで」

 駄目押しのように、ハジメの声がした。ハジメが、最後に姿を見せた。ずっとぼくの側に立っていたのだ。何だか、先が思い遣られる。

「まあ、そう悲観するな。出来なくて当たり前なんだ」

「そうよ。これを行き成りやって、成功したのは、変人のハジメただ一人だけなんだからね。あんたが出来なくて当然よ」

 二葉が、さも憎らしげに言った。そう言われても、ぼくには気休めにもならならない。

「気を悪くしないでくれ。これは君の能力を知るために行ったことなんだ。屈辱かもしれないが、ここに来た者なら、全員が経験していることだ」

 ハジメは、ぼくを穏やかに見詰めた。少年とは思えないほど、自信に満ちた瞳だ。その初々しい輝きと、経験から来る落ち着きは、明らかに矛盾して、大人びているとは掛け離れた、一種の神秘性を帯びていた。ハジメは続けた。

「もっとも、ここからが本番だ。その前に、もう一つやることがある」

「もう一つ?」

 ぼくは思わず口に出した。ハジメは深く肯いた。

「そうなんだ。大切なことさ。既に気付いていると思うけど」

 ぼくは聞き返した。ハジメは、ぼくの関心を受け止めるように微笑んだ。

「そうなんだ。大切なことさ。既に気付いていると思うけど、僕らは皆、本当の名前ではないんだ。ここでは、誰も本当の名前を知らない」

「えっ、どう言うこと?」

 ぼくは、ざっと教室の顔触れを確かめた。名前に番号が付いているのは、偶然ではなかったのだ。

「私たちはね。本名を隠しているのよ」

 二葉は、ひそひそ話をするみたいに、口元を手で覆った。風が吹き抜けるくらいに、声がかすれた。それでいて、二葉はどこか秘密事を打ち明けるのを、楽しんでいる。

「そんな事調べれば、分かることじゃないか」

 ぼくは振り向いて、遠慮なく声を張った。ちょっと喧嘩腰になった。

「そうとも限らないんだ。この世界はね。まあ、それは今度にしよう。時間もあることだし、そろそろ始めよう。さあ。君はぼくと契約し、新たな名を受け取るかね?」

 ぼくは、馴染みにない言葉に戸惑った。契約なんて、一度も交わしたことがなかった。大袈裟に聞こえる。

「契約?」

「そう。魔法使いになる契約だ」

「どうせ契約しなければ、ここから追い出されるんだろ」

「はは、君はなかなか察しがいいな。その通りだ」

 ハジメはぼくを真っ直ぐ見て、はっきりと断言した。ぼくは呆れたのと、諦めたとのと、複雑な気持ちで肩をすくめる。それじゃあ、選択の余地もない。

「分かった。契約する」

「良かろう。それでは契約に従って、君に新たな名を授けよう。うーん。でも、困ったな。君に見合う名前が見つからない」

 ハジメはしばらく思案しながら、狭い教室のあちこちを歩き回った。あーでもない。こーでもないと呟きながら、ようやく決心が付いたように足を止めた。

「仕方ない。ぼくの前を譲ろう。君には、ゼロを意味する、令という名前を与えよう。もっともこれは当て字だがね。零という漢字は、既に他の魔法使いが使っているんだ。でも、令でも悪くないだろ」

「れい!」

 ぼくは、はっきりとその名を口にした。その名には、あらゆる不浄を取り除く梵鐘(ぼんしょう)の音に似た、清らかな響きがあった。

「でも、どうしたのかしら。あれほど先頭にこだわっていたのにね。あっさりとそれを譲るなんて、何だか気味が悪いわ」

「ここも、大所帯になってきたからな。まあ、ハジメのことだ。何か魂胆があるんだろ」

 二葉と三郎丸が、小声で話している。ぼくは、大層な名前をもらったと知った。

「さあ、名前は与えた。あとは令、君次第だ。もう一度、魔法を使ってみなさい」

 ハジメが進めた。今度は、成功する自信があった。呪文も身に付いていた。少し魔法使いになった気分だった。これなら、大丈夫。

「我が姿を隠せ!」

 心の中でそう念じる。何も起こらない。

「やっぱり、ただの落ちこぼれね!」

 二葉は詰まらなそうに伸びをして、足をぶらぶらさせている。今度は、小憎たらしく見える。

「まあ、そう言うな。誰にだって、得手不得手はあるだろ」

 緑のジャージの三郎丸は、相変わらず机の上に座って妙なポーズを決めている。よく見ると、椅子がない。

「魔法が苦手な魔法使いだなんて、ただのお荷物よ」

「おや。そういう二葉は、魔法が得意だったかな」

 ハジメが歯並びのいい歯を見せ、皮肉を言った。二葉は、ふんと不機嫌に顔を背けた。ぼくが、この魔法を使えるようになったのは、それから何日も後だった。

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