第3話 尖塔の教室と魔法クラス

 第六尖塔の上り口は、校舎を貫く格好で、その最上階の廊下の端に、ぽっかりと口を開いていた。

「ここより先、立ち入り禁止」

 物々しい張り紙が、階段の壁に見える。迷わずそこを上る。渡された紙片にも、そう書いてある。初めて上る階段に、足は重いし、気分も重い。さっきの元気は、図書室に忘れてきたみたいだ。幅の狭い階段は、どこまでも続く。コンクリートの壁は、窓一つ無い。上り始めたら、最後まで休む場所も無い。足がもつれそうだ。机と椅子がバランスを崩す錯覚に陥る。ここから転落すれば、死ぬだろうか? そう考えると、膝が笑って足がすくむ。まだ先は長い。天国への片道切符を渡された心境になる。とても後ろは、振り返れそうにない。ぼくは、この学校の最も高い所を目指す。

 この尖塔には、何もないはずだ。ただ噂では、天辺に避雷針が立って、校舎を災厄から守っている。それを発電機の代替に利用できないかと、考えた人が居るらしい。電圧が桁違い高すぎて、まだ実用化には至らないと、誰かが得意に話すのを耳にした。転落から、感電か選択肢にもならない。

 長い階段は、螺旋状に塔の側面に沿って上っている。途中に扉も窓も無い。ただ階段を照らす明かりがあるだけだ。それだって、不思議な明かりだ。電灯が存在しないようなのだ。階段の内側は、空洞だろうか。ときおり奇妙な音を伴って、振動が昇ったり落ちたりする。

 ようやく階段を上り切ると、屋上の出口を連想させる、分厚い扉に行き着く。扉はこれしか無い。それでも気楽になった。本当にそこが屋上で、青空の下で授業を受けるのも悪くない。が、よくよく考えてみれば、尖塔に屋上は無い。扉を開けて、がっかりする。ちょっと広い物置部屋くらいの教室だった。そこは、ガランとしていた。何一つ物が存在しないから、余計に広く感じる。一人の生徒も見当たらない。本当に、ここが教室なのか。冗談みたいな話だ。

 窓は一つ、それもおかしな窓だ。視点を変えても、景色は少しも変化しない。まるで壁に飾られた絵のようだ。円筒状の壁はクリーム色で、天井が屋根裏みたいに、屋根の形をしている。そこにはコイル状の銅線と、プロペラ機のエンジンに似た装置が吊り下げられている。すると、急にクスクスと笑いを堪える気配がした。ぼくは、もう一度教室を見回す。

「誰か、居ますか?」

 ぼくは経験の無い恐怖に駆られ、そう呼び掛けていた。また笑い声がする。先ほどとは違う場所で、声も複数だった。

「おっと、君は? ノックもせずに入ってくるとは、礼儀も知らない奴だな」

 ぼくは、誰かに話し掛けられていた。そこには、誰の姿も見えない。男の子のような、それでいて大人の口振りだった。

「おい、待て! 俺たちが、いつノックをしたことがあった。言ってみろ!」

「まあ。そんな細かいことは、どうでもいいんだ」

「おい、はぐらかすな!」

 今度は別の声だ。こちらも男の子だが、随分と年齢が上がった。ぼくと同じか少し年上だろう。すると、それとは関係なくいつの間にか、ぼくの背後に、紺のセーラー服を着た女の子が居る。この学校の制服だ。どこから現れたのか、まるで気付かなかった。その大胆な様子からして、上級生に見える。黒髪を白い額の端できっちり留め、頬で切り揃えたその先端が、左右に跳ねている。瞳が大きく、短い眉が小筆で払ったくらいに上を向き、気が強そうに見える。彼女が椅子に座っているのも、学生机に片肘を突いているのも変だ。そして言葉遣いも、ちょっと変だった。しかし、さっきの声とは違う。

「そこの君。このクラスが何と呼ばれているか、ご存じかしら?」

「馬鹿の集まり!」

 ぼくは、彼女に釣られて、強気に言い返した。そんな事で、鬱憤を晴らすつもりはなかった。

「ちょっと、そこの君。自分の事、馬鹿と呼ぶなんて、相当頭にきているのね」

「ようこそ、落ちこぼれの集まりへ」

 さっきの誰かだ。今度は、はっきりその姿を現した。少し日に焼けた、利発そうな男の子が、制服の代わりに緑のジャージを着て、気さくな笑みを浮かべている。彼は椅子には座らず、机の上へ腰掛けて、やっぱりどこか変なポーズを決めている。ロダンの考える人みたいだ。

「誰も歓迎していないけどね。歓迎されたって困るだろ」

 また別の声が聞こえる。と同時に次々と何もない所から、突然と輪郭が浮き上がって、男の子と女の子が制服の姿を見せる。そのほとんどが、やはり自分の机と椅子を所持している。

「そろそろ、無駄なおしゃべりは止めにして、始めよう。ようやくメンバーが揃ったようだ」

 そう宣言して、最後に現れたのは古めかしい教卓だった。誰かがその裏に隠れ、顔を覗かせている。明らかに他の生徒とは違っている。背は低く、どう見ても教師には見えない。ここの生徒なのかも疑わしい。この子は何歳なんだ?

「おい、そこの君。今、僕のことを子供扱いしたな!」

「登校早々、行き成り宣戦布告ね!」

 さっきの女の子が、ぼくをたしなめるように顎を上げる。ぼくは訳も分からず、床に倒れていた。雷に打たれたみたいだった。ぼくは意識が薄れながらも、誰かの声が聞こえてくる。

「そんな相手に、不意打ちとはね。手加減ってものを知らないのか? しかも見えない所から撃ちやがった」

「相手に気付かれる攻撃をしても、意味は無いぞ! おい、今の見えたか?」

「いいえ。でも、予測はできたはず。それで防がないのは、こいつがへぼなだけよ」

「へー。君なら、避けられたと言うのかい?」

「そうは言わないわ」

 ぼくのことが、関係のない所で勝手に話されている。

「はあ、加減したつもりだが。おや、しくじったか。ちょっと僕の手も痺れているな。まあ、いいさ。どの道、新人くんには荷が重すぎたんだ。悪いことしてしまったね。それじゃあ、時間を巻き戻してくれ」

「そんな都合のいい、魔法は無いわ」

「ははは、そうだった」

「あなたは、そろそろ自分が教師であることを、自覚した方がいいわね。都合いいときだけ、対等になられても困るわ」

「いつも済まないね。これじゃあ、新人くんの歓迎会も台無しだ。よし、仕方がない。さっきの続きをしよう。みんな姿を隠してくれ」

 ぼくは、また独りなった。まだ死んだように、床に倒れたままだ。

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