第30話 逃走と蜘蛛


 敵の襲撃は、誰も予知していなかった。学校は放課後で、一般の生徒が居なかった。これでこの学校に、ぼくの帰る場所は無くなった。先生や同級生のみんなからも虐げられ、ようやく見つけた居場所だのに、こうも呆気なくその大切な場所を失ってしまった。しかし、それは他の魔法使いも同じだ。それでも、ぼくらはまだ運がいい方かもしれない。この奇襲でぼくのクラスに、怪我を負った者は一人も出なかった。四組と五組の魔法使いは、負傷した者、安否さえ確認できない者も多かった。学校は混乱の戦場と化してしまった。こんな最悪な状況を、この学校の誰も想像出来なかった。四組も五組も生徒は皆、すっかり取り乱し、全く立て直しができる状況になかったのだ。だからと言って、敵が攻撃の手を緩めるはずがなかった。敵は、こちらの混乱を好機と見るや否や、最大の攻撃を仕掛けてきた。苦戦は、前線の援護に向かった、一組二組、三組も同じだった。ぼくらは、近くの山間にある廃校へ撤退することになった。

「どうやら、簡単には逃がしてくれそうにないな。ムラサキ! しっかり前を見てろよ」

 三郎丸が疾風の中で目を細めると、急に顔をしかめた。巨大な影が、ぼくらの行く手を塞いでいたのだ。ちょうど交差点の十字路に、十メートルは優にある屋台神輿が、巨大な車輪を踏み入れ、ぼくらの進路を阻んでいた。神輿の上には、各々が弓や刀、長刀を手にした鎧武者の人形が、数体頭を並べていた。その甲冑の中身は、全く闇に包まれたように真っ暗で、ただその鬼面の隙間から覗く双眼だけが、トンネルの内側から出口を眺めるみたいに光って見えた。これでは、まるで赤子をひねるようなものだった。


交差点の信号機は、屋台神輿の意思を示すように、全て赤色灯を点していた。そこを通る車も人影も、まるで見えなかった。その交差点が、ぼくらを待ち構えるだけの罠のように思えた。


ところが、車道の反対側から、軽快な太鼓と鐘の音を響かせながら、もう一台の、これも十メートルはある巨大な屋台神輿が出現し、行き成り交差点に侵入してきた。そのまま勢いに任せ、最初の屋台神輿へ体当たりした。二台の神輿が、がしゃんと音を立て、激しく揺れた。


「あいつら、味方同士じゃないのか」

 二台の屋台神輿は、ちょうど交差点の所で、一歩も譲らない構えで、向かい合ってぶつかっている。

「味方同士で、潰し合ってくれるのなら、むしろ歓迎だけど。そうとばかりは限らないわね」

「でも、あんなのに一々構っていたら、すぐに追っ手に追い付かれるわね」

 冬吾は何も言わず、肩をすぼめただけだった。他のみんなは、険しい表情を、その二体の神輿に向けていた。特にムラサキは、このまま道に沿って、交差点に入れば、蜘蛛ごと挟まれ、ぺしゃんこにされるだろう。

「あの上に乗っている武者が、何もしない分けないよな」

 三郎丸も、神輿の規模に多少圧倒されて、気弱になっていた。が、たちまち気持ちを奮い立たした。

「令、今回はお前の出番だ。準備しろ!」

 三郎丸は、風に音に負けないくらい大声で怒鳴った。ぼくは彼に倣って、うんと力強く答えていた。


ぼくらを乗せた、蜘蛛型垂直歩行機の接近と共に、一段と屋台神輿の囃子が、爽快な太鼓と鐘の音を鳴り響かせた。


屋台神輿のやぐらから、狙い澄ませたふうに、鋭い一本の矢が、こちらをへ放たれた。ぼくは、撃ち落とすには、あまりに矢の勢いが速過ぎて、間に合わないと思った。それで背負った学生机を、慌ててムラサキの前に立てた。カツンと鈍い音がして、机に矢が当たって落ちた。その矢を合図に、やぐらから無数の矢の射られた。


その矢の数に、怯えたようにムラサキは、魔法を詠唱し始めた。

「お前は、蜘蛛の操縦に集中してろ!」

 三郎丸が、ムラサキをたしなめるように叫んだ。ぼくは蜘蛛の背中から落ちないように片膝を立てて、零の左腕を前に突き出した。左腕の目玉が、目覚めたように、カウンターの呪文を唱えた。しかし、それだけでは、蜘蛛に乗った全員を、神輿が放った数え切れないほどの矢からは守れない。


すると、蜘蛛の背中に初音の案山子が、突然と生えてきて、盾のようにその体に、飛んで来た矢が突き刺さった。それで、何とか全員無事だった。


「令、油断するなよ」

「分かってる!」

 ぼくは、三郎丸へ叫んだ。零の左腕が唱えた魔法で、数体の武者人形は、自ら射た矢が反射して、身動きが取れなくなっていた。それでも、屋台神輿から飛んで来る矢の数は、ほとんど変わらなかった。神輿の太鼓と鐘の音が、自らを鼓舞するように、いよいよ血気盛んな旋律を奏でている。聞いているこちらまでが、血がたぎるほどに気分が高揚した。


矢の発射と同時に、再び零の左腕の寄生した目玉が呪文を唱えた。が、今度はカウンターの呪文に加え、別に呪文も混じっている。呪文は一瞬で終えると、零の左腕から屋台神輿と同じような魔法の矢が、滝のように発射され、飛んでくた向こうの矢とぶつかって、次々に矢は落下していった。が、零の左腕から放たれた矢は、神輿の矢を全て撃ち落としても余るほどだった。残りの矢が、屋台神輿に到達すると、やぐらの武者人形の上半身を貫いて砕き、やぐらの板へ当たって破壊した。しかし、その程度の損傷では、敵の屋台神輿の攻撃は、全く緩まない。それでも、零の左腕の攻撃は、敵の魔法を覚え、更に何倍も強力にしているはずだ。それだけ、敵の屋台神輿が巨大で頑強なのだ。二台に屋台神輿は、相変わらず交差点の中心で喧嘩するみたいに、互いの巨体を激しくぶつけ合っている。ぼくらを乗せた蜘蛛は、間もなくそこへ到達しそうだった。当然このままでは、屋台神輿の間に挟まれ、ぺしゃんこになるだろう。その時、蜘蛛を操縦するムラサキが叫んだ。

「みんなは振り落とされないように、しっかり蜘蛛の背中に捕まって。令、敵の攻撃を頼んだよ!」

「分かった!」

 ぼくも、大声で叫んでいた。すると、蜘蛛が突然と飛び跳ねた。と同時に蜘蛛は魔法の糸を吐いて、屋台神輿の屋根にくっ付けた。本来、垂直に昇るのは、得意な蜘蛛だからいとも簡単に屋台神輿の上まで昇って、飛び越えてしまった。

「へー、なかなかやるもんだね。こいつも、ムラサキも」

 冬吾は感心した声を出して、あぐら掻いたまま、蜘蛛の背中にねぎらいを込めて軽く叩いてた。


屋台神輿は、蜘蛛が頭の上を飛び越えていくのに気付くと、巨体の向きを変えて、追跡する姿勢を見せたが、その巨体では、とても速くは走れない。瞬く間に、ぼくらを乗せた蜘蛛は、屋台神輿が見えなくなる所まで走り去ってしまったのだ。

「何とかやり過ごせたようね」

 二葉が、全員を見回して険しい顔を緩めた。


それからしばらく、ぼくらを乗せた蜘蛛型垂直歩行機は、人気のない郊外の道を選んで走った。こんな大層な乗り物に乗っているのだから、当然と言えば当然だ。それで、出来るだけ人目に付かないよう用心したのだ。


とにかく遠回りをしても、敵との接触は避けたかった。さっきみたいな待ち伏せを食らっていたら、やがて敵の追っ手に追い付かれてしまうだろう。


いつしかぼくらは、ちょっと見晴らしのよい山道を走っていた。そこからなら、町の様子が一望できる。町は、いつもと変わらないように思えた。中規模のビルの間を、高速道路の高架橋が、河川のように気まぐれに曲がりくねって走っている。それは間近で眺めれば、相当に巨大な建造物だったが、ここからだと、その威圧はほとんど感じられない。その分、精巧で細々している建物が、その眺望の中に、無数に密集していた。それが、遠くの方は輪郭がぼやけて、何か一つの巨大な物の表面に見えた。


「ねえ、誰か追われてる!」

 初音が、その景色の一画を指差して叫んだ。あまりに微細で、目を凝らさないと判別できないが、数十人くらいの人影が、ほとんど地形を無視して、移動しているのが見えた。

「一組の奴らじゃない」


「あれじゃあ、どうしようもない」

 三郎丸が眉をひそめて、吐き捨てるみたいに言った。


 それは一組、二組三組の連合が、追っ手から必至に逃走しているようだった。先行しているのは、一組だろう。一組の速さには、どうにか他に組はついて行こうとしている。しかし、敵の追跡は、思った以上に俊敏だった。足の遅い最後尾は、次々に追っ手に食われている。それが、高い所から見渡せるここからは、手に取るように分かった。それでも、ここからでは、援護も救助も出来ない。たとえそこにたどり着けたとしても、こんな劣勢では最悪救助に向かったこちらまでもが、壊滅してしまうかもしれない。たかだか六組の数名が加わったところで、この力の差は埋めることが出来ないのだ。

「殿は、何をしているんだ!」

 三郎丸は、再び怒鳴った。

「あんなじゃ、何をやっても無駄でしょ。それを分かって、味方を犠牲にしているのよ」

 二葉は、三郎丸をいさめるように言った。その声も苛立ちを含んだいた。

「足の遅い味方を、盾にしているって言うのか。畜生!」

「こんな所で怒鳴ったって、仕方ないでしょ」

「そうだけどよ」

「とにかく私たちは、指示された場所に向かうこと。それ以外に選択の余地は無いわ」

 二葉は、きっぱりと言った。三郎丸は、悔しそうに下唇を噛んで黙った。ぼくたちを乗せた、蜘蛛型垂直歩行機は、やがて町から遠ざかるように、その眺めは森林に遮られて見えなくなった。魔法使いの一組や二組、三組は、無事に逃げられるのか。その景色が見えなくなるにつれ、一層気になった。が、ぼくたちには、何もすることが出来ないのだ。それは、学校で四組と五組を置き去りにして逃げてきたことと同じだった。が、あの時もそうしなければ、ぼくらはこうして、全員が無事で居られなかったのだ。ぼくたちの無事は、多くの犠牲の上に成り立っていた。それを考えると、ぼくは居たたまれない気分になった。


 どちらの道を選ぶかで、ぼくらは意見が分かれた。一つは山道で、こちらは道は険しいが、目的の廃校へ真っ直ぐ向かっている。もう一つは、少し迂回するが、町の側を通ってから向かう道。こちらは、山道よりは道幅も広く緩やかであった。それに先ほどの、一組や二組三組の連中とも合流できる可能性がある。その反面、彼らを追う敵と遭遇する可能性も高かった。


この選択には、彼らの救出を切望した三郎丸も、すんなりと決断を下せなかった。多くの犠牲を割いて、ここまで無傷で来れたのだ。ここで無理をしては、これまでに犠牲が無に帰するからだった。二葉もその事を主張していた。


「ここである程度の敵に戦力を知っておかないと、たとえ廃校へたどり着けたとしても、そこまで敵に攻め込まれたなら、結局同じ事になるだろ」

 そう意見したのは、冬吾だった。彼は、相変わらず自信たっぷりで、そんな事を言ってのけた。

「冬吾。お前、一体何を企んでいるんだ?」

「別に、何も」

 冬吾は、三郎丸の顔も見ずにあっけらかんと答えた。三郎丸は、一瞬その顔に嫌悪の表情を濃くしたが、すぐに元に戻して、辺りをも回した。そこは人気のない、舗装も真新しい三叉路になっていた。ちょうど道の左右が、鬱蒼とした雑木林に挟まれ、周囲からの視界を遮っていた。ここなら敵が来ても、近づかなければ発見されない。が、それは裏を返せば、こちらも敵が接近して来なければ、近づいている危険を察知できないのだった。

「静、どうだ?」

「安全! この付近に、敵の気配は感じられない」

「よーし、戻って来い!」

 三郎丸は、蜘蛛型垂直歩行機から降りて、アスファルトの上を落ち着かない様子で歩き回っていた。

「それでも、どうするの?」

「俺もこのまま、おめおめと逃げるだけなのは、性に合わない。みんな少なからず、そう思っている」

「それでいいの?」

「別に捨て身覚悟で、行くわけじゃない。やばいと思ったら、いつでも逃げる準備はしておく」

「分かったわ。そうしましょう」

「よし、静が戻ってきたら、すぐ出発だ!」

 三郎丸は、そう言ってみんなの顔を見回した。みんなは覚悟したような目で、それぞれが黙って頷いた。冬吾だけが、ちょっとにや付いて口元を緩ませた。


 静が偵察から帰ると、ぼくたちは蜘蛛に乗って移動し始めた。道の景色は次第に開け、右側に町の景色も望めた。所々に人家も見られるようになったが、人影やそこを走る車は現れなかった。

「ここからは、人目に付くから姿を消して行こう。それから蜘蛛は、交代で魔法を掛けることにしよう。令は敵が現れたら、いつでも迎撃できるように備えておいてくれ」

「分かった!」


随分と辺りは開けてきた。小さな商店や、アパートやマンション、ディスカウントストアが、道の両側に展開して見えた。それでも、人通りやそこを行き交う車は見えなかった。どの店もシャッターは上がっていたが、実際営業しているの分からない。

「静、どうだ?」

「待って、誰か居る! 今調べるから」

 静は両耳を覆った大きなヘッドホンに手を当てて、集中するように仕草しながら、短く抑揚のない言葉で答えた。

「早くしろよ。判別出来そうにないなら、一先ず距離を取るぞ」

 三郎丸は、じれったそうに大声を上げた後、進路方向に細めた目を隈無く走らせた。

「分かった。あれは、敵じゃない。一組の人だ」

「ここで出会うとは、早過ぎる。予想と随分違っているじゃないか」

「不味いわね。運が悪ければ、交戦の真っ直中に立たされることになるわね」

 二葉は表情を険しくして、一度振り返った。緩やかに曲がった車道は、さっきまで通ってきた所でまで、ずっと見渡せた。戻るにしては、遅すぎる位置まで来ている。

「この道は、危険だわ」

「分かってる!」

「ムラサキ、次の交差点で左折してくれ」

「分かった!」

 ムラサキは、勢いよく答えた。


「私たちが、一組を追っているじゃない」

「先頭じゃないんだ」

「と言うことは、このすぐ後ろに追っ手が、食らい付いているってことになる」

「静、どうしたんだ? 敵の位置を教えてくれ」

「駄目、雑音が多過ぎて識別できない」

「おい、どうしたんだよ。しっかりしてくれよ」


「やって見る。――わ、分かった。て、敵の真っ直中だ!」

 静が叫んだ。ぼくらの乗った蜘蛛の周りを、数人の魔法使いが横切った、誰もがすっかり疲弊して、マントも制服も埃と泥にまみれている、それでも少しも足を緩めずに、必死に疾走している。が、それを狩り捕るように、全く別の格好をした黒マントが、蜘蛛の所まで迫っていた。

「ムラサキ、そのまま前進しながら、方向転換だ!」

 三郎丸が、慌てて叫んだ。

「分かってる」

 ムラサキも、その混乱の状況にいち早く気付いて、蜘蛛を急速に左へ旋回させた。大型で木製の胴体が、強引な方向転換に、壮絶な軋みを上げた。ムラサキの適切な操縦の甲斐あって、蜘蛛はようやく逃走する味方の、長く伸びた集団の中央辺りに追い付いた。


昆虫のバッタのように、強力な跳躍を繰り返して移動する者、風にように速く疾走する者、何かに跳ね飛ばされたように飛行する者、短い瞬間移動を駆使する者も居た。魔法使いの生徒は、自分たちの得意な様々な魔法で、追っ手に追い付かれまいと、全力で逃げてきたのだった。



が、その中に、他の魔法使いと著しく異なる存在が目に付いた。移動速度もさることながら、まるで踊るように戦乱を駆け抜け、前に出すぎた敵影を見つければ、あっさりと狩り捕っていった。

「一組だ!」

 三郎丸が大声を上げた。

「こいつら、逃げならも全く戦闘力が落ちていない。とんだ怪物だぜ」

 三郎丸は、彼らの巧みな戦術に目を見張った。


「おい、おい。勘違いしてくれるなよ。移動しながらの戦闘が、俺たちの最も得意とする形態なんだからな」

 すると、三郎丸の声に答えるように、誰かの大人のような低い声がした。三郎丸は、特に気にせず言葉を続けた。

「獣の狩りだな」

「そうだ。俺たちは、狼が獲物を狩るように訓練している」

「だが、他の味方とは連携が取れないだろう。それなら、今回のような大規模な戦いでは、むしろ足手まといになるはず」

「もちろんそれは承知のことだ」

「おや、誰かと思えば、三郎丸じゃないか。どうしたこんな所に、ドライブでもしに来たか?」

 そう言って、生徒にしてはかなり大柄で、それでも学生服に黒マント、校章の付いた学生帽を被った青年が、忍び寄るように、ぼくたちの乗った蜘蛛型垂直歩行機の上へ立っていた。


「随分と余裕じゃないか。一組の隊長さんよ」

「隊長とは、また他人行儀なことを言うな。俺とお前の仲だろう」

 三郎丸は、不味い物を呑み込んだように笑った。角張った輪郭の青年を見つめた。それでも、青年は満足そうだった。

「武藤。俺とお前の仲とは、よく言うぜ。それで、尻尾巻いて逃走していたのが、こんな所で油を売っているとは、どうしたんだ?」

 三郎丸は、彼よりも随分と背の高い、見上げるような巨漢に、たっぷりと嫌みを込めて返した。


「ちとな。これ以上、敵の思い通りにさせておくのは、癪に障るというものだ」

 武藤は三郎丸の挑発にも、全く気分を害さず、その厳つい顔面に満面の笑みを浮かべ、親しい友達と接するようだった。

「今更、何をやっても形勢は翻らないぞ! それよりは、少しでも味方を生かす手段を講じた方が、得策と思うがな」

「はは。好戦的なお前なら、喜んで賛成してくれると思ったんだがな。見れば、お前たちの小隊は、まるで無傷。埃一つ被っていない。戦闘もせずに、ただ逃げ帰ってきただけの臆病者の集団じゃないか。それでは、お前らの面目が立たんだろう。どうだ汚名返上には、いい機会じゃないかな」

 武藤は三郎丸を横目で見て、顔色一つ変えずにさらりと言った。三郎丸は、多少顔を赤らめ、湧き上がる感情を抑えるふうに、片頬を引きつらせて苦笑いした。

「どっちがだよ。そもそも俺たちのクラスは、小隊ではないぞ。軍人みたいな言い方をするな!」

「ふふ、お前も言うね」

 武藤は、太々しく笑った。が、それもこの高校生にしては、外見は大人と少しも変わらない青年には、どこか愉快そうだった。


「それで、勝算はあるのか?」

「負け戦に臨むほど、俺らはまだ窮地に立たされていない。それに、俺は負けるのは嫌いだ。お前だってそうだろ」

 武藤は三郎丸を誘うように、顔をゆっくりと立てに振った。

「そうだな。だが、俺は逃げるが勝ちって言葉を嫌っているわけじゃない。それだって、一つの選択だからな」

「やる前から、そんな調子じゃ。拾える勝負も落としてしまうそうだな。はは」

「そこまで自信たっぷりに言うんなら。よーし、分かった。それで、俺たちは何をすればいい?」

 武藤は、一瞬口角をずるそうに吊り上げた。

「何簡単さ。敵は幾ら追っ手の足が速くても、足並みは揃っていないはずだろう。一気に反転して反撃を加えれば、奴らも自ずと怯むはずだ。その隙に乗じて、出来るだけ味方を逃がそう。味方さえ逃がせば、こんな酷い戦場には用はない。とっととずらかるんだろう。はは。俺たちは、出来るだけ敵の注意を引きつける。お前らは先へ行って、そこで待機していてくれ。そこで反撃する」

「分かった。それなら、何とかなりそうだ」

 武藤は、三郎丸の返事を聞くと、二本指を立てて、敬礼するみたいして振った。と同時に蜘蛛の上から、足を離し飛び降りた。武藤の姿は、たちまち見えなくなった。三郎丸は、溜息を漏らすみたいに、大きく一つ息吐いた。

「済まない、みんな。勝手に戦闘に巻き込んでしまって」

「私、あいつが苦手なのよね」

 二葉が、武藤が居なくなるのを確かめて、今まで閉じていた口をようやく開いた。

「はは、武藤も二葉が苦手だと思うぞ。まあ、色々な意味でな」

「ちょっと止めてよ。考えてだけで寒気がする」

 二葉は、怯える顔で腕組みするみたいに、自分の肩を抱いて、細い体を小刻みに震わせた。

「それで、どうするの?」

「あいつの言う通り、この先で待ち構える。こっちには、蜘蛛があるんだ。いざとなったら、これで逃げればいい」

 三郎丸は多少無理して、空元気を出すのように大げさに笑った。一組や二組三組の悲惨な逃走劇が、まだ目蓋の裏に強烈に焼き付いている、ぼくらにしてみれば、明らかにその表情は不安を隠せなかった。今度は、自分たちが追われる身になり、残虐な目に遭わされると、心のどこか隅で危機感を募らせていたのかもしれない。ただ冬吾だけは、そんなみんなの不安を尻目に、呑気な欠伸の涙を、その切れ長の目に溜めていた。ぼくたちを乗せた、蜘蛛型垂直歩行機は、全速力で逃走する生徒たちに間を走った。せめて、少しでも有利な場所を探さなければならないと強く思った。



ぼくらは、郊外の辺りには人気のまるでない、まだ舗装工事に終わらない車道の三差路付近に、後ろが切り立った崖で、蜘蛛でも十分に隠れられる、ちょっとした起伏のある場所を見つけて、そこへ陣を構えた。その前方には小さな橋があって、敵は一旦そこを通らなければ、こちらには渡って来られなかった。もっとも魔法使いであるからには、地形を無視して、飛躍することだって出来る。が、それは明らかに緊急性ある場合だけに限定されるはずだ。随分と飛ばしてきたから、味方がここへ到着するには、まだ少し時間があった。


 二葉は、その時をじれったそうに待っていた。

「……でも、一組が私たちに助けを求めること自体、プライドの高い彼らからして、有り得ないのよね」

「そうだとしても、こんな状況だろう。彼らだって、やむを得ないことだろ。自分たちの自尊心ばかり優先していられないんだ、こんな状況ではな。分かるだろう」

 三郎丸は、ちょっと不満顔で答えた。自分勝手に話を決めてしまったのは悪いが、既にまとまった話をあれこれ否定されるのは、あまり愉快とは言えなかった。せっかく仲間を助ける機会を得たんだ。ここは思う存分、これまでの悔やむ気持ちを晴らしたいと言うのが、彼自身のそれからみんなの意見だと思っていたのだ。


「今更、中止にするわけにも行かないだんだ。そうなれば、今度こそ一組が危険になるからな。ひょっとしたら大きな犠牲が出るかもしれないだろ」

「そうだけど。万が一に備えておいた方がいいと思うのよね。何だか嫌な予感がするの。こんな混乱した状況じゃ。何が起きるか分からないけどね」

「二葉の感は、当たるからな。今回は、この感が外れることを祈るよ。それに出来ることと言ったって、ほとんど限られているはずだろ」

「そうなのよね」

 二葉は、またじれったそうに顔をしかめた。そうして、不安を探すみたいに、辺りを見回した。ちょうど蜘蛛の上で、呑気に寝そべる冬吾に目が留まった。

「ねえ、冬吾。みんなのこと、しっかり守ってよ」

 冬吾は、少し目を開けて、ちらりとそこで準備に忙しく働いているクラスメートを見た。それから、皮肉っぽく口を開いた。




ハジメ、二葉、三郎丸、静、ゴーヤ、ムラサキ、奈々子、初音、久太郎、冬吾、霜月



「こいつらのお守りは、ちょっと御免被りたいね」

「冬吾! お前は、ちっとは協調性って物を身に着けろ。独りで何でも出来ると思っているなら、いつかは足をすくわれるぞ!」

「そんなに怒るなよ! ちょっと言ってみただけだろ。それに護衛は、ぼくの魔法には不向きだからね。知っているはずだろう。まあ、令くん一人なら、別に面倒見てもいいけどね」

「お前、また余計なこと考えているだろう」

「別に」

 蛛の上に体を横たえると、冬吾は一つ遠慮の無い欠伸をして、そのまま眠るように目を閉じてしまった。

「全く緊張感のない奴だな」

「三郎丸が、向きになるから甘えているのよ。戦闘になれば、しっかりやってくれるわよ」

 二葉が、からかうように言った。

「だといいがな」

 三郎丸は、納得がいかない顔をした。が、かと言って、冬吾を信用してないわけではなかった。


 ぼくらの予想に反し、一番最初に姿を見せたのは、一組ではなく二組に生徒だった。全力で戦場を駆け抜けてきた、その生徒は体力もその格好もヘトヘトになりながら、ぼくらが待ち構える陣営に到達したのだ。が、一番の生徒はへとへとなりながらも、ぼくらの陣営が見えていないみたいに、その脇をすり抜けていった。彼はこれまでそうやって、脇目も振らず、ただ前進することだけを考えて走り続けてきたのだ。そうでもしないと、過酷な戦場をとても一番ではたどり着けないのだった。


「なーんだ。がっかりしたな。どんな凄い奴が一番で来るか、楽しみにしていたのに」

 冬吾が蜘蛛の上で、詰まらなそうに頭の後ろで腕組をした。

「冬吾! お前、いい加減にしろよ」

 三郎丸が振り返って、を怒鳴り付けた。

「はいはい」

 冬吾は、いい加減な返事をして、あまり反省しているとも思えなかった。 

「こんな事言ったら、不謹慎かもしれないけど。でも、正直俺は、あそこに居なくて良かったと思いますよ。もし居たなら、俺なんかあんなじゃ澄まされないかもしれない。彼と同じに、みんなを放って逃げ出していたかもしれない。じしんはないですよ」

 久太郎が暗い顔をして、静かに言った。久太郎は自分の本心に、みんなの顔が真面に見れないように、顔だけ背けた。

「そりゃ誰だって、あんな酷い状況じゃ。そうしたくなるさ。別にお前が悪いわけじゃない」

 三郎丸が、久太郎を励ますように言った。しばらく妙な沈黙が続いた。

「いいね。久太郎は、正直で。ぼくはそう言うの好きだけどな」

 うたた寝していると思った、冬吾が寝言みたいに声を出した。


「私だって、そう」

 初音が悲しげなまともと白い顔を更に白くして、ぼそり呟いた。


「何なの、この辛気くさい雰囲気は? しっかりしなさいよ!」

 辺りの様子を確認して戻ってきた二葉が、眉間に皺を寄せ、不機嫌そうに手を腰に当てた。

「また誰か来る!」

 静の声が聞こえてきた。一番の生徒から五分ほど遅れて、別の生徒が現れた。今度は二人だ。が、先ほどの生徒とはまるで様子が違っている。彼らは、少々乱暴であったが、互いの体を跳ね飛ばしたり、引っ張ったりして協力し合っていた。サーカスのショーを見せられている気分になった。

「俺が、お前の尻を蹴り上げるから、お前の尻尾で引っ張ってくれ! お前が俺の尻を蹴っ飛ばすから、お前の尻尾で捕まえろ!」


 二人がこちらに近づくに連れて、妙な歌が聞こえてきた。そうして、二人は物凄い勢いで、こちらに飛ばされてきた。どちらも痩せて背が高かった。手足も長く、少し猫背気味だった。カプセルに入った消しゴムに人形が、取り出したときに体を丸めているみたいな、あんな感じに思えた。二人の体型は、よく似ていた。が、一人は色白で、もう一人は火照ったように赤い顔をしていた。目は小さいが、細長い顔に鼻頭が高く、唇も厚かった。短くした髪は、同じ理髪店で切ってもらったみたいに、同じだった。彼らは、素早くぼくらの側に来て愛想良く言った。


「水を一杯もらえると有り難いんだが」

 顔の白い男の子が懇願した。その子は、静から受け取ったコップの水を一口飲んで、もう一人の男の子へ渡した。静は、別のコップを用意している所だった。

「俺、道に迷ったかと思ったよ。

ちょっと、一番の奴はもうここを通ったの?」

 もう一人の子は、コップを手に口を付ける前にそう尋ねた。

「俺たち、二組と三組だから仕方がないな。まあ一番は譲るよ。おい、急げよ」

「それじゃあ。俺たちもう行くよ。お水、有難う」

「君たち、応援かい? そろそろ敵も現れるから、気を付けろよ!」

 そう言い残して、慌ただしく二人は去った。


「何なの、あいつら? まるで緊張感が無いわね。馬鹿なの!」

「はは、久太郎は心配するな。俺たちの学校にも、あんな奴らがごろごろ居るんだ。お前が、臆病風に吹かれたとしても、俺や二葉、他のみんなが守ってくれるさ」


 それからも、続々と敵から逃れてきた魔法使いの生徒は、ぼくらの陣営にやって来た。


が、そのほとんどは、校内マラソンのゴール地点さながら、完全燃焼したように疲れ果てて、そのわずかに残った気力を保ち続けるので、精一杯な様子だった。余裕のある生徒は、極一部で、一組とその力の差は歴然としていた。それでも、ここまで必死に走ってきたのは、賞賛に値するだろう。が、当然ここがゴール地点と言うわけではない。彼ら、いやぼくらに取ってゴール地点とは、一体どこだろう。彼らも、それからぼくらも、終わりの見えない逃走を続けなければならないのか。


既に多くの生徒が、ここを通過した。思った以上に、生存している人数は多かった。が、ぼくらは途中で力尽きたり、襲われたりした生徒の数を、全く把握していなかった。が、そろそろ逃走者の集団の最後尾が近いというのが、目に見えて分かった。明らかに彼らは、何者かに攻撃を受け、体に負傷を負っていた。あるいは、その攻撃を避けたときに、制服やマントが破れたり、汚れたりしていた。顔だって頭髪だって、泥と埃にまみれていた。そうして、彼らを狩り捕るろうとする、招かざる者がとうとう姿を見せた。


「静、味方はまだ居るか?」

「この近くに居ない。敵を確認。恐らく今来た生徒を追い掛けてきた奴ら。でも、数が多い。二十五人は居る」

「あんな弱り切った生徒を追うにしては、随分と多いじゃないか」


「よーし。冬吾、これならお前が暴れても、味方を巻き込む心配はなさそいだ」

「えっ? 行き成り僕の出番! ちょっと人使い荒いなー」

 冬吾が寝起きみたいに、細目でぼやいた。

「おい、俺がいつお前をこき使った? しかし、一組の奴ら姿がさっきから全然姿が見えないが、どこに行ったんだ」


「はいはい、それじゃあ。ちょっと行ってきますか」

「令、冬吾の援護を頼む」

「いいよ、いいよ。あんまり近くに居られたら、やりにくいから」


 冬吾は、蜘蛛からゆっくり降りてくると、独り前へ出た。そこで立ち止まって、前方を見渡すようにして、敵を確認した。黒マントに身を包んだ敵が、速度も緩めずにこちらに真っ直ぐ向かってくる。冬吾は、それを確かめると、大きく深呼吸した。その瞬間、彼の表情が変わった。まるで戦士のような鋭さ目付きで、敵を捉えている。

「それでは、行ってきます!」


 冬吾の体は、大砲の弾のように打ち上げられると、敵の中心に向かって、猛烈な勢いで突撃した。

 そこで冬吾の魔法攻撃が、最大限に爆発するはずだった。が、冬吾の魔法は発動されず、彼の生身の体だけが、その勢いのまま、弾丸みたいに地面へ叩き付けられた。

 激しい衝撃と、冬吾のうめき声が起こった。


一瞬怯んだ敵が、墜落した冬吾の周りに、わらわらと群がりだした。


「冬吾がやられた?」

「何だよ、今の!」

「敵は冬吾の攻撃に備えて、罠を仕掛けていたのよ」

「あいつ、調子のるから……。令、援護頼んだぞ!」

「うん、任せて」


 ぼくは急いで前に出ると、左腕をライフル銃みたいに構えた。左腕の不気味な目玉が、心得たと言わんばかりに、一瞬で呪文を完成させた。ぼくの左腕は、煌々と輝き始めると、無数の光の弾が生み出して、敵へ目掛けて放った。それは一瞬のきらめきに似て、瞬く間に敵を捕らえた。無防備に、冬吾の前に集まっていた数人が、光の弾丸の餌食になった。光の弾は衝突と共に眩い閃光を発した。敵は落雷に遭ったみたいに、体が感電し、焼け焦げになり、煙を上げて倒れた。その中には、辛うじて着弾の瞬間に、防御の魔法を唱えた者もあったが、それでも損傷は大きく、体が電撃のために、体の自由が奪われていた。敵は、一旦冬吾の周りから退くと、次の攻撃に備えて、距離を置くようだった。ぼくはじりじりと詰め寄って、牽制しながら冬吾の側までたどり着こうとした。


しかし、敵も簡単には、こちらの思うようにはさせてくれない。人数も多いから、次々に魔法を唱えた反撃に転じてきた。ぼくはリュックにした机によって、ほとんど魔法攻撃を回避していった。その中には、とても回避不能な強烈な攻撃も向かってきた。


左腕がカウンターの魔法を唱えた。ぼくも同時に、この腕から習得したカウンターを発動させていた。左腕は対処できそうな魔法は、拳で払うように跳ね返した。それでも、これ以上前に進むことは出来なかった。それは、単にぼくの未熟さ故の限界だった。結局、戦闘の経験不足なんだ。どんなに優れた力を持っていても、使いこなせなければ役に立たなし、こちらの思うように、実力を発揮させてももらえない。それじゃあ。ただの宝の持ち腐れなのだった。


左腕は、未熟なぼくを守るために、どうしても防戦一方になった。敵はそこへ付け込んで、強引な攻撃を放ってきた。


おびただしい数の魔法の弾幕が、ぼくに向けて放たれた。その圧倒的な攻撃力に、ぼくは完全に逃げ場を失った。


左腕は、今度は無数の矢を放った。数なら、こちらも負けてはいなかった。が、これは呆気なく敵の魔法に焼き尽くされた。魔法の相性が悪かったのだ。一気に魔法の集中砲火を浴びることになった。左腕のカウンターが発動して、被弾を防いだ。その上、魔法を唱えた者に、同等以上の反射攻撃が加えられた。強力な魔法を放った魔法使いには、手痛いお仕置きが起こった。バタバタと数人の敵が、自分の魔法で地面に膝を突いて呻いた。倒れた者も若干見えた。が、その数は思ったより少ない。更にその被った損傷を回復する者も、敵には存在したのだ。


敵の対応は早い。すぐに波状攻撃に切り替えてきた。ぼくの左腕が覚えたムラサキのカウンターは、発動時間は持って数秒。効果が切れれば、次の発動までにわずかな隙が出来る。それに、その魔法に頼ってしまえば、全く積極的な攻撃は行えなかった。


が、ぼくの左腕は、今度も矢の魔法を唱え、カウンターの魔法を行った。未熟なぼくには、これしか攻撃の手段がないのだ。ところが、左腕は空を打ち抜くみたいに、上空へ向けて矢を発射させたのだ。敵はこの攻撃には思わず失笑の声を漏らした。

「どこを狙っているんだ!」

 ぼくの失敗を嘲笑う言葉も届いた。それに勢い付いて、敵は攻撃の手を強めた。着実にぼくを狙って、魔法の弾丸が向かってきた。


既に左腕のカウンターは、効力を失い。ぼくは背中のリュックで何とか敵の攻撃を回避しようとした。が、それも既に限界が来た。青白い炎を間一髪で交わしたところへ、別の灼熱に焦がされた弾丸が、ぼくのふら付いた体を完全に捉えたのだった。


やられるっと思った瞬間、ぼくの周りに半透明な魔法の障壁が現れた。ぼくのカウンターが発動したのだ。しかし、ぼくには零の恩恵を受けた左腕ほど、強力な魔法は唱えられなかった。辛うじて、机のリュックに与えた魔法耐性によって、被弾の損傷を軽減することが出来た。かと言って、無傷というわけにはいかない。一瞬、全身が燃えるように焦がされ、素早く鎮静された。火が付いたと思った。が、敵の攻撃は、それで終わりではない。ぼくが息を吐く隙間も与えなかった。次の攻撃は、左腕がカウンターの魔法によって防いでくれた。と同時に、敵の攻撃が突然と止まった。


敵の頭上に、恐ろしい数の魔法の矢が降り注いだのだ。それは、ぼくの左腕が先ほど、空に向かって打ち上げた矢だった。失敗だと思っていた攻撃が、今頃になって功を奏したのだ。敵の中にそれを間一髪で、防御した魔法使いが居た。もしその敵が、魔法の障壁で矢を防がなければ、そこに居た敵は、壊滅を免れなかっただろう。その代償として、魔法を唱えた者は、大きな手傷を負ったようだ。左腕が打ち上げた矢は、思いの外強力な破壊力を持っていた。その敵の魔法の障壁は、たちまち役立たずになった。それでも、第二段目の魔法防壁を張って、降り注ぐ矢から味方を守った。が、矢の雨は二段目の障壁も打ち崩す勢いだった。敵はとうとう片膝を地面に突きながら、最後の力を振り絞って、三段目の防壁の魔法を唱えた。ようやく矢の雨は防がれたように見えた。最後の鋭い矢が、三段目も貫いて、魔法の詠唱者を射止めたのだった。その敵は、体が前のめりになって、完全に地面へ崩れた。


敵の士気は、ますます高揚した。ぼくを狙って、魔法を詠唱し始めた。その時、地面に倒れていた冬吾が、ゆっくりと立ち上がった。敵は警戒して、魔法の詠唱を中断したようだ。


「令くん、ちょっと下がっていてくれる。カウンター何か使っちゃあ困るからね」

 冬吾は、こっちを一瞬の振り向いた。冬吾の額からは、鮮血が滴り落ちていた。傷はそれほど深くなかった。


「僕の魔法は、ちょっと上品じゃないからね」

 彼は、引きつった声で笑っていた。

「不味いな。あいつ完全に切れやがった」

 三郎丸が冬吾を睨んだ。

「自分の出血で、頭に血が上ったんだわ」

 二葉が、ちょっと困惑した表情をした。

「牛みたいな奴だな」

 三郎丸が真顔で返した。


 冬吾は、両足に力を入れると、一瞬で呪文を終えた。目の前の敵に向け、両手を突き出すように構えた。

「爆裂波!」

 冬吾は、渾身の力を込めてそう叫んだ。が、今度も何も起こらなかった。冬吾の魔法は、発動しなかったのだ。

「そうか」

 冬吾は、むしろそれをわざと確認したように見えた。そうして、再び湧き起こった敵の嘲笑を引き裂いて、稲妻が走った。敵の一人が、一瞬で黒焦げに焼き尽くされたいた。

「これは、さっきと今のお返しだ!」

 冬吾は、怒りを噛み締めるように言った。


「冬吾は気付いていたのね」

「まあ。格上相手に、二度も同じては食わないだろう」

「どう言うこと?」

 三郎丸と二葉の所まで後退してきた、ぼくは尋ねた。

「おう、令。戻ってきたか。それがな。冬吾の失敗した魔法は、ちょっとした欠点があるんだ。それを敵が知って、備えていたのさ」

「欠点て?」

「あいつの魔法は、火薬を生成して、爆発させる魔法なんだが、それには点火しないといけないんだ。だが、敵は火薬に点火しないように、酸素を奪ったんだ」

「冬吾の本当の欠点は、敵に攻撃が読まれやすいところよ」

 二葉は呆れたように言った。

「はは、違いない。まあ、あいつの攻撃は、来ると分かっていても、なかなか避けられないからな」

 三郎丸は、にやにやした。

「でも、酸素が無くなったら息が出来ないんじゃ?」

 ぼくは、再び聞いた。

「はは、そうだけど。無くすって言っても、一瞬なんだ。数秒くらいなら、息を止められるだろ。それに、ここは閉鎖された空間でもないからな。息が出来ないほど、酸素を奪うとしたら、相当強力な魔法じゃないと不可能なはずだろ。自分たちが、酸欠になっても困るからな。それなら、他の魔法で攻撃した方が早いだろう」

 三郎丸は、真面目に答えた。

「成るほど」

 ぼくは、もっともらしく頷いた。三人が会話している間に、強烈な爆発が起こった。どんよりとした曇り空に、その爆音が果てしなく響き渡った。敵の中に、真面に立てる者は残っていなかった。

「これじゃあ。わざわざ敵に、ここの場所を教えて上げたようなものじゃない」

 二葉は、困った顔で溜息を漏らした。三郎丸は、肩をすぼめただけだった。近くで戦闘に備えていた、久太郎と初音が、心配そうに集まってきた。

「どうします?」

 何か言いたそうな初音に代わって、久太郎が口を開いた。

「どうするもこうするも、あの馬鹿のせいで、後ろから来る敵が一気に責めてきたら終わりだからな。場所を変えたところで、同じだろ。敵に不意を突くのが、作戦だったんだ。台無しだな」

 三郎丸も、冴えない表情を浮かべ、悩むように目を閉じた。ぼくは、みんなの様子をじっと見守っていた。戦い慣れしていないぼくには、事の重要性が実感できていなかった。

「静、どんな具合だ?」

「敵が大量に押し寄せてくる。ここも危険!」

「分かった。すぐ戻って来い」

「了解」

「そうだ。静、それで一組は見つかったか?」

「一組は、見当たらない」

「よーし、分かった」

「何とか、一組と連絡が取れればいいがな」

「でも、どこに行ったのかしら」

「奴らの考えていることは、どうも理解に苦しむ。だが、ここにいつまでも居るわけにも行かないだろう」

「でも、どこに行くの?」

 二葉が言った。

「それは、移動しながら考えよう。とにかく静が戻って来たら、出発だ。みんな急いで準備してくれ。それから、誰かあの馬鹿にも伝えてくれ」

 三郎丸はそう言って、冬吾を睨んだ。冬吾は、戦闘不能になった敵を前にして、完全燃焼したように独り佇んでいた。


「もう味方は居ないんじゃないかしら」

「それなら、この作戦自体する必要が無いんだがな。こう戦場が広範に渡っていては、何とも状況判断が付けにくいな」

 ぼくらは、静が戻ってくると、すぐに蜘蛛に乗って敵を待ち伏せしていた場所を離れた。敵の裏を掻くには、陣営を後退させるよりは、大きく迂回して敵の思わぬ方向から、接近することを考えていたのだ。


「どうしたんだ。令、怪我したのか?」

 三郎丸が、ぼくの左腕を見詰めて言った。ぼくは、左腕に軽い痺れを感じて、そこを触るように確かめていた。

「無理させたからな」

「ううん。そうじゃないよ。でも、ちょっと左腕が痺れてね」

 ぼくは、小さく首を横に振った。

「ひょっとして、そろそろ零の呪いが解ける兆候が現れたのかもしれないな。それ自体は、喜ばしいことなんだが。令には、済まないが。ここで零の力を失うのは、正直きついな」


「ぼくだって、同じだよ。今、この力がなくなると、ぼくは足手纏いになるだけだよ」


「まあ、そんなに悲観するな。令は、令で十分にやってくれた。そうだろ」

 三郎丸は、ぼくを励ますように肩に手を触れた。触れられた所が、暖かくなった気がした。


ぼくらは、高速道路の高架橋に、一つの安全な抜け道を見いだした。この町には、重厚なその高架橋が、河川さながらあちこちに走っている。ぼくらを乗せた、蜘蛛型垂直歩行機は、その架橋の真下にへばり付いて、本物の蜘蛛みたいに、移動しようというのだ。

「これなら、敵に発見されにくい」

 ムラサキは、得意げに言った。

「そんな事、出来るの? 途中で真っ逆様に、転落するのは御免よ」

 二葉は、ちょっと疑うように聞いた。他のみんなも、同じ事を考えていたとみえ、一斉にムラサキの気弱そうな細身の顔へ視線を集めた。それでも、多少彼の顔が赤らんだがだけで、その自信が揺らいだようには見えない。

「元々蜘蛛は、普通には登れないような所を登るために、作られているんだ。エレベーターのように使っていただろ。だから、大丈夫。蜘蛛はね。壁や天井を伝って移動するわけじゃない。たとえその壁や天井が、途絶えていたとしても、何の問題もないんだ。糸を掛けさえすれば、綱渡りの要領で、道なき所も進むことが出来るんだ」

 ムラサキは、この蜘蛛のことになると、雄弁になった。三郎丸は、一瞬思案する格好を見せて、ムラサキを見た。

「よし、お前がそこまで言うんだ。それで、行こう。蜘蛛に関しては、ムラサキが一番の理解者だかな」

 みんなも、納得したように頷いた。

「その高架橋に近づくまでが、最大の難関だな。静、周囲の探索を頼む」

「分かった」

 静が、小さな声で返事した。彼女は、既に頭に付けた大きなヘッドホンで、敵の探索を始めていた。それは、一見したら街中でヘッドホンして、音楽を聴きながら歩く少女と変わらなかった。当然、彼女が使っているヘッドホンには、魔法が掛かっていた。彼女の周囲の気配や、物音、魔法感知も出来る。一度に様々な音を拾ってきて、このヘッドホンは解析までする優れものだった。ただそれを理解できるのは、偵察や探索に特化した魔法使いではならなかったし、ヘッドホンやそれに類似した、魔法の掛かった道具を身に着けていたから、直ぐにそれが偵察だと、敵に悟られてしまう。それで、危険にさらされることになるのだ。偵察や探索を得意とする魔法使いは、戦闘には不向きなのだ。発見されれば、確実に仕留められる他なかった。


ぼくは、蜘蛛の上で音楽を聴くみたいにヘッドホンの音に集中する静にときどき目を向けた。ある日、それどんな音が聞こえるのと、静に尋ねたら、聞いてみると言って、ヘッドホンを渡してくれた。ヘッドホンからは、海岸で拾った貝殻に耳を当てたみたいに、何か音が聞こえるてくるような、それとも気のせいのような音がした。あれは、波の音か風が鳴る音だったのか。

「何か聞こえた?」

 静は、ぼくの顔を見ずに言った。

「ううん、聞こえるような聞こえないような。分からなかった」

 いつも静は無表情で、抑揚のない声で答えた。が、その時だけは、ちょっと笑ったように思えた。彼女の表情は、とても微細なのだ。


 蜘蛛は一旦、町に下りて高速道路の高架橋を目指した。ぼくらは、人目に付かないように、姿を消す魔法を使った。交替で蜘蛛にも、魔法を掛けることを行った。が、幾ら姿を消したからと言っても、安心はできない。姿を消しても、魔法使いには全く無意味だった。しかし、魔法を使わず、蜘蛛やぼくらの存在を、一般の人に曝すわけにはいかないのだ。


車が行き交う、町まで下りてきた。敵との遭遇も無く、何の問題も無く、極めて順調に、ぼくらを乗せた蜘蛛は走って来た。


小さな商店街を通り過ぎると、大通りの交差点が見えた。南国のマングローブみたいに、ビルや信号機がひしめき合っている。そこは交通量も多いし、姿を消したまま、大型の蜘蛛で通過するのは困難だ。迂回するしかない。ぼくらは、少し遠回りをして、別に分岐した高速道路から、その高架橋へ上ることにした。


ぼくらは、高架橋に上がる前に、適当な場所を選んで、休憩を取ることにした。一度に、高架橋へ上がってしまえば、しばらくは休めないからだった。蜘蛛を隠して、初音と久太郎が付近のコンビニへ買い出しに行っている間、ぼくらは進路と作戦の確認を行っていた。


「敵の位置が分からないんじゃ。さっきの二の舞だな」

 三郎丸は、路肩の縁石に腰を下ろしていた。ぼくらは、てんでばらばらの格好で、今後のことを話し合っていた。二葉は、落ち着かないように道路脇を歩き回っていたし、ムラサキは蜘蛛の側に、ぼくと静は、蜘蛛を隠した空き地の隣のビル壁に、身を隠すようにしゃがんでいた。そこに、人が通る気色は消えなかった。冬吾は、死んだように蜘蛛の上で寝ていた。


「でも、ある程度予測は付くわ。敵は、大所帯だから最短距離を進行してくるはずよ。まあ。それを見越して、別の進路を取ってくることも、十分に考えられる。今のところは、これほど圧倒的に有利な状況で、敢えてこちらの裏を掻く必要も無いはずよ」

 二葉はそう言って、何か考えを巡らすふうにした。


「それより、一組はどうしたんだ。静、何か掴めたか?」

 三郎丸が、振り向くようにして言った。

「ううん、全く掴めない。この辺りにも居ないみたい」

「どうしたのかしら、あれだけ大口叩いた癖に、音信不通とはね」

「まあ、明らかにこちらがやらかしたせいも無くも無いがな。が、それを今更言っても仕方がない」

「言う言葉も、見つからないけどね」

 二葉は眉間に皺を寄せて、蜘蛛の上の冬吾を一瞥した。が、すぐに気を変えて話を戻した。

「それで、その後はどうするの?」

「一組の居場所が分かれば、一番いいのだが。どうもあいつらは、神出鬼没過ぎる。かと言ってあいつらが、こちらの位置を把握しているとも思えないしな」

 三郎丸は顔をしかめて、小さく唸った。

「初音と久太郎が帰ってきた」

 二人は袋を下げて、買ってきた物を確かめるように覗いて来た。それぞれが、パンや飲み物を手にして、話し合いの続きをするみたいに、それを口に運んだ。

「あんパンと牛乳、ありましたよ」

 久太郎が、三郎丸にそれを渡した。

「おう、サンキュウな」

 三郎丸は受け取ると、無造作に袋を破って牛乳と一緒に食べ始めた。食べる間も、惜しんでいる様子だった。

「それで、どうなりました」

 久太郎が自分たちが居なかった間の、話し合いの進展を覗うように言った。

「どうも、こうもないさ。戦況も分からないし、俺たちは完全に孤立している。闇雲に突っ走っても仕方ないだろ。取りあえずムラサキの案の通り、高架橋に上るのを最優先にする」

 三郎丸は、そこまで話と息継ぎするみたいに、あんパンに齧り付いた。

「その後は、どうするんですか? 僕らの本来の目的は、新しい拠点に向かう事のはずです。これ以上、消息の分からない一組に義理立てして、わざわざ危険を冒す必要は無いと思いますが」

「まあ。そう言われてみれば、そうだな」

 三郎丸はそれ以上答えず、俯いて手にしたあんパンと牛乳をもてあそぶように、ぶらぶらさせた。


「よし、高架橋を上って、そのまま新しい拠点に戻ろう。敵と出遭う事も有り得るが、出来るだけ交戦は回避しよう。とにかく味方の陣営にたどり着くことを優先させる。それでいいな」

 久太郎も初音も、雲が晴れたような顔をして頷いた。

「ようやく話がまとまったようなような。そうと決まれば、早速出発しましょう。こんな所でぐつぐつしていたら、帰れなくなるわ」

 二葉が言った。


 ムラサキは慎重に蜘蛛を、巨大な高架橋の橋脚を登らせていた。一度上まで登ってしまえば、後は蜘蛛の糸を張って、そこを綱渡りさせれば良かった。が、どうしても上に上がるまで無防備な状態に曝される。他の者は、いつ敵が現れてもいいように、周囲の警戒に当たっていた。

「誰か来る」

 静が魔法で、みんなに伝えた。

「こんなタイミングで、不味いな! ムラサキ、まだか?」

「上に登るまで、もう少し掛かるよ。ここからじゃあ、宙吊りで渡ることになるよ」

「静、どうだ?」

「敵、魔法使いが三人。でも、まだ気付かれていない」

「ムラサキは、そのまま待機。ここで敵をやり過ごす。他の者は、念のため散開して警戒を怠るな!」

 三郎丸の指示に、みんなが了解と返答して散らばった。ぼくは、急いで目に付いたビル陰に身を隠して、敵が通り過ぎるのを待った。


みんなが少し離れた所から、ムラサキと蜘蛛を見守っていた。敵の三人は、ちょうどその高架橋下を移動して、ムラサキと蜘蛛の所へ近づいていた。が、彼らに警戒した様子は無かった。


間もなく、三人の人影が現れた。その格好は、全く予想外だった。まるで昔の不良少年みたいに、独特な制服に身を固め、背中のマントには、魔族と派手な刺繍が施してあった。髪型もツッパリさながら、前頭部を突き出したリーゼントの頭を、三人が三人とも整えていた。


「喧嘩なら強そうだな」

 三郎丸が呟いた。二葉は、彼らの昔風な不良姿が、笑いの壺にはまったらしく、込み上げてくる笑いを堪えるのに苦労していた。

「二葉、気付かれるぞ!」

「分かっている。でも、笑いが止まらないのよ。くくく……」

――



「なあ、みんなの所に戻らなくていいすか? 怒られますよ」

「ああ? ほっとけばいいんだよ。どうせ、見つかりっこない。見つかったって、道に迷ったって言っとけば済むことだろ」

「そうすね」

「そもそも、俺は逃げ回る相手を追い掛けるような、喧嘩は好きじゃえんだ。男はな。正々堂々と真っ向勝負じゃなきゃいけない。分かるだろう?」

「はい、分かります!」

「堂々と喧嘩できるって聞いていたから来たんだが。どうだ実際に来てみれば、ただの弱い者いじめじゃねえか。とんだ期待はずれだぜ」

 不良の三人組は、全く周囲を怪しむ様子も見せず、ぼくらが見守る中、ムラサキと蜘蛛が隠れる高架橋下を、何事も無く通過するように見えた。ちょうどぼくらが、ほっと胸を撫で下ろしたときだった。


「兄貴、どうかしたんですか?」

「どうしたもこうしたもねえ。そこに隠れているんだろ。分かっているぜ。こそこそ隠れてないで、出てこいよ!」

 不良の三人組の一人が叫んだ。

「不味いな。ムラサキが見つかった!」

 三郎丸が囁くように言った。ぼくはより一層息を潜めて、その三人組を見詰めた。

「ちょっと待って、まだ完全にはムラサキの位置は、特定されてないみたいよ」

「おい。聞こえているんだろ、俺の声が? ああ!」


「そこだ!」

 リーダー格の青年は、突然と振り向いて、巨大な橋脚の一か所を指差した。

「兄貴、後ろです!」

 その青年の後ろに、ムラサキが引きつった表情で立っていた。

「あいつ、奴らの誘いを真に受けて、自分から出て来やがった。みんな、急いで、ムラサキの援護に回れ! 奴らが妙な動きを見せたら、構わず攻撃を叩き込め」

 了解と同時に、偵察の静を除いた、全員が物陰から飛び出した。ぼくは、全速力でムラサキの元へ走っていた。


「おい、お前。そこで何していた? 見たところ、味方じゃないようだが。正直に答えろ!」

 不良の青年は、ムラサキを探るような鋭い目付きで見て言った。ムラサキは、青年の顔を真面に見詰めると、思わず視線を逸らして、黙ったままだった。

「おい、俺が聞いているんだぞ! 早く答えろよ」

 その青年は、言い終わらないうちに、見る見るその顔に警戒の色が差した。一番最初に、ムラサキの所にたどり着いたのは、二葉だった。

「おい、マブイ女が現れた。誰だ! こいつの女か?」

 その青年は酷く驚いたように、落ち窪んだ丸め目を、最大限に見開いて、その顔を突き出していた。

「誰が、こいつの女よ! あんた、私に喧嘩売っているの?」

 二葉は凄みを効かせた眼光で、不良の青年を睨み付けた。少し遅れて、三郎丸、初音に久太郎、そしてぼくが彼らの元に到着した。冬吾は、まだ蜘蛛の上だった。

 

「何だ、何だ。どっから湧いて出たんだ!」

 三人組は、目をキョロキョロさせて、ぼくらを見回した。ぼくらの存在に、初めて気付いた眼差しで、互いに顔を見合わせている。

「どっから出て来だんだ? お前ら!」

「そんなの、どうでもいいわ。見つかったからには、見逃すわけにはいかないわ」

「おいおい、なま言ってんじゃねーぞ。こら! それはこっちの台詞だ。人数が増えたからって、調子に乗るなよ」

 不良の青年は目を鋭利に細めて、威嚇するくらいに睨み返した。

「仕方がない。戦闘は極力避けたかったが、やるしかなさそうだな」

 三郎丸が右腕の筋肉をほぐして、戦闘に備えるようにした。

「この生意気そうな奴は、私に任せて! 痛い目見せてやらないと気が済まないわ」 

 二葉も、やる気満々の態度を見せた。

「おい、ちょっと待て! 待っててば」

 不良の青年が、急に大声を出して、広げた右手を前に出して、二葉を制するようにした。

「何? 怖じ気付いたの! それとも、私が相手じゃ不満?」

 二葉は、さっきの仕返しをするように言った。


「そうじゃねえ。俺はよ。女とは戦えねえんだ」

 不良の青年は、気まずそうに言葉を返した。

「女だからって、馬鹿にしているの?」

「いやいや、そうじゃねえんだ。これは、俺のポリシーだ。俺のポリシーがそうさせているんだ」


「ぶさけないで! 何がポリシーよ」

「まあ、待て。こいつの言うこともわ分からんでもないな。よーし、俺が代わりにこいつと戦ってやろう」


「俺たちを舐めてもらっては困る。後で吠え面を掻くなよ!」

「はは、なかなか言うね」

 三郎丸は、敵を前にして不敵な笑みを浮かべていた。

「勝手にすれば!」

 二葉は少し肩をそばだてて、後ろへ下がった。


「令は、行きなさい!」

 そう言って、二葉はぼくの背中を叩いて押した。

「ぼく、こういうの苦手だな」

「何言ってるの。私の代わりに、相手をけちょんけちょんにやっつけるのよ」

「けちょんけちょんって……」

 ぼくは、苦笑いを浮かべながら、三郎丸の所まで前へ出た。不良風の魔法使いは、近寄ってみると、更に凄みと威圧感を増した。本能的にこの人たちとは、争いたくないと感じた。ぼくが前に出るのと交代に、初音が下がってきた。ああ、良かった。あんなのと戦わずに済んだという顔を見せて、ぼくと擦れ違った。それは、ぼくだって同じだった。


 不良の青年は、ぼくらの顔を満足そうに眺めた。独り言のように言った。

「一人多いな」

「こいつは、非戦闘員だから戦えない」

 三郎丸は、ムラサキの肩を叩いて、強引に引き寄せた。

「成るほど」

 不良の青年は、にやりとして納得したように頷いた。

「これで、三対三だな。それで、何を賭ける?」

「賭ける? 男の勝負に、そんな物は必要か?」

「はは、貴様もなかなか言うね。だが、ただでは、真剣味が足りないだろう。手加減されて、後で不満を言われても困るからな」

 不良の青年は、ふんと鼻を鳴らして笑った。


「だが俺たちは、大した物は持っていねえ」

 三郎丸は、両手を大げさに広げて見せた。


「なら、何が欲しい?」

 これには、三郎丸はすぐに考えが浮かんだ。

「俺たちを見逃してくれれば、それでいい」

「だが、それはちと値が張るな。それに見合った物を、賭けてもらわねえとな」

「そう言われてもなあ。じゃあ、お前らは何が欲しい?」


 不良の青年は、うんうん唸りながら、少々芝居染みたように、悩む振りをした。


「そこの姉ちゃんを、と言いたいところだが、人さらいや卑猥なことは、俺の趣味じゃねえ」

「それは、殊勝な心掛けだな」

「ふふ」

 不良の青年は、また鼻で笑った。

「それで、何が欲しいんだ」

 三郎丸は、青年に迫るように尋ねた。

「そ、そうだな。まあ、そこの姉ちゃんの連絡先でも教えてもらえば、それで構わんよ」

「嫌よ。そんなの」

 二葉は、青ざめた顔たで訴えた。が、三郎丸は、悲鳴を上げる二葉を無視して、話をまとめてしまった。

「よーし、分かった。それいいんなら、そうしよう」

「ちょっと、他人事だと思って、勝手なこと言わないでよ」

 二葉は、泣きそうな声で叫んだ。

「勝てばいいんだ!」

「そう、勝てばいいんだ!」

 二人の男は、腹の底から自信たっぷりに、そう声を張った。

「これは、男の勝負だ。二葉、余計な口出しするなよな!」

「そうだ。二葉、余計な口出しするなよな!」

「おい、そこのお前! どさくさに紛れて、私を呼び捨てにするな!」

 二葉は、不良の青年を不快そうに睨んだ。

「ちょっと。負けたら、私が犠牲になるのよ! 分かっている」

 が、既に二人の男の闘いは、始まっていた。二葉の言葉は、三郎丸には届いていなかった。

「それで、勝負はどうやって決める。まさかぶっ倒すまでやり合うって言うんじゃないだろうな。残念だが、俺たちには時間が無いんだ」

「分かっているさ。そう長くは、手間は取らねえ。一発勝負だ!」

「男らしくて、いいね!」

「だが、簡単に防御されるような攻撃は、勝負に入らねえ。いいだろう」

「もちろんだ。だが、防御の上から強引に打ちのめすって、言うのもあるだろ」

「はは。そう言う場合は、手痛いダメージ食らったかで決めよう。だが、カウンターは、多少の怪我でも続行としよう。カウンターばかりで、待たれたら、手の出しようがないからな。いいな」

「まあ、いいだろう」

 三郎丸は、少し躊躇い勝ちに了承した。

「それで、誰と誰がやる?」

「当然、俺とお前がやる。後は実力順だな」

「俺は、和真だ。それから弟の章吾と、子分の隆生。章吾と隆生は、どりらも同じくらいの実力だ。まあ、弟から先に出そう」

 ツッパリ頭の和真は、彼の左右に控える、厳つい格好の青年に、四角い顎を向けて示した。二人の青年は、和真に紹介されると、軽く会釈をして応えた。

「それじゃあ、先鋒は令。次鋒は久太郎だな」

 久太郎は、次鋒と呼ばれたときに、何か言おうとして、三郎丸に制された。魔力では、零の呪いを受けたぼくに方が上だ、と意見したいのだろう。だが、その力を相手に、見す見す教える必要もないだろう。

「それでいいな。後からの変更はできないぞ。それぞれの勝者には、一点がもらえる。大将戦は二点だ」

「引き分けなんてのは、あるのか?」

「そうだな。一試合時間を決めてやろう。最初の二戦は、一試合五分だ。大将戦だけは、十分としよう。逃げ回って、引き分けに持ち込むような腰抜けな闘いは、止してくれよ!」

 和真は、ふんと鼻を鳴らし、腕を組んだまま、胸を張って仰け反った。

「よーし、分かった。ムラサキ、悪いが時間を計ってくれ。きっちり五分だ。先ずは令、頼んだぞ!」

 三郎丸は、ぼくを勇気付けるように背中を押した。

「うん。ああ、武器は使っていいの?」

 ぼくは、背中の机のことを尋ねた。

「武器? 刃物は駄目、殺し合いをするわけじゃねえからな。一体どんな武器だ?」

 和真が、顎を撫でながら聞き返した。ぼくは、机なんだけどと遠慮がちに答えた。

「見せてもらってもいいか?」

 ぼくは、三郎丸を一瞥した。彼は、ゆっくりと頷いた。

「何だ! ただの学生机じゃないか。おめーは、こんなのを持って戦場で戦うのか?」

 和真が、ぼくの渡した机をざっとと調べて、すぐに返した。

「それ、前も言われたよ」

「机をか、ふふ。そりゃ、そう言うだろう」

 和真は、ちょっと愉快そうに笑った。

「兄貴! 始めるぞ」

「おっと、行けねえ。分かった。初めてくれ」

 和真の横で、黙っていた不良青年が、堂々とした歩調で前に出て来た。睨み付けられるのかと思ったが、彼は自ら名乗った。

「俺は、章吾だ」

「ぼくは、令」

 二人の間に緊張が高まった。ムラサキのかけ声と共に、闘いが始まった。章吾は彼もまた、見事なツッパリ頭を軽くなびかせ、間合いを取った。後方への跳躍を終えたときには、彼の魔法は詠唱を終えていた。来ると、思ったときには、眼前に火炎放射が迫っていた。ぼくは、難無く机を物質変化させて防いだ。が、それと同時に、机に何か衝突した激しい音が起こった。火炎の陰に隠れて、章吾が拳を叩き付けてきたのだった。が、視界が奪われたのは、相手も同じことだった。まさか机で魔法を簡単に防御できるは、思ってもいなかったのだろう。しかも、渾身の力を込めた拳が、学生机に全く無力だと想像もできないだろう。


章吾は、殴り掛かった勢いのまま、跳ね飛ばされた。


「おいおい、マジかよ! あの机、さっきはただの机だったはずだろ!」

 和真が、驚いたように唸った。ぼくは、再びを机を変化させた。机から炎の塊が現れると、たちまち体勢を崩した章吾へ向けて、猛烈な勢いで飛んで行った。


章吾は、辛うじてマントを翻し体を起こした。体を起こすのと同時に魔法を唱えた。炎の弾丸を打ち落とす格好で、再び手のひらから火炎を放出された。章吾の手から、放出した火炎は、魔法の弾丸を打ち消すほどの威力があった。章吾の目の前で、大きな爆発が起こった。


ぼくは、それを契機に机から、魔法の炎を連続で発射させていた。魔法の植物には、魔法攻撃を返してくる物もあると、二葉に教わっていた。ぼくは、その性質を机に与えたのだ。令は、真面な攻撃魔法は覚えていないからね。かと言って、左腕に頼りっぱなしと言うのも駄目だ。その力はやがて失う。それで、机に様々な性質を与えることで、何とか対処することにしたのだ。これなら、一つの魔法で事足りる。


魔法の弾丸は、最初の爆発が収まる間に、章吾の体を捉えた。次々と爆発が起こった。章吾は、激しい爆発に為す術も無いかと思われた。突然と爆発の中から、激しい炎が現れた。それが怪物のような、恐ろしい腕の形を形成していたのだ。鉤爪を持った炎の腕は、ぼくの攻撃を容易に握りつぶした。もう派手な爆発は、起こらない。爆発が消えると、炎の腕も消えて無くなっていた。少し息を荒らげた、章吾が立っていた。が、彼の表情には、勝利を確信したようなきらめきがあった。


「やるな! お前の弟も」

「当たり前だ。弟は、炎が強くなればなるほど、強力な火炎の魔物を呼び出せるんだ」

「なるほどな。それは、また凄い魔法だな」

 三郎丸は、感嘆の声を上げながら、ぼくと章吾の闘いを観戦していた。

「章吾、もう時間が無いぞ! 早く決めてしまえ」

「おお、兄貴!」

 章吾は、片腕をぐるっと一回転させながら、気合いを入れ直した。ぼくは、次第に焦りを感じた。左腕は、この闘いでは使わないようにと言われていた。この相手には、たとえ左腕を使ったとしても、苦戦を強いられるだろう。ぼくには、これと言って決め手が攻撃魔法がないからだった。


ぼくが、使える魔法は姿を消す、机の性質を変化させる、そしてカウンターの三つしか無い。その中で攻撃できるのは、机のみだ。ぼくは、魔法を唱えていた。机をグローブのように、右手に巻き付かせた。それから、念のためにカウンターの魔法も、こっそりと唱えた。

章吾は、ぼくの右手を見て、接近戦を挑んでくると、すぐに悟っていた。

「いいね。殴り合いなら、俺は負けねえ。喧嘩上等、掛かってこい!」

 章吾は、右手に握り拳を作って、左手のひらを打った。ぱっと心地よい音が弾けた。



互いが左頬を狙った、しなるような拳を繰り出した。章吾は男の意地を見せるため、敢えて避けなかったのだと思う。章吾の拳は、繰り出す前に、火炎を纏った。次の瞬間には、ぼくの左頬を灼熱の拳が、えぐっていた。が、同時にぼくの右腕から放たれた拳が、章吾の左頬を捉えた。捉えると、右手に巻き付いた机が、ぎゅっと締め付けるように感じた。ぼくは、急に眼前の景色が、真っ赤になるのを感じ、誰かが零の名を呼んだように聞いた。が、それは刹那のことだった。


ぼくの体は、仰向けに吹き飛ばされた。が、章吾の体も、ぼく以上に弾け飛んだ。机には、相手をノックアウトさせるくらいの力が込められていた。ゴムみたいに弾性のある体を、伸縮させて一気に弾けさせる、魔法植物があるという。ぼくは、その性質を机に与えたのだ。ぼくの頬が、炎症したようにヒリヒリと痛んだ。が、真面に章吾の拳をもらっていたなら、ぼくは気絶どころでは済まないだろう。


机がクッションのように変化し、倒れ込むぼくの体を受け止めた。章吾は、この程度の攻撃では、大した効果ないだろうと思っていた。吹き飛ばされた飛ばされた、章吾がマントを使って地面に足を着けた。

「はは、お前もなかなかやるね」

 章吾は、頬を押さえて口を大きく掛けて、軽く動かしと整えるようにした。それでも、章吾は余裕に表情だった。彼は不敵に笑いながら、再び戦う姿勢を取った。そのまま、気絶したみたいに、前へ倒れた。そこに居た、誰もが目を疑った。何が起こったのか、全く分からなかったのだ。

「おいおい、章吾。冗談なら止してくれよ。ふざけている場合じゃねえぞ」

 和真が怒鳴った。が、章吾は完全に白目をむいて、伸びていた。


「令、お前。カウンター使ったよな」

 ぼくは、不審そうな顔の三郎丸に振り返って、うんと言って頷いた。

「何だよ。カウンターもらったのかよ。章吾の奴、油断しやがって。余裕噛まして、相手に付き合うから足をすくわれるんだ。畜生、しょうがない。一戦目は、俺らの負けだ」

 ぼくは、三郎丸の所まで下がった。が、三郎丸は、まだ納得いかないふうに、顎を片手で撫でて考えていた。

「どうも、令のカウンターは、底が知れないな。はは、先ずは一勝。良くやった、令」

 三郎丸は、ぼくが戻ってくるのに気付くと、急に気を取り直して笑った。

「当たり前でしょ。こんな奴らになんか、やられないわ」

 二葉が嬉しそうに叫んだ。

「いい気になるなよ。次! 隆生、頼んだぞ」

 ツッパリ頭を、つんと跳ねるように立て、和真は勢いよく言った。

「よーし、この調子で次も頂くぞ。久太郎頼んだぞ!」

「おー!」

 久太郎は、気持ちを振るい正すみたいに、大声を上げた。

「ちょっと、性格変わってきたんじゃない。止めてよ。そんな野蛮なの」

 二葉が、久太郎の背中に声を掛けた。

「久太郎、頑張って-!」

 初音が、続けて精一杯に叫んだ。

「おいおい、何だよお前ら。浮かれやがって!」

 和真が、嫉妬するように口を歪めた。久太郎と隆生が、ようやく前に立った。二人が並ぶと、久太郎の細く背の高いのが、より誇張されて見えた。

「それじゃあ、そろそろ始めろや!」

 和真が苛立つみたいに、急かした。

「俺は、隆生。今度は、さっきのようにはいかねえぞ。覚悟しろよ!」

「ぼくは、久太郎。望むところだ」

 久太郎は、相手の不良を直視した。これが喧嘩なら、久太郎の方が、明らかに分が悪い。が、魔法使い同士の戦いだ。魔力の強さもさることながら、戦闘経験が物を言う。それなら、久太郎の実力も勝るとも劣らないはずだ。


ムラサキの始めの合図と共に、二人の闘いは始まった。行き成り後方に跳躍し、距離を取ったのは、久太郎の方だった。その途端に、久太郎がさっきまで立っていた所に、土煙が上がった。何が起こったのか分からなかった。隆生は、一歩も動いていない。ただその場でボクシングのアッパーカットのように、右拳を振り上げたのだ。開始直後の二人の距離は、三メートル以上は離れていた。その間合いで、幾ら拳を振っても攻撃が当たるはずはなかった。が、久太郎が後退しなければ、確実に隆生の一発は食らっていた。


「ちっ、外したか」

 隆生は、舌打ちするみたいに呟いた。

「おい、おい。何やってるんだよ!」

 和真が野次るように、隆生へ悪態を吐いた。隆生は、悪い兄貴と媚びるのある目を向けた。隆生の振り上げた拳から、魔法が放たれたとしたなら、全く攻撃の軌道が捉えられなかった。隆生が腕を振った瞬間に、離れた任意の場所に攻撃できるとすれば、厄介ではあるが、それでも魔法の発動は、彼の動きを見れば予測は付く。が、隆生が繰り出した攻撃は、彼の大振りの拳とは、一致していないように見えた。どちらかと言えば、土煙を見て、拳を振り上げたように思えたのだ。そんな攻撃は、現実には有り得ない。もしあるとすれば、そんな攻撃は、全く予測不可能なはずだ。

「こいつは、謎解きね。攻撃の謎を早くとかないと、確実にやられてしまうわ。でも、謎さえ解いてしまえば、案外脆いものよ」

 二葉が、つんと細い眉を吊り上げた。ちょっと思案するような格好をした。

「おい、おい。外野からの援護は、反則だぞ!」

「ひっ! げげ」

 和真の大声に、二葉は悲鳴を上げて、凍り付いた表情で、身を怯ませた。久太郎は、左に跳躍し、場所を変えた。どこから攻撃が来るのか分からないのだから、いつまでも同じ場所で突っ立っているのは、危険と感じたのだろう。が、今度も久太郎が居た所に、土煙が上がって小石が弾けた。が、そればかりではない。その右側を狙って、飛び石みたいに、土煙が別に二か所上がった。隆生は、その時素早く左右の拳を振り回していた。

 久太郎は、ふーと思わず深呼吸するくらいに、大きく息を吐き出した。もし彼が反対側に跳んでいたなら、真面に攻撃をもらっていたかもしれない。たまたま幸運にも、攻撃の反対側に回避していただけなのだ。

「運のいい奴。が、次は無いぞ!」

 隆生は、悔しそうに舌を鳴らした。それでも、全く余裕の表情だ。久太郎が、まだこの攻撃の秘密に気付いていない、と知っていたからだ。

「隆生、いいから早く決めてやれ」

 二人のやり取りを眺めていた、和真が焦れったそう吠えた。こちらも隆生の勝利に、微塵の疑いも見せないようだった。


久太郎は力強く踏ん張って、出来るだけ素早く回避した。彼が立っている場所に、攻撃が仕掛けれているのは分かっていた。が、次にどこへ相手が攻撃の手を伸ばしているのかまでは、全く分からないのだ。久太郎は、もう一度左に飛び跳ねていた。

「残念!」

 隆生は激しく拳を何度も繰り出しながら、不敵に口元をニヤリとさせた。久太郎の体を追って、土煙が巻き起こった。土煙は、久太郎の着地を狙っている。誰の目にも、久太郎がその攻撃を食らったように見えた。が、土煙が上がった瞬間、そこに久太郎の姿はなかった。久太郎は、最初の攻撃を辛うじてかわし、そのわずか後方に佇んでいた。


が、土煙は左にも右にも巻き起こっていたのだ。久太郎は、またも顔を強張らせていた。相手の裏を掻いたはずが、いつの間にか窮地に立たされているのは、先ほどと変わらないのだ。このやり方では、次はない。が、久太郎は、隆生の攻撃に違和感を覚えていた。それが、少し分かり掛けてきたようだった。

「久太郎、危ない!」

 初音の悲鳴が、重厚な鉄板の高架下に響いた。久太郎は考えを巡らしている間に、土煙が彼の体を包んだ。小石が弾けて、そこで激しい竜巻が起こったように見えた。隆生の攻撃が、完全に久太郎を巻き込んだのだと思った。が、竜巻が起こった所に、久太郎の姿は居なかった。それと同時に、そこを中心として、四方を埋め尽くすほどの土煙が生じていた。が、久太郎の姿は、そのどこにもなく気付けば、隆生のすぐ側に迫って、反撃を試みていたのだ。

「よし、もらった!」

 三郎丸が、快活に叫んだ。不意を突いたはずが、やはり格闘では隆生が一枚も二枚も上手だ。


久太郎の黒い霧をまとった攻撃も、寸前のところでかわしてしまう。久太郎だって、相手の意表を突く攻撃だった。黒い霧が予測不可能な形に変化し、腕が有り得ない格好で、次々に突き出す攻撃を繰り出しているのだ。久太郎は、鋭い攻撃をし、隆生は大振り気味に拳を回している。明らかに優勢なのは、久太郎だった。隆生のでたらめな拳など当たるはずがなかった。ところが、久太郎は急に攻撃を止めて、後ろに右にと三度後退を繰り返した。それを追って、またしても土煙が上がったのだ。一瞬にして、体勢は翻ってしまった。間合いを取れば、その見えない攻撃で、隆生の方が圧倒的に有利になった。


 隆生は地面に唾を吐き捨てると、さも悔しそうに、その場で何度も拳を振り続けた。

「あの馬鹿!」

 和真が隆生を見て、彼をたしなめるように呟いた。久太郎は、隆生のその行動で、ようやく先ほどの違和感が何だったのか悟った。さっきの攻撃といい。今に素振りといい。隆生の攻撃は、巻き起こった土煙の数と、彼に振るった拳の数が、まるで一致しないのだ。詰まり隆生が振った拳は、その時に起こった攻撃ではない。隆生の勢いのある拳が、竜巻を発生させているように見えるから、騙させるのだ。実際は、隆生の振りと攻撃には、随分と時間差がある。


みんなも、薄々その事に気付いていた。ぼくだけが、分からなかった。しかし、それを知ってか。静が彼女の顔に、両手で眼鏡のような形を作って、ぼくに見せた。ぼくは、すぐに姿を隠したものを暴く、魔法を唱えた。すると、わずかに隆生が拳を振った瞬間に、竜巻が起こっているのが見えた。それは、非常にゆっくりでした速度で、二人の周りを動いていたのだ。

「気付いたんじゃ、しょうがない。だが、もう手遅れだ!」

 和真が太々しく言った。が、彼の言った通り、もう勝負は見えていた。久太郎の周りは、すっかり無数の小さな竜巻に囲まれてしまった。この闘いのルールがある以上、久太郎が隆生の攻撃を食らった時点で、決着が付いてしまうのだ。

「幾ら足掻いても無駄だよ。この攻撃は、完成したら最後、絶対に避けられないんだ!」

 隆生は拳を高く上げ、余裕の表情を見せてた。


逃げ場を失った、久太郎は一歩も動けずただ呆然として、隆生の攻撃を受けるように見えた。久太郎の長身な体を、土煙が掻き消した。その煙の中の影が、竜巻に引き裂かれたのだ。それを見た和真が、妙な声を出し、目を細めた。竜巻が止むと、引き裂かれた影が、たちまち元に戻って、全く無傷の久太郎が現れた。

「おい、ちょっと待て!」

 和真が驚いた顔を、急に崩した。

「その魔法は、無敵だろ。幾ら回数に制限があるからと言って、五分の戦いだ。無敵を使われちゃあ。勝負にならないだろう」

「何をそっちだって、絶対に逃げられない攻撃とか、言ってた癖に」

 二葉が不満顔で叫んだ。

「何だと!」

「ひー!」

 和真が怒鳴ると、二葉は逃げるようにぼくの背中に隠れた。

「確かに、久太郎の魔法を使えば、この闘いじゃあ。勝ち目はないかもしれないな。おい、久太郎。どうする?」

 三郎丸は、俯いたままの久太郎に言った。久太郎もその魔法を使ってしまったのは、失策だと悔やんでいる様子だった。

「はい、済みません。僕が不甲斐ないばかりに、こんな結果になってしまって。ぼくの負けです」

 久太郎が言った。

「兄貴。俺は、まだやれますって!」

 隆生は、この結末に大いに不満だった。闘いの続行を切実に訴えた。が、和真は、首を縦には振らなかった。制限時間五分も、残りわずかだった。

「隆生、そう言うな。後は、俺に任せろ、きっちりけりを付けてやるからよ」

「兄貴!」

「それじゃあ。そろそろ始めようじゃないか。これで、一対一。同点だ。最後の勝負で、勝利に行方が決まる」

「よーし、分かった。久太郎、そんながっかりした顔をするな。お前は良くやった。後は、俺が何とかする」

 三郎丸は、戻ってくる久太郎の肩に手を置いて、優しく声を掛けた。そうして、代わりに前へ出た。


和真も、三郎丸と同時に出てきた。

「三郎丸、負けたら承知しないわよ!」

 二葉が、三郎丸の背中に声を掛けると、またぼくの後ろに隠れた。

「しかし、お前の格好もあれだな。俺たちみたいな、奴らの部屋着スタイルだな」

 和真は、嬉しそうに言った。

「おい、待て。これが、これの制服だからな」

 三郎丸は、堂々と親指で自分を指した。和真は答える代わりに、また歯を見せて笑った。

「それじゃあ。始めか?」

「おーい、ムラサキ。合図をくれ」

「十分一本勝負、始め!」

 ムラサキの掛け声を待ちわびたように、三郎丸と和真の凄まじい拳がぶつかり合った。二人は、接近戦の間合いに入るや否や、激しい拳を力任せに振るって、そこから一歩も譲らなかった。


強力な拳の衝突によって、いつの間にか二人の体は、じりじりと後ろに押し戻されている。が、たとえ間合いが離れたとしても、ここで動くわけにはいかない。もし、一歩でも動いて、攻撃の手を緩めれば、あるいは相手に付け入る隙を与えてしまえば、強力な反撃を食らってしまうからだ。


が、これは戦士や格闘家の闘いじゃない。魔法使いの闘いだ。単純な戦闘能力では、越えられない壁がある。魔力の強さ、強力な魔法、その魔法の使いどころ、様々な魔法使いとしての経験が要求されるはずだ。


それに関しては、三郎丸は決して敵に引けを取らなかった。彼は元より、魔法の才能に恵まれていた。が、些細なおごりから、彼は数々の失敗を繰り返し、自らを律するために、敢えて接近戦を選んだのだ。


互角と思えていた、二人の殴り合いが、徐々に差が出始めた。三郎丸の拳は底知れぬ力で、ツッパリ頭の和真を押し返した。三郎丸は自らの拳に魔力を込めて、その破壊力を強化していたのだ。それとて、和真も同じはず。が、魔力の差は、到底補えきれない。その強力な衝撃で、和真の振りが、鈍りだしたのだ。


このまま、三郎丸が有利に事を運ぶと見えた。ところが、しばらく単純な拳の打ち合いが続くうちに、今度は明らかに、三郎丸が引けを取り始め、和真が強烈な拳が、猛威を振るった。

「おい、おい。さっきに勢いは、どうした?」

 和真は、額に大粒の汗を浮かべながら、余裕の表情を見せた。三郎丸も、負けじと渾身の力を込めるが、思い通りの手応えは、得られない。両手に蓄えたはずの魔法の力が、いつの間にか失われていたのだ。消耗の激しい、激戦とは言え、三郎丸はすぐにこの状況は尋常ではないと疑った。

「こ、こいつ。魔法を打ち消すのか!」

「気付いたときには、手遅れだけどな。はは、そろそろ決めさせてもらうぜ!」

 和真は、右腕を大げさに二三回転させて、勢いを付けた。見る見るうちに、彼の右腕の威力が増してきた。そのあまりにも強力な力に、彼の右腕の周りで、勢いよく大気が渦巻き始めた。気流を変えるほどの、破壊力をその拳に溜めているのだ。


「だが、それは諸刃の剣。お前だって、例外ではないはずだ」

 三郎丸は、右手はそのまま、左手だけ拳を開いて、構え直した。

「何を今更。そんな小手先の技で、俺の拳が受け止められるか!」

 和真は叫びながら、全身全霊を込めて、拳を放った。もはや何人もその攻撃を止めることはできないと思われた。和真が腕を伸ばした瞬間、辺りの空気が破裂したように、心地よく音を立てたのだと思った。が、その時、三郎丸は上手い具合に、和真の手首を返して、その強烈な攻撃をいなしていたのだ。そればかりか、その勢いを相手に返していた。これには、度肝を抜かれた和真は、思わず反対の腕で反撃を防いだ。和真の右手からあっという間に、勢いが失われた。彼は、今度は冷や汗をこめかみに感じながら、荒い息を吐き出した。

「あり得ね! 俺の全力が、ああも簡単に返されるなんて、有り得ね!」

 和真はツッパリ頭を震わせて、叫んだ。


これは、魔法使いの闘い。和真は、ようやくその事に気付いたようだ。騙し騙され。出し抜いたつもりが、騙されているのは、彼の方だった。


「お前、何かやり上がったな! だが、どんな魔法も俺の拳が掛かれば、消滅するはず……。ま、まさか神殺しか!」


「はは、バレたか」

 三郎丸は軽く眉を掻いて、苦笑いを見せた。



「俺は、この魔法を授かったときは、混ぜた納豆の粘りを元に戻すくらいしか、使い道はないとがっかりしていたよ。はは」

「空気の粘度を上げやがったな。通りで、急に腕が重くなったと思ったよ。しかし、納豆の粘りを戻せるなんて、俺に取っちゃ、喉から手が出るほど欲しい神殺しだな。山芋だって、じねんじょに変えられるぜ」

「なるほどそれは、思い付かなかったな」


「ああ、止めだ止めだ。これじゃあ、幾らやっても敵わない。いいぜ、俺たちの負けを認めよう。悔しいがな!」

「そりゃどうも。平和的に済んで何よりだな」

「よく言うぜ!」

「あ、兄貴! まだ、やれますって。勝負は付いていない!」

「馬鹿抜かすね。こいつはな。俺らよりも、とんだ格上なんだよ」

「兄貴!」

「しかし、お前ほどの腕なら、神殺しも余裕と思うがな」

「冗談言っちゃあ困る。おだてに乗せられて、命を落とした仲間は何人も居る。俺たちのチンピラが、迂闊に手を出せるようなもんじゃねえのは、分かっているはずさ。はは」

「だが、その魔法を打ち消す技だって、神殺しじゃねえのか?」

「はは、これが神殺しなのか。正直分かんねえ。俺は小さかったからな。が、これは忌まわしい魔法だ。その時、大きな犠牲を出して、こんな詰まらないものを得てしまった。普段は絶対に使わないようにしていたが、お前が俺の心を熱くしくれたせいで、うっかり使ってしまったよ」

 和真は、ちょっと顔をしかめるように笑った。

「それじゃあ、約束通り。煮るなり焼くなりしてくれ!」

「そんな約束はしていないぞ。俺たちは、ただ見逃してくれればいい。それだけだ」

 三郎丸は、呆れたように言い返した。

「はは、まるで欲のない奴だな。よし分かった。俺たちは、何も見なかった。章吾も隆生、それでいいよな。おう、兄貴!」

 二人の不良青年は胸を張り、腕を背中に回して直立不動のまま、毅然と答えた。

「それじゃあ、俺たちは行くぜ! 次に出会うときは、戦場かもしれないがな」

「はは。願わくば、そうならないことを祈るぜ」

 三郎丸は、寂しそうな目を和真から逸らした。

「それじゃあな。――二葉ちゃんも、またね!」

「ひー!」

 二葉が嫌悪を含んだ顔を引きつらせ、甲高い声で悲鳴を上げた。不良三人組は、急に背中を向けると、ゆっくりと去って行った。彼らの背の、マントに刺繍された魔族という文字が、妙に目に鮮やかに映った。最後までそれが目を引いて、ぼくは名残惜しそうに、じっと彼らの後ろ姿を眺めていた。

「令、俺たちもそろそろ行くぞ!」

「うん、分かった」

 みんな高速道路の高架橋に上った、蜘蛛へ乗り込むところだった。蜘蛛は、魔法の白い綱のような糸を出し、重厚な橋脚に渡すと、勢いよくその糸を伝って走りだした。蜘蛛は、また渡り終わる前に、次の糸を出し、止まることなく次に糸へと飛び移った。そうして、次々に糸を高架橋に掛けて、高速に移動した。この方法なら、敵に見つからずに、案外早く味方と合流できそうだ。静は、大型のヘッドホンを、その小さな頭にして、近くに敵が居ないか探っている。ぼくと三郎丸と、久太郎は先ほどの闘いで酷く疲労していた。蜘蛛の巨体の上に腰を下ろして、体力を回復していた。

「甘い物は、どう?」

 初音が、みんなにチョコレートを勧めた。

「ありがとう」

 ぼくは一つもらって、無造作に口に入れた。口に中が意外なほど心地よく甘くなって、疲れが取れるように思った。初音は、もっとどうと促した。ありがとう。もう十分、ちょっと休むよと言って断った。そう。疲れたのね。ゆっくり休みなさいと、初音は笑みを返した。そうして、彼女は他人に勧めてばかりで、自分が口にしていないことを思い出したみたいに、慌てて袋からチョコレートを摘まんで、口に放り込んだ。彼女の片頬が小さく膨らんで喜んでいるみたいだった。ぼくは、それを眺めている間に、段々と目蓋が重くなった。



突然と誰かがぼくの体を揺すって、目を覚ました。聞き覚えのある声が、ぼくを呼んだ。





よう、相棒。そろそろ、お別れだ。そいつは、置いて行く。何かあったら、遠慮なくそいつをくれてやれ。

また会える?

どうか分からないな。が、そうなればいいと思っている。だが、油断するな。俺の周りには、ろくでもない奴らが集まる。もし俺に再会できたとしても、容易には信じるな。たとえ俺の姿をしていても、今の俺とは別人かもしれないからな。それじゃあな、相棒。


「令、令! 起きろ!」

 ぼくの肩を揺すっていたのは、三郎丸だった。

「どうしたの?」

 恐いくらい神妙な面持ちの三郎丸は、唇の前に静かに人差し指を立てて、声を潜めた。

「ぐっすり寝ていたところ、起こして悪いんだが。どうやら、敵が間近に迫ったらしい。せっかく和真たちに見逃してもらったのにな。残念だ!」

 驚いて腰を浮かすぼくの肩を、三郎丸の指の長い形の整った手が、力強く掴んで押さえた。

「大丈夫だ。まだ向こうには、気付かれていない。それよりもだ。今後は、敵との激しい交戦も有り得る。しかも、とても太刀打ちできない人数の相手を一度にすることになる。その上、敵中を危険に曝されながら、疾走しなけらばならないからな。令もそのつもりで、覚悟しておけ!」

 三郎丸は、そんな事を躊躇いも見せずに言った。とても寝起きに聞かされる話ではなかった。敵中を疾走する。先ほどあんなに散り散りになって、同じ学校の魔法使いたちが、命からがら逃げてきたのだ。あの凄惨な光景が、眼前に甦るみたいに、今度は自分たちが、あんな風に逃げ回る番になる。ひょっとしたら、彼らのように敵に捕らわれ、命を奪われるかもしれないのだ。その事を考えるだけで、ぼくは全身が強張って、何一つ返す言葉も浮かばない。


「心配するな。俺たちは、まだ運がいい。逃げ足の速い蜘蛛もあるし、何よりも敵の先手を取っている。奇襲に遭った一組たちとは、全く状況が違っているんだ。気休めにしかならないかもしれないがな。お前に力だって、強大だ。まだ、その力を最大限に発揮していないだろう」

 三郎丸は、心配するぼくを励ますように言った。ぼくは、先ほど見た夢を思い出した。が、こんな時、その頼みの左腕が役に立たないとは言いずらかった。

「どうした? そろそろその腕駄目なんだろ」

 三郎丸は、ぼくの気持ちを察したように尋ねた。ぼくは、俯いて頷いた。

「はは、お前が気にすることないんだ。ハジメも言っていただろ。零の力に頼るなって。それでも、その力に頼らざるを得ない状況にはあるだ。それでも、もう全く使えないのか」

「ううん」

 ぼくは、体にまとわりつく不安を打ち消すみたいに、何度か首を振った。その中には、大事なときにみんなの役に立たない不安も含まれていた。

「そうじゃないけど。でもね。さっき夢に零が現れたんだ! もうお別れだってね」

 三郎丸は、ぼくの瞳の小さな光を覗くみたいに、ぼくをじっと見詰めて聞いていた。

「伝説の魔法使いの零に会えるなんて、羨ましいじゃないか。それで、その零は、令に何て言っていたんだ?」

「お別れだって」

「そうか」

 三郎丸は、小さく頷いた。

「ぼく、次で左腕が使えないかもしれない。ひょっとしたら、本当はもうこの腕は何の役にも立たないかもしれないだよ。それを確かめるのが、怖いんだ!」

 ぼくは、いつの間にか大声を出していた。

「落ち着け、令。それでも、いいじゃないか。お前は十分に戦力になる。分かるだろ。さっきの三人の闘いでお前は、どうした? 立派に勝利を勝ち取ったじゃないか。それで、十分じゃないか。何を気負う必要がある。俺たちだけで、敵を全て倒すわけじゃない。俺たちは、この戦場を駆け巡って、ただ拠点にたどり着けばいい。それだけだ」

 三郎丸は、再びぼくの肩を触れた。ぼくの震えるからだが、ようやく止まった。三郎丸は、そうだと頷いて笑顔を見せた。


敵の魔法使いは、頻繁にぼくらの側まで偵察に来た。が、運良くまだ一度も発見されていなかった。この近くに敵の本体が居ることは、静の探索でも、それから魔法使い特有の感覚で、経験の少ないぼくにも察知できた。向こうは、相当な数が動いているから、隠蔽のしようがなかった。

「敵は、私たちなんか本気で見つけようとはしていないはずよ」

 二葉は、三度目に来た黒マントの魔法使いが、通り過ぎていくのを認めると、安堵するみたいに言った。

「そりゃ、そうだろう。俺たちなん少数の魔法使い、放っておいたって戦況に影響が及ばないからな。無駄に人員を割いて、追撃や進行を遅らせることもないだろ」

 三郎丸は、敵の偵察のせいで思うように移動できないことに、うんざりしていた。

「それにしては、さっきからしつこく偵察を送ってくるじゃない」

「まあ、あっちには少数でも残存が居れば、目障りに思う輩が多いのさ」

 三郎丸は、蜘蛛の上で腕を枕に寝そべると、ここは焦らずじっくり構える姿勢を見せた。

「もう寝ちゃって、緊張感がないわね」

「焦ってもしょうがないだろ。みんなも今のうちだ。休めるときに休んでおけよ」

「こう敵が、周りでうろちょろされたら、落ち着いて休めもしないわ」

 ぼくたちは、ちょうど入り組んだ高速道路のインターチェンジの高架橋に身を潜めていた。複雑な建造物が格好の隠れ場所を形成していた。敵の偵察も、その事には気付いていたが、流石に敵がそこに隠れているか分からない。しかも、遮蔽物に多い場所に、人員も割けずに迂闊に近づこうとはしなかった。ただ間近まで足を運んで、残存が出て来ないか警戒するに留まっていたのだ。

「ここから出れば、敵さんは喜んで追い掛けてくるだろうな」

 三郎丸は、目を閉じながら呟いた。

「そりゃそうよ。でも、いつまでもこんな所で、じっとしているわけにもいかないでしょ。そんな事していたら、今度こそ帰る場所を失ってしまうわ。そうなってからでは、手遅れでしょ」

 二葉は、ちょっと戸惑う鈍い光をその美しい瞳に浮かべると、今度は覚悟を決めたように、その瞳を輝かせた。

「そうだな。ただ待つだけなのは、俺の性分には合わねえ。ここは思い切って、外に出てみるか」

「そう来なくっちゃ!」

 みんなは、待ち構えていたように、三郎丸に顔を向けた。

「そうと決まれば、みんなすぐに準備に取り掛かってくれ。次の偵察が帰った頃合いを見て出発だ。敵に発見されなければ、それに越したことはないからな」

 蜘蛛の上や、高架橋の陰で休んでいたみんなは立ち上げると、体中に纏わり付いた埃をはたいて、動きだした。ぼくもそこら中に広げた物をまとめて、蜘蛛に運んだ。ここに留まっていたのだ形跡は、何一つ残さないようにした。

「ムラサキ、蜘蛛の調子はどうだ?」

 蜘蛛の上で、整備をしていたムラサキに、三郎丸が声を掛けた。

「うん。ちょっと無理させて走り続け来たからね。あっちこっちにガタが来ているからね。でも、何とか大丈夫」

 ムラサキは、わざとらしく笑って見せた。

「そうか分かった。だが、今度はもっと危険なことになるかもしれないからな。こいつが何とか目的地まで、持ってくれればいいんだが」

 三郎丸は、蜘蛛の巨大な節足を労るように擦った。


 間もなく、敵の偵察は現れた。静の予測よりも、二分遅れだった。みんなは、既に準備を終えて、敵が姿を見せるのを待っていた。

「よし、敵が帰ったら出発だ」

 三郎丸が、声を潜めて言った。ところが、敵の偵察はなかなか帰らなかった。何度も偵察を送っていたから、今度は何らかの成果を得るまで帰れないと指示されていたのだろうか。

「どうする? 動きそうにないわね」

「だからと言って、今出て行けば敵の思う壺だろう。ここは我慢比べだな。仕方ない」

 三郎丸は、十分過ぎるほど慎重な行動を取った。何分か後に、ようやく敵は捜索を諦めて去って行った。黒マントの影は、三人だった。常に一人は、いつでも逃げられる位置に立って、残りの二人を援護していた。

「静、どうだ?」

「大丈夫、この近くには居ない」

 三郎丸は、静の穏やかな声に後押しされるように決断した。

「それじゃあ、みんな出発だ!」

 みんなは、すっかり覚悟を決めて、曇りのない表情で頷いた。ぼくらを乗せた、蜘蛛垂直歩行機は、ムラサキの丁寧な操縦で、ゆっくりと木製の胴体を起こした。蜘蛛が口から魔法の糸を吐き出し、高架橋の橋脚に渡した。左右四本ずつの脚を器用に使って、するすると渡り始めた。蜘蛛は、あっと言う間にその糸を渡り切って、次の糸を張った所へ飛び移った。順調な出発だった。辺りに不審な気配も人影も、見当たらなかった。このまま、何事も無くハジメの待つ拠点にたどり着けるように思えた。それが安易な考えだと分かったのは、しばらく高架橋を移動した後だった。


「すっかり騙されたわね」

「はは、最初から尾行するつもりで、俺たちの先回りしていたんだろう。まあ、よく考えれば、俺たちの経路は決まっているからな。そこで待ってさえいれば、必ず現れると決まっていたんだ」

 三郎丸は、唸るように顔をしかめて口を閉じた。二葉は、時折周囲を警戒して、敵影が見えないか確かめていた。

「静、様子はどうだ?」

「三人に、ぴったり張り付かれている。でも、こっちの方が速い」

 静は、少し耳を傾ける風にして、ヘッドホンの音を聞き分けて言った。

「このまま、引き離せればいいがな。そう簡単には、行かせてもらえないだろ。ムラサキ、もっと速度を上げれるか?」

「やってみる。でも、これでも結構スピードは出しているんだ!」

 ムラサキは、忙しそうに正面を向いたまま叫んだ。ひゅーと風の鳴る音の方が答えたように思えた。しばらく追い掛けっこが続いたが、それも長くは持たなかった。行く手に別の敵が、待ち構えていたのだ。

「前方の敵影、二十人は居る」

 静が、彼女にしては大きな声を叫んだ。彼女が感情的になるのは、珍しかった。

「不味いわね」

 二葉は目を細めて、前髪が強風に乱れた険しい顔で前方を見詰めている。蜘蛛が素早く糸を伝って、見る見る分厚い橋脚の、コンクリートの壁が迫った。その壁の側面を辛うじて避けるように、次に張った糸へと飛び移ったところだった。

「ここからでは、待ち伏せしている敵は、目視できないしな。たとえ、ここで高架橋を下りて迂回したとしても、敵もこちらに合わせて、待ち構えているだけだろうな」

 三郎丸は、面倒臭そうに短く切った頭髪を掻きむしった。

「それで、この敵の待ち伏せに突っ込むのつもり?」

 二葉が、黙ったままの三郎丸を急かすように言った。

「三十人は、ちと多すぎるだろ。何で、また俺たちみたいな残党に、それほど人員を割いたりするんだ」

 三郎丸は、思案を中断せずに、独り言にように答えた。

「冬吾が、派手にやってくれたから、敵も過剰に警戒しているのよ。全く」

 二葉は跳ねたみたいな眉毛を上げて、ちょっと溜息を吐くみたいにして、蜘蛛の上で寝そべっている冬吾を、虫を見るような目で一瞥した。

「とにかくこうなったら仕方ない。ムラサキ」

 ムラサキは、急に呼ばれて驚いたような目を、三郎丸へ返した。三郎丸は、ムラサキの目が覚めたような顔を確かめて、快活に笑った。

「ちょっとな。この上に上ることは、出来るか?」

 三郎丸は、そう言って人差し指を立てて、上を指した。

「上?」

 ムラサキの白く乾いた唇は、はっきりとそう開いた。



 ぼくらは、三郎丸の提案で高速道路の上を、走ることになった。そこは、猛スピードで走る車が行き交っていた。

「まさか、ここを堂々と走り抜けるとは、誰も考えないわよ。でも、大丈夫なの? 幾ら敵の裏を掻いても、一般車両と事故を起こしたら、台無しじゃない」

 二葉は、そこを慌ただしく走行する車の流れを眺めながら言った。

「一様、この蜘蛛は一般車両と同じ外観に見える、魔法を掛けました。走る車が、衝突することはないでしょう」

 後ろで膝を抱えて座っていた、初音が振り向いて、説明口調で答えた。

「は、はーん。成る程ね」

 二葉は、納得したように初音に、ちょっと言葉を返した。

「ここを走ったからと言って、魔法を使っている以上、発見されるんじゃない?」

「まあ魔法使いでいる以上、それはどうすることも出来ないじゃないかな」

「駄目じゃない」 

 二葉の突っ込みに、三郎丸は空気を噛んで、少しのぞけるように苦笑した。

「三郎丸、見つけたよ!」

 ぼくは、大型トラックが風を割くようなにエンジンを唸らせ、勢いよく迫ってくるのを見詰めた。

「おっ。でかしたぞ、令」

 三郎丸は、溶けるみたいに満足な顔をして声を響かせ、ぼくを見た。

「えっ、何が始まるの?」

 二葉が、興味有り気にした。が、三郎丸は、それには答えず、まあ見ておけと言っただけだ。二葉は、焦れったそうに口をすぼめて、ふーと唸った。それから、ぼくを探るような視線を向けた。ぼくは、居心地が悪くなって、二葉の視線を受け流すように、三郎丸を一瞥したが、彼女は不服そうに目を冷たくしただけだ。


 数分の後、ぼくらを乗せた蜘蛛は、親亀の甲羅上った子亀みたいに、大型トラックの荷物室の屋根に居た。そこで、すっかり魔力を絶たれたように、沈黙していた。ぼくらも、全ての魔法を開放していた。それでも、魔法が掛かった物は、それ以上どうすることも出来ない。そうして、極力魔法を探知されないように、敵が待ち受ける場所をやり過ごそうと手を打ったのだった。

「上手くいくといいんだがな。魔法使いなんだから、全く感知されないというのほぼ無理に等しい。敵だって、虱潰しにやっているわけじゃないだろ。まあ、どうなるかはやってみてからのお楽しみだな」

 三郎丸は、冗談のように言ったが、顔は少しも笑っていなかった。それが、伝わったみたいに、みんなも怖いくらい硬い顔を作っていた。


次第に敵との距離が狭まってきた。おおよその位置を確かめると、後は魔法は的に発見されるまで使えない。

「おい、もう通過した頃じゃないか?」

 三郎丸が、警戒するように手で口を隠して言った。

「多分。でも、まだ魔法は使えない」

 静は、いつもの調子で答えた。元より彼女の声は、小さく敵には気付かれにくかった。

「どうする?」

「どうするも、こうするもないだろう。敵が動き出さなきゃ。こうしてじっとしておくしかないだろう」

「ふーう。何か焦れったいわね」

三郎丸は、微笑ましく笑った。


「おい、不味いぞ!」

「どうしたの?」

「トラックだよ。トラック! こいつ、高速道路を下りるみたいだぞ! このままじゃ。敵中に突っ込むようなものだな」

「そんなの不味いじゃない。どうするの?」

「えーい。こうなったら、全速力で逃げる! ムラサキ、蜘蛛を起こせ。トラックから降りるぞ。静は、敵の位置を探ってくれ。他のみんなは、敵に備えて戦闘の準備だ。令は、机に魔法を掛けておけよ」

 みんなは、一斉に了解した。狭い蜘蛛の上で慌ただしく、敵の襲撃に備え始めた。

「ムラサキ、何分で蜘蛛を動かせる?」

「完全に停止させちゃったから、十分は掛かると思う」

 ムサラキは、蜘蛛の頭の上で、両手に魔力を込めながら、あちこちを調べていた。からくり人形みたいな木製の歯車が、徐々に動力を回復していた。蜘蛛は、魔法によって生きているんだ。

「うーん、厳しいな。とにかく急いでくれ!」

 三郎丸は、眉間を険しくして唸った。



ぼくらを乗せた、蜘蛛が起動したのと同時に、敵は姿を見せた。敵は、ぼくらが魔法を発動させたのを感知し、正確にぼくらの位置を突き止めてきた。静は、敵が近づいたことを告げた。しかし、敵影を目視することは出来ない。三郎丸の予測では、ぼくらが高速道路の上に居ると分かるまで、多少の時間稼ぎになるという。

「おそらく敵は、接近しながらも、姿が見えないぼくらに、最初は躊躇うはずだ。だが、いつまでも気付かないわけはじゃない。移動しているんだ。見えないはずがないとね。それまでに、何とか蜘蛛が動けばいいんだが」

「それだけは、どうにもならないわね。まあ、いざとなったら私が全部まとめて、蹴散らせて上げるわ」

 二葉は、冗談ぽく言った。が、顔は笑っていなかった。

「はは、二葉が言うと冗談には、聞こえないのだがな」

 三郎丸には、彼女なら大概の魔法使いの、三十人程度くらいは、一度に相手にできると確信があるようだった。


敵は、一度単独で高架橋の上に上ってきて、ぼくらを発見するとたちまち下へ戻って行った。

「別に逃げたわけじゃないよな」

 三郎丸が、敵影が下りていった路端を見詰めた。

「すぐに上ってくる。四十人以上!」

 静が、目を閉じて言った。頭のヘッドホンに、集中しているようだ。

「ちょっと、増えてるじゃない!」

「不味いぞ! トラックが高速道路を下りるぞ。ムラサキ、まだか?」

「ちょっと待って、あと少し!」

 突然、足元が小刻みに振動した。蜘蛛型垂直歩行機が、命を吹き返したのだ。

「敵が来ます!」

 静が叫んだ。

「起動完了! みんな乗って、いつでも動かせる」

 ムラサキが、明るい声で言った。

「よーし、動かせ!」

 三郎丸は、全員が蜘蛛の背中に飛び移った確かめると、ムラサキへ合図した。

「令、来たぞ!」

「分かっている!」

 蜘蛛がトラックの貨物室の屋根から跳ねると、狙い澄ましたように魔法攻撃が飛んできた。ぼくは、後方で学生机を倒して構えた。机の天板に数発、魔法の弾丸が当たって弾けた。他の攻撃は、蜘蛛が爽快に飛び越え、当たらなかった。蜘蛛が載っていた、大型トラックは、そのままインターチェンジを下りて離れていった。


 蜘蛛は大きく跳躍した後に、高速道路の路面に着地した。巨体が激しく衝突して、強い衝撃を受けた。初音と久太郎が、寝ている冬吾の体を、必死に掴んで引きずり上げた。ぼくは、机を蜘蛛の背中に固定して、上手く掴まった。ムラサキは、強風の樹木みたいに、体を大きく揺らして、落ちそうになった。三郎丸と二葉、そして静の三人は、あの猛烈な衝撃でも、微動だにしなかった。ちょっとぼくは、目を疑った。当然、着地の隙を敵は、見逃すはずがなかった。銃弾を弾くような乾いた金属の音がして、また机に魔法の弾丸が当たった。ぼくの机は、無傷だった。冬吾の死んだように目をつぶった顔が、ぼくのしゃがんだ所まで、ずり落ちてきた。

「全然、起きないね」

 ぼくは、ちょっと冬吾の逆さ吊りになった顔を覗いた。眠っていた。

「こうなったら、何されても二三時間は起きないんだ」

 久太郎が顔をしかめ、冬吾の体を引っ張りながら言った。冬吾のこれも初めてだったが、久太郎の必死な顔も、初めて見た気がする。久太郎は、魔法を使うときも戦闘のときも、いつもどこか悲しげな顔をしているからだ。感情をむき出しにする、冬吾の戦いとは正反対だった。今は、むしろ冬吾の寝顔の方が、一種の虚脱と悲しみ帯びているように思えた。冬吾は死んだように眠りながら、どんな夢を見ているのだろう。あるいは、夢は見ないのかもしれない。そんな感情の欠落した寝顔だった。


「ムラサキ、蜘蛛は大丈夫か?」

「ちょっと着地に失敗してけど、何とか大丈夫」

 蜘蛛の前部で、三郎丸とムラサキが叫んでいた。ムラサキが言ったことを証明するみたいに、蜘蛛は急加速しながら、疾走し始めた。見る見るうちに、迫ってきた敵を引き離した。敵は最初こそ、闇雲に追ってきたが、追い付けないと悟ると離れていった。



「静、どうだ。敵本体の位置は掴めそうか?」

 静は、真っ青な顔を起こして、ヘッドホンを外した。生唾を飲み込むような視線で、三郎丸を見詰めた。

「おい、静……」

「ここに本体が居るのか?」

 恐る恐る尋ね三郎丸に、静はゆっくりと頷いた。

「敵の接近に、お前が気付かないなんて、おかしいじゃないか」

「さっきもなの、さっきも分からなかった」

「さっきって。ああ、敗走する一組たちを見つけたときか」

 三郎丸は、思い出すふうにして、顎を片手で撫でると、静をまた見返した。

「敵の中に、静の探知を妨害出来る、魔法使いが居るのかもね」

「でも、味方は探知している」

 静は、二葉の仮説を否定するように言った。

「うーん。どうも分からねえな。特定の魔法使いだけ、隠蔽することなんて出来るのか?」

「それは、絶対にない」

 静は、今度もはっきりした口調で答えた。


「ねえ。敵のど真ん中に居て、そんな悠長に構えていていいの?」

 初音が、心配そうに三人に振り返った。強風に長い間曝された当たからか、彼女の肌はより白くなって見えた。

「まあ、今更慌てても何も出来ないがな」

「でも……」

 初音は、ちょっと言い掛けて、口をつぐんだ。三郎丸の言う通りだと、彼女も承知したのだ。

「まあ。そんな顔をするな、初音」

 三郎丸は、初音の沈んだ顔へ微笑み掛けた。

「はは、俺たちは蟻だ! 象の群れに紛れ込んだ、一匹の蟻だ」

 初音は、多少戸惑うような色をして、丸くした目で、照れ臭いように鼻頭を掻く三郎丸を見返した。

「だから奴らだって、すぐには襲ってこない、だろ! 襲ってきても、高々蟻一匹に、全力で総攻撃してくるわけじゃないだろ。――まあ、だからと言って、見す見す目障りな蟻んこを、見逃してくれるとは思わないがな。はは」

 初音も、三郎丸の屈託のない笑顔に釣られ、硬い表情を崩した。

「奴らも街中で、行き成り撃ってきはしないだろう。よーし、少し敵本体を拝ませてもらおうじゃないか」

「そんな事して、本当に大丈夫なの?」

「さあな。ムラサキ、ちょっと胴体が上げてくれ」

「分かった」

 ムラサキが返事すると、蜘蛛がからくり木製の節足を伸ばし始めた。徐々に蜘蛛の胴体が持ち上がって、視線が高くなった。高くなるのと高架橋の路肩の壁越しに、どうにか高架下の眺望を眺めることが出来た。

「やってくれるぜ!」

 三郎丸は、眼下の景色に食い入る視線を投げ掛けていた。

 そこには、黒マントに身をくるんだ、怪しげな魔法使いの姿は見えなかった。奴らは華やかな色彩の法被や、祭りの衣装を着こなして、踊るように行進した。鐘や太鼓の小気味よい囃子の音を、商店の軒先に響かせた。更に目を引いたのは、華やかな木造の屋台神輿や、巨大な山車だった。


商店街を通るような通りには、人が溢れていた。そのほとんど全てが、敵の魔法使いだ。


彼らはすっかり祭りの格好で、堂々と街中を練り歩いていた。もちろん姿を隠している魔法使いも居ただろう。が、それは薄汚れたビルの屋上に上がったり、古めかしい瓦屋根を飛び越えたりして、極少数だった。

この騒ぎを聞き付けた、近所の住人も居るようだったが、皆何が始まったのだろうという驚きと、その壮大な祭りの風景に気持ちを高揚させるのと、両方を顔に映していた。

「まさか、こんなあからさまに攻めてくるとは、誰も思わなかったでしょう」

 二葉は腰を浮かすと、立ち上げるようにして、どうにか敵本体を見下ろしていた。少し跳ねたような眉を吊り上げて嫌な物を見るように、見詰めていた。ぼくも他のみんなも二人に倣って、眼下を眺めていた。圧倒的な数の魔法使いが、集結しているのだ。五千人規模はあるだろう。その数量に、ぼくらはぞっとさせられた。三郎丸が言ったように、本当に象の群れに紛れ込んだ蟻だった。

「ムラサキ、いいぞ。戻してくれ。いつまでも覗いていたら、撃ってきそうだからな」

 三郎丸は肩をすくめふうに、敵から目を逸らした。

「それで、この危機的状況をどう打開するつもり?」

 二葉が、ようやく腰を下ろして言った。

「うーん。今はとにかく少しでもここを離れたい。敵本体は人数は多いけど、足は遅いからな。距離を稼いでおこう。出来るだけ、味方の居る場所へ近づいておきたいからな」


 三郎丸も座って、片膝を立て落ち着いた。蜘蛛の背中は、あまり座り心地のいい所とは言えないが、元々背中に人を乗せるように、窪みや出っ張りが作られていた。

「でも、この人数の差は、到底埋められないわ。味方と合流できたとしても、勝負は見えているわね」

「はは、必ずしも勝つ必要は無いさ。俺たちの勝利は、既に生き残ること。それに、その一点に尽きるだろ」

 三郎丸は、進行方向のずっと先を、じっと見詰めるようにした。

「そうね。こうなってしまったら、それが唯一に希望だけど。奴らが、それを許すかしら」


「奴らだって、殺戮を望んでいるわけじゃないさ。再教育はされるだろうがな、はは」

 三郎丸は、鼻で笑って振り向くと、急に真顔になった。

「みんな、よく聞いてくれ! 俺たちは、この先どうなるか分からない。バラバラに別れて、逃げることになるかもしれない。敵に捕まるようなことにもなるだろう。その時は、無理して抵抗するな。この戦いは、俺たちを根絶やしにすることじゃないんだ。何か他に目的があるはずだ。それが達成されれば、奴らはそれ以上の争いは無用なはずだ。もっとも仲間がやれてた奴に取って、それじゃあ気が収まらないの者も居るだろうがな。俺や二葉、冬吾を除けば、大したした恨みも買っていないだはずだからな。まあ、安心しろ!」


「戦う前から、負ける話? 先が思い遣られるわね」

「違いない」

 二葉と三郎丸は、平気で冗談を言っていた。ぼくと他のみんなは、既に覚悟を決めたつもりだったが、心持ち戦意がくじけたみたいに、表情を暗くしてしまった。あれだけの戦力を見せ付けられると、そうなるのも仕方がなかった。それも含めて、また敵の作戦だったのかもしれない。


 

 三郎丸の言った通り、高架下の敵本体からの直接の攻撃は無かった。それでも、ときおり高速道路を走行する、ぼくらに向けて挑むような輩が現れた。彼らは、まるで祭りの余興ぐらいに、ぼくらを弄ぶようだった。


そうして、弄ぶだけ弄んで飽きたなら、あっさりとどめを刺すつもりだ。


ぼくらを乗せた、蜘蛛は高速で走っていたから、大抵の魔法使いは、追い付くことは出来ない。ただ必ずしも走っている高速道路が、上手い具合に敵影から離れる方角へ、延びていると言えばそうではなかった。


町中をあちこちで迂回している。足の速い魔法使いは、先回りし、得意になって、ぼくらを襲ってきた。それでも、一組の生徒並に、移動しなが戦いをする魔法使いは、滅多にいない。全く屋台の射的みたいに、でたらめに魔法を撃ってくる。が、そう言う煩雑な奴らに交じって、厄介な者も現れた。


 彼らは、黒に朱の花模様の映える、法被を身にまとっていた。顔は屋台で売られているような、安価なキャラクターのお面を被って、見る者を嘲る印象を与えた。全員で七人ほどで、それぞれが違った、ヒーローのお面を着けていた。それぞれの手には、朱塗りの番傘を携えていた。

「妙なのが出て来たな!」

 三郎丸は、お面の魔法使いを見て頬を引きつらせた。

「本当、ただの賑やかしだったらいいんだけど」

 二葉も呆れて、苦笑した。しかし、高速で走る蜘蛛に、余裕で迫ってきている彼らは、明らかに先ほどまでの、頼りない敵とは違っていた。


「みんな、油断するなよ!」

 三郎丸の切迫した声に、みんなの表情には一斉に緊張が走った。お面の七人組は、曲芸みたいに互いの体を踏み台にし、跳ね飛ばしたり、引っ張ったりし合って、物凄い速さで追い掛けてきたのだ。


勢いよく跳ね飛んで来た、赤のお面の魔法使いが、番傘を開いて構えた。開いた所に、白線で一つの大きな渦巻きが描かれている。傘を回すと、それが目が回るように渦巻いて見える。次々に、他のお面も傘を開いて回した。

「迎撃していいんだよね!」

 蜘蛛の後ろで、机の陰に身を潜めたぼくは、振り返って言った。

「うーん。あれには、何か有りそうで、どうもやりにくいな」

「そうね。あの形状から言って、盾よ。カウンターも有りそうだけど」

 二葉が、敵を探るような見詰めた。

「おい、ムラサキ。もっとスピードを上げられないか?」

「駄目だね。これで目一杯だよ」

 ムラサキは蜘蛛に魔力を補いながら、三郎丸に答えた。

「撃ってきた!」

 ぼくは、机に顔を隠した。たちまち魔法の弾丸が、机の天板で弾けた。お面の敵は、番傘の先端を機銃みたいに構え、魔法攻撃を放ってきた。魔法の弾丸が、先端から発射されると、傘はバサバサと音を立てて、小刻みに開いたり閉じたりした。どうもそれで、発射の反動を和らげているようだ。

「令、上だ!」

 三郎丸が大声を上げるのと、ぼくの

頭上から青のお面が、番傘を刀にして、振り下ろしてきた。ぼくは慌てて机を傾け、斬撃を受け止めた。カンと鋭い響きが起こって、青いお面が吹き飛んでいった。が、それを助けるように、少女の面を着けた敵が、傘を開いて受け止めようとした。が、跳ね返った勢いが勝って、二人とも後ろに流された。そこを別のお面が、四人掛かりで何とか食い止めた。

「なかなかの連携ね」

「はは、感心してばかりはしれいられないぞ!」

 お面の七人組は、機銃みたいな魔法攻撃で牽制し、隙を突いて接近してくる。白のお面は、傘を長刀のように突いてきた。猫のお面は、棍棒みたいに殴り掛かった。怪獣のお面は、火炎放射を放ってきた。忍者のお面は、手裏剣を投げ、刀のように斬り込んできた。忍者だけは、ぼくの机で弾いても、怪しい魔法を使って弾き飛ばされるのを防いだ。彼らは、それぞれ異なった魔法を使ってくる。


 忍者だけは跳ね飛んだ瞬間、法被姿の男が丸太に変わった。丸太が身代わりなり遠くへ飛ばされ、別の所で忍者は平然と姿を現した。


「忍者は、久太郎みたいに無敵なのか!」

 三郎丸が目を見開いて、感嘆の声を上げた。

「違います。令の机は、攻撃を直接跳ね返しているだけですから、それを身代わりでいなしているです」

 久太郎は、三郎丸の考えを否定するように、真顔で答えた。

「うーん。成る程な。忍者は、見た目以上に侮れない奴だ! しかし、どうもやりにくいな」

「こっちから攻撃したら、駄目なの?」

 初音は、少し焦れったそうにした。いつでも魔法を仕掛けられるようにしている。が、二葉ならともかく、初音がここまで、好戦的な態度を露わにするのは珍しかった。

「止した方がいいよ。安易な攻撃じゃ。跳ね返されるのが落ちだよ」

 久太郎が、躍起になる初音を、素っ気ない言い方で押し止めた。初音は、一瞬小さく引き締まった唇を、不機嫌に歪めたが、すぐに気を取り直した。

「じゃあ、ぼくがやってみるよ」

 ぼくも、さっきから初音と同じ気分だった。少しくらいなら痛い目に遭っても、何もせずに手をこまねいているよりは、増しだと思っていたくらいだった。

「いいわね。じゃあ、やってみなさい。そして、潔く散りなさい!」

 二葉は、導火線に点火するみたいな心地で、急に浮き浮きし出した。どこか面白がっている。散りたくはないけどねと呟いて、ぼくは呪文を唱えた。机の性質を、魔法攻撃を行える物に変化させた。多少の躊躇いが、魔法に影響を与えた。ぼくの机は、故障した照準がずれた砲台みたいに、敵を避けて、魔法の弾を発射した。十発撃って、真面なのは一発だけだった。それも、赤いお面に難なく開いた番傘で受けられてしまった。傘で攻撃を受けられると、たちまちぼくの体に衝撃が走った。それほど痛くない。ぼくの唱えた魔法は、狙いも狂っていれば、弾丸もポンコツだった。ポップコーンが破裂したくらいの、威力しか持たない。

「令、大丈夫か?」

 三郎丸が、心配して言った。

「うん。魔法が失敗して助かったよ」

「令。呪文を唱えるとき、余計なこと考えたでしょ」

 二葉は、思った通りだという顔をした。二葉には、ぼくが失敗することはお見通しだったのだ。

「あの傘、やっぱり魔法を跳ね返してくるわね」

「それが分かっても、あまり状況は変わらない。こっちには、手の打ちようが無いからな」

 そう言っている間も、七人組は追撃の手を緩めなかった。ただ守りに徹しながら、高速で走行する蜘蛛相手には、決定的な損害を与えられていないのも、事実だった。

「こう一方的な展開だと、やられるのも時間の問題だな。参ったな、これは」

 三郎丸は、とうとう諦めたような口振りで愚痴を言った。

「何、呑気に構えているの。しっかりしなさい。何かいい手はないの?」

 二葉は、三郎丸の態度に呆れて、三噛み付いた。

「そう言われてもなあ。おい、久太郎何か無いか?」

 久太郎は、びっくりした顔をしてから、肩をすぼめただけだった。三郎丸と二葉が、同時に唸った。ぼくの机に、また激しい魔法の弾丸が撃ち込まれた。二三発が机の天板からそれて、蜘蛛の胴体に命中した。蜘蛛のお尻は、穴だらけになって、破損も酷かった。

「ねえ、このままじゃ。バラバラになるよ!」

 ぼくは、振り返らずに叫んだ。

「分かっている。だが、もう少し辛抱してくれ」

 三郎丸の声は、ぼくを励ますように返ってきた。

「攻撃できないなら、これならどう?」

 初音が、ぼくの背中まで這ってくると、ぼくの肩に掴まって、呪文を詠唱した。そこを狙って飛び込んできた、猫のお面は、急に退いて番傘を盾のように開いて構えた。初音の魔法は、その傘に案山子を発生させた。案山子は、成長の早い植物みたいに、瞬時に育って大きくなった。大きく育つと、手で支えられないほどその重量を増した。猫のお面は、耐えられずに傘を捨ててしまった。

「初音、いいぞ! これで、猫は傘は使えない」


 ところが、猫のお面は、どこからともなく別の番傘を抜き出した。それを右手にするなり、挑発的に一振りした。

「おい、何だよ!」

 三郎丸は、苛立たしく唸った。初音は、あっとだけ驚嘆の声を漏らした。七人組は、執拗に蜘蛛を狙ってくる。甚大な損傷は受けていないが、このまま攻撃が続けば、やがって蜘蛛は、走行不能になることは目に見えていた。焦るぼくらに、七人の連携を崩す策は無かった。赤いお面が、強力な魔法の連射攻撃を仕掛けた。更に蜘蛛へ被弾も大きくなった。このまま、一方的な展開で敗北してしまうのかと思えてきたときだ。

「僕に任せて、ちょっと試したいことがあるんだ」

 ムラサキが、照れ臭そうに言った。が、何か自信はあるようだった。

「よーし、分かった。やってみろ」

 三郎丸は顔を明るくして、快く承知した。ムラサキが言うには、蜘蛛には、魔法の糸を吐き出す他にも、強風を発生させる魔法が備えられていると言うのだ。

「準備はいい?」

 ムラサキが、みんなに合図した。それぞれが、色々な格好で返事した。ムラサキは、それを確かめると、両手に魔力を集中させて、蜘蛛に送った。蜘蛛の胴体に、わずかな衝撃が走った。が、幾ら待っても何も起こらなかった。

「ムラサキ、どうしたんだ?」

 三郎丸が、ムラサキの横顔を覗き込んで、心配して尋ねた。

「これで、いいんだ」

 ムラサキは、はっきりそう言った。

「お前が、そう言うんなら信じよう」

「ありがとう」

 三郎丸は、ムラサキの言葉に照れ臭そうに微笑んだ。


 二人が、そう言っている間に、敵は襲ってきた。今度は、とどめを刺すつもりで、七人のお面が同時に、最大限の力を発揮していた。流石にこの攻撃は、致命的な損傷を避けられない。ぼくらは、そう覚悟した。お面の攻撃を妨害するように、強風が巻き起こって、竜巻を形成した。しかし、それは自然の物ではない。魔法だった。さっきムラサキが、発動した蜘蛛の魔法が、今頃になって、効果を現したのだ。これに驚いたのは、ぼくらばかりではなかった。当然、七人組のお面も予測していなかっただろう。

「ムラサキ。その魔法、さっきの不良が使っていた奴だな。はは。一度見て、既に自分のものにしているとはな。なかなかやるな」


 お面は猛烈な竜巻にさらわれ、後退するように見えた。が、彼らには切り札の番傘があった。強風は、あくまで魔法で発生させられたものだ。魔法攻撃を全て跳ね返すその傘には、全く無力と言っていい。


七人のお面が、ほぼ同時に番傘を振り、強風の魔法を跳ね返した。強風は彼らの所から、一瞬で消え去った。それで終わりではない。お面たちの番傘の厄介なところは、受けた魔法を相手に反射させるのだ。

「これでも駄目なのか!」

「みんな、吹き飛ばされないように掴まって!」


たちまち蜘蛛に、強風の魔法が跳ね返ってきた。大型の胴体が、激しい風に煽られた。幸運にもそれが追い風となって、蜘蛛の速度を上昇させた。これには、お面たちも為す術が無かった。見る間に、お面たちとの距離は離れた。彼らが、どう足掻いても追い付けない所まで達してしまった。爽快な風が、ぼくたちを包んでいた。

「奴らに、一杯食わせてやったな、ムラサキ!」

「まさか、あんたこれを狙っていたのね」

 みんなは、ムラサキに賞賛の声を上げ、危機的状況を脱出したことを喜び合った。だが、難は逃れたものの、蜘蛛の損傷は大きかった。まだ完全に敵から、安全な所まで逃げられたわけではなかった。

「敵は、元々俺たちを追ってきたわけじゃない。敵の狙いは、新しい拠点だろう。仲間は、みんなそこへ向かっている。俺たちなんて雑魚は、放っておいても何も出来ないと思っているんだ」

「でも、私たちが遠回りしていたら、敵の方が先に、拠点へ着いちゃうじゃない」

「そこなんだよな問題は。ムラサキ、蜘蛛の調子はどうだ?」

 三郎丸は、二葉との議論に行き詰まると、操縦しながら蜘蛛の様子を忙しく調べていた、ムラサキに声を掛けた。

「駄目だね。随分やられちゃったし、さっき無理をしたから、どこもぼろぼろだよ。あとどのくらい走れるか分からない」

 ムラサキは、暗い顔を三郎丸に向けた。

「こっちも打つ手無しか。しかし、困ったな」

 三郎丸は、腕組みすると、目を閉じながら、低い声で何度も唸った。三郎丸が唸るたびに、眉間に皺が寄った。みんなの表情も険しくなる一方だった。

「蜘蛛が動かなくなることを考えたら、少しでも拠点に近づいておきたい。遠回りしている余裕は無いな」

「さっきみたいな戦いは、もう出来ないわ。こっちには、冬吾だっているんだしね」

 二葉は、蜘蛛の上で仰向けになって眠っている冬吾を、一瞥した。

「どうだ? 冬吾は目を覚ましたか?」

 三郎丸が、心配そうに言った。冬吾の隣に座っていた初音が、彼の顔を覗き込んで、首を二三度素早く振った。

「まだ、駄目か」

 三郎丸は、諦めたように呟いて、溜息を漏らした。

「おい、ムラサキ。蜘蛛は、動かなくなったも引っ張っていけるか?」

「ええ? あー。一応、車輪が付いているから、引っ張れるけど。重く過ぎて、そう簡単にはいかないよ」

「でも、引っ張れることは出来るんだな。よーし」

「こんなの誰が引っ張るの?」

「まあ、それはいざというときの話だ。俺たちは、真っ直ぐに新たな拠点に向かう」

「それじゃあ。敵の中を通るの?」

「いや、俺たちは真っ直ぐにだ」

「はあ?」

「理屈では、俺たちの居る場所と、拠点を繋い直線が、最短距離になるはずだ」

「でも、そんな所に道なんて無いわ」

「だからだよ。俺たちは、道なき道を真っ直ぐ進む。元々蜘蛛は、舗装された道を走る物じゃないだろ。もう少し蜘蛛に、無理をさせてさせてくれ。ムラサキ」

「分かっている。それに、僕はいいんだ」

 ムラサキは、覚悟を決めたように答えた。恐らく無事に拠点にたどり着けたとしても、蜘蛛は壊れてしまうことは、ムラサキにも分かっていたのだろう。

「済まないな」

 三郎丸は、そう言って、やり切れないように口をつぐんだ。間もなくぼくたちを乗せた蜘蛛は、敵に気付かれないように、高速道の高架橋を下りて、山の斜面に飛び移った。これからは、用心しながら、木々の上を飛んだり、崖の岩肌をよじ登ったりして、道のない所をひたすら真っ直ぐ、北東に向かって進む。


静はヘッドホンに耳を傾け、敵が居ないか、味方の生存者は見つからないかと、周囲を注意深く警戒した。しかし、敵は何らかの方法で、静の探索を妨害しているらしい。静は、私の探索はあまり当てにならないよ、と寂しそうに言った。


道なき所を直進するのだから、敵や味方に、突然と遭遇することはなかった。が、ときおり登った山の上から、眼下の景色に山道が現れた。敵の進路と、極近い所を通過することもあった。だからと言って、即座に戦闘へ進展することは無かった。


ムラサキは、これまで以上に蜘蛛を慎重に操縦した。多くの魔力も必要だったし、神経も使った。ずっと休まず、走り続けてきたから、疲労も激しかった。みんな酷く疲れていた。


山谷を三四か所、越えることになった。蜘蛛が魔法の糸を吐いて、綱渡りするため、無防備になった。糸を張った空中には、隠れる場所が無いのだ。しかし、どの谷間にも、底の浅い川が流れていた。川岸も川底も、石がごろごろして歩き難い所だから、敵はそこを上って来なかった。


 山谷を渡った所で、静が魔法使いを感知した。

「近くに誰か居る。味方」

「何人だ?」

 三郎丸が、不審そうに尋ねた。

「一人、この先」

「よーし、ムラサキ。そこで止めてくれ」


 味方の魔法使いは、すぐに見つかった。ちょうど森が開けた所、ぽつんと一人男の子が立っていた。着ている詰め襟の学生服が、奇妙だった。ぼくたちの物とは違っていた。

「後ろ前くん!」

 静が、驚いて叫んだ。

「静の知り合いか? おっ、こいつ。後ろ前だな」

 三郎丸が言った。その子は、制服の前と後ろを、反対にして着ていたのだ。

「違います」

 その子は、無表情で答えた。

「やっぱりな。一応味方だ。取りあえず、こいつは面倒臭い。ここに置き去りにしていこう」

 すると、その子は蜘蛛に乗り込んできた。 

「ねえ、勝手に乗ってきたけど。いいの?」

「あまりその事に触れるな。厄介だからな」

 三郎丸が、ぼくに耳打ちするようにした。その子は、特に気にする様子も無く、蜘蛛が動きだすと、黙って流れる景色を眺めていた。


「後ろ前くん、独りで来たの?」

 静が、その子に話し掛けた。

「いえ。僕は一緒に来て、道にも迷わず、みんなを待っていたところです」

 その子は、静の質問に淡々と答えた。

「そうなんだ」

「他には、誰も居なかったけど」

 ぼくは、思わず口に出してしまった。本当に、先ほどその子が立っていた、森の切れ間には、誰の姿も見えなかったのだ。

「いえいえ。ちゃんと、みんな僕のの後ろを付いてきていたはずです」

 その子は、澄ました顔で言った。ぼくは急に赤面してしまい、黙っていた。三郎丸は、ぼくと目が合うと、ニヤニヤと笑った。しばらく蜘蛛は、木々の生い茂る森を越えて走った。それほど高い山はないから、比較的楽に進めた。森を越えた所で、急にその子が言った。

「ぼくは、このまま君たちと、一緒に行こうと思います」

「そうか。ムラサキ、そこで止めてくれ」

 三郎丸が、振り向いて合図した。ムラサキは、森の間を見つけて、蜘蛛を止めた。蜘蛛が止まると、その子は蜘蛛の背中から降りた。

「一緒に行きましょう」

 その子は、そう言って天を仰いだ。みんな一瞬、身動きが取れなくなった。ちょっと考えてから、おうと三郎丸が言った。

「じゃあね」

 静は、普通に答えた。その子は、蜘蛛が動きだすと手招きしていた。しかし、そのまま蜘蛛は走りだし、その子はすぐに見えなくなった。

「どういうこと?」

「はは。あいつの言動は、常にあべこべなんだ。だから、ややこしいんだ」

 三郎丸が苦笑を見せて、ぼくに教えてくれた。

「あの子、独りで行かせても、大丈夫なの?」

 黙っていた二葉が、急に口を開いて言った。本気で心配している風でもなかった。

「あいつは、弱い奴じゃないんだろ」

 三郎丸は、先ほどのその子の顔を思い浮かべるようにして、それから答えた。二葉は、面倒臭そうに顔をしかめた。

「後ろ前は、他人と行動すると、いつも厄介なことになるのさ。それで、単独子移動が多い。その方が、自分の力も十分に発揮できるのだろ。あいつは周りの自然法則だって、歪めてしまうくらいだからな」

 ぼくは、三郎丸の話を聞くと、ちちょっと寂しい気分になった。幾ら凄い力を手に入れたとしても、他人と一緒に居られないなんて、嫌だった。ぼくの左腕が、少しうずいた気がした。

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