第29話 襲撃と学校

 神クラスの鎧武者が去って、安堵の景色の中で、ぼくはくすんだビルの屋上に、不気味にしがみ付く巨大な蜘蛛と遭遇した。危うく腰を抜かしそうになった。聞き覚えのある男の子の声に耳をそばだてて、ようやくそれが尖塔の階段に潜む、蜘蛛型垂直歩行機だと判明した。ムラサキが、巨大蜘蛛の頭の上から戸惑った顔を覗かせた。

「みんな大変だ! 学校が襲撃された」

 ぼくらは同時に、ムラサキの言葉に目を見張った。ムラサキは続けた。

「ちょうど一組二組、三組が外へ援護に出払っていたんだ。そこを狙われた。巨大な神クラスが現れて、尖塔が破壊されてしまった。僕らの教室もだ。四組と五組は応戦したけど、敵の圧倒的な戦力に、為す術もなく呆気なくやられた。援護に向かった一組たちも撤退し始めている。みんな近くの山間にある廃校へ向かっている。そこへ集合するらしい。既にハジメたちは、そこへ行ったよ」

 ムラサキは体を乗り出したまま、息継ぎする間も無く、慌ただしく状況を伝えた。ムラサキが、蜘蛛の上からぼくらを誘導した。

「みんな、急いで蜘蛛の背中に乗って」

 蜘蛛の背中には、初音と久太郎の顔が見えた。二人とも不安な表情で、蜘蛛に怯えるぼくに苦笑いを見せた。正直、ぼくはこれに乗れるものかと尻込みした。古木を使って作られていたが、昆虫の中でも取り分けグロテスクな容姿をしている、蜘蛛には多少抵抗があった。が、一旦背中に上がってしまえば、その大きさ故に蜘蛛の全貌は目に付かなかった。ぼくは魔法の乗り物に、初めて乗っても、背中の乗り心地は悪くなかった。そこへ人を乗せることを、前提に作られていたのだ。

「よーし。ムラサキ、いいぞ」

 三郎丸が、最後に勢いよく蜘蛛の背中を駆け上がった。ぼくは、びくびくして四つん這いになったが、三郎丸は立ったまま平然と登ってきて、ムラサキの真後ろに、どっかりと腰を下ろした。ムラサキは、手元を忙しく動かして、蜘蛛に魔力を与えながら、顔だけ後ろへ傾けた。緊張した様子が見えた。

「令、机持ってきたよ」

 初音は気を変えて元気出すように、明るく言った。初音は久太郎と二人で、ぼくの学生机を支えていた。

「うん、ありがとう」

「大事な机だ。しっかり持っておけよ」

 三郎丸は背中を向けたまま、声だけ聞こえてきた。

「うん」

「そうよ。それがないと大変でしょ」

 二葉が、ぼくを一瞥して諭すような口調で言った。

「うん」

「そうそう。いざと言うときは、そいつが頼りになるんだ。盾にだって出来るだろ」

「うん」

「令は、ほとんど魔法を覚えてないんだから、そいつで何とかしなさいよ」

「うん」

「どんな物だって、使い方次第だからな。よく考えて戦え」

「うん」

「うん」

「うん」

 これほど脅威的な敵の襲撃は、誰も予知していなかった。学校は放課後で、幸い一般の生徒が居なかった。が、これでこの学校に、ぼくの帰る場所は無くなった。先生や同級生のみんなからも虐げられ、ようやく見つけた居場所だのに、こうも呆気なくその大切な場所を失ってしまった。しかし、それは他の魔法使いも同じだった。それでも、ぼくらはまだ運がいい方かもしれない。この奇襲で四組と五組の魔法使いは、負傷した者、安否さえ確認できない者も多かった。学校は混乱の戦場と化してしまった。こんな最悪な状況を、誰が想像出来ただろう。四組も五組も皆、すっかり取り乱し、全く立て直しができる状況になかったのだ。だからと言って、敵が攻撃の手を緩めるはずがなかった。敵は、こちらの混乱を好機と見るや否や、全力で攻撃を仕掛けてきた。苦戦は前線の援護に向かった、一組二組、三組も同じだった。ぼくらは、近くの山間にある廃校へ撤退をすることになった。

「うん」

 ぼくは学生机に魔法を掛けて、リュックのように背負った。

「令、ちゃんと聞いてる?」

「うん」

「れ、い!」

「ええ?」

 静の声は聞こえてきた。静の声から、緊迫した状況が伝わってきた。

「こちらに敵が来る」

 密かに敵を偵察をしていた静が、魔法通信を使って、同時に全員へ危険を知らせた。彼女の姿は、ぼくらの周りには見えなかった。

「どうやら、簡単には逃げさせてもらえそうにないな。静、戻ってこい。ここから離脱する」

 三郎丸が、電話するときのように、静へ呼び掛けた。一分も待たないうちに、静が急に姿を現した。いつ戻ってきたのか、ぼくには分からなかった。

「いいわ。出して頂戴!」

 二葉は、遅れてきた静が足を怯えさせながら蜘蛛のよじ登るのを待って、出発の合図を出した。その言葉を待ち望んでいたとばかりに、木製の蜘蛛の体が、活き活きと動きだすと、一息に速度を上げて滑走し始めた。


その間に、数人の新たな黒マントの影が、こちらに急速に忍び寄ってくるのが確認できた。が、それも見る見るうちに遠ざかって、幾ら追っ掛けても追い付けないほどに、ぼくたちを乗せた蜘蛛型垂直歩行機は、スピードを上げて走っていた。凄まじい疾風が、辺りの景色を吹き飛ばした。それほどの速さで走っていたが、蜘蛛の背中の上は、思いの外快適だった。ほとんど振動や衝撃もなく、今までに経験した全ての乗り物よりも、風に親しみを感じるくらいに、勢いよく走った。もうすっかり敵の姿は見えなくなって、その敵もぼくらの追跡の手を諦めたように見えた。蜘蛛は、しばらく街中を走り続けた。


 後ろが気になったときには、冬吾が蜘蛛の背中であぐらを掻いて座っていた。退屈そうに欠伸を漏らした冬吾は、ぼくと目が合うと、よっと気軽に手を上げた。ぼくは、驚いたように頭を下げて答えただけだった。彼もそれ以上は何も言わず、忘れ物を思い出すみたいに、一度後ろを振り返っただけだった。

「この先通行止めだって、静の情報では、既に敵が集結しているらしいよ。それで、僕らはちょっと遠回りしてきたんだ」

「もう、そんな事になっていたのか。厄介だな」

 三郎丸は、町の遠くの景色をじっとして睨んだ。蜘蛛は敵に見つからないように、ビルの壁や屋上をこそこそと隠れながら移動していた。二葉は後ろ向きで、蜘蛛の背中に座っていた。さも憎らしげに、ときおり眉をきゅっと吊り上げて、先ほどの戦闘を思い出しているようだった。

「私たち、相当足止めさせられたみたいね。みんな大丈夫かしら」

「勝ったつもりが、浮かれていたのはこっちだったか。まんまと敵の作戦にはめられたよな」

 三郎丸は二葉をちらりと見て、表情を曇らせた。ぼくたちに取って、戦況は悪い方へ向かう一方だった。敵の侵攻は思いの外早く、規模も遥かに大きかった。学校に待機していた魔法使いは、どのくらい避難出来たか分からなかった。


ぼくらは、予期せぬ敵との遭遇を避け、高速道路の高架橋に沿って、町中を迂回し、山間の廃校まで向かうことにした。多少時間は掛かるが、安全を考慮に入れての緊急措置だった。この町には、高さ八十メートルはある、巨大な橋脚を持つ高速道路が、川の流れのように所々で、揺るかなカーブを描いて走っていた。そこを車が猛スピードで駆け抜けていた。もしも思わぬ敵に出くわしたとしても、高架橋を登ってしまえば、その車の流れに乗って、学校まで逃走できると考えていた。

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