第25話 万引きとさくら

 その子との出会いは、ひいき目に見たとしても、とても良好とは言えなかった。学校帰りの制服姿が目立つ駅前の、まだ新しい店舗が目を引く書籍店で、ぼくは偶然にもその光景に出くわした。出くわしてしまったと言ってもいい。飾り気のない紺色のセーラー服は、同じ高校だとすぐに知れた。その子の所作は、素人目にも他の客とは、明らかに異色を放っていた。もちろん万引きの現場を目撃したのは、初めてだった。その子の全ての行動において、不自然な緊張が、こちらまで伝わってきそうだった。その子の整えた頭髪や、小綺麗な身なりからして、決して恵まれていないわけではなかった。その商品に、特別な執着があるようにも思えなかった。書棚や陳列台にはろくに目もくれず、周囲を警戒しただけで、鞄の隙間にシャープペンか、何かを押し込んでしまった。

 ぼくは、その子と目が合って悟られてしまった。その子のことを、じっと目で追い掛けていたのだ。無関係や無関心の立場が、ちょっとした好奇心から、他人の領域を侵してしまう。ぼくは、体が動かなくなっていた。

 その子は真っ直ぐにぼくへ歩み寄ると、外へ出るのと一緒に、ぼくを店から追い出した。額で分けた癖っ毛が、卵形の顔の輪郭を隠していた。大人しそうな普通の女の子だった。目立った所がなかった。それでも、どこか子供のような可愛らしさが残っていた。が、澄ました顔では、それも台無しだった。

 その子は、店前の通りを歩き出した。通りには、駅へ向か数人の人の流れが出来ていた。ぼくは、仕方なくその子を追い掛けた。突然、共犯にされた気分だった。その子はぼくが追い付くと、前を見たまま素っ気なく口を開いた。

「誰にも言わないでね」

「言わないよ」

「そう、だったらいいけど。見返りを期待しているんだったら、見当違いよ」

 その子は、歩調も変えずにさらりと言った。ファーストフード店には、やたらと学校帰りの生徒が集まっていた。

「見返りだなんて望んでないよ。ぼくは、ただ何であんな事するのかなって思って」

「そう。だったらいいけど。でも、それに理由なんて何もない」

「理由もないのに、あんな事するの?」

「もう分かったでしょ。だったら付いこないで!」

 その子は、初めてぼくを見た。その子の瞳は冷たく輝いて、ぼくを拒絶していた。ぼくは、そこで立ち止まった。足が地面に縫い付けられたように動かなかった。その子だけが、どんどん先へ進んで、やがて見えなくなった。その子の姿が通りから消えると、ぼくの足はようやく自由になった。

 その夜、なかなか寝付けなかったのは、その子のせいだと思った。ぼくは、寝坊しそうな冴えない格好で、登校してきた。何もない平穏な一日が始まった。

 その日、ぼくは学校で予期せぬ待ち伏せに遭った。その子には、もう会う機会もないと思っていた。街中ですれ違う他人だと決め付けていた。それが、どうしてか違っていた。

「君が先生に告げ口したの?」

 声がして、ぼくは初めてその子を認めた。前の日、ぼくがやったように、後ろから追い掛けてきた。トイレか、渡り廊下に隠れていたのだ。その子は、微かに感情が籠もったふうに、声を震わせていた。あるいは、単純に走ってきたから、息切れしただけなのかもしれない。

「もう少しで、君のこと信じるところだった。でも、良かった。信じなくて」

 ぼくは、立ち止まらずにその子を見た。ぼくが足を速めたから、彼女は離れないように、懸命に歩いた。

「君は、悲しいことを言うんだね。ぼくは、告げ口なんかしない。第一そんな事する理由もない」

 ぼくはぶっきら棒に返して、腕を勢いよく振って歩いた。こっちまで息が苦しくなってきた。それでも、今更足を止めるわけにもいかない。

「私が、先生と気まずくなるところを傍観して、楽しんでいるんだよ!」

「どうして? それだって、今初めて聞いたことだ。ぼくは、君のこと昨日知ったばかりだ。何も知らない。君のクラスのことも、君の先生のこともね。それなのに、そんな事する必要もないし、思い付きもしないだろ」

「まあ、それならそれでいいけど。悪かったね。酷いこと言って」

「いいよ。勘違いって、誰にでもあることだろ」

「でも、私がやったことは、勘違いじゃ済まされない」

「昨日のこと?」

 ぼくは階段を上って、踊り場でようやく足を止めた。その子は二三歩前に出て、振り返った。

「いいよ。君は何も知らないんだから」

「それだけは違う。ぼくは、昨日のことは全部知っている。共犯者だからね」

 その子は、共犯者と目を丸くして聞き返した。それから、火照るように微笑した。癖っ毛も小刻みに揺れて、笑っているようだった。

「君? 君とは、また出会えそうな気がする。でも、その時の私が別人でも驚かないでね。自己紹介は、その時にしましょ。それじゃあ。私行くね。サヨウナラ」

「サヨウナラ」

 ぼくたちは、階段を上った所から左右に別れた。――

 彼女がさくらだなんて、運命は残酷すぎる。ぼくは、あの包帯だらけでベッドに横たわる彼女に、何と言って自己紹介すればいいのだろう。

 いつか会えると思っているうちに、敵の魔法使いや、神クラス退治に忙しかったぼくは、とうとうその機会を逃してしまった。変わり果てた彼女を見ると、永遠にその時は来ない気がした。ぼくは、共犯者だなんて大胆なことを言ったけど、結局さくらのことは、何も知らなかった。彼女は、ぼくの名前すら知らないのだろう。もう教えて上げられる手段も無かった。ぼくが焦ったところで、何も解決しなかった。が、じっとしていられなかった。

 ぼくはその鬱憤を晴らすように、さくらや二組のことを調べ始めた。一番親しかった初音は悲しみに囚われ、近寄ることも出来なかった。奈々子や二葉たちは、最初から捕まらなかった。ムラサキや久太郎は、名前くらいしか知らないと教えてくれた。さくらの何が知りたいのか定まらないぼくには、誰もあまり好意的ではなかったのだ。ぼくは思い切って、ハジメにその事を打ち明けてみた。

 忙しい合間を縫って、尖塔の教室を訪れたハジメは、無言で口を曲げた。ぼくの真意を確かめる眼光で見詰めてから、重い口をやっと開いた。それは、溜息に近い声だった。

「残念だけど、その生徒のいい噂は聞かない。元々目立つことを避けている生徒ではあるがね。そういったことは、教師よりも生徒たちの方が、敏感だと思うよ。何か問題を抱えている生徒だが、魔法使いの仕事は、そつなくこなしていたようだ。二組の中では、むしろ優等生だよと、ここまでは立前だがね」

 ハジメの話では、問題はその生徒が慕っている、三十過ぎの男の先生との関係にあると言う。彼女がその先生を見る目は、全く恋人を見る目だった。端から見ていると、気恥ずかしくなるような恋する乙女の眼差しを、その先生に向けているのだ。

「まあ。二組の篠崎先生は、優秀と言えばそうなんだろうけど。でも、どこか投げやりなところが、いつも見え隠れして、危うい感じがするんだよ。僕はね。彼に付いている生徒が、不憫で仕方ない。まるで危険を顧みない。むしろ、それが美徳とでも勘違いしているんだ。彼一人が危険に曝されるのならいいけど、生徒まで巻き込んでしまっているんだ。それでいて、危険と背中合わせになればなるほど、彼らの魔法は冴えてくるんだからやるせないよ」

 ぼくは、ハジメの言ったことを暗い気持ちで思い出していた。ぼくには、たとえそれが事実だったとしても、受け入れられない事実だった。――

「おい、令! ぼーとしてるんじゃねえ」

 三郎丸の怒鳴り声に、ぼくは目を覚まさせられた。頭上に、突然と巨大な怪物の手が覆い被さった。人や車の行き交う街中に、凄まじい地響きが起こった。間一髪のところで、ぼくの左腕が全ての衝撃を跳ね返した。それと同じに、大型船の錨にあるような、頑強な鎖を何重にも巻いた、怪物の腕が粉々に砕けた。この左腕はぼくの意思とは関係なく、完璧に敵の攻撃を防御してくれる。が、この頃はそれも限界を感じていた。零の左腕の呪いが消え掛かっているのだ。ぼくがこの腕を失えば、先ほどの攻撃は避けられなかっただろう。顔一面に新しい包帯で覆われた、さくらの姿が一瞬甦った。ぼくは、訳も分からず魔法を唱えていた。

「我が名において、この者に永遠の安らぎを与えよ! 我の名は零」

 巨大な錨を頭に持つ、鎖の鎧で身を固めた、神クラスの怪物は、長い手足を一度不自然に胴体へ巻き付けると、激しく締め付けた。が、次には力尽きて前のめりに倒れてしまった。二度と動かなかった。

「おい、今の見たか?」

「ええ。でも、初めて目にする魔法ね!」

 三郎丸の不安な声に、二葉は嫌な予感に襲われた。跳ねた二つの眉が、鼻頭へ向かって、瞬くうちに吸い寄せられた。

「そうなんだが。あれって、零の名前を唱えてたな。おい、令! 今の魔法知っていたのか?」

「えっ? ううん、分からないよ。分からないうちに、勝手に口から言葉が出たんだ」

 ぼくは、自分が何をしたのか分からず、慌てて三郎丸に手を振って否定した。

「うーん、なるほどな。そう言うことがあるのか」

「な、何なの?」

 二葉が、怪訝そうな声を上げた。ぼくはまるで他人事のように黙って、ただ二人のやり取りを眺めていた。そうするしか出来なかった。

「恐らく、左腕の影響だろうな」

「それって、今のが零のオリジナルの魔法ってことね。ちょっとヤバそうな感じがしたわね」

 二葉は、高速道路の高架下を見渡すと、ようやくそこで辺りへの警戒を解いた。鉄筋の巨大な建造物が立ちはだかる、薄汚れた灰色の景色には、危険な魔力は感じられなかった。敵の怪物は粗方片付けたようだった。二葉は、少し大儀そうに腰に手を当てると、乾いた唇を結んだ。

「喉が渇いたわね」

「自動販売機は、そこにある。だが、俺は金は持ってねえ」

 三郎丸が、架橋の足元を指さした。

「私もよ。でも任せて」

 二葉は手頃な小石を拾ってきて、手のひらに載せると指で弾いた。小石はたちまち鈍器で叩いたように、二つに割れた。一つは百円硬貨に変わった。もう一つは小さく動き出して、その石の体とは不釣り合いな貧相な手足が生えると、ゆっくりと体を持ち上げた。石には頭や顔は無い。それが二葉の手から飛び降りると、小動物みたいに、こそこそ走り出した。突然見えなくなった。しばらくして、自動販売機の底から這い出してきた。その背中には、百円硬貨を抱えていた。二葉の手の硬貨は、石に戻っていた。

 二葉は、ミネラルウォーターを手にすると、迷わずペットボトルの蓋をひねって口を付けた。

「百円で買えて助かったわね」

「おい、自分だけ飲んでずるいぞ!」

「何! 三郎丸は、私と間接キッスを望んでいるわけ」

「そ、そうじゃないだろ」

 三郎丸は、二葉の侮蔑に近い意地悪そうな眼差しに声が上擦った。二葉はまるで気にせず、平然と返した。

「働かざる者、飲むべからずよ」

「この場合、働くとはどの部分を指して言っているんだ」

「もちろん、お金を稼ぐことでしょ」

「おい、待て。魔法でお金を拾ってくることの、どこが稼いだことになるんだ?」

 二葉は、ペットボトルを回すように振って見せた。その水音は二葉の心地みたいに弾んで、ぼくらの喉の渇きを一層刺激した。

「私はこうやって、ミネラルウォーターを買えたのよ。これって稼いだ証でしょ」

「ううん、何か釈然としないな」

 二葉は浮かぬ顔の三郎丸を尻目にして、一息にペットボトルの中身を飲み干した。二葉の豪快な飲みっぷりに、ぼくと三郎丸は堪らず、ごくりと喉を鳴らした。

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