第24話 バティングセンターと奈々子
ぼくは、ハジメのクラスの数人と、市内の病院へさくらの見舞いに行った。その帰りに三郎丸と奈々子に誘われ、街中にある小さなバティングセンターまで足を運んだ。
さくらは面会謝絶のところを奈々子のこねで、特別にお見舞いが許された。病室のベッドには、顔中に包帯を巻かれた、人形のような物が横たわっていた。果たしてそれを人間と呼べるのか、疑問を抱くほどそれは静かにベッドの上にあった。二葉たちは、卒倒した初音の介抱をするため、病院に残った。ムラサキは、途中で口実を作って上手く別れていった。逃げ遅れたぼくと、最初からそのつもりだった三郎丸が、奈々子に付き合う羽目になったのだ。
平均的な身長の二葉や静に比べて、奈々子は恵まれた体格を持っていた。手足が長く、細身で高い背丈は、ファッションモデルと見間違えるほどに美しかった。奈々子は、どこから持ってきたのか真っ赤なヘルメットを被り、バティングセンタのバッターボックスで、細長い足を踏ん張り、手にバットを握っていた。その左親指には、見るからに顔をしかめたくなるくらい、大袈裟な包帯が巻かれている。さっきの病院で、初音が倒れるところを無理に支えたのだ。奈々子は、突き指した親指だけ外し、平然とバッドを振る。バティングマシーンから放たれるボールは、それほど球速は無かったが、奈々子が幾らバッドを振っても、ボールは掠りもしなかった。三郎丸とぼくは、フェンス裏からその様子を見るともなしに眺めていた。
「一球も当たらないんだけど。ねえ、一球も。呪いなの?」
ぼくは、奈々子の爽快なスイングに、次第に声を大きくした。三郎丸は、バティングマシーンの方を見たまま答えた。
「ああ。奈々子のは、そうじゃない。ただの運動音痴だな」
「はあ? 誰が音痴だって!」
奈々子は肩を大きく回すと、バッドを構えて叫んだ。それは、とても素人とは思えない、勇ましい構えだった。
「三郎丸は、何で文句も言わずに付いてきたの?」
「たまには息抜きにでも、付き合ってやらないとな。参っちまうだろ」
奈々子は、スカッと見事な空振りを見せた。
「ねえ、これ息抜きになっているの? 一球も当たってないんだけど」
「いいんだ。あれで。奈々子の魔法はな、当たり過ぎるんだ。そして、相手の攻撃を見事にすからせる。それも、ギャグみたいにな」
穏やかに答える三郎丸を、ぼくは見た。
「へー、そんな魔法があるんだ。でも、一球も当たらないんだけどね」
「はは、これは真剣勝負だ。魔法なんて、インチキはなしだからな」
「誰がインチキだって! 見てなさい。次は確実にホームランだから」
奈々子は、豪快に空振りをした。タイミングも悪いし、バットとボールはかなり離れていた。その後、ぼくと三郎丸は、奈々子に近くの激安カラオケボックスへ強引に連れていかれた。強制的にと言ってもいいだろう。そこで、奈々子が一人歌い続けるのを、ぼくらは小汚い個室の隅に座って、先ほど同様に見守っていた。
「ちょっと、マイク転がさないでよ!」
「ごめんなさい。手が滑っちゃって」
ぼくは、選曲する奈々子に謝った。テーブルには、ジュースとカラオケの本、それからマイクが乱雑に置かれていた。
「カラオケが、こんなにストレスになるなんて、初めて知ったよ」
「だから、断れって言っただろう」
ぼくと三郎丸は、耳元に口を近づけた。普通にしゃべっていても、大音量の楽曲の音に、ひそひそ話くらいにしか声は届かなかった。
「三郎丸は、よくこんな事まで付き合えるね」
「これも俺の仕事のうちさ。ハジメには、みんなの面倒を見るように言われている」
三郎丸は苦笑いして、ぼくの顔を覗くように見た。ぼくは呆れて、不満の声を返した。
「面倒って、面倒臭いを超えてるじゃない」
ぼくは、奈々子を一度顧みた。奈々子はマイクを片手に、カラオケのモニターから片時も目を離さず、大声を張り上げていた。それは曲が違っても、先ほどから変わっていなかった。ぼくは、三郎丸へ視線を戻した。三郎丸は、ちょっと首根っこを掻きむしると、気だるそうに微笑んだ。
「ねえ。奈々子の魔法って、他の人は使えないの?」
ぼくの深く考えずに、聞きたがりの癖が出た。
「そんな事はない。だが、魔法には相性があるだろ。奈々子ほど使いこなせないんだな。百パーセントと、三十パーセントじゃ、天と地ほどの差があるだろ。はは」
「三郎丸は、三十パーセントなんだ。それじゃあ、使わない方が増しだね」
「そうだな。それでも、三回に一回と考えると、そこそこと思うがな」
三郎丸は、カラオケボックスの安価なソファーに深く体をもたせ掛けると、腕を組み直した。
「三郎丸、疲れたの? 元気ないけど。そこで横になれば、広いんだし」
「ははは。寝ると、奈々子が怒るだろ」
「まあ、誰でもそうだけどね」
ぼくは、思わず奈々子を一瞥した。奈々子は、まるでこっちの話を聞いてなかった。その時、ぼくは聞き覚えのある伴奏に、急に心が沸いた。
「おっ、この曲知ってる! 昔のアニソンだね」
「よーし、よく言った。いいから、早くマイクを持て、若者よ!」
奈々子は別のマイクを取ってきて、ぼくへ突き出した。ぼくは、それから懐かしいその曲を、奈々子と一緒に熱唱した。熱唱というより雄叫びに近かったと思う。この奈々子の音程を外そうが、歌詞を間違えようが、自信に満ちた歌声に、ぼくの羞恥心は、遙か彼方へ消し飛んでいた。
奈々子の独唱会が終了した後に、「そう言えば私、さくらの写真持っていたんだ」と、奈々子が携帯の画面を素早くいじって、ぼくへ傾けた。くっ付くほど顔を寄せて、飛び切りの笑顔を向けた二人の女の子が写っている。ぼくは、画面を食い入るように見る。目が離せなかった。そこに並んだ顔を、ぼくは知っていた。名前は知らなかった。どちらが、さくらなのとは聞けなかった。が、それは最悪の結末を先延ばしにしただけで、どちらにしてもあの悲惨な包帯の下は、ぼくの知った顔なのだ。
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