第23話 戦いとさくら
ぼくが尖塔の階段をくたびれて上ってくると、いつもは誰も居ない教室に人の塊が見えた。たくさんの生徒が集まっていた。ハジメは、その中には居なかった。みんな神妙な面持ちで、静かに話し合っていた。何人かが、ぼくに振り向いた。あまりこの教室で、馴染みのない顔も見られた。が、どの顔も重苦しい表情は変わらなかった。机に座った三郎丸が、ぼくを呼んだ。その声からも、切迫した空気が伝わってきた。
「令、戻ってきたか。今、二葉が状況を探りに行っている」
「何があったの?」
「二組の生徒が、マンションで事故を起こしたの。大怪我して、まだ意識が戻らないの」
初音が、取り乱したように叫んだ。普段から色の白い顔が一層青白くなって、上擦った声が震えていた。
「そんな!」
ぼくは、二組の生徒とは交流がなかった。が、偶然一人の生徒を知っていた。と言っても、それを交流と呼べるものかは分からない。たまたま街で見掛けたくらいの些細な関係だった。それでも、同じ学校の生徒だと聞くと動揺した。
「さくらちゃんが、自爆するなんて有り得る。敵の工作じゃないのかな」
冬吾は、机も椅子も持っておらず、直に床へあぐらを掻いていた。黒髪が、寝起きみたいにぼさぼさしていた。カマキリっぽい眼鏡の目で、それがどこか飄々として掴み所がない感じだった。鼻と口は、木目の細かい肌に、目立たないくらい大人しく付いていた。その口は時折、皮肉っぽっくよく動いた。
「事故か、襲撃か。まだはっきりしないが。さくらが狙われていたのは確からしい」
三郎丸は冬吾を見た後、いつになく怖い顔をした。冬吾はだらしなく座って、少しも遠慮が無かった。
「さくらちゃん、命があっただけでも、まだラッキーだったよね」
「ラッキーだなんて言わないで、まだ助かるかどうかの瀬戸際なのに」
初音は、涙声になっていた。誰かに助けを求めて、前髪をピンで留めたショートヘアの顔を、きょろきょろさせ落ち着かなかった。
「ガス爆発だぜ。マンションが吹き飛んだんだ!」
「冬吾。他人事のように言うじゃないか。あんたの友達だったなら、平気なの?」
奈々子が、尖った声で返した。足が長くすらっとして背も高く、肩まで掛かる髪、切れ長の目に、整った鼻筋と、大きな口はどれを取っても大人びていた。奈々子は立ったまま、腕組みしていた。それもどこか様になっていた。冬吾は奈々子に答える代わりに、肩をすくめただけだった。
「まあ、あまり悲観的になっても仕方がないだろ。本当にただの事故だったのかもしれない」
三郎丸が、悪い方へと向かいだした、話の流れを修正した。初音や静、ムラサキに、久太郎などが黙って肯いた。
「それで、真相はどうなの?」
冬吾は、平然として聞いた。
「うーん、それだが。はっきりとした目撃者はいないんだ。情報では、どうも敵の方が想定外だったようだ。事故が起こるなんてね」
三郎丸は不審そうに冬吾というよりは、そこに集まった全員に語った。奈々子は、露骨に顔をしかめた。
「そんな情報、信じたのかよ!」
「これからは、仕事がやり難くなるね。どうしよう」
ムラサキが、久太郎にこそこそしゃべった。ぼくも不安になって、ムラサキに尋ねた。
「それって、どういう事なの?」
「危険な仕事のほとんどを、さくらに頼っていたからね。さくらは、未来が分かるんだ」
「さくらちゃん、大丈夫だよね」
「そんなに、心配なら見舞いに行けばいいじゃない。まあ今の状態じゃあ、面会できるか分からないけどね」
奈々子は、落ち着きのない初音を諭すように言った。その口調には、あまり感情が籠もっていなかった。
「さくらだって、二組じゃ相当腕が立つ方だろ。それなら、事故を起こす必要も無いじゃないか。てことは、本当にやばい奴に出会ったんじゃないか。三郎丸たちは、この前強そうな敵に会ったんでしょ。その中に居なかったの?」
三郎丸は抱え込んだ膝から手を放すと、奈々子へ顔を向けて苦笑した。
「強いも何も、奴らとはほとんど戦闘してないんだ。戦う前に神クラスをぶつけられたからな。ああ、一人血の気の多いおばさんが居たが、二葉に苦戦するくらいだ。幾らなんでも、そいつじゃないだろ」
「今日、すぐにでも行ってみようと思うけど。静、さくらちゃんのお見舞い付いてくる?」
静が、初音にこくりと頭を振った。重い空気の中で、虚しく学校の呼び鈴が鳴った。が、この教室に、それを気にする生徒は一人も居なかった。
「でも、何やっていたの? 三郎丸と二葉がその気になれば、神クラスなんて、あっと言う間じゃない」
奈々子は、苛つくように眉をひそめ、三郎丸を見返した。三郎丸は、それにはちょっと顔を上げただけで、表情は穏やかだった。
「奈々子。まあ、そう言うな。目的が違っていたし、今とは全く状況が違うだろ」
「そうだったね。でも、遠足にまで敵が現れるなんて、今まで無かったじゃない」
「ううん。どうやら、敵は神クラス集めが目的だったらしいんだがな。底が知れないって言うか、そういう奴らばかりだったな」
三郎丸は、当時のことを顧みるように唸った。奈々子は、尚も訝しげに尋ねた。
「あんなの集めて、どうするの? 天敵があるんだから、幾ら数を揃えたって割に合わないじゃない」
「そうなんだよな。――奈々子は、何で神殺しを取らないんだ」
三郎丸は、そこでまた話の流れを変えた。奈々子は、意外だったように一瞬、戸惑った。
「私は、これがあるからよ」
「だよな。奈々子は、行き成り当たりを引いたからな」
「そりゃ、ずるいよな!」
冬吾が不平を言った。
「魔法使いなら、運も操れなきゃ生き残れないじゃない」
奈々子はそう言った後、一瞬眉間に皺を寄せた。が、暢気な冬吾の言葉に救われ、表情を緩めた。
「えっ! それって、運気を上げる魔法があるの?」
「さあ、どうだか。でも、あなたには教えない」
「あっ、そう」
奈々子にはっきりと断言された冬吾は、がっかりしてうな垂れた。三郎丸は、落ち込む冬吾には構わず、みんなを見渡した。楽観的な冬吾を除けば、先ほどよりも、その顔には一様に焦燥の色が濃く現れていた。奈々子も気丈に振る舞っていたが、内心は少しも穏やかではないはずだ。
そこへ険しい顔で二葉が、音も立てずに教室へ入ってきた。初音がそれをいち早く見つけ、真っ先に声を掛けた。初音は、ずっと二葉が現れるのを待っていたのだ。
「二葉。さくらちゃん、どうだった?」
二葉は、初音の言葉に遮られる形で、教室の入り口で立て止まった。二葉は口を開く前に、教室の様子を注意深く窺った。
「まだ意識が戻らないそうよ。難しいところだわね」
「そんな。私、今日病院にお見舞いに行こうと思ったのに」
「今行っても、ショックを受けるだけよ」
二葉が冷たい声で、きっぱりと言った。
「そんなに酷いのか?」
三郎丸が、壊れそうなくらい動揺を見せる初音を横目に、扉に手を突いて立ったままの、二葉へ詳細を尋ねた。二葉は一度、躊躇うように唇の端を歪めた。
「そうね。想像できる最悪を考えていた方が、良さそうだわ」
初音は二葉の言葉に、泣き崩れてしまった。ぼくの知らない所で、何か得体の知れない物が動き出す気がして、体が凍えるのを感じた。
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