第27話 見えない敵ともう一人の委員長

「ねえ。ぼくたちの戦ってる敵って、誰なの?」

 ぼくの質問に、ハジメは少し考えるように答えた。

「それを一言で答えるのは難しい。差し詰め、近隣で勢力を強める魔法使いたちだろう。しかし、その全貌は未だに掴めていないんだ。もっとも町の人口に比べれば、魔法使いの数なんて高が知れているけどね。だから、大それた事をやろうとすれば、自ずと巨大な組織が必要になってくるんだ」

 ハジメは、ぼくの返事を待たずに続けた。ぼくは、ただハジメの授業を聞いているようだった。

「この町はね。ここら辺りでは、唯一神クラスが出現する町なんだ。そのせいか神殺しの存在は大きい。その反面、神殺しというのは、古い魔法使いの間では、魔法と認められていないんだ。ほとんどの魔法使いが気味悪がって、神殺しを嫌っている。どこへ行っても、神殺しは立場が弱いんだ。時には、その者を捨て駒くらいに扱ってきたんだ。だから、幾ら神殺しが強力でも、進んでそれを手にする魔法使いは少ないんだ。この学校ですら、僕のクラスを除けば、たまたま手にした生徒が、二組と三組に数名居るだけなんだ。その生徒だって、クラスでは居心地の悪い思いをしていると聞いている」

 あまりいい解答は出来なかったねと、ハジメは苦笑交じりに答えた。それでも、ぼくに取って貴重な知識を得たように思えた。この世界については、分からないことだらけだ。ただいつの間にかぼくは望まない争いに、巻き込まれている気がした。

 ぼくは、嫌いだった前のクラスに戻りたいと思わなくても、普通の生徒と交流を持ちたい欲求は常に抱いていた。それが、この頃は一段と強まったように思えた。こうやって、図書室に足繁く通うのも、それを満たすためなのかもしれなかった。が、不思議と委員長と出会えるのは、ぼくが困っているときと決まっていた。何となく会いたい気分で探しても、必ずと言っていいほど、委員長には出会えなかった。もっとも委員長というだけのことはあって、いつも誰かに頼られ、忙しいのだろう。

 勇気のないぼくは、図書室を訪れるにしても、最初は何となく前の廊下をうろついていた。それが慣れてくると、大胆に扉を前に立ってみた。しばらく中へ入ろうかどうしようか迷った挙げ句に、また廊下を戻り始めた。それでも、誰かがぼくを呼び止めるのを期待していた。誰かとは、もちろん委員長であって、香川という額の広い、目鼻の小さな上級生ではなかった。

「委員長を捜しに来たの? 僕もまあ捜しているんだけどね。ああ見えても、なかなか忙しい人だからね。それで、君は随分と委員長と親しげだね。でも、勘違いしないでよ。委員長はあくまで委員長で、誰にでも親切なんだ」

 香川は、抑揚のない調子で言った。それも、どこか棘のある言葉だった。ぼくは、寂しいくらいの嫌な気分で答えた。

「うん、それは分かってる」

「そっ! だったら、いいけど。僕は、ちょっと委員長が心配なんだよ。君のことを、とやかく詮索するつもりはない。そう委員長に釘を刺されたからね。だからと言って、周囲はそうは思ってくれない。たとえそれが、根も葉もない噂だったとしてもね。僕は、ただ委員長に嫌な思いをさせたくないんだ。君だって、そうだろ」

 ぼくは、無条件の同意を強要された思いがした。嫌いだったあの頃から、すっかり解放されたつもりでいたのが、それは単に関わりが希薄になっただけで、根本的に何も変わっていないのだと思い知らされた。

「それじゃあ、僕はこれで失礼するよ」

 香川は、言いたいことを吐き出すと、ぼくの返事を待たずに行ってしまった。ぼくは、一人ぽつんと残された。

 確かに委員長だから、ぼくに優しいと言われれば、その通りなのかもしれない。寂しいけど、ぼくは知らず知らずのうちに、その立場に甘えていたのだ。ぼくは、じっとしていられなかった。苛々して、落ち着かなかった。図書室の扉を開いたのは、そんな感情的になっていたからだった。

 扉を開けた側から、古い本がぎっしり詰まった本棚が現れた。それが、電灯の点る天井まで届きそうだった。そこへ訪れれば、誰でもちょっと口を閉じて、本棚と本棚の間の静けさに耳をそばだてたくなる。そこには空気は流れていないし、動いている物は何一つ見えなかった。図書室独特の雰囲気が漂っていた。思った通り本棚の間には、生徒の姿は無かった。が、奥の机に、誰かが座っていた。そこへ用事があるのは、氏名を書いたブックカードを提出するくらいで、その席に座っているとすれば、委員長だと期待した。そう期待させるほど、その子の顔が、どこか委員長に似ていた。眼鏡を掛けていたが、細身の銀縁だった。頭髪は奇麗に整えられ、額で左右に分けていた。委員長とはまるで違う雰囲気なのに、二人は見違うほどに、目鼻立ちや口元がそっくりだった。

「図書の貸し出しですか?」

 ぼくは、女の子の穏やかな言葉に慌てて首を振った。女の子を、そうですかと改まって言った。

「もし借りたい本が見つかったら、私の所で貸し出しの手続きを行って下さい」

 それだけ言うと、さっきのように静かに机の本へ目を落とした。ぼくは、もっとその子を眺めていたかった。そうする理由も見つからず、居づらくなって、図書館から逃げ出してきた。ぼくは、意気地が無かったのだ。

「それって、ドッペルゲンガーみたいなものじゃないかな」

「ドッペルゲンガー?」

 ぼくは、たまたま廊下で出くわしたムラサキを捕まえると、図書室で出会った、委員長そっくりな女の子について話してみた。

「でもね。この学校には、少し変わった噂もあるんだ。令は知ってた?」

 ぼくは引きつった顔で、知らないと答えた。ムラサキは、その噂をあれこれ教えてくれた。随分と詳しかったから、ムラサキも実際に見たのと、ぼくは聞き返したくらいだった。ムサラキは、急に顔を振って青くした。

「まさか、あくまで噂話だよ。でも、令の話を聞いてみると、本当かなって思えてきたんだ。だから、あまりそれに深入りしない方がいいと思うんだ」

「ううん。でも、どうして?」

「僕らは、魔法使いだからだよ。多少の不可解な出来事も魔法で片付くだろ。それ、きっと呪いだ」

 ムラサキは、ぼくの左腕をちらりと確かめた。ぼくの左腕が、うずく気がした。

 ムラサキと別れた後も、ぼくはどうしてもその事が頭から離れなかった。魔法感知の練習にも身が入らなかった。あいにく三郎丸も二葉も、外に仕事に出ていて捕まらなかった。ぼくは、また当てもなく校内をぶらぶらした。困ったときには、本当に委員長が現れるのだと実感した。

「それって、高校生活三年の間に、一度も出会うことなく卒業する、自分にそっくりな生徒が居るって話でしょ。何だか都市伝説みたいだよね。それで、令はその私に似ている人に会ったんだ」

 廊下でぼんやりしていると、気付かないうちに、委員長が側に立っていた。どうかしたのと、挨拶代わりに問う委員長に、ぼくは正直に例の話を打ち明けた。委員長は、そんな生徒は見たことがないと断言した。

「それも、図書室でだよ。こんな身近な場所に居て、一度も出会わないってことは、やっぱり不自然に思えるんだ」

 真顔で答えるぼくに、委員長は呆れた様子で顔をしかめる。

「でも、ここは千五百人以上も、生徒が在籍するから、そんな事あっても不思議じゃないと思うよ」

 委員長は、「令は、みんなと同じでそう言った、ちょっと怖い話が好きなんだね」と冗談のように言って、少しも本気にしなかった。ぼくは、委員長に言われると次第に自信を失った。図書室で見た女の子は、単なる見間違えだったのかもしれないと、その時は自分に言い聞かせた。ところが、一度だけならまだしも、ぼくが図書室へ行くと、その子はまた奥の机の前に座っていた。

 ぼくはいつの間にかその子を目当てに、図書室へ足を運んでいた。彼女は、儚い存在だった。委員長が、ただの噂話みたいに否定したから、余計にそう思えた。ぼくが図書室へ行くと、必ずと奥の机に彼女を見つけた。机の上の本を、静に読みふけっていた。少なからず、ぼくの目には幻ではなかった。

「しおり?」

「これをね。図書室の奥の机で見つけたの。まあ、そのまま置いておけば良かったんだけど。手作りのしおりなんて珍しくて、素敵でしょ。持ち主に返すつもりで、持ってきちゃったんだよね」

 委員長は、ぐふふふと恥じるように笑って、胸ポケットを探って手だけ出した。

「あっ、ごめん。大事な物だから、鞄に仕舞っておいたんだ。和紙に包んだ押し花のしおりでね。道端で見掛ける、小さな花が可愛らしく咲いているの」

「忘れ物なの?」

「ううん、そうだと思うけど。でもね。あそこで、本を読む生徒なんて居ないの。まあ、私を除いてだけどね。その机に戻しておこうかと思ったんだけど、それも気掛かりだったから。私が言うのもなんだけど、誰かが持って行ったら困るよね」

 委員長は、また声を立てて笑った。苦笑いだった。その日の委員長は、いつもと違って悲しげだった。

「それで、令にちょっと頼みがあるんだ。頼まれてくれる?」

「うん、いいよ! 委員長には、いつもお世話になってばかりだからね」

「おっ、頼もしいね。それじゃあね。このしおりをその子の物か聞いて、そうだったら返してくれる?」

「分かった。それくらいなら、ぼくにも出来そうだ」

「今日は急用があったんだ。今度持ってくるからね」

「うん、分かった」

 それから二日後に、ぼくはまた廊下で委員長に出会った。委員長は、ずっとぼくを捜していたように、慌ただしく駆け寄ってきた。それが、酷くかっかりした顔をした。

「令、無くしちゃったみたいなんだよ。ごめんね。大切な物だから、気を付けていたんだけど。どこへ行っちゃったのかな。ちょっと心苦しいよ」

「それ、仕方ないよ。だって、絶対に会えない人なんだからね」

「そ、そうかな」

 委員長は、うな垂れた顔をゆっくりと持ち上げて、ぼくを見た。ずれた黒縁の眼鏡を、指で押して直した。

「令、ありがとう。元気が出てきたよ。私、もう一度捜してみる。見つかるかもしれないからね」

 委員長は、そう思い立ったらじっとしていられないとばかりに、「それじゃあ、またね」と残して、急いで行ってしまった。ぼくは、委員長が元気を取り戻してくれて、気分が良かった。委員長の助けになれたのも嬉しかった。

 ぼくは興奮したまま、その勢いに任せて、図書館まで尋ねてみた。そこへ来て、躊躇わずに入口の扉を引いた。ぼくの期待は、見事に的中した。委員長そっくりな女の子が、奥の机に座っていた。それは、きっと偶然ではないと、ぼくを更に大胆な行動に移させた。女の子の側まで、真っ直ぐに近づいていた。彼女は、まだ開いた本から目を離さなかった。ぼくは机の上を見て、目を疑った。夢を見ているようだった。そこに、委員長が無くしたと言った、押し花のしおりがあったからだ。ぼくは、考えたことを声にしていた。それに後から気付いた。

「それは?」

 女の子は、ぼんやりとしたまま顔を起こした。まだ本の中から、頭が抜け出せないようだった。

「えーと。ああ、このしおり? 無くしていたんだけど。ここへ本を置いていたら、挟んであったの。不思議ね。君が捜してくれたのかな?」

 その子は上目遣いに眼鏡の隙間から、ぼくを覗いた。ぼくは、慌てて否定した。それから言った。

「でも、それを持ち主に返そうとしていた人なら知っている」

「あら、そう。でも、それって私が直接会えない人なんでしょ」

 その子は澄ました顔で、素っ気なく言った。何だか全てを見透かされているような瞳をしていた。それが、急に悲しい色を呈した。その子は少し物思いふけった後に、わずかに微笑を浮かべた。何か面白いことを思い付いたようだった。

「それなら、その人にお礼を言わなくちゃね。ありがとうを伝えてくれる?」

 ぼくは、分かったと快く答えた。この子の微笑みの意味は、結局ぼくには理解できなかった。ぼくは、その子の言った通り、委員長に伝えるつもりだった。委員長と会うのは、それほど難しくなかった。委員長の助けが必要なときは、彼女の方から必ず現れるからだ。でも困ったことは、それではなかった。ぼくは、その子の言付けを全て忘れてしまったのだ。その事情を打ち明けても、委員長は少しも驚かなかった。

「そっか。そう言うことって、あるんだね。それって、きっとお礼が言いたかったんだよ。ありがとうってね」

 ぼくは、その子の言葉を委員長に言う必要がなくなった。その瞬間から、全てを思い出した気がした。

「なーんだ。言わなくても伝わる気持ちってあるんだね」

「そうだね。でも、本当は言葉で言ってもらえた方が、もっと嬉しいと思うよ」

 委員長は珍しく、しんみりとした表情を見せた。その顔は、図書室のその子に瓜二つだった。

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