第20話 レインコートと二葉

 町の繁華街からほど近い路地の、巨大で劇画調の看板だけが当時の面影を残す、既に廃館になった映画館の前にも、人の行き交う大通りと同じ大粒の雨が降っていた。そのどんよりとした雨空と等しい色のシャッターの並んだ所に、また一頻り雨が降り注ぐと、慌ただしい雨音に混じって、不審な足音が響く。時折、水溜まりを濁らす音がする。足音は争っているみたいだ。そこには、誰の姿も見えない。水しぶきが跳ね返るだけだった。

「魔法使いなのに、格闘術を使うとはな」

 閃光が起こった。が、その瞬間に、雨粒が光を払い除けていた。それも光が勢いを宿す前に、全てが遮られている。行き成り劣勢の方が、姿を現した。びしょ濡れの黒マントを纏っている。と同時に、雨粒があちこちに飛び跳ねながら、人の形を作って黒マントに襲い掛かった。次々に拳を突き出し、時には足蹴りを入れた。黒マントは防戦一方になりながらも、辛うじて致命傷は避けている。また素早く拳を繰り出したと思うと、黄色いレインコートが輪郭を現した。いよいよ黒マントを追い詰めるように、拳と蹴りの猛攻を叩き付けた。ところが、それはただのレインコートだけで、それが本物の人のように動いていたのだ。黒マントはそれに気付くと、レインコートを払い除け、忌々しそうな顔をした。が、次の瞬間には、その青白いやつれた顔が苦悶の表情に変わっていた。横腹を押さえ、膝を落とした。どこからともなく、そこへ強烈な一撃を食らっていた。黒マントは、完全に相手の気配を見失っていた。

「今のは、手応えありね」

 黄色いレインコートを身に着けた二葉が、両腕をだらりと垂らし、雨粒を落とすように立っていた。

「私、替えのレインコートは、十着しか持ってきてないの」

 二葉がそう言い終わらないうちに、黒マントは吹き飛んでいた。黄色のレインコートは、先ほどの格好のまま、微動だにしていなかった。が、黒マントがさっきまで立っていた所に、ピンクのレインコートを着た二葉が、足蹴りを伸ばした格好で立っていた。

「おい、やり過ぎだ。こいつ完全に伸びているぞ!」

 三郎丸が言った。

「えっ、手加減したつもりだけど。足元が悪いから、足が滑ったのかもね」

「待て待て、滑ったら、むしろ力が入らないはずだろ。はあ、やれやれ」

「じゃあ、そいつの後始末は任せたわよ。三郎丸、今日は何もしてないんだからね」

 二葉が冷たく答えた。

「仕方ないだろう。雨の日は、ジャージが濡れるからな。着替えがないんだ」

 三郎丸は、首にだらしなく白タオルを掛けたまま、黒傘を差し、制服を濡らした学生のように、ぽつんと立っていた。とても戦場に赴いた、魔法使いとは思えなかった。三郎丸は不器用に左手に傘を持ち替えると、力任せに伸びた黒マントの男を引っ張った。

「こいつ、重いな!」

「いいわ、そこに放って置けば。すぐに誰かが回収しに来るでしょ」

 二葉は雨に曝されるまま、身に着けたレインコートを楽しむ、少女の気分を味わっていた。

「そう言う訳にもいないだろ。はあ」

 三郎丸は、重苦しい溜息を漏らして、二葉を顧みた。

「雨なのに楽しそうだな」

「お気に入りのレインコート、雨の日じゃなきゃ着れないのよ」

「へー、やけに強いと思ったが、そう言う制約があるのか。でも、途中で雨が止んだら、それどうなるんだ?」

 三郎丸が真顔で尋ねた。

「どうにもならないわよ。一度着てしまえば、後は着替えるまで大丈夫だと思うけど。三郎丸、何か変なこと考えてない!」

 二葉はレインコートの袖を胸に当てると、しとやかにそこを隠す仕草をした。

「おい、何でだよ!」

 三郎丸はたじろぎながらも、必死に否定した。間もなくして、映画館のあった方から、見方の白のレインコート姿の魔法使いが、数人現れた。その中には、先日放課後の学校を訪れた、男たちも交じっていた。そこに朝倉の顔は見えなかったから、二葉はほっとした。それでも、幾分と気を揉んだだけでも、あまり気分のいい物ではなかったようだ。

「ああ、君たちか」と、先日会った男が、二葉たちへ懇意の声を掛けた。が、他の魔法使いは、ただ事務的に「ご苦労だった」と、労いの言葉を告げると、気絶した男を連れて行ってしまった。

「何か、ああいうのを見ると、あんまりいい気持ちにはなれないよな」

 三郎丸が、ぼそりと言った。二葉は、短い眉をつんと上げた。

「それは、私たちがまだ子供だからよ! 大人になれば、そんな事考えなくなるわ。あいつらを見ていると、そう思いたくなるの」

「それって、悲しいことだよな。よく分かんねーけど」

 三郎丸が、男たちの去った路地に、冷たい視線を注いでいた。二葉はその景色を嫌ってか、レインコートから滴る雨粒を眺めて俯いていた。が、急に何かに駆られ、ゆっくりと空を仰いだ。夜の近づいた黒い空から、絶え間なく雨は落ちてきて、いつまでも止みそうになかった。

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