第19話 零と魔法感知
昼休みが終わる頃、戻ってきたぼくは尖塔の教室で、ムラサキを見つけた。ハジメはと言う問い掛けに対して、ムラサキは意味有り気に、指一本を立てると、そのまま突っつく要領で天井を示した。ぼくは吹き抜けになった天井を仰いで、あっと声を漏らした。
あんな高い所に、少年がよじ登っている。尖塔の三角屋根裏に吊り下がった、飛行機のエンジンに似た、排気口がやたらと並んだ装置に、少年がしがみ付いていた。ハジメは時々屋根裏に上って、雷の発電機を魔法に活かせないかと研究している。それは子供がオモチャを分解して、遊んでいるようでもあった。ムラサキは、ハジメの助手をしていた。
「もうすぐ終わる。ちょっと待っていてくれ」
頭上で、慌ただしく金属の音が反響した。レンチでボルトを締めたり、ハンマーで装置を叩いたりと、煩雑に響く甲高い音の合間に、好奇に満ちた少年の声が聞こえた。
「うーん、これも駄目か。令、上がってきてもいいけど、ここは狭いからね。僕がそっちへ行こう。――僕は、昔面白い人に会ってね。この話したかな。そう。科学と魔法とは、全く原理が違うだろ。だから、相見えることなどないと思っていたんだ。勿論それは、そうだけど。そのじいさんは、興味深いことに機械屋でありながら、魔法使いと一緒に働いていたんだ。魔法を使えば、科学技術の限界を飛び越えられるってね言っていたよ。かと言えば、魔法を使って如何に科学を愚弄するかが、我々の使命だとも語っていたな。はは、そんな事言ったのは、そのじいさんだけだよ」
ハジメは梯子も使わず、ロープを垂らすとするすると下りてきて、ぼくの前に立った。お待たせ、お待たせと、木漏れ日のようなキラキラした瞳で、少年が微笑んだ。使ったロープは自然に巻き上げられていった。
それで、僕に何か質問でもあったのかなと、ハジメは態度をはっきりしないぼくを促した。
「えーと、零って、どんな魔法使いだったか聞きたくて」
それは、身近な人の日常をあまり詮索しないのと同様に、ぼくはこれまで一度も考えなかったことだった。ハジメはゆっくりと腕組みして、俯き加減に唸った。またぼくを見た。
「それは、令の方が詳しいと思うけどね。僕は、実際に零に会ったことはないんだ。ただ記録はきちんと残っている。それも零と接触した人物から得た、有益な情報が幾つもあるんだ。現に零の左腕は存在しているだろ。令はあれに触れさせられて、痛感したと思うけどね。あれには、厖大な魔力が秘められている。それだけ見ても、僕の知る限り零に敵う魔法使いは存在しないんだ」
「ハジメでも?」
ぼくの突拍子な言葉に、少年が心地よく笑った。爽やかな風に吹かれた気分だった。
「ははは、そう言ってくれるのは嬉しいけどね。残念ながら、僕は零の足元にも及ばないだろうね。零はあらゆる魔法に長けていたし、誰も使ったことのないオリジナルの魔法を幾つも携えていたんだ。ちょっと嫉妬しちゃうよ。その代表なのが、カウンターゼロだよ。カウンターという魔法は、あくまで食らった攻撃を軽減する魔法なんだ。でも、零のは全く違っていた。彼に悪意を向けた者は、彼が攻撃を受ける前に完全に跳ね返してしまうんだ。そこまで来ると、既に反射という感覚はなくなるけどね」
ハジメは、呆れたように肩をすくめた。ぼくは、すぐに尋ねた。
「それって、無敵ってことなの?」
「ううん、全くそうとは言い切れない。ただそれを打ち破ることは、至極困難だったからね。それに、その魔法は無限に発動していられるはずはないんだ。でも、その魔法が発動中に、零を打ち破った者は居なかったらしいよ」
ぼくは、ハジメの話を聞くと、少し憂鬱になる。ぼくが置かれた世界とは、まるで次元が違っている。新しい魔法を覚えることもままならない、ぼくには何の参考にもならない気がした。ハジメは優しく微笑んだ。少年が、ぼくを見詰めていた。
「令は、カウンターの魔法が使えると聞いたよ」
「うん。でも調べてもらったら、攻撃を全く跳ね返してないんだって」
「ははは。それもある意味、零のカウンターと呼べるな」
「笑えないよ。そんな魔法、何の役にも立たない」
がっかりするぼくの肩に、ハジメはゆっくりと手を置いた。小さく柔らかな手の感触が、ぼくを勇気付ける。
「諦めるのは、まだ早いさ。その魔法は、これから磨かれるかもしれない。ううん、きっとそうだ。どこか神殺しに似ているな」
「神殺し? それって、怪物を倒したときに得られる魔法のことでしょ」
ハジメは、厳かに肯いた。
「ああ、神クラスの怪物をね。令は、神殺しを取得していないのかい?」
「ぼくには、自分が神殺しを覚えたかすら分からないよ」
ぼくは首を振って、困ったように口を閉じた。ハジメは、なるほどと納得して話を続けた。
「令は、まだ内なる魔力を感じることが出来ないようだね。あるいは、感じていても何となく見逃しているのかもしれない」
「どう言うことなの?」
ぼくは、すぐに聞き返した。ハジメは、ぼくの瞳の中を覗き込んで、真意を確かめるようだった。
「今は、そんなに気にしなくてもいい。魔法の経験を積めば、自然と身に付くことだ。もっとも、それでも気になるなら、魔法感知を鍛えることを勧めるよ。うーん、そうだ。バタバタしていて、魔法の授業が疎かになっていたね。令にはまだ早いと思っていたけど、これにしよう。次の課題は、魔法感知を身に付けること。これまで通り、しっかり頑張ってくれ!」
ハジメは、ぼくに課題を与えると、しばらく教室の中を散歩するくらいに歩き回って、クリーム色の壁に右手を伸ばした。そこには、ハジメがこっそり教えてくれた、覗き穴があった。ハジメは覗き穴を確かめると、壁に向かって顔を突き出した。
「どうして、この教室には窓が一つも無いと思う?」
ぼくが黙っていると、ハジメが続きを言った。
「もちろん魔法という特別な教科を扱う以上は、秘密を守らなければならない。でもね。僕らは魔法使いなんだから、窓が無くても外の様子が見通せるようでなければ、話にならないんだ」
ぼくは、ますます気分が重くなった。ハジメは、そんなに気に病むことはないと優しく言った。
「でも、それってどうするの。透視の呪文でもあるの?」
ハジメは、ぼくの質問に快活に笑った。笑った少年の顔が、否定するように横へ振られた。
「透視の呪文もあるには、あるけどね。そんなものは、いざという時には、何の役に立たない。別に難しいことを要求しているんじゃないんだ。これはね。普段、誰もが無意識のうちに行っていることと、同じ事なんだ。例えば、建物の中に居ても、戸外の気配が何となく感じられるときがあるだろ。激しい雨や、樹木が風になびく景色は、耳で音を聞いたから分かったんだ。でもそれ以外にも、何か感じることがあるだろう。ただ普通の人は、目を頼るあまりに、些細なことは見逃しているんだ。それなら、それをはっきりと意識させてやればいい。それだけなんだ」
ぼくは、ハジメの言葉を聞いて安心した。とても分かり易い説明に、ぼくでも何とかなりそうな気分になったからだ。しかし、普段意識してないことを意識させるというのは、やっぱり難しいことのように思える。
「それって、どうやるの?」
ハジメはぼくを一度確かめ、またイタズラっぽく壁の穴を覗いた。
「これと同じだ。何もせずに、外の様子を探るのは難しいだろ。でも、こうやって穴を覗くと、外が見える。だから、ここで穴を覗くことから始めるんだ。もっともこの穴は小さいからね。目で見える景色も、極限られた場所になる。これを少しずつ広げていくんだ。そこにどんな景色があるのか、想像しながらね。そうしているうちに、その景色の中に変化が現れてくるんだ。それは天候や季節の変化だったり、あるいは誰かが不意に現れたりすればいい。そして、今度はより集中して魔法を意識するんだ。魔法を操るときのようにね」
ハジメはそこまで説明すると、壁から目を離し、ぼくをじっと見た。全てを見通すような、鋭い光を放つ瞳が向けられていた。が、それも瞬きほどの間だった。ハジメはその目を細くして、あどけない表情の少年に戻った。
「令。僕に教えられることは、ここまでだ。あとは自分でその感覚を身に付けるしかない。さあ、やってごらん」
僕は期待の籠もったハジメの言葉に、分かったとはっきりと返事した。ぼくは壁の覗き穴に、ゆっくりと顔を近づける。小さな穴に目が慣れるまで、何度も瞬きした。それもわずかな間で、すぐに代わり映えしない校庭の一角が、見えただけだった。ぼくは、しばらくそれをじっと眺めていた。
「ああ、そのまま続けて。僕は行くよ。令、今夜は大雨になるかもしれない。雨脚が強くなる前に帰りなさい」
ぼくは覗き穴を睨んだまま、教室を出て行くハジメに分かったと答えた。つもりだった。すると、覗き穴を通した校庭の景色に、誰かが現れた。まるでこっちへ向いて、差した黄色い傘を掲げているみたいだった。それは、ハジメだと思った。ぼくは叫びそうになった拍子に、思わず壁から目を遠ざけた。慌てて振り返ると、教室の外に誰かが出て行くところだった。ぼくは疑う目で、また覗き穴を確かめた。しかし、そこにはさっき見えた少年の豆粒くらいの姿は消えていた。ぼくは、いよいよ目を凝らしていた。外は雨が降り始めたことに、やっと気付いた。ぼくは訝りながらも、それからもまた少年が現れないかと、熱心に穴を見続けていた。
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