第17話 神クラスと遠足
ぼくはムラサキと別れて、生徒の居ない廊下を急いだ。三郎丸の喜ぶ顔を思うと、自然と足が軽くなった。早く三郎丸に、このジャージを届けて上げたい思いで、長い階段も苦ではなかった。
教室へ上がってきたとき、ぼくはがっかりした。あいにく三郎丸の姿は、そこには無かった。がらんとした教室だけが、ぼくの目に映った。三郎丸はジャージが見つかったことも知らずに、まだ必死になってあちこちを探し回っているのだろう。
教室には、ぼくの机がある。そして、もう一つ机があった。他のみんなは、いつもどこかに仕舞っておくか、持ち歩いていた。
「誰のだろう?」
よく見ると、それは摩訶不思議な机だった。一見本物の机に見えるのだが、触れることが出来なし、裏側を見ることも出来ない。絵に描いた机か、写真に撮った物だ。要するに、見せ掛けだけの偽物の机だった。
「これ、どうなってるんだ?」
「やあ、引っ掛かった!」
眠そうな目の男の子が、意地悪な顔で立っていた。
「うちのメンバーが、勝手なことしただろ。だから謝罪と、こいつを返すべきか聞きに来たんだ」
男の子は机の写真を手に、現像したばかりの物を乾かすみたいに扇いでいた。偽物の机は、すっかり消えていた。しかし、この人は言動が一致しない。本当に謝りに来たのか、それとも、からかいに来たのか分からない。
「君にも、もう一度会っておきたくてね。この事がバレれば、僕は厳罰を食らってしまう。だから出来れば、内密にしてもらいたいところだけどね。ああ。僕は、颯人だよ」
ぼくはと言い掛けたとき、颯人は知っていると遮った。
「令くんだろ」
ぼくは、いつもそう言われるたびに、なぜかぼくの知らないうちに、令の名前だけが一人歩きしている気がした。ちょっと、うんざりしていた。
颯人は、急にぼくから視線を逸らした。言い辛そうな口をした。
「あー。令くんは近々、悪いことに巻き込まれるよ。それも戦いの真っ直中に立たされることになる。零の力は強力だけど。でも、その力は限定付きだ。それほど危険な戦いが始まるんだ。戦争と言ってもいい。魔法使い同士のね」
「どうして、わざわざそんな事教えてくれるの?」
ぼくは、この颯人という人が信用できなかった。あまり彼が親しげに友達とおしゃべりするみたいに雄弁だったから、ぼくも彼に釣られて言い返した。颯人は困ったように、こめかみを指先で一掻きした。
「令くんは、才能は無いのにね。魔法にやたらと好かれているんだ。僕は、ちょっと羨ましくてね。だから、簡単に死なせるのは惜しいからだよ。忠告しに来たんだ。でも勘違いしないでくれよ。ぼくは、いい奴じゃないんだ。言いたかったのは、それだけ。それじゃあ、もう行かなきゃ。長居は出来ないからね」
そう言ううちに、颯人は教室を出て行った。
「あんなんで、良かったですかね」
「よし、上出来だ。しかし、よくもまあ。あんな嘘が、平気で吐けたもんだな」
「ぼくは、嘘なんか一つも吐いていませよ」
「いいのか? あれは、お前の十八番じゃなかったのか」
「いいんですよ。それ以上の物を、令くんは見せてくれます。期待していますからね」
「お前が、他人を褒めるのは珍しいな」
「えっ? 別にぼくは、令くんを褒めている訳じゃありませんよ」
「はは、そうか。よし、ここには用はない。行くぞ!」
ぼくには、教室の外でそんな会話がされていると知る由も無かった。
「魔法使い同士の戦争? まあ、今に始まったことではないんだ。以前からも、この町に不穏な動きはあった。が、この頃は、以前に増して活発になってきたんだ」
ハジメが戻ってくると、いつの間にか教室には生徒が集まっていた。ぼくは、颯人の話を全て打ち明けた。別に彼も、それを望んでいないとも思えなかった。ハジメは話す間も、ずっと表情を暗くしたまま、子供の容姿をした彼には、もっとも似合わない顔だった。子供が大人の事情を抱えるように、これほど真剣な顔付きの児童も居ないだろう。
「学校側は、積極的に零の力を使うことを求めている」
「そんなの使い捨てじゃない!」
二葉が尖った声で、不快感を露わにした。
「ねえ。あの机と椅子、持って行っちゃったけどいいの?」
「問題ない。あれを真面の制御できるかの方が、問題だけどね」
ハジメは、ぼくの質問にようやく表情を和らげた。そこへ三郎丸が遅れて入ってきた。言い訳するのも忘れて、行き成り口を開いた。
「今、一組の奴らが話してたんだが。敵の中に、神クラスを操る奴がいるらしい」
「三郎丸、遅いぞ!」
「済まん。どうしても、ジャージが見つからなくて。おお、それどうしたんだ。俺のじゃないか。見つけてくれたのか? 令」
「その話は後にして」
「おお」
「でも、何で話が筒抜けなの? わざとらしいわね。私たちの神殺しを利用しようとしているんでしょ」
二葉が三郎丸を遮って、話を戻した。ハジメが、それに続けた。
「まあ、こんな状況になっては、何を詮索しても意味はないよ。令は、神クラスを見たことあるかい?」
「神クラスがどんな物か、想像も付かないよ」と、ぼくは頭を振って答えた。
「令、行き成り神クラスを相手にするのは、愚の骨頂よ!」
「そうだね。三郎丸のジャージも戻ってきたし、少しでも経験を積んだ方がよさそうだね。だからと言って、無理はしないでくれよ。戦う前から怪我したんじゃ、元も子もないんだからね」
「分かったわ。ハジメは心配性なんだから」
二葉はうんざりしたように、唇を歪めた。
「それで、どうするんだ?」
三郎丸は既にジャージに着替えて、じっとしていられない様子だ。これまでの分を取り返して、元気がみなぎってきたみたいだ。それを見てか、二葉が勢いよく声を上げた。
「遠足よ!」
「はは、それを待っていたぜ! でも、遠足なんて久し振りだな。腕が鳴る!」
「ちょっと、ムラサキ。逃げても駄目よ。引きずっても連れて行くからね」
二葉は、こっそり久太郎の背中に隠れようとするムラサキを見逃さなかった。
「そうだぞ。魔法使いなら、神クラスは避けて通れないんだ。それに、これは実力を付ける、いい機会なんだからな」
三郎丸の言葉に、ムラサキはすっかり血の気を失った。ただの人形みたいに薄気味悪い笑いを浮かべ、一言もしゃべらなかった。それほど恐ろしい物なのだろうか。一度もその神クラスに遭遇していない、ぼくにはまるで実感が湧かなかった。
「あまり大所帯にならないようにしてくれよ。敵の魔法使いも、神クラスを狙っているんだ」
ハジメは、気乗りしないようだった。しかし、これ以外に手っ取り早い方法はないと納得して、渋々許可を出したのだった。
「じゃあ、僕は遠慮させてもらおうかな」
ムラサキが、口の中でぼそぼそと言った。元気のない、期待薄そうな声だった。案の定、二葉に手痛くたしなめられた。返り討ちと言っていいほどだ。
「あんたは行かなきゃ。勿体ないでしょ。せっかくのチャンスなんだからね」
「チャンスなんだ。ピンチかと思った」
ムラサキが、こんな冗談を言うのも珍しかった。それほど追い詰められていたのか、それとも焼けくそで反抗したのだろう。
「静は、全然平気みたいだね」
ぼくは、さっきから少しも表情を崩さない静を見詰めた。
「はは。静は感情が顔に表れにくいからな。ああ見えても、もう気絶寸前かもしれないぞ」
三郎丸は白い歯を見せ、面白そうに微笑んだ。とは言ったものの、ここに居る生徒の中で余裕があるのは、三郎丸と二葉くらいだった。今回は、初音と久太郎も参加するみたいだが、明らかに二人は冷や汗を掻いて、黙って事の成り行きを窺っているようだ。余計なことを口にして、矢面に立たされるのを避けているのだろう。
二葉の乗りは、明らかにみんなと違っていた。全く遠足の日を前に、浮き浮きした気分でいる。遠足なんだから、大勢で参加した方が楽しいという感覚なのだ。三郎丸も二葉よりの考えだ。何も分からないぼくは、この両極端な感情に挟まれ、仲間外れの気分だった。
「冬吾やゴーヤ、奈々子ちゃんたちは、どうするの?」
「あいつらまで、連れて行けないだろ。戦争しに行くんじゃないんだ」
三郎丸が慌てて言った。ハジメは、やれやれ先が思い遣られると顔をしかめた。
「じゃあ、みんな準備を始めてね」
二葉が仕切って、みんなに指示した。教室の中が、一様に慌ただしくなった。こんな事は、ぼくがここ来て初めての出来事だった。みんなの忙しい様子に、手持ち無沙汰の、ぼくはじっとしていられなくなる。
「ねえ、ぼくは何を持って行けばいいの?」
「ああ、そっか。令は遠足、初めてだから。うーん、何も準備してなかったわね。仕方ない。今回は特別よ」
二葉が言った。
「ぼく、手ぶらでいいの?」
「そう言うわけにもいかないだろう」
三郎丸はわざわざ足を止め、思案を見せて唸った。が、いい考えは浮かばなかったようだ。
「そうだ。令は、その机持って行きなさいよ」
二葉は真顔で、ぼくを見詰めた。その真剣な眼差しから、冗談で言っているとも思えない。
「それ、邪魔になるだけと思うけど」
「いいから、つべこべ言わない」
ぼくは、二葉にその無謀としか思えない提案を、強引に同意させられた。教室が準備に騒がしい中で、ぼくは机の中の不要な物を取り出し鞄に詰めた。鞄は教室の隅に、椅子と共に置くことにした。
ぼくらは、学校が所有する型落ちした白のマイクロバスを借りて、郊外の山峡を目指した。それが、通称「獄門」と呼ばれていることを知って、気分が沈んだ。ぼくは空っぽの運転席を見て、三郎丸に誰が運転しているかは聞くなと釘を刺されたところだった。ぼくは隣で臆病に座ったムラサキへ、落ち着かない視線を移した。窓の外は、山道には行って退屈な深緑の茂みと雑木林ばかりで、代わり映えしなかったのだ。
「遠足って言うから、朝から行くのかと思ったけど。そうじゃないんだね」
ムラサキは、生気のない瞳をこちらにぎょろりと向けた。ぼくは、頬が引き付く。
「そりゃあ。日のあるうちに、済ませられればいいんだけど。向こうは、こっちの都合に合わせてくれないからね。こちらが合わせるしかないんだ」
ムラサキは、ぎょっとするほど顔色が優れなかった。普段があまり健康的ではなかったが、それでもその怯えようは、はっきりと目に見て取れる。ぼくも車に酔ったように、次第に不安が増してきた。胃の辺りも、むかむかしてきた。本当に酔ったみたいだった。ぼくは、ムラサキに聞いた。
「そんなに神クラスって、凄いの?」
「令は、まだ遭ったことないから分からないと思うけど、あんな物が世の中に存在するなんて、未だに信じられないよ」
神クラスのことを話すとき、ムラサキの唇は紫色をして、凍えたように細かく震えていた。車内が、寒いという訳でもなかった。どちらかと言えば、過ごしやすい気温だった。
「まあ、そんな事言っても実感が湧かないと思うけどね。令は既にその神クラスを凌ぐ力を、手にしているんだからね。零の左腕に触れたとき、怖いと思わなかった?」
「怖くなかったと言ったら嘘になるけど。でもこの力は、ぼくに優しくしてくれたよ」
「優しく? 令は本当に魔法に好かれているのかもしれないね」
ムラサキは強張った口元を少し和らげ、面白そうに笑った。
目的地の山峡には、まだ早いという所で、マイクロバスが急停車した。三郎丸は跳ねるように席を立って、運転席から外の様子を注意深く窺った。
「こんな所で待ち伏せとはな」
「獄門までは、まだ随分と離れているのにね」
二葉も前に立って、そのつんと短い眉の跳ねた、凛々しい顔で見上げた。
「どうやら、奴らもそれが狙いらしい」
三郎丸は、ちょっと嫌な面持ちで、ずっと先の崖上に現れた人影を睨んだ。静は、いつの間にか姿を消している。隠密行動が、静の仕事なのだ。他のみんなも、どんな不足な事態にも対応できるように、各々が自分の役割を果たせるくらいに手練れていた。ぼくだけが、おろおろして、ただじっと成り行きに任せていた。
「みんなバスから降りて、ちょっと厄介だけど仕方ない。戦闘準備! ここで迎え撃つわ。まあ危なくなったら、私と三郎丸が出るけど。それまでは、実践と思って四人で何とかしなさい!」
静は偵察、ムラサキ、初音に、久太郎と、ぼくも確実にその頭数に入っている。三郎丸が、ぼくを勇気付けるように言った。
「令、心配するな。魔法使い同士の戦闘は、この前経験しただろ」
「ぼくは傍観していただけで、何もしてなかったよ。殴られはしたけど」
左頬がひくついた。ぼくは学生机だけ抱えて、バスを降りた。ぼくの不安な目にも、はっきりと人影を確認できた。物々しい黒マントや巨大な得物を手にした姿に、一目で魔法使いだと分かった。
その複数の人影から、一人だけ突風の如く前へ飛び出してきた。こちらを偵察するように眺めると、大声を張り上げた。嵐に激しくざわめく、木の葉のような声が響いた。
「ははは、学校の机を抱えて戦場に現れた奴は、今まで見たことがないね。ここはお子様の遊び場じゃないんだ。今度は見逃してやるから、さっさとしっぽを巻いて帰りな!」
巨大な鬼の棍棒を担いだ、魔法使いというよりは、戦士の出で立ちの女が嘲った。女は体も大きいし、昔風の格闘用の身軽な格好をしていた。黒の動きやすい服装の上に、胸と肘と脛に、土茶けた革か何かの防具を着けている。如何にもあの巨大な棍棒で、力任せにぶん殴る様子だ。
小麦色に日焼けした目鼻立ちの鋭い顔は、三十歳くらいに見えたが、その体付きはまるで衰えを知らず、更に鍛え上げ、たくましく発達している。この戦場において、単純な力比べなら、その女に敵う者は居ないだろう。
「そっちこそ、痛い目を見たくなかったら、とっとと帰りなさい!」
二葉がぼくの代わりにと言う訳ではないが、挑発に乗るように怒鳴った。勝ち気なのは、この女といい勝負だろう。
「おお、こわ! 若いってのはいいね。おばさんは、嫉妬しちまうよ」
女は二葉の挑発にも、まるで動じず、愉快そうに笑い飛ばした。どうやらこう言った駆け引きは、年季の差が顕著に表れるらしい。女の他に、黒いマントに身を包んだ者が、三四人見えた。そちらは、まるでやる気が感じられないのが、かえって不気味だった。それ程、その女に自信と信頼置いているのだろうか。
「あれは、ちょっと令には荷が重そうだな」
「魔法自体は大したことないけど、経験の差が大きいわね」
三郎丸と二葉が、相手とぼくの力量を測った。ぼくは、二次災害のように居心地が悪い。
「どうする? 怒らせちまったぞ。もう黙ってやる過ごせるって感じじゃないぞ。あちらさんは、やる気満々だし」
三郎丸は、厄介なことに巻き込まれたというように顔をしかめた。――
静は、密かに敵の偵察を行っていた。彼女の知らぬ間に、黒マントに身を隠した男が立っていた。それは、老いてもまだ張りのある老人の声だった。
「お嬢ちゃん、こんな所で隠れん坊かね?」
「気付かれた。ウサギになる!」
静は、ぎょっとして振り向く間にも、緊急避難の呪文を唱えた。そこには静の代わりに、子ウサギが一匹逃げていく。老人は深追いせず、傷痕のような皺の濃い顔に、余裕の表情を湛えていた。
「脱兎の魔法とは。ほほほ、妙な魔法を使いますな」――
「静が見つかるなんて、有り得る?」
二葉は焦って左耳を手で覆うと、静が発した魔法通信の声を聞き取った。三郎丸も、魔法で静に通信を送って怒鳴った。
「おい、静。びびり過ぎだぞ! そんなんで、どうするんだ?」
「敵は、十三人確認!」
静の上擦った声が返ってきた。
「他にも居たのか。それにしても、随分と多いじゃないか」
「それで、あんなに余裕があったのね」
二葉は、さも憎らしげに言葉を吐いた。戦士のような女を睨んだ。が、睨んだまま、二葉の表情が見る見る青ざめていった。
「ちょっと神クラスも居るじゃない!」
突然と敵の背後に、大木をなぎ倒しながら、人とは思えないほどの巨大な影が出現した。――
「じいさん、行き成り出すかよ!」
黒マントの一人が、静の偵察を見破った、年老いた魔法使いに言った。老人はそれを気にも留めず、年の功を臭わすような微笑みを、干からびた口元に漂わせていた。年老いていても、黒マントから時折、覗かせる眼光は一際、鋭かった。
「ほほ。これで彼らが恐れをなして、撤退してくれればいいのですが」
「こんな所までわざわざ来て、それはないだろう」
「ほほ、それもそうですね」
「じいさん、一匹無駄にしたじゃないか」
黒マントの一人が言った。が、それも冗談のような口調だった。
「これは、済みませんな。私の失策だ。折角ですから、こやつに殿を任せ、その間に我々は退散致しましょう」
「おいおい、こっちが撤退するのかよ」
「こちらは随分と消耗しましたし、向こうは戦ってもいない。少々こちらの分が悪い」
「私はやれるけどね!」
先頭に立った戦士のような女が、武者震いと共に怒鳴った。
「あなたは、そうかもしれないが、私はすっからかんだ」
「じいさん、随分と老いぼれたじゃないか。そろそろ引退も近いな。あはははは」
戦士のような女は声を立てて、下品に笑った。こんな緊迫した状況を、物ともしない度胸を備えていた。老人は、老身を労るように溜息を吐いた。
「どうした? じいさん」
「済みませんが、もう一体残して行きましょう」
「おいおい。大サービスじゃないか。これじゃあ、割に合わないぞ!」
黒マントの一人が、嘆くように苦笑した。そのマントの奥には、諦めの表情を浮かべていた。この老人の判断には、そこに居る誰もが、絶大な信頼を置いていた。その老人の言葉は、隊長の決定にも等しかった。
「それでは、少々時間稼ぎをお願いしますかな」
「何だい。このまま、出番がないかと心配したよ。私に任しときな」
戦士のような女が、満足そうな顔をした。――
「意外に小さいんだね。神クラスって言うから、もっと大きいのかと思った」
ぼくは、初めて見る得体の知れない怪物を前にして、暢気な言葉を口にした。三郎丸は、いつになく厳しい顔で、ぼくをたしなめた。
「大きさは関係ないぞ、令。それに神クラスにも色々あるんだ。大きい奴とか、中くらいの奴とか、小さい奴とかな。もっと小さい奴と、馬鹿でかい奴も居るんだ。ああ、それから桁違いな奴も居たな。ムラサキ、びびってんじゃないぞ!」
「令、君は怖くないの?」
ムラサキはこっそり近くに来て、ぼくに耳打ちするように尋ねた。声が上擦って、言葉になっていなかった。
「ううん、大きいって聞いていたから、町一つ呑み込むくらいの大きさかと思っていたんだ。ちょっと心配し過ぎたみたい」
ムラサキは、ごくりと喉を鳴らせて、冗談は止めてくれと怖い顔をした。三郎丸は反対ににや付いて、話に口を挟んだ。
「はは、令はなかなか鋭い所を突くな。それが桁違いな奴だ。まあ、そんな奴は滅多に拝めないけどな」
「そんな奴が、本当に居るんだ」
ぼくは、ちょっとびっくりして目を丸くする。ムラサキに視線を移すと、彼は怯えた表情をカチカチに凍らせ、黙ってしまった。それでも、神クラスと一度も戦ったことのないぼくには、その恐ろしさは、あまり実感が湧かなかった。
「それで、これはどのくらいの奴なの?」
「こんなのは、小さい方だな。でも、油断するな!」
三郎丸は、鋭い眼差しをその怪物に向け、油断のない様子だ。
その怪物は、サボテンの縫いぐるみを彷彿させる、ずんぐりとした身体をして、身長は優に三メートルを超えていた。その顔らしい所には目鼻は無く、代わりに鮫のような三角形の歯が、一つ一つちぐはぐに開閉する動きを見せながら、無数に連なって輪を作り、何段に並んでいた。見る者全てに、蛇蝎の如き嫌悪を与えていた。それがまるで口のように開くと、粘液を帯びて糸を引いた所に、真っ黒な口腔が、ぽっかりと姿を現した。しかし、そこから食物を摂取するふうには、全く見えなかった。その体は筋肉というよりは、むしろ巨木の強靱さを宿していた。それが動物的に、身体を自由自在に操ることが出来るのだ。
胴体から生えた大木ような腕は、その体に不釣り合いなほど長く、大地を支えていた。対して、二本の足は非常に短く、体を持ち上げる程度に幅広だった。怪物は体内に高熱を蓄えているように時折、体の至る所から蒸気を噴出させた。その怪物には、全く表情も感情も窺えなかった。
「嫌な雰囲気ね。行き成り仕掛けてくるわよ! 令、教えた通りに机を用意して」
「うん、分かった」
ぼくは二葉に応えて、持参した学生机を体の前に置いた。大小の凹凸のある荒い地面に、机の脚がぐらついた。何度か動かし、机を安定させた。これは、戦士のような女が言ったように、この場には全く相応しくない物だった。ぼくは気持ちを奮い立たして、強く念じた。ぼくの机が、どんな攻撃にも耐えられると魔法を唱えた。机が急に重くなったくらいの衝撃が起こった。が、実際には重さは変わっていない。魔法が上手くいったことを認めて、ぼくは素早く机の後ろに身を隠した。
前方でドンと地響きが起こって、敵の辺りで土煙が上がった。最初に接近してきたのは、やはり巨体の怪物だった。まるで大砲の弾丸みたいな勢いで、跳躍してきた。ぼくたちの直前で着地に合わせ、地面を強烈な拳で打ち砕いた。それと同時に戦士のような女が突然現れ、二葉を狙って巨大な鬼の棍棒を叩き付けた。その女は怪物の背中に乗って、一緒に飛んで来たのだ。
二葉が今まで居た地面が数メートル、半球状に陥没していた。
「あらあら、ぺちゃんこになっちゃったかね」
その女が蔑む声で笑った。
「おい、油断するな!」
黒マントの一人が、怒鳴った。女が空を仰ぐと、そこには二葉の姿が跳ね飛ばされた格好で、舞い上がっていた。女は鬼の棍棒を地面から力任せに引き抜くと、二葉が落下するところへ打ち込むつもりで待ち構えている。ところが、地面にはもう一人の二葉が、女が棍棒を振り上げるのを狙い澄ましている。ようやく女がそれに気付いて、足元に棍棒を叩き付けて距離を取った。その時、すっと二人の二葉が消えてなくなった。
「何だい! 真面に相手もしてくれないのかね。それじゃあ、これならどうよ!」
女はそう叫びながら、今度はぼくに向かって、棍棒を打ち下ろしてきた。と言っても、明らかにぼくの机へ当ててきたようだった。それでも、女の攻撃は十分な殺傷能力がある。落雷が直撃するほどの轟きが起こった。が、吹き飛ばされたのは、巨大な棍棒の方で、向かってきた勢いで、女も棍棒と一緒に飛ばされていった。女は危なげに体を回転させ、地面を両足で捉えて転倒だけは避けた。
「おいおい、どれだけその机は頑丈なんだい!」
戦士のような女は、初めて表情を曇らせた。
「令、上出来よ!」
二葉がいつの間にか近くに立って、ぼくの肩の土埃を払うように、二度叩いた。
「はは、あれを正面から食らっても、傷一つ付いてないのかよ」
三郎丸の驚きは、敵の女と全く同じだった。頬を引きつらせ、驚愕と感嘆の声を漏らした。ぼくの代わりに、二葉が得意な顔をした。
「まあね。令のは特別なのよ。普通、物の性質を変えるときは、より具体的な物を想像して魔法を唱えるの。でも、令は絶対に破壊されない物だったり、重さのない物だったりと、現実には存在しないことばかりを頭の中で描いているのね。そんな事する魔法使いは居ないわ。そうしないと、まるで魔法が上手くいかないからよ。でもね。それが、常識では考えられないような創造物を作り出すのよ」
二葉は、ぼくのやり方をあえて、正そうとはしなかった。それで、得られる有用性の方が勝ると信じていたからだ。
「でも、あれ十回に一度しか成功しないのよね」
「おい、十回に一度は成功するのかよ。俺にはそんな芸当、とても不可能だぞ!」
三郎丸は、呆れた声を出す。その声を打ち消すように、二葉が悲鳴を上げた。
「ちょっと、また出て来たじゃない!」
「おいおい、最初のより、一回りデカいじゃないかよ」
その怪物は、全長が五メートルを超えていた。人の形はしておらず、タコの体を頭に持った、ライオンそっくりの胴体をした異色な怪物だった。体中に苔が生したふうに、濃緑色を帯びていた。頭には二対の魚に似た目が、縦に何列も連なっていた。胴体を支える四肢よりも、頭部に生えた八本のタコの足の方がよく動いた。
「あれは、どう見てもタコだよな」
三郎丸が額に手を当て、遠くを眺めるようにした。二葉も顔を上げて、崖上を凝視している。
「何だか毒々しいわね。タコさんウィンナーって様子でなさそうよ」
二人は相変わらす、ハイキングで珍獣でも発見したくらいの余裕だ。さっきはたまたま魔法が上手くいったが、今度の相手は机一つで、何とかなりそうな感じはしない。
「令、魔法に気を付けて!」
二葉が、ぼくに囁くように注意を促した。ぼくは、分かったと肯いた。机は元に戻し、今度はリュックのように背負わせた。こいつは動物みたいに、自分でぼくの背中にしがみ付いてくれるし、触り心地も軟らかく重さもほとんど感じない。魔法の動物の中には、攻撃魔法に耐性のある物が居るらしい。それを模倣したのだ。
タコみたいな怪物が頭を膨らますと、口から黒煙を吐き出した。黒煙は雷雲のように怪物の周囲を取り囲んで、ときどき稲妻を光らせている。が、次の瞬間には光を帯びた弾丸が、その雲の中から、次々とこちらへ向かって飛んでくる。
「みんな散らばって、あれに迂闊に触っちゃ駄目よ!」
二葉が、鈴の音の如く声で叫んだ。ぼくは焦らず、背中の机が導く通りに逃げ回った。初音は呪文を唱えると、彼女の前方に地中から、案山子そっくりの藁人形を一体出現させた。そこへ光の弾丸が当たった。閃光が散って放電が起こしたような、激しい音と光が生じた。が、初音が出した案山子は、それが避雷針になり、放たれた電流を全て地面に逃してしまった。
「初音のあれって、便利だよね。あれで、全部処理してもらおう」
ムラサキが感心した。
「でも、電撃だけに向こうの方が素早いわ!」
「そう言うことか」
二葉の見解に、三郎丸が唸った。初音の案山子は、地面から体を引き抜くと、片足でぴょんと高く飛び跳ねた。一々そうしないと、移動も出来なかった。その間に、案山子の脇をすり抜け、光の弾丸が凄まじい速さで迫ってきた。初音に衝突すると思った瞬間、誰かが彼女の前に走ってきた。そうして、身を挺して光の弾丸を受けた。凄まじい閃光を放って、一瞬にしてその体が真っ黒焦げになった。が、真っ黒焦げになるのと同時に、その体は灰のようにぼろぼろに崩れて無くなった。その代わりに、そこには久太郎の姿があった。久太郎は、何事も無かったように、地面に棒切れで数字の一の字を刻んだ。――
「何だいあれ? 倒したんじゃなかったのかい」
戦士のような女が、しかめっ面で喚いた。老人が穏やかに笑って、その女に説明した。
「ほほほ、妙な魔法を使いますな。あれも、身代わりみたいなものでしょう。それも当たった攻撃は、全て引き受けてくれる」
「何だそれ、詰まり無敵ということかんね?」
「そんな便利な魔法はありません。きっと何か制約があるはずだ。だが、その制約の中なら恐らくは、無敵なのかもしれませんな。ほほほ」
「何だい。結局、無敵なんじゃないか!」
戦士のような女は、また不機嫌になった。――
初音は沈んだ表情で呟いた。
「ごめん、久太郎。大事な魔法を使わせてしまって」
「気にするなよ」
久太郎は平然とした様子で、猫背気味の高い背を向けたまま、初音を励ました。もっともこの魔法を序盤で使ってしまったのは、久太郎に取ってかなりの痛手だった。
「おい、まだ戦闘は終わってないぞ。油断するな!」
三郎丸が敵の動向を察して、二人へ声を張った。初音は名誉挽回を誓ったように、透き通った顔を凜とさせた。
初音は久太郎や三郎丸の声に背中を押され、素早く呪文を唱えた。今度は五体の案山子を、彼女の正面に展開させた。案山子は地面からひょろりとした体を現すと、両手を真っ直ぐ広げて、攻撃がすり抜けないように守った。流石にこれだけ防御を固めれば、タコの魔法攻撃も容易には当てることが出来ない。それに気付いてか、サボテンの怪物が、初音の案山子を狙って突進してきた。二体同時に当たるように、怪物は強烈な拳を振るった。地面が恐ろしい力で粉砕され、二体の案山子が吹き飛ばされた。倒れた案山子はすぐに起き上がり、何とか光の弾丸を防いだ。サボテンの怪物はそれを認めると、次は直接案山子へ攻撃を叩き付けた。大地が揺さぶられるほどの強烈な一撃に、一体の案山子が木っ端微塵に砕け散った。怪物はすぐに次の標的を狙いを定めて、飛び掛かった。その間に、隙間の空いた所を目掛け、光の弾丸が飛んできた。ドーンとまた凄まじい響きと共に、二体目の案山子が破壊された。怪物が貪欲に更なる獲物を求めた瞬間、怪物の体が眩い閃光に包まれた。その巨体に向かって、次々と光の弾丸が衝突していったのだ。よく見ると、怪物の背中には、大きさは小さいが、初音が出現させた案山子と似た物が生えていた。それが頭と腕をぐるぐる回転させ、光の弾丸を誘引させているのだ。
サボテンの怪物は、真っ黒焦げになって倒れた。これでは強靱な怪物の体も、致命的な損傷を被ったはずだ。怪物は体を起こそうとしたが、電撃の衝撃によって、体の自由が奪われてしまったらしい。
思わぬ初音の反撃に、タコの攻撃も沈黙してしまった。
「ムラサキ、ぼーとしているんじゃない!」
三郎丸の怒鳴り声で、ムラサキはようやく我に返った。両手を開いて、下から支える形を作ると、次々と呪文を唱えた。彼の前に、三つの炎の塊が浮かんでいた。
「灼熱の炎よ。怪物を焼き尽くせ!」
ムラサキが最後にそう叫ぶと、炎の塊がサボテンの怪物へ目掛けて飛び出した。怪物の体は一瞬にして、激しく燃え上がった。その巨体が強烈な熱で、溶け始めている。既に電撃の効果は消えていた。怪物は両腕を使って地面を突っぱねると、その勢いに任せ巨体を回転させながら、ムラサキへ突進してきた。ムラサキは間一髪のところで、魔法を完成させた。強烈な一撃が、ムラサキに向かって叩き付けられた。が、怪物の拳が、ムラサキの体に届く寸前で、カウンターの魔法が発動され防御した。突然と怪物の腕は至る所が引き裂かれ、肉片と体液が飛び散った。が、同時にムラサキの体も数メートル後方に吹き飛ばされ、地面に転がった。ムラサキは、完全に気絶して動かない。
「ムラサキ、大丈夫!」
二葉が惨劇を前に顔を歪め、よく通る声で叫んだ。が、気絶したムラサキが、立ち上がることはなかった。
「駄目だ。あいつ、完全に恐怖に呑まれてしまったな」
三郎丸は表情を険しくして、奥歯を噛んだ。ぼくが慌ててムラサキの援護に走ろうとするのを制した。
「令はでるな! 奴らが見ている」
「ムラサキが、火力出してくれなきゃ。このメンバーじゃ、少しきついわね」
二葉が苛立たしく、黒マントを睨んだ。――
「怪物相手に神殺しを使わないとは、我々も舐められたものです」
黒マントの一人が冷めた顔で、戦況を見定めるようと、遠くまで眺める目をした。黒マントの老人は、怠惰な声で諦めのように提案した。
「いえ、行きましょう。どうやら、我々の勝てそうな相手ではなさそうだ」
「じいさんがそう言うなら、僕らには、手に負える相手ではなさそうだな」
老人は情けないと、皮肉を込めた微笑みを見せた。皺だらけの老いた手で桜の杖を握り直した。この杖は魔法ではなく、足腰の衰えに不安を覚えた老人が、歩行補助用に扱う物だった。
「ほほほ、手持ちの札を全て使っても、勝てるかどうか」
戦士のような女が、囃すように口笛を吹いた。
「そんな奴が居るとはね。それが分かっただけでも、大きな収穫じゃないか。戦いにほとんど参加しない、あの二人のことかね」
「それもありますが、特にあのおかしな机を背負った坊ちゃんが、なかなかの曲者です」
「ふふん。確かに、私の攻撃をいとも簡単に防ぎやがった。でも、動きは素人もいいところだ」
「いえいえ、侮ってはいけません。どうやら、我々の前では本当の力を見せてくれそうにありませんな。それに、残りのメンバーだけでも怪物を対処しそうですよ。急ぎましょう。折角の怪物が無駄になります」
「仕方ない。僕らは退散するとしよう。アカネ、戻ってきてくれ!」
黒マントの一人が決断した。
「次に会ったら、あの子は必ず私が仕留めてやるからね」
アカネと呼ばれ、戦士のような女は鬼の棍棒を担ぐと、勢いよく仲間の所まで跳躍した。
「おやおや。些細なことにこだわるのは、あなたの悪い癖だ。あの子は不憫な子ですよ。きっと自分で望んだ力でもないでしょう。そっとしてお上げなさい」
「何だい。珍しく敵の肩を持つじゃないか」
「いえいえ、そうではありません。ただあの子の戦い方を見れば、分かるはずです」
「まあ、じいさんが言うだ。間違いないだろう。それじゃあ、仕方ないね。あの生意気な小娘で、我慢しとくよ」
戦士のような女は、意地の悪い顔をした。老人は、鋭い眼光を隠すように目を細めた。
「やれやれ、先が思い遣られますな」
「それで、この後どうするんだい? 戻るのかい」
女が聞いた。老人は一度目を見開いて、黒マントに目配せした。それから、不気味なほど穏やかに答えた。
「いいえ。一つやらねばならない仕事があります。戻るのは、それを片付けてからになります」
「何だい、それは?」
「いえ、大したことではありません。ただ裏切り者を始末するだけのことです」
「そんな奴、ほっとけばいいさ。どうせ、二度と姿を見せないんだろ!」
老人は目だけ動かし、女を一瞥した。女は、白けたように肩をすぼめた。
「そう言う訳にもいきません」
「あっははは。人にはこだわるなと言っておいて、じいさんもなかなか頑固じゃないか」
「ほほほ、これは一本取られましたな」
老人は、心地よく微笑んだ。間もなく黒マントたちは、次々と森の中へ姿を消した。――
「大丈夫、敵は逃げた!」
静の臆病な声が聞こえた。魔法通信によるものだ。
「分かった。黒マントは撤退したみたいだけど、こいつらはまだ残っているぞ、油断するな!」
三郎丸が、みんなに注意した。それから、ぼくに振り返った。
「そろそろいいぞ! 令、行けるか?」
「うん、分かった」
ぼくは、そう言い終わるのと同時に、前へ出た。まだサボテンの怪物は、戦意を失っていない。ぼくを見つけるや否や、猛烈な突撃を仕掛けてきた。ぼくは、今度は逃げずに怪物の攻撃を、正面で待ち構えた。左腕が急にうずき始め、見る見る筋肉と血管が浮き上がった。そこには、不気味な目玉が一つ、今目覚めたというように目蓋をかっと開いた。その目玉が、忙しく辺りを見回した。ドンと激しい拳の衝撃が起こった。が、ぼくの左腕は易々とそれを受け止めた。それと同時に、サボテンの怪物の腕が一瞬で砕けた。両腕を失った怪物は、一時戦意を失ったように見えた。それもわずかな間で、たちまち全身を奮い立たせ、獰猛な頭突きで突っ込んできた。ぼくはそれを受け止めず、左の拳で打ち返した。怪物はそれを待っていたように、急にノコギリの歯が並んだ口を大きく開いた。口内にも何層も鋭い歯が、剣山みたいに生えていた。ぼくは構わず、怪物の口ごと打ち抜いた。ぼくの左腕が強力な魔法の一撃を放ち、怪物の顔に大きな穴を開けた。穴の開いた所から、蒸気がもうもうと噴出し、怪物の体は力を無くし尻餅をついた。倒木のように、完全に動かなくなった。
「令、油断するな。もう一体居るぞ!」
「うん、分かってる」
三郎丸の声に、ぼくが返事をする間にも、光の弾丸が無数に飛来した。それに反応して、左腕の閉じた目玉に代わって、気味の悪い口が現れた。それが、勝手に魔法を唱え始めた。が、それも一瞬で、まるで口笛を吹くみたいな声だった。
「こいつは、俺様が引き受けた!」
ぼくの左腕が、急にしゃべった。ぼくは迫ってくる光の弾丸に向けて、左腕を突き出した。次々に光の弾丸が被弾した。が、電撃は起こらず、左手の中で光の弾丸は制止していた。まるで胡桃の実を手のひらで集めるみたいに、左腕は魔法の弾丸を受け止めると、今度はタコの怪物へ跳ね返した。
先ほど飛んできたのと同等の速度で、無数の光の弾丸が怪物へ被弾した。強烈な電撃が炸裂し、タコの怪物は恐ろしい悲鳴を上げて、巨体を激しく痙攣させてのけ反った。
それでも、電撃を操る怪物だけあって、電撃魔法の耐性には長けているのだろう。あまり被害を受けていない様子だ。体の自由を取り戻すと、今度は次々には小型の雷雲を呼び寄せ、こちらへ向かって飛ばしてきた。雷雲は動きこそ遅いものの、射程に入った対象は、一瞬にして稲妻の餌食にしてしまう。雷雲は四五メートル中空を漂って、地上からでは全く手出しできなかった。
ぼくは右往左往しながら、何とか稲妻を回避し続けた。背中の机が逃げ道を教えてくれる。
「お主は逃げ足が速いな、ふん。じゃが逃げてばかりじゃ、どうにもならんぞ!」
また、ぼくの左腕が勝手にしゃべった。
「雷雲は、風に弱い」
初音がぼくの苦戦を見兼ねて、呪文を唱えた。ボロボロのみすぼらしいマントを身に着けた、案山子が一体、地面からゆっくりと出て来た。両腕を広げると、勢いよく竹とんぼのように回転し始めた。と同時に凄まじい竜巻が、その案山子を中心にして巻き起こった。
案山子は全身に竜巻を帯びながら、雷雲が浮かぶ所まで舞い上がった。見る見るうちに、雷雲は竜巻に呑み込まれ、その中で稲妻を発生させる。マントの案山子は、まるで平気だった。更にマントの案山子は、勢いを増して雷雲ごと、タコの怪物目掛けて飛んでいった。強烈な稲妻が、タコの怪物を襲った。これには、怪物の苔のような皮膚が黒く焼けてしまった。タコの怪物は、苦悶と憤怒の感情を露わにしながら、どうにか反撃の機会を窺っている。
すると、怪物の胴体が、ようやく目覚めたように、四本の脚で踏ん張って立ち上がった。今まで崖の上に陣取って戦っていたのが、勇敢に斜面を下りてくる。
「戦士みたいだな! あれって、動くんだ」
三郎丸は、果敢に攻めてくるタコの怪物の姿を見て、呆れて言った。
「何かライオンぽいのに乗ってきたけどね」
二葉は醜い物を見るくらいに、ツンと跳ねた眉をひそめた。それは、まるで強そうに見えなかった。ライオンの胴体に対し、タコの頭の方が大き過ぎるために、その重量を脚が支え切れないようだ。時折ふら付きながら、転倒しそうになって、速いとも言えない勢いで近づいてくる。
「ううん。あれには、裏がありそうだな。とにかく気を付けろ!」
三郎丸は、その場違いな戦士の登場に困惑しながらも、念のためみんなに警戒を促した。
そこで、ムラサキがやっと目を覚まして、戦場に復帰した。
「大丈夫か? ムラサキ」
「うん、何とかね」
ムラサキは返事もそこそこに、透かさず迫ってくる怪物に、炎の魔法を放った。まだ朦朧とする意識のせいで、ムラサキの魔法は今一つ冴えなかった。が、冴えないのは、タコの怪物も同じか、それ以上だった。ムラサキの攻撃は、嘘のように命中した。被弾した怪物は、絶叫と苦悶に満ちた様子で倒れ込んだ。すぐに起き上がると、再び勇ましく走ってくる。それもまるで為す術の無い敵が、玉砕覚悟で突撃するようで、哀れにさえ思えた。
「あれ。よ、弱いんじゃない!」
二葉がぽかんと口を開いたまま、怪物を見届けていた。それが何度か攻撃を食らっているうちに、様子が変わった。明らかにタコの頭が縮んでいる。それに伴って、心なしか怪物の勢いも増してきた。ようやく攻撃をかわせるようになったときには、タコの頭はすっかり縮んで、それがライオンの体に、釣り合うほどの大きさになっていた。そうなると、完全に勝機を得た怪物は、思いも寄らぬ俊敏さで、見る見る炎の魔法を飛び越え、獰猛にムラサキへ襲い掛かった。
「ムラサキ! 危ない」
一瞬で、タコの怪物はムラサキの正面に迫った。ムラサキは、慌てて呪文を詠唱した。怪物がムラサキの体に触れる前に、見えない魔法の防御壁で、怪物の巨体を辛うじて止めた。が、怪物の力は厖大で、長くは持ち堪えられない。
タコの怪物は、ここぞとばかりに後ろ脚を力ませた。突然と巨体が動きを止めた。ムラサキの作った魔法の防御壁から、鋭利な棘が何本も伸びて、巨体を串刺しにしたのだ。しかし、魔法の防御壁と怪物の大きさは、掛け離れていた。小さな棘では、とても怪物の勢いを阻止することは出来なかった。恐ろしい轟きが起こって、再び巨体が魔法の防御壁に強烈な衝撃を与えた。
ムラサキは一先ず防御壁を囮にし、そこから姿を隠した。ムラサキが消えると、魔法の防御壁は怪物に打ち砕かれてしまった。更に怪物は勢い余って、地面に倒れ込んだ。凄まじい土煙を巻き上げた。怪物はしばらく周囲を見回し、消えたムラサキを執拗に捜した。それも見つからないと分かると、標的を変えた。
ぼくは、前に出て怪物の攻撃に備えた。怪物は、迷わず一直線に迫ってきた。遠距離攻撃を失った怪物は、接近攻撃以外の手段は持っていなかった。それは裏を返せば、接近戦に長けていると言える。
ぼくの左腕の目玉が、また気味の悪い口に変化すると、即座にカウンターの魔法を唱えた。それは、ムラサキの魔法と同じだった。相手の攻撃を一定量軽減し、その分を相手に跳ね返すのだ。しかし、零の力が宿った左腕は、唱える魔法もどれも一味違っている。通常とは桁違いに威力が勝っていたり、性能が優れていたりする。ぼくは、その能力にあやかるように、右手で前に突き出した左腕に触れた。不思議なことに、その魔法の力が、ぼくの体に流れ込んでくる感覚を覚えた。あの時とまるで同じだった。委員長の眼鏡を掛けたとき、それから姿の見えない机と椅子に触れたとき、いや考えれば、もっと以前にも同じ体験をしていた。
ぼくは、左腕に倣ってカウンターの魔法を唱えてみた。ぼくの周囲を半球状のガラスに似た物体が、取り囲んで消えた。その間にも、タコの怪物はいよいよ迫ってきた。怪物の頭部は縮んで、小さくなったと言え、間近で見るとやはり大きい。二メートル以上もある、ライオンを想像しただけでも、膝が震えてしまう。気を引き締めないと、その恐怖に体の自由が奪われそうになる。
ぼくの左腕は手練れの戦士さながら、確実に眼前の敵を捉えている。獰猛な怪物の突進も、難なく止めてしまった。それと同時に、突進の衝撃を怪物に跳ね返した。全力で体当たりした怪物は、頑丈な壁に衝突したも同然だった。怪物はその勢いで、後ろへ弾き飛ばされた。幾度か地面に叩き付けられ、横転しているうちに、ようやく巨体が土煙の中で止まった。
「流石に零のカウンターは、桁違いだな。完璧に怪物の攻撃を跳ね返したぞ!」
三郎丸が腰に手を当て、爽快な笑みをこぼした。
「おかしいわね。あれって、ムラサキの五十パーセントのカウンターなんでしょ。それなのに、どう見たってあれ、百パーセント反射してるじゃない!」
二葉は胡散臭そうな顔をして、その勢いで小首を傾けた。どこか納得がいかない様子だ。
「なるほどな。似て非なりか。どうやら零の魔法は、一筋縄ではいかないらしいな」
三郎丸は、爽やかな横顔を一瞬で、不安に曇らせたが、すぐに笑顔を取り戻した。
「そう言えば、令もカウンターを覚えていたのか?」
三郎丸の言葉に、二葉は少し驚いた。
「そんな事無いでしょ。たまたま呪いの掛かった物に触れたから、今の魔法が使えるけど。他は魔法のまの字も、学んでないはずよ」
「それにしては、よく戦っているじゃないか。まあ、左腕がほとんどやってくれていると言えば、それまでだがな。左腕か、そう言うことか」
三郎丸はにやにやして、意味深に含み笑いした。二葉はそれを見て、不審に眉を吊り上げた。
「何なの? 自分だけ納得しちゃって」
「ああ。令の左腕自体が、呪いの掛かった物と同じなんだよ」
「それって、令の左腕に触れるだけで、呪われるってことでしょ。それって、何か問題があるの?」
「その呪われた物が、自ら魔法を覚えたら、どうなんだ?」
「ひょっとして、それに触れるだけで、簡単に魔法が使えるようになる。そう言うことなのね」
「そうだ!」
「でも、そんなにいい事ばかりじゃないでしょ」
二葉は、また険しい表情に戻った。
「そこなんだな。あまり闇雲に覚えると、無駄な魔法ばかりに集めることになるからな」
「でも、そんなのよっぽど難しい魔法じゃなきゃ、無意味じゃない」
「確かにな。ただ何となく、さっき令が使った魔法が気になるんだよな」
三郎丸は肯いて、考えるように黙ってしまった。
ようやく起き上がったタコの怪物は、再びぼくを襲ってきた。が、直前で急に足を止め、距離を離した。無謀な攻撃は、安易に仕掛けて来なかった。怪物は一定の距離を保ったまま、攻めあぐねているようにも、何か打開策を模索しているようにも思える。
そうして、怪物がうろうろするうちに、突然と態度を変えて、交戦に打って出た。怪物の巨体が、不意に歪んで見えた。右を向いた頭が、左に向いた瞬間、右にもまだ頭が残って見える。目を凝らしてみれば、いつの間にか同じ姿の物が、二体現れている。それが交差するように、位置を入れ替えながら迫ってきた。
「ほー、なかなか敵さんもやるじゃないか」
三郎丸が感心して唸った。二体同時に攻撃し、魔法の隙を突こうという作戦らしい。
「あんなの有りなの?」
二葉は、不愉快そうに怪物を見た。
「お前が言うなよ! その攻撃、令に通用するとは思えんがな」
一体目の怪物は、先ほど同様に呆気なく反撃をもらって吹き飛ばされた。そこへ続け様に、二体目が猛烈な突進を仕掛けた。一瞬、怪物の方が先手を取ったように見えた。そこで怪物がひるまなければ、一方的に退けられるのではなく、何らかの成果が得られたかもしれない。怪物は躊躇って、何かを察知し、たちまち退いたのだ。少し離れた所で、苛立ちを露わにし行ったり来たりしている。
「あの怪物、どうかしたのかしら?」
二葉が訝しげに言った。
「うーん。そう言うことか。あの怪物、令のカウンターに気付いて、慌てて攻撃の手を止めたんだ!」
「そうかもしれないけど。でも、令の未熟なカウンターくらいじゃ。あいつは、止められないわよ」
「それなんだよなー」
「何なの?」
二葉は眉根を上げて、三郎丸を見詰めた。
「令のカウンターがな。ちょっとおかしいんだよ」
「おかしいって、どこが?」
「ううん。上手く説明はできないが、あいつのカウンターな。まるで相手の攻撃を跳ね返してないんだ。詰まり百パーセント食らっちゃってるんだよ」
三郎丸は困ったように、頭の後ろを掻きむしった。二葉が調子外れの声を上げた。
「そんなの、ただの失敗じゃないの?」
「そうなんだが。そんな事有り得るのか。失敗なら、魔法そのものが発動しないだけで、本来とは違う効果が現れることはないだろ」
「まあ、言われてみればそうよね。私はそんな経験は無いわ。勘違いじゃないの?」
「そうかもしれないけど。でも、実際に見た感じからすれば、そうは思えない。何せ、零の力による物だからな。俺らの想像も絶することが起きているんじゃないか」
三郎丸は、得体の知れない不安に焦りを見せたまま、怪物と交戦するぼくを見詰めた。
タコの怪物はすっかり戸惑って、距離を開けたまま、攻撃を仕掛けてくる様子もない。そうしているうちに、突然と怪物の体が強烈な炎の柱に包まれた。怪物はその炎の魔法には耐えられず、激しく巨体をよじって悶えた。炎の魔法は鎖のように巨体に巻き付き、怪物の自由を奪っている。こうなっては、怪物はただ炎に身を焦がされるしかなかった。ムラサキの放った炎の魔法が、怪物を完全に捕らえたのだ。炎の鎖は、一度捕捉してしまえば、後は相手がもがけば、もがくほど、自然と鎖が締め付けて動けなくなるのだ。そうして、烈火で全てを焼き尽くしてしまう。怪物の巨体は、既に黒焦げになって、あれだけ激しかった抵抗も途絶えていた。最後には真っ黒な灰に変わり果ててしまった。炎の魔法が解けると、巨体は力尽きて横倒しになるのと一緒に、粉々に砕け散った。
「ムラサキも、やるじゃないの」
「ははは、ほとんど令のおこぼれに近いがな」
二葉と三郎丸が、ムラサキの健闘と称えた。ムラサキは、既に燃えかすに成り果てた怪物をじっと眺めていた。息を切らせ、額に大粒の汗を手にした葉っぱ柄のハンカチで、丁寧に拭っていた。
「これで、神殺しも手に入ったんじゃない」
「どうだか? ムラサキ、死体を調べてみろよ!」
巨大な死体は一体は丸焦げで、もう一体は雨風に曝された石像のように、既に風化が始まっていた。
「どう? 神殺しは得られた?」
ムラサキは気を落とし、疲れ果てたふうに顔を振った。
「ははは、おこぼれだからな。それとも、令のカウンターで既に止めを刺した後だったかな」
三郎丸は上を向いて顎を撫でた。二葉は呆れた顔をした。
「死体から何か出てくるの?」
ぼくは、ムラサキの行動を見て気になった。
「そうじゃない。ただ死体を調べれば、どんな神殺しを持っていた簡単に分かるんだ。それに神クラスを倒せば、必ず神殺しが得られるわけでもないんだ。まあ、神殺しを得るのは、そう難しことじゃない。難しいのは、あくまで神クラスを倒すことなんだからな」
ぼくには、見たことも使ったこともない、その物々しい名前の魔法が、今一つ実感できなかった。三郎丸も二葉も、当然神殺しを幾つも手に入れているようだ。いや、この二人なら数え切れない数を取得していても不思議はなかった。
その後、ぼくらは神クラスが出没する、獄門と呼ばれる山峡で、その怪物を退治した。激しい交戦を終えたばかりで、あまり長くは居られなかった。そこに、既に何者かが、壮絶な戦闘を繰り広げた爪痕が残されていた。鬱蒼とした森や、切り立った崖の岩肌には、巨大な怪物がやったと思われる破壊や足跡が見られた。しかし、その神クラスの怪物の残骸は、どこにも認められなかった。神殺しの取得が目的ならば、怪物を仕留める必要があった。
三郎丸は、その矛盾に怪訝な顔をした。
「やっぱりさっきの奴らと考えた方が、自然だよな」
「そうね。だとしたら、あの二体もここで捕まえたのかしら」
「うーん、怪物を捕獲して、思い通りに操る奴が居ると聞くからな。そうだろう。まあ、捕まえる手間を考えれば、割のいい方法とは言えない。が、一度捕まえてしまえば、幾らでも戦力は増やせる。もちろん同時に操るには、かなりの熟練が必要になるがな」
三郎丸はそこまで言って、溜息を吐いた。
「だからって、神殺し相手には、圧倒的に分が悪いのよね。さっきの戦闘だって、私か三郎丸がやれば、あっと言う間に片付いたでしょ」
二葉は、腑に落ちないわねと、こめかみを人差し指で叩いた。
「俺たちだって、全員が神殺しってわけきゃない。神殺しを持っている方が圧倒的に少ないんだ。それに神殺しを手にしたからって、一つや二つじゃ。そこらの魔法使いにも、苦戦するくらいだからな。神殺しは、とにかく厄介な魔法なんだ。説明書があるわけじゃない。奇抜過ぎて、使い方も分からない物が多いからな。神クラスには有効だけど、その使い方を思い付かないんじゃ、どうしようもないだろ」
その日の遠足で、ムラサキだけが何とか神殺しを取得することができた。しかし、ムラサキの顔を浮かなかった。どんな魔法だったか、彼に聞いても教えてくれなかった。
三郎丸はムラサキの落胆を認めて、ぼくに耳打ちした。
「まあ、最初は俺もそうだったかな」「それって、どんな魔法だったの?」
「それは、まあ。今は秘密だな。神殺しを使うときが来たら、教えてやるよ」
三郎丸は、決まり悪そうににやけた。ジャージのポケットに手を突っ込むと、肩をそばだてた。
「結局、そうなるんだね」
ぼくは、嫌みっぽく呟いた。
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