第16話 一組の接触と三郎丸のジャージ
あんな事があってか、学校が遅くなると、ぼくは二葉と三郎丸と一緒に下校することになった。二人とは帰る道も途中まで同じだから、大した手まではないと言う。二葉は普通にセーラー服だが、三郎丸はやっぱり緑のジャージままだった。前のクラスの中にも、下校時はジャージ姿の生徒も居たが、極一部だった。目立つし、田舎ならともかく、繁華街を一緒に歩くのは恥ずかしい。隣に居るだけで、同じ格好をした気分になると、二葉は三郎丸に嫌みを言っていた。
「それで、令。どの魔法にするか決めたの?」
二葉が歩きながら、ぼくに尋ねた。
「うん、物の性質を変化させる魔法にするよ」
「はは、なかなか目の付け所がいいな」
「そうじゃないよ。ぼくは、魔法一つ覚えるのも大変だからね」
ぼくがそう答えると、三郎丸は頭の後ろで腕枕のようにして愉快に笑った。二葉は、ちょっと不安な顔を向けた。
「でも、その魔法、かなり手強いわよ」
「そんなに難しいの? ぼく、大丈夫かな」
「やる前から、そんなんじゃ。先が思いやられるぞ」
「そうよ。しっかりしなさい。それに魔法は努力したからって、習得できる物じゃないんだからね」
「じゃあ、どうすれば出来るの?」
ぼくは、すぐに二葉に聞き返した。二葉は、少し考えるほどの間を置いて、頭に浮かんだことを言葉にし始めた。
「そうね。これって決まった方法は無いのよ。ただ魔法の物に出来るだけ多く接することで、その感覚を養うことはできるわ。令も出会ったんでしょ。魔法の色々な物にね。その時、何か感じなかった?」
「そう言われれば、そんな気する。でも、上手く説明できないよ」
「そうそれよ。ああいう感覚は、実際に体験してみないと分からないの。そうでしょ」
二葉は、ぼくと歩調を合わせて、横に並んで歩いた。不甲斐ないぼくの顔を覗き込むようにして、急に眉根を上げた。向こう側を指差す目配せをした。
「そう言えば、そこのカーブミラーには気を付けなさい。これ、魔法が掛かっているのよ。姿を消しても、この鏡には映るはず。ほーらね。ちゃんと見えるでしょ」
「おい、待て。誰も姿を消してないぞ。映って当然じゃないか」
三郎丸が、ちょっと寒そうに背中を丸め、ジャージのポケットに手を突っ込んだまま体を揺すった。ぼくは、何度も目を凝らした。カーブミラーの鏡面に、ぼくら以外の何者かが、映り込んでいたのだ。
「振り向いちゃ駄目よ!」
二葉が、囁くように合図した。
「そのまま、知らん振りで行きましょう」
「こっちも人数居るんだ。迂闊には手を出してこないだろう」
「おい、何人見えた?」
三郎丸が声を潜めて、二葉に確かめた。二葉は、顔は向けずに歩き出した。何事も無かった振りをしている。
「はっきりとは、分からないけど。二人以上は居るわね」
「何なの?」ぼく聞いた。
「いいから黙って行きましょう」
不安に駆られるぼくの脇を掴んで引きずるように、二葉と三郎丸は急ぎ始めた。しばらく誰かが後を追ってくる気配がしたが、それも長くは続かなかった。
「令も気を付けなさい。近頃、妙なのがうろついているからね」
「結局、俺たちが目当てじゃなかったってことか」
三郎丸は鋭くした目を細めると、遠くを眺めるようにした。この辺りは、外灯が疎らで暗い所が多かった。その暗闇に紛れてしまえば、誰か潜んでいても容易には分からないだろう。
「あんな奴らに、我が物顔で居られても困るわね」
二葉は跳ねた眉毛を、不愉快そうにつんとさせた。油断のない顔を崩さず、ぼくを心配した。
「令は大丈夫。独りで帰れる?」
「うん、この近くだからね」
「令には、その腕があるんだ。そう簡単には、やられないだろうよ」
三郎丸は二の腕に力こぶを作って、自慢するように叩いて見せた。三郎丸は、意外なほど筋肉質な肉体が強調された。二葉は、三郎丸の態度に呆れた。
「だから、心配なのよ」
「そう言うな。令のは、呪いなんだ。他の奴らが手にしたところで、どうこうなる物でもないんだ。二葉も見ただろ。令は、既に神クラスに匹敵する」
二葉は冴えない光をその瞳に映すと、ぼくの左腕を執拗に確かめた。
「令、絶対に無理しちゃ駄目よ。そんな力あったって、戦闘は経験が物を言うものなの。分かるでしょ」
ぼくは、静かに肯いた。それから、擬勢を張って言った。
「心配しないで。危なくなったら、すぐに逃げるから」
ぼくは二葉たちと別れると、何かに追われるようにマンションへ急いだ。そこまでは、もう目と鼻の先だという所だった。先ほどは感じられなかった、魔法の気配が周囲を取り囲んでいた。
それは獣が狩りをするときのように、獲物を彼らの包囲網に誘い込んでいるみたいだった。人影が、はっきりと見えた。一人じゃない。ブロック塀の上を猫みたいに走ったり、人家の屋根や時には、暗い夜空を飛んだりもした。あっちにもこっちにも居る。居るが、影は常に一定の距離を保って、少しも近づいて来なかった。そうして、ぼくを網の中へと追い込んでいったのだ。
「どうだ?」
「駄目ですね。こいつのは使えない。あと一ヶ月もしないうちに、消えてなくなりますよ」
「そうか」
「でも、惜しいですね。そんな化け物みたいな力、何もせずに失うなんて」
「そうだな。うーん、上手く奴らにぶつけてみるか」
「そんな事、勝手にやってもいいんですか」
「ふふふ。駄目だろうな。仕方があるまい。まあ、放っておいてもその力、いずれ役に立つ」
彼らは、ぼくと同じ制服に、魔法使いのマントを羽織っていた。その頭には、校章の付いた学生帽を被っていた。その中の一人が、ぼくに話し掛けてきた。がっしりした、たくましい体格の青年だった。厳めしい角張った顔は、大人のそれと大差ない。青年は低い響く声で、それもどこか穏やかに言った。
「急に驚かせて、済まなかったな。我らは、第一尖塔魔法学科一組で、俺は一番隊長の武藤だ。また近いうちに会おう」
そう言い残すと、複数の人影は疾風の如く瞬く間に去っていった。
ぼくは上気して、その言葉が一晩中、頭から離れなかった。この気持ちは、誰かに打ち明けないと、収まらない感情だった。翌朝登校すると、三郎丸を見つけて話していた。
「ねえ、魔法学科っていうのがあるの?」
三郎丸は、意外な様子で唸った。あまり気乗りしない感じで教えてくれた。
「そういう名前で、呼んでいた記憶はある。が、それを誇らしげに名乗るのは、あそこくらいだろうな? 第一尖塔魔法学科一組は、魔法使いのエリート中のエリートなんだ」
三郎丸は机の上に腰を載せながら、襟元に指を詰めて開いた。珍しくその日は、緑のジャージを着ていない。学校の制服を窮屈に着ていた。普段とは違う三郎丸の雰囲気に、ぼくは戸惑った。
「いつものジャージは、どうしたの?」
「えっ? ああ、これな。聞いてくれるか?」
三郎丸は深い溜息を吐いて、肯くぼくに、涙ぐむような声で訴えた。三郎丸がそんな事言うなんて、初めてだった。
「取られたんだ」
「えー、取られたの! でも、そんな物、誰が取ったりするんだろう」
「そ、そんな物って。おい、あれ一着しか無いんだぞ」
「だって、ただのジャージでしょ」
「馬鹿言え。あれは、そんじょそこらのジャージとは訳が違うんだぞ!」
「どこが違うの?」
ぼくは、目を白黒させる。今度は、三郎丸が驚く番だった。
「ええ? ああ、あれ。魔法が掛けられているだ。だから、絶対に破れないんだよ」
「へー。そう言えば、十郎……。この間の魔法使いのおじさんが、二葉の衣がどうとか言っていたけど。それと同じなの?」
「二葉の? いや。あれとは、全く違うんだ。俺のは、単に丈夫なだけ。俺の魔法は、自分の服まで破壊してしまうんだな。厄介なことに」
「それじゃあ、戦うたびに真っ裸だよ」
ぼくの言葉は、冗談になっていなかった。
「そ、そう。そこなんだよ。分かるだろう。そんな格好じゃ、戦えないってことくらいな」
「そうだね。真っ裸のヒーローなんて、今までに居ないよ。えっ、居たかな?」
ぼくは三郎丸には悪いと思いながら、想像しただけで笑いが込み上げてくる。笑いを堪えるのに苦労した。
「おい、令。笑い事じゃ無いぞ!」
「ごめん、ごめん。でも、誰が取って行ったんだろう?」
「そうなんだよ。あれを持って行って、得する奴なんて居ないはずなんだが。あれはな。ただ丈夫なだけで、それ以外は普通のジャージなんだ。防御力もない。まあ、俺の戦闘には、そんな物必要ないけどな」
三郎丸は腕を組んで、首を傾げる。ぼくも同じ格好をして唸った。笑ったことを詫びるつもりで言った。
「分かったよ。ぼくも捜してみるよ。すぐ見つかると、いいんだけどね」
「ああ、悪いな。それじゃあ。頼んだぞ、令!」
「うん」
ぼくは、明るく返事した。三郎丸もようやく元気を取り戻して、白い歯を見せた。制服姿の三郎丸は、ぼくにはしっくりこなかった。よく見れば、袖も短いし、首回りもぴったりしていた。三郎丸の制服は、本当に窮屈に見えた。
午前の訓練を終えると、午後はしばらく時間が空いた。その間に、ぼくは三郎丸のジャージと、この前見つからなかった机と椅子を捜すことにした。その事を話すと、二葉は不機嫌に眉根を吊り上げた。
「もうそれ、見つけなくていいじゃないの?」
「そうだけど。何となく気になるんだ。三郎丸のジャージのこともあるし、一緒に捜してみるよ」
ぼくは、二葉の考えに反して、諦められない思いがあった。二葉も強くは反対しなかった。不機嫌の原因は午前の訓練で、三郎丸が練習にならないからと、服を脱ぎ始めたことにある。二葉が赤面しながら、それを止めたのだ。
「じゃあ、コレクターの仕業かしら?」
「コレクター?」
ぼくは聞き慣れないその呼び名を、オウム返しした。二葉が答えた。
「そう。魔法使いではないんだけど、そう言った魔法の掛かった物は、何でも収集している奴らが居るのよ。かなり高価な値で取引されているの。それだけでも、商売が成り立つくらいにね」
「どういう人たちが、集めているんだろう?」
「お金持ちの道楽じゃない。あとは魔法使いと取引するのにも使えるからよ。でも、最近じゃ。生徒や先生の中にも、そんな性悪な連中が紛れているって聞いたわね」
二葉はすっかり白けて、下唇を突き出した。頬杖を突いて、鼻の下に鉛筆を挟むような仕草をした。そんな時、二葉がちょっと、しおらしく見えるから不思議だった。
ぼくは、久し振りに校内をうろついてみた。教室からは、授業中の張りのある先生の声が聞こえたし、体育館からはバスケットボールでドリブルしたり、シュートを決めたりする弾力のある音が響いていた。ぼくは、まるで初めての場所を散策する心地になった。それでも、廊下で知らない生徒と擦れ違うたびに、後ろめたい気がした。それが渡り廊下を渡った頃から、誰かに付けられていると悟ったときには、すっかり学校の中を一周していた。
「尾行に気付いても、絶対に慌てず知らない振りをしておくのよ」
この間の一組の件もあって、二葉にそう教わっていた。しかし、これはあまりにも素人の犯行だ。あんなにバタバタ慌てていたら、誰だってあっと言う間にバレてしまう。どうして、ぼくなんかを尾行するのか、少し興味が湧いた。
「廊下の角を曲がったら、すぐに早足で次の角へ隠れる。分からないように隠れるのよ。それでも追ってくるようなら、確実に後を付けているわね」
ぼくは、二葉の言葉通りに実践したつもりだった。相手の動きを、完全に把握していると高をくくっていた。廊下の角を曲がって、どんな顔をしているのか、確かめてやろうと意気込んでいた。ぼくは、必ずそこに誰かが現れると、予想していた。一杯食わされたのは、ぼくの方だった。忽然と気配は消えていた。跡形も無く。
ぼくは、些細な痕跡も発見できなかった。焦って周囲を見回しているうちに、廊下でムラサキとばったり出会った。
「残念だけど、それ僕じゃないと思うよ。令の後を付ける理由もないからね」
ムラサキは首をすぼめて、あまり関心も見せなかった。
「それで、探し物は見つかったの?」
ぼくは、首を横に振った。意味の無い苦笑をした。学校中を回って来たのに、何の成果も得られなかったなんて情けない。自嘲するしかなかった。
「気にすることないよ。ハジメも言っていただろ。見つけるのは難しいってね。気長に構えていれば、いつかはきっと見つかるよ」
ぼくは、ムラサキの慰めに明るく点頭した。
「それで、ムラサキは何していたの?」
「ああ、僕もね。三郎丸に頼まれて、彼のユニフォームを捜していたんだ。でも、見つからなかったよ」
ムラサキは疲れた顔をしてから、気を取り直して言った。
「僕は、もう戻るけど。令はどうする?」
「もう少し捜してみるよ。三郎丸には、いつも頼ってばかりだからね」
「そう。見つかると、いいけどね。じゃあ、頑張ってね」
ムラサキは、そう言い残して行ってしまった。ぼくは、しばらく彼の特徴のない後ろ姿を見送った。思い出したように、また校内を散策し始めた。別に当てがあるわけではない。じっとしているよりは、歩き回っていた方が少しは増しだった。ぼくの足取りは、急に重くなった。もしそんな魔法があるとしたら、知らないうちに掛けられていたのだろう。もっとも、これは気分の問題だった。
僕が、その犬ころみたいな机を追跡したのは、二葉か三郎丸が近くに居ると思ったからだ。階段を上がったり下りたり、校舎を散歩するみたいに、それは行き先も決めずに、走り回っている。まるで少女が初めて買ってもらった子犬を、浮き浮きしながら散歩に連れて歩いている様子なのだ。しかし、この犬ころは飼い主に慣れていないというか、臆病なところがあるのか、歩き慣れない様子が、ぼくにでも目に留まった。二葉や三郎丸では、ちょっと考えられない。ぼくは、ちょっとその飼い主を確かめてみたくなって、どこまでも机と椅子の後を付いていった。後を付けるのは、それほど難しくなかった。その有頂天という奴が、飼い主の警戒をおろそかにし、尾行をたやすくさせていた。
ぼくは、普段あまり使われない家庭科教室へ、その机と椅子を追い詰めた。遂に飼い主にたどり着いたと思った。それは、待ち伏せされる形になった。ぼくがのこのこ、ここへ現れるのを待っていたのだ。
「ちょっと、あなた。私のチョコちゃんに、何か用でもあるの?」
そこに、女の子が腕組みして立っていた。ハジメとあまり変わらない。それほど幼く見えた。
「チョコちゃん? その机と椅子のこと言っているの? あれ、それ三郎丸のジャージ!」
女の子は僕の声に反応し、慌てて緑のジャージを体の後ろに隠した。これは絶対に返さないという意固地な表情を、そのあどけない顔に浮かべていた。目鼻立ちのしっかりした、気の強そうな少女の顔だった。
「それ返してくれる。大切な物なんだ」
ぼくは、どんな意地悪な女の子の視線にもひるまない、気持ちで叫んだ。女の子は、ますますジャージを後ろにして、まるで聞く耳を持たなかった。
「私に取っても、大切な物よ!」
女の子は後ろめたい気持ちを隠すように、すぐに目を逸らした。が、ぼくの次の言葉に困惑して、女の子はぼくの瞳の中を覗いた。
「それがなきゃ、三郎丸が困るんだ!」
「えっ! 三郎丸様が困るの? そ、そんな」
「そうだよ」
「で、でも。せっかく綿密な計画まで立てて手に入れた獲物を、ただ返すのは惜しいんだから。えー、どうしようかな。――それじゃあ、私と勝負して、勝ったら潔く返して上げる」
「どうして、そう言うことになるんだ?」
「何? 私と勝負するのが怖いの?」
「そうじゃないけど。それに、ぼくは使える魔法が二つしか無いんだ」
「あなた、やっぱり魔法使いなのね」
女の子は、弾む声で言った。
「あれ、気付いていると思ったけど」
「あれ、ちょっと待って。あなた、見覚えがある。ひょっとして、令なの?」
ぼくは、そうだけどと答えた。それ以上のことを、話す気分にもなれなかった。なぜその事を知っているのか、それがぼくの警戒心を強めた。
「そんなの卑怯よ。それじゃあ、私に勝ち目なんて無いじゃない。作戦変更ね。そうだなー、よし。これならどう? チョコちゃんを捕まえられたら、返して上げる。でも、その左腕は使ったら駄目よ。チョコちゃんが、バラバラになっちゃうからね。いい、分かった?」
女の子は少し力んで眉毛を上げると、そう強調した。ぼくは、そんな勝手な勝負を受けるわけにはいかない。
「そんなの駄目だよ。捕まえられなかったら困るもん。ジャージ返してよ!」
「男の癖に意気地が無いのね。いいから早くしなさい」
女の子は、すっかりその気になっている。有無を言わせず、半ば強引に勝負を始めてしまった。
「さあ、チョコちゃん。捕まらないように、しっかり逃げるのよ。じゃあ、始め!」
ぼくの制止も虚しく、机と椅子は勢いよく駆け出した。思った以上に、素早い動きだ。机と椅子は、ぼくをからかうように逃げ回った。これじゃあ、とても捕まらない。ぼくも本気を出して、懸命に追い掛ける。その魔物は、本物の飼い犬が戯れるように、遊んでいるみたいだった。しかし、そこには勝算が見え隠れしていた。
ぼくだって、とても魔法使いと思えない容赦のない訓練を受けてきた。神クラスの怪物になれば、このくらいの接近戦は必須だと上手いこと言われ、二葉たちに無理矢理、戦闘術を叩き込まれてきた。それが、こんな形で役に立つとは思わなかった。ぼくはもう少しで、それを捕まえられそうだった。
まずいと焦った女の子は合図を送ると、椅子と机が更に勢いを付けて走り出した。あっと言う間に、壁に向かって突き進んだ。ぼくはある確信を得た。これじゃあ、もう逃げ場がない。ここがチャンスと、机と椅子に飛び付いた。ところが、それはいよいよ足を強く蹴って、壁を登り始めた。天井まで駆け登ると、そこへ蝙蝠みたいにぶら下がっているのだ。ぼくは腹を立てて抗議した。
「こんなの卑怯だよ。絶対に捕まりっこない」
「勝負は、勝負よ。どう、降参する?」
女の子は、既に勝利を確信したように言った。ぼくは当然、否定した。もう一度、気持ちを奮い立たし、焼けくそ半分で、その机と椅子の名前を呼んでみた。
「チョコちゃん、お出で!」
勝負は、何とも間抜けな幕引きとなった。天井に居た机と椅子は、先ほどと同様に勢いよく駆けて、壁を下りてきた。ぼくの側まで来て、尻尾を振るみたいに体を揺らした。ぼくはそこを捕まえた。机に触れたとき一瞬、ぼくの体に何かがみなぎるような感覚が湧き起こった。それは、魔法を使ったとき、特有の感覚に似ている。それでいて、これと同じ経験した気がするのだ。ぼくは、チョコちゃんを両手でしっかりと捕まえた。
「ちょっと待って、そんなの無しよ」
女の子は、すねたように不満を言った。
「でも、ちゃんと捕まえた。まだ飼い主に慣れていなかったんだね」
「そんなのずるい。じゃあ、交換条件にしましょ」
「それこそ、ずるだよ」
「いいから、いいから。じゃあね。さ、三郎丸様の秘密を一つ教えてくれたら、返して上げる」
女の子は三郎丸と言うところで、恥ずかしそうに早口になった。
「えー。分からないよ」
「何でもいいのよ」
またも、女の子の独擅場に引きずり込まれている。
「ああ、いつも緑のジャージを着ている」
「それは、私も知っている事だから駄目ね。他には?」
「さあ、思い付かないよ」
ぼくが匙を投げ掛けると、女の子がそれを摘むように言った。
「す、好きな食べ物とか。好きな事とか。す、す、す。色々あるでしょ」
女の子は急に頬を赤らめ、俯いたまま、小さな体を落ち着きなく動かした。
「好きな物? そう言えば、昼はいつもあんパンと牛乳だけど」
「そ、それそれ。それこそ、私の知らなかった秘密よ! いいわ。このジャージは返すから。絶対になくさないでね。それから、私がジャージを持っていったことも秘密にしてよ。あんパン、あんパンね。あれ、まだ私に何か用?」
女の子はすっかり浮かれて、ぼくのことなど忘れていた。
「そうじゃないけど」
「そう言えば、あんた。チョコちゃんに素手で触ったけど、大丈夫だった? それ、呪いが掛けられているんでしょ」
「それ、早く言ってよ!」
ぼくは、顔をしかめる。
「でも、平気そうじゃない」
女の子も、恐る恐る机に触れてみる。がっかりしてうな垂れた。
「なーんだ。この魔法か。これなら、とっくに習得済みよ」
「どんな魔法なの?」
「それを知るには、交換条件が必要だけど」
女の子は、ウインクするように言った。
「じゃあ、いい」
「そろそろ、私行くけど。今度会ったら、絶対に負けないからね」
女の子は机と椅子を連れて、颯爽と家庭科室を出て行った。ちょうどそこへ遅れて、ムラサキが引きつった顔で現れた。ぼくは、ちょっと不機嫌に言った。
「あれ、見てたの? 助けてくれれば良かったのに」
「ははは、相手が悪いよ。彼女は、第一尖塔の奴らだ。確か名前は、緑だったかな」
「ムラサキに、ミドリね」
「緑は、漢字だよ。三郎丸のジャージも、無事に手に入ったわけだ。それで、机はどうだった?」
「うん、呪いが掛かった物らしいよ」
「呪い? それが姿を消す魔法じゃないの?」
ムラサキは、少し疑うような目をした。ぼくは、自信ないように首を傾けた。
「どうも違うみたい」
「それで、何ともなかったの?」
「うん、その子も触っていたからね」
「何だ。僕も触れば良かったな」
「それって、さっきの女の子みたいな口振りだね」
ムラサキはニヤニヤして、そんなつもりはなかったと謝った。
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