第13話 ムラサキと蜘蛛 

 その日、ぼくはとうとう前の教室に、授業を盗み聞きすることを、ハジメに命じられた。二葉や三郎丸は、まるで両親が初めて子供を学校に送り出すみたいに、あれこれと心配してくれた。

「ノートや教科書は、ポケットの中に入れておけばいいわ。一緒に消えてくれる」

 二葉は慌ただしく、ぼくの制服のポケットにそれを押し込んだ。ノートの頭がポケットからはみ出ている。

「そうだな。服だけを残して、裸で消えた奴は、これまで一人も居なかったからな」

 三郎丸が、ぼくを安心させるために、横合いから冗談ぽく言った。二葉は、三郎丸の話にも真面目に言葉を加えた。

「それは普段、身に着けている服装を意識してないからよ。自分の体の一部と思うのと一緒、分かるでしょ」

「何となく、分かるような気がする」

 ぼくの頼りない答えに、二葉は下唇を噛んでもどかしそうにした。

「いや、待て! 裸だけで消える方が難しいだろ。誰がそんな事できる?」

 三郎丸が、不味い物を呑み込むみたいな大声を出した。ハジメは心地よく笑った。

「ははは。それは、ぼくにもちょっと無理かな」

 その後、ぼくは立ったまま授業を受けることになる。ようやく机と椅子を消す必要性を知る。平らでない所で、ノートを取る難しさも覚えた。こんな事は、普通の生徒だったときには気付かなかっただろうし、気付く必要があるのかも疑問だ。

 ぼくが普通科の授業から戻ってくると、あれほど心配していた三人の姿が見えなくて、拍子抜けした。どうだったとか、緊張したとか授業の仔細を聞かれるものだと期待したのだ。ぼくはすっかり気分が削がれて、ぼんやり席に座っていた。その時、誰かが話し掛けてきた。初めて話す顔だった。

「やあ、調子はどう?」

 二葉や三郎丸が個性的過ぎるからか、その男の子はあまり目立たない印象を受ける。きっとこれが普通なのだろう。細い目に筋の高くない鼻と、澄ましたように薄い唇が付いている。いつも同じこの顔をして、感情を大袈裟に表へ出さない感じがした。身長は、ぼくより少し高いくらいだった。三郎丸には及ばない。三郎丸は上級生で、特別に背が高いというわけでもなかった。ハジメのクラスには、際立って背の高い生徒が一人居る。名前は、何だったかな。

 言葉を探すぼくに、男の子は言った。

「僕は、ムラサキ。六番目だ」

 ぼくはと言い掛けて、ムラサキは「知ってる。令だろ」と気さくな笑みを浮かべた。ぼくは、その笑顔に心を許し、その日の授業で散々だったことを話した。ムラサキは笑って、ぼくに同情を寄せた。

「ねえ。筆記用具は、何を使ってる?」

「鉛筆を使ってる」

「僕もだよ。他の物は、ちょっとね。間違ってどこかの部品が、見えてるんじゃないかって、不安になるよね」

 それは、前の教室の生徒が交わすような会話だった。普通の会話をするのが、懐かしいように思える。それほど、全く予想も付かない事柄を、ぼくはこの教室に来て、ずっと詰め込んできたからだった。と言っても、ぼくが覚えたのは、これまでにたった二つの魔法だけだ。その一つは、未だに次の課題をこなせていない。本当に落ちこぼれの中の落ちこぼれ、という感じがして嫌になる。

「そう言えば、さっき二葉たちと何を相談していたんだ?」

 ムラサキが詮索するような調子で、ぼくを見た。ぼくは隠す考えもないまま、正直に答えた。

「ああ。どうしてもね。ぼくが机と椅子を上手く消せないから、他のやり方を模索していたんだよ」

「他のやり方?」

 ムラサキは、ふーと唸った後に、好奇に目を輝かせていた。

「うん、この学校にね。姿が見えない魔法が掛かった、机と椅子があるんだって、それを探して触れればいいんだ」

「へー、何だか面白そうだね。あっ。それって、僕も手伝っていいかな?」

「えっ、いいの?」

 ムラサキは、その机と椅子を一緒に探すことを快諾してくれた。ぼくは、独りで探すことを考えると、少し消極的になっていたから、いい連れができたと喜んだ。

「何だい? 秘密の相談かい?」

 知らない間に、ハジメが側に立って、ぼくらを驚かせた。秘密にすることでもなかったが、正直にその事を打ち明けると、ハジメはなぜか浮かない顔をした。

「魔法が掛かった物は、そう簡単には見つかる物じゃないんだ。むしろそっちの方が困難なくらいだからね。それに見つけたとしても、多分がっかりすると思うよ」

 ハジメは、分かり切ったことを告げる口調で言って、教室を出て行った。ぼくが、ムラサキと顔を見合わせると、どうしたんだろうと、ムラサキは肩をすぼめた。

 ぼくには、その机と椅子に心当たりがある。曖昧な記憶で、あと少しで喉まで出掛かっているのに、それがはっきりとは思い出せない。はっきりしないぼくに、ムラサキは取りあえず特別教室を探して見ようと提案した。ぼくは、迷わず賛成した。前の教室の生徒と、鉢合わせになるのも嫌だったからだ。

「腕は、もういいの?」

 ムラサキは、ぼくの左腕を遠慮勝ちに確かめた。ぼくの左腕は、ほとんど腫れも引いて、火傷の痕みたいになった所も目立たなかった。包帯で隠す必要もない。痛みも痒みも感じない。ただ時折、自分の腕ではない感覚に囚われる。ぼくの意思に逆らうんじゃないかと、不安にさせられるときがある。

「うん、腫れも引いたからね」

「零の左腕に触らされたんだって。とんだ災難だったね」

「そうなんだ。でも、あっと言う間の出来事だったから、ぼくには何が何だかさっぱりだったよ。今でも、これが自分の腕か疑いたくなる」

「そりゃそうだ。魔法のまの字も知らないところに、行き成りボスキャラの前に、立たされたんだからね。悲惨だよ。そう言えば、令はまだ階段使ってるの?」

 ぼくは、そうだけどと肯いた。

「それなら、いいんだ。よし階段で下りよう」

 ぼくは、どんどん先へ行ってしまうムラサキを追って教室を出た。そこが教室じゃないみたいに、長い階段だけが下へ向いて続いている。

「ねえ。みんなはどうやって、ここまで上っているの?」

 ぼくは、ムラサキの背中を見ながら、階段を下りる。ムラサキは振り向かず、懸命に足を動かしていた。

「ああ。他にも方法はあるんだけどね。今それを知っても、どうにもならないよ。僕の口からは、何も言えないよ。だって余計なことしゃべって、令を混乱させたら、後で二人に叱られる」

「二人って、二葉と三郎丸のこと? だったら、大丈夫だよ」

「そう? 令は、随分二人と仲がいいんだね」

 ぼくは、そんな事思いもしなかった。言われてみれば、いつも二人には頼り過ぎていることは否定できない。それは、みんなも同じだと疑いもしなかった。

「ムラサキは、そうじゃないの?」

「えっ?」

 ムラサキは、わざと聞き返したように思えた。

「そうじゃないけどね。でも令みたいに、放課後まで付き合ってもらったことないな。まあ、そもそも居残りなんて、したことないか。ちょっと羨ましくてね」

 ムラサキは、ちょっと寂しくなったのをはぐらかした。

「それは、ぼくが不甲斐ないからだと思うよ」

「そうかな。そうかもしれない。しかし、この階段は長いね。地の果てまで下りていくみたいだ」

「ま、まさか」

 ぼくらは、しばらく黙って階段を下りた。もういい加減に足が疲れたところで、ようやく尖塔の出口へたどり着いた。ムラサキは初めて振り向いて、元気の抜けた顔をしていた。

「これは、ちょっと大変だったね。次からは、ずるして近道を使おう」

「近道があるの! だったら、最初から言ってよ」

 ぼくは、不満を訴えた。ぼく一人真面目に階段を上がっていたのが、馬鹿らしかった。

「ははは、でもね。令じゃ、これは使えないから仕方ないんだよ」

 ムラサキはそう言って、用心深く辺りを見回した。誰も居ないのを確かめると、階段の壁をコツリと叩いてみせた。

「紹介しよう。僕らの偉大なるエレバーターにして、この塔の番人! 蜘蛛型垂直歩行機、通称蜘蛛だ」

 何の変哲もない壁に、突然と亀裂が入って開いた。真っ暗な部屋の入り口が、洞窟の入り口くらいにぽっかりと姿を見せた。その穴に、四つの目が怪しく光る。ぼくは、面食らって逃げ出しそうになった。巨大な蜘蛛が這い出てきたからだ。ムラサキは、怯えるぼくに、怖がらなくてもいいよと言って、蜘蛛の大きな足に手を突いた。巨大な蜘蛛は襲ってくる気配もない。ムラサキが蜘蛛の足をノックするように叩くと、コンコンと木の板の音がした。

「よく見て。これ、作り物なんだ」

 しかし蜘蛛は、ぼくが近づこうとすると、それに反応して本物のように動く。ムラサキがやるように、大人しくしていなかった。

「だから、令にはまだこいつは使えないんだよ。この蜘蛛っていうのはね。当然、魔力を動力にしているんだ。だから動かすのも、魔法だからね。その魔法が使えないと、動かすどころか、近づくことも出来ない」

 ムラサキは、少し優越感に浸るような言い方だった。ぼくは、この蜘蛛が苦手だったから、羨むこともない。蜘蛛の動作は、昆虫のそれに酷似していた。作り物にしても、車や電車なら、勝手に動くことはない。それには、どこか生き物に疑似した性質まで備えて、不気味さを感じた。その蜘蛛は自立して動いた。

「ああ、くれぐれも僕がこいつを見せたことは、二人には秘密にしてね」

 ぼくが苦笑しながら肯くと、ムラサキは再び壁を叩いて、壁の隠し穴を閉じた。穴は完全に消えた。

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