111.身代わりマネキン③(怖さレベル:★★☆)
社長の奥さん、そして息子。
彼らが亡くなってしまった経緯は深く同情しますし、
生前の二人をよく知る身からすれば、哀しみに同調する思いもあります。
しかし。
彼らを模したマネキンに、その骨を入れるというのは。
(そうして心をなぐさめなきゃならないほど、
追いつめられていた、ってことなのかもしれないけれど……)
それほどに、家族を愛している。
考えようによっては、家族想いの、すばらしいコトなのかもしれません。
けれど。
けれど私は、そこに底知れない狂気しか感じられませんでした。
「もとに……戻しておこう」
私は引きつった表情を浮かべたまま、そうっとファスナーを上げました。
そうして着衣を整えてしまえば、いつも通りイスに腰かけるマネキンです。
一仕事終えた気分で、最後にポン、と軽くマネキンを叩いた瞬間。
「おっと、優しく扱っておくれよ」
「……えっ」
満面の笑みを浮かべた社長が、私のすぐ後ろに佇んでいました。
「ヒッ……し、社長……!?」
私は体裁を整えるのもわすれ、思わずそこから飛びのきました。
「おう。ちょっと早く終わってなぁ」
ニコニコと、社長は笑っています。
深くくぼんだ頬骨に落ちる影が、
好々爺の笑顔を恐ろしい造形に形作っていました。
(み、見られていた……? 今の、マネキンの背を開いたのも……)
ピリピリと空気を震わすほどの緊張に、
私はゴクリと喉を鳴らしました。
「どうだい。……いいモノは見つかったか?」
世間話の延長線のような、おだやかな口調。
いたってなんの作為もない、そう思わされるような声音で。
静かに、優しく問いかけてくる社長は、恐怖でした。
「うぅっ……わ、悪かった。すみません」
普段は社長相手に敬語は使いませんが、
この時ばかりはきちんと謝罪しないとと、私の脳内は焦燥と恐れで埋まりました。
「つい好奇心で……サチコさん、奥さんの人形に。申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げ、社長の沙汰が下されるのを待ちます。
やけにおだやかな笑顔を浮かべる社長の顔を、
とても直視することなど、できませんでしたから。
目下の、床に落ちた自分の灰色の影が、
ユラユラと明かりに照らされて震えていました。
「うーん……べつに、怒ってないからなぁ。謝らんどいてくれ」
「えっ……いや、そんな」
亡き奥さんの代わりの人形をあらためられて、憤りがない。
そんなこと、あるのでしょうか。
「本当なんだがなぁ。……第一、お前が見つけたであろう、骨があったろ?
あれも別に、本物じゃないからなぁ」
「は? な、ど……どういう」
本物ではない。
社長の言うその意味が、まったく理解できません。
「そうなんだよなぁ。さっきのアレ、オモチャだから。骨の形をした」
「……はっ……?」
上げた視線に、パッチリと合ったその人の目。
目じりに笑いシワをよせ、ニッコリと微笑んだその姿は、
いっそ場違いなほど、慈愛に満ちたモノに見えました。
「触ってみればわかるよ。それに色もね、そんなまっ白い骨なんてないから。
もちろん似せてはいるけど、結局ただのオモチャだしね」
続けて説明する社長に、私はおもわず口をはさみました。
「し、社長……」
「んん? なんだ」
「その……なんで、オモチャの骨なんかを……サチコさんの背中に」
ニセモノの骨を、大切にしている妻のマネキンに入れる。
それは、自分には到底理解できない所業でした。
「いやいや。息子の方にももちろん入っているよ。
妻だけを特別扱いするわけにもいかないからなぁ」
「えっ……い、いや、そういうことじゃなくて……」
「うーん? ……なにか、おかしいかい?」
社長は唇の端をフッと和らげて、愛おしげに笑みを深めました。
「彼らは、ぼくの家族なんだ。だから、本当はホンモノを入れたかったんだけど……
まぁ、法律とかモロモロの関係でダメらしくってね。
だから、仮初を入れている。それだけなんだよ」
当たり前のことを、ただ説明しているだけ。
そんな気安い語り口で、社長はのんびりと息をはきだします。
「もっと内臓とか、髪とか、肌だって……ホンモノが良かったんだよ。
でも、ダメだろう? だから、これでもぼくは我慢しているんだ」
「し、社長……」
「ああ、大丈夫。お前が彼らを手伝うのは生前からあったことだしね。
ちょっと触れるくらい怒らないよ。元通りにしておいてさえくれればな」
それは、言外に。
生前、交流がなかったら触ることすら許さない、と言われている――?
「はー、さてさて。まだ終業まで時間はあるし。仕事に戻るとするかぁ」
流れるように妻のマネキンの肩を優しく叩いたのち、
社長は自分の席へと戻っていきました。
そのまま残された自分は、ドクドクと恐怖で鼓動を速める心臓と、
おぞましい狂気に当てられた恐怖の残滓で、
しばし、呆然とパソコンの液晶を眺めることしかできませんでした。
それから、数年。
社長の様子は、なんら変わりありません。
落ちついたら撤去する、という話だった例のマネキンも、
いまだ、事務所のデスクに居座り続けています。
変わらぬ微笑みをその顔に貼りつけて、年を重ねることもないままに。
常に、目の端に不気味な人形がある。
そのうえ、内部には偽物の骨がつめこまれ、いびつな愛情が注がれている。
そんな狂気の状態で、ずっと。
そばにあれば慣れてしまう、と思われますか?
私は……あれから五年がたっても、ちっとも慣れることはありません。
まぁ、精神病を患っていないだけ、慣れたというコトなのかもしれませんが……。
なにせ……あれから、うちの会社の社員は、
ごっそり半数、退職してしまいましたから。
まぁ、常にマネキンに見張られている環境。
耐えられなくなる人が出てくるのも、まぁ頷けますよね。
それに……一度。
一度、社長の目の前で、ある社員が偶然、
そのマネキンにぶつかって、床に落としてしまったことがあったんですよ。
その時の……社長の烈火のごとき怒り。
アレを見てしまったら――まぁ、辞めたくなるのも無理はありませんね。
あぁ……私、ですか?
私は……えぇ、辞められないんですよ。
それはもちろん、職歴が長いとか、この会社に愛着があるとか、
そういうこともモチロンですが……
なにせ私は、社長の……年の離れた、弟なモンですから。
兄が狂っているのを放って置いたまま、とても他の会社に転職はできませんね……。
ここまで聞いてくださって、どうもありがとうございました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。