95.イマジナリーフレンド③(怖さレベル:★★☆)

「ほら、お灸とか、針ってあるじゃない。そんな感じでさ、

 人体に画びょうを刺していくの。どう身体に作用するのかなぁ。

 案外、あっけなく死んじゃったりして!」


異次元の持論をなにものかに語り掛ける彼女は、

ガシャガシャと音を立てながら、学習机からそれをとりだしました。


「さあさあ、どこから刺そうかな。首? 頭? ああ、ベロっていうのも

 面白いかも。貫通したら、ピアスとか通せるかなぁ!

 ……え、まずは指先? ……ふーん、まぁ、いいけどっ」


瞳孔が完全に開いた狂気の表情で、手元の画びょうを構えた姉は――

ツプッ、とクラスメイトの小指にめり込ませました。


ぐにっ、と皮膚を貫通する幻痛に、


「イタッ!!」


思わず、ぼくは声を漏らしてしまいました。


(やばい……っ!!)


慌てて両手で口を塞ぎ、二歩、三歩と後ずさりました。


「……だれ?」


薄く開いた扉の間から見える姉は、さきほどまで浮かべていた

いっそ快楽にも似た狂った表情を消し、暗い声を発しました。


「……だれか、いるの」


今まで一度として聞いた記憶のない、

恐ろしいほどの冷たい囁き。


深雪の温度すらぬるいと思わせるような、

絶対零度の響き。


半開きの薄い瞳が、出入口であるこの扉の方をじっと凝視しています。


もはやごまかしきれないと、

ぼくはカラカラになった喉をごくりと潤しました。


「ね……姉ちゃん。ごめん、ちょっと部屋に鉛筆とりにきたんだ」


これ以上隠れているのは、得策ではない。


ぼくはそう判断し、両手を広げて害意のないことを

アピールしながら、姉の前に姿を現しました。


「…………」

「ごめん、邪魔するつもりはなかったんだ」


無言の姉に、だらだらと冷や汗が背中を伝います。


彼女は、物事の進行を妨げられるのを極度に嫌うのです。


今回の異常な行為も、明らかにノッてきていたところ。


その途中でちゃちゃを入れてしまった自分を、

どう考えているのでしょう。


「…………」

「じゃ……えっと。……え、鉛筆だけもってく、ね」


じりじりと姉の視線を受けながら、

傍らにはりつけにされている男子を見ないようにしつつ、

自分の勉強机に向かいました。


「…………」


姉はあれだけ流暢に話していた言葉をとめ、

瞬き一つせずにぼくの動向をにらんでいます。


生きた心地のしない沈黙に、がさごそと適当に机を漁って、

鉛筆をふところにしまい込みました。


「……じ、じゃあ。ぼく、戻るから」


そう言って、そそくさと部屋から出ようとした時。


「……さい」

「え?」


サクッ……


ぼくは一瞬、なにが起きたか理解できませんでした。


「ッ……い、たぁ……っ!」


手のひらに突き刺さった凶器、画びょう。


姉に背を向けていたぼくは、その鋭い切っ先のいくつかを、

手のひらや背中に浴びてしまいました。


「うるさい、うるさい! せ、せっかく、せっかくのお話を……

 今まで邪魔しなかったから、放っておいたのに……!!」

「ねっ、姉ちゃん……」


姉はわなわなと怒りで肩を震わせて、

ワサッと画びょうを一つかみしました。


プチ、プツッ……


姉の指の合間から、血が滴り落ちます。


「や、止めてよ、姉ちゃん……!」

「うるさい、うるさいっ!! お、お前なんか……お前なんか、弟でもなんでもない――ッ!!」


大絶叫と、舞い散る金色の針。

腕や足にかすめたそれが、赤い線を刻んでいきます。


完全に狂気に呑まれた姉。


未だかつて感じたことのない、

おぞましいほどの殺意が叩きつけられます。


黒く濁った、吹き出すような悪意の集合体。

怯えた目が、一瞬、姉の背後のナニカを形作って――、


「……っ、ね、姉ちゃん……」


ユラリ。


真正面にそびえたつそれは、

もう姉とはとても思えない、幽鬼そのもの。


憎しみすら感じさせるドス黒いまなざしが、

さらにその手元の凶器をわし掴んだ、その時――。


「なにしてるのッ!!」


買い物から戻ってきた母が、

私たちの間に割り込んできたのでした。




そして、姉はその直後、

糸が切れたようにその場に昏倒し、

動かなくなってしまいました。


しかし、ぼくの現状とクラスメイトの子どもの惨状に、

母はなにが起きてしまったかを察したのでしょう。


例の男の子の拘束を外し、怪我の具合を

確認した後、母は父へと連絡を入れていました。


あの少年は間もなく目を覚ましたものの、

気絶していたせいなのか、部屋で起こった一切のことを記憶しておらず、

気遣うこちらを振り切るように家を出て行ってしまいました。


急ぎ、家に戻ってきた父に状況を聞かれたぼくは、

見知ったことをそのまま包み隠さず語りました。


どうやら、両親ともに姉が変わっているということは気づいていたようですが、

まさか同級生にまで手をかけるとは考えていなかったようで、

深いショックを受けていたのを覚えています。


そして、張本人の姉、ですが――

目を覚まさないのです。


えぇ……あのできごとがあってから、今に至るまでの十年もの間。

いくら精密検査をしようとも、結果はすべてオールグリーン、異常なし。


なぜ目覚めないのかわからない、という台詞は、

もはや耳にタコができるほど聞きました。


両親も、始めこそ必死でさまざまな病院をあたっていましたが、

今では諦めてしまったのか、月に一度、病院を訪問するのみとなっています。


……あんな、クラスメイトに手をかけるようになるまで狂気が育ってしまった理由。


それは、姉を崇拝して止めようとしなかったぼくや、

いつかどうにかなるだろうと放置してしまった、両親のせいだったのでしょうか。


身体だけは生きているの目覚めないのは、

空想上の友だち、とやらに連れていかれてしまったのでしょうか。


姉がもし再び目覚めたとき……

その内面はいったいどうなっているのか。


その時が来るのが、恐ろしくてたまりません。

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