九話

 私は予知を見た。蚯蚓のではなく、叶笑児のである。出会った初日に彼の血と髪の毛を食べていたので、彼も私の予知の対象になっていたのだ。食料として。

彼を予知の対象としたのは、当初、カフカスキーが彼を蚯蚓に寄生させようと、彼に何らかの危害を加えることを念頭に置いてのことだった。食料に危機が迫れば、それは私の危機でもあるので、予知できると思ったのだ。だから彼を食料と左手の龍に思わせるため、私は彼の血と髪の毛を摂取した。

 もし、彼がカフカスキーに狙われ、彼が蚯蚓に寄生してしまうことが起こり得るのであれば、私はそれを予知してその場にいち早く乗り込み、カフカスキーを見つけて殺せると思った。

 果たして今、その願いは叶えられた。

 私の左手にはカフカスキーの首がある。けれど、私は、叶笑児が蚯蚓になった後に自分がどうするのかを考えていなかった。蚯蚓を殺すことなど、いつものことであり、蚯蚓に寄生するような人間は救いようがないと思っていたからで、つまり、その後のことなど考える必要もないと、その時は思っていた。

 しかし、今はその時とは事情が全然違うのである。

 私は、叶笑児を知るにつれて、彼は蚯蚓になど寄生しないと信じたくなったし、蚯蚓に寄生してしまう人間を殺すことしか出来ない自分に嫌気が差してしまったし、あとはカフカスキーを殺すだけでいいと、奴が残した手紙で楽観していたのだ。

 それが、どうだ。

 使命だ、義務だと思いこみ、自分のしていることに疑問を挟まず、他人から与えられた目標にしがみ付いていただけの私は、疑問を持ち悩んだ途端、自分でそれを解決することが出来ないまま、ここまできてしまった。

 私は彼だったもの、この蚯蚓を殺さなくてはいけない。なくてはいけない? そんな義務、本当は私になどないはずだ。私の心は叫んでいるのだ。殺したくないと。これこそ私の欲求であり、これを捨てたところで手に入るものなど空虚なものでしかないことを私は知っている。だから、私はもう殺さない。もぐらなんて辞めてやる。

 私はカフカスキーの首を捨て、蚯蚓の前で地面に膝をつき、項垂れる。両手は手の平を上にして力を抜き、地面に投げだす。叶笑児だったものに殺されるのもいいかもしれない。頭部の影が差した場所にポツポツと水滴が落ちシミを作る。影より黒い涙だった。

「いや、いい心構えです。あっぱれですな」

 カフカスキーの死体があったはずのところを見れば、そこには何もなく、彼はなんと私の横に平然と立っていた。顔と頭もちゃんと首の上についている。

「あなた、死なないの?」

「ええ、私、不死身なものですから。私は自分の願いを叶えるまでは決して死にませんよ」

「あなたの願いって何?」

「人類を滅ぼして、私の愛しい動物達をこの世界の新たな支配者にすることです」

「それ、しんどくない?」

「しんどいですよ。しかし、嫌になって投げ出すほど苦痛ではありません。しんどいよりも快楽の方が大きいですからね。なぜなら、私が、自分で、一人で、決めた事ですから」

 忍耐でもなく、諦念でもなく、自分の欲求、願いの実現を祈るかのごとく行動する。そんな奴に私が勝てるはずがない。

 私の今の願いは何であろう? もぐらという仕事以外で私に残されたものなどあるだろうか。私は必死に自分の内から美徳を探すが、内省すればするほど、私は自分の空っぽさを埋めるかごとく涙があふれ出す。悔しさと怒りと嫌悪と恥と悲しさが限度を超えて、私の内に流れ込む。私の心は涙の洪水で満たされた。絶望の嵐が吹き荒れる。私という個は災害の前ではあまりに微小過ぎてぶっ飛び、流される。あとは、死を待つしかない。

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