第4章 どの命
スマホが振動した。
僕達は万からの追跡から逃れようと必死に走っている最中なのだが、メールは僕達の都合にかかわらず、受信されるのだと改めて知った。
僕は目的地に向かって走っている。その目的地とは、白い光に包まれてから、一度行ったことがある場所だ。そこで脚を引きずっている羅奈の手当てが出来る。
僕は走りながら両手に持っていたジェラルミンケースを羅奈に渡し左側のポケットからスマホを取り出し画面を確認する。送り主不明からのメールだった。
「ヨロズの受付にあったジェラルミンケースの中身の確認をしてほしい。もし万師定がジェラルミンケースをすり替えていなければ、中にはノートパソコンが入っているはずだ」
読んでいる間も僕達の足は止まらないようにした。メールを削除し、羅奈からジェラルミンケースを受け取った。後方を見ると万の気配がない。
「足を引きずっているけど大丈夫か?」羅奈の走る速度が遅く、僕は後ろを振り返って質問する。羅奈は長い黒髪を左右に揺らしながら、視線を地に落として走っている。息の音が聞こえる。足の怪我だからどこかで休んだ方がいいだろう。
周りを見渡すとバスの待合所の外にある青いベンチがあった。そのバス停の標識には温泉という名前が書かれていることもあり、待合所の周りには旅館やお食事処がある。
羅奈をベンチに座らせ、横に僕が座る。
「大丈夫か、ここで少し休もう」僕は問いかける。羅奈は左足の外ふくらはぎをさする。
ベンチの後ろには背もたれが付いているため体を預けることが出来る。羅奈も重い身体を預けて、顔は少し楽そうに見えた。
このバスの待合所は終始点のため待合所の前にはバスが駐車している。
数分後。僕らはまた走り出した。
バスの停留所から交差路を右に曲がり一方通行の標識が立っている角から左に曲がる。そこには急な坂道があった。坂道の入り口は片方の壁をコンクリートでできており、もう一方は巨木たちで普通自動車が入れないほど狭かった。
怪我をしている羅奈にとっては坂道を上ることは足に負担がかかるが、この道を迂回するとなると時間がかかる。この道は僕が高校から帰宅する際に通る道なのだが、高校での活動の疲れとこの急坂を上る疲れがあって家に着いてからは体力が残っていないのが多々ある。
羅奈はこの急坂を見てため息を吐いた。
「ここを上るの?」羅奈は肩で息をする。
「この道が一番近いと思うけどな。早く手当てした方がいいでしょ?」羅奈に質問する。
「そうだけど」羅奈はそっぽを向く
「ここが踏ん張りどころだからさ」僕は急坂に向かって駆けだした。
羅奈もゆっくりだが歩みを進めた。
坂道には枯葉が落ちていて、僕達が進む度にカサカサと枯葉が潰され音を立てる。
そんな音は気にせず、急坂を上る。
そろそろ急坂の終わりが見えた。
「もうそろそろだよ。あとひと踏ん張りだよ」僕は羅奈に声をかける。
「きつかった…」羅奈は眉を細め、急坂の終わりを見る。
いつもだったら動く車を一、二台は目にするはずだが車を動かせるニンゲンが一人もいない静寂な世界は動く車を見ないのがいつものことになっている。
いつものことが異常になって、異常なことがいつものことになる。この世界。
登りきると、僕の足は白線を踏んでいた。
急坂の終わりの先は車線だった。
ふと右を見やると、まだきれいな外装の建物が視界の中に入った。
「ねえ陽向人。まだ目的地に着かない?」羅奈の声は僕の耳には入らなかった。
「あそこが目的地」僕は建物を指さす。
そう。静寂な世界から初めて人を探し出せた場所。
僕は建物の入り口に向かって疲れた体をもろともとせずに走り出す。
「陽向人、待ってよ」羅奈の声はまたもや僕の耳には入らなかった。
建物の外装がきれいだからと言ってまだ安心はできない。自動ドアが僕達を感知して開いてくれれば、あの子はまだ生きている。建物の中は蛍光灯が点いていないので外からは詳しくは見ることが出来ないが、商品が置かれている棚は整列されていて荒らされている形跡はない。僕が最後に見た様子とは全く変わっていない。
気が付けばガラスのドアの目の前にいた。ここが開いてくれたら安心できる。
まだケモノに襲撃されていないと安心できる。
光に包まれてからこの世界は変貌した。騒がしいと思った音は何一つ生み出されない。建物が砕けてコンクリートの欠片になっていたとしても子供の悲痛な叫びが響かない。家屋が火を纏っていても火を消そうと出動する甲高いサイレンの音は鳴り響かない。電線が切れ火花が出ていたとしても修理するニンゲンなど一人もいない。
静けさがこんなにも気持ち悪いことは想像もしなかった。
「陽向人!」羅奈の声が聞こえた。ふと我に返る。
「疲れた…」羅奈は叫びながら地面に左足を上にして横座りをして、左手で怪我をしている外ふくらはぎをさする。羅奈は頭を垂れ黒い髪が羅奈の白くて美しい顔を隠す。
「どうしたの?」僕は少し早歩きで羅奈に駆け寄る。
遠目からみると、カーキ色のズボンの裾が黒ずんでいるのが見えた。血が流れていてそれがズボンに染みてきたのだろう。
「しょうがないな。少しの間だけおんぶしてやる」
羅奈に背中に乗るように言った。
背中に伝わる人肌の温かさはどこか安心するような優しさがあるように思えた。
「どこに行くの?」羅奈は質問した。
「あそこのコンビニ。あそこで怪我の手当てが出来るよ」僕は返答する。
「あと、会ってほしい人がいる。羅奈に見せたい」実はこのことが本当の目的かも知れない。他にも人がいることを羅奈に伝えたい。アスカが待っている。孤独を感じながらケモノに見つかる恐怖を抱えてあの場所にいる。
自動ドアを通り過ぎ、コンビニの店内を見渡す。やはりなかなか見当たらない。
「わ!」
突然、女の子の大声で驚いた。羅奈も驚いたようで背中に振動が起こったのが分かった。大声を発したのは見当がついた。
「かわいい!この人に会ってほしかったの?」羅奈は僕の肩に顎を乗せ、目の前で立っている背の低い女の子を見つめている。その女の子の腕には白い包帯が巻かれていた。
「ヒムト、この人だれ?」女の子は僕の背中に乗っている羅奈に指をさして問いかける。
「この人は羅奈。僕の友達だよ」僕はそう言いながら女の子のさしている指を引っ込めさせた。人に指をさすことはタブーだからだ。
「ラナ、ラナっていうの?」女の子は羅奈の名前を確認する。
「この子の名前はなんていうの?」羅奈は僕に質問をする。
「アスカ。一人なんだ。家族もいないし出会ったときは腕から血が出ていて泣いて蹲っていた。僕はアスカが少しでも寂しくないように羅奈をここに連れてきたんだ」ここで羅奈をここに連れてきた理由を言った。外の風は穏やかだ。
「よくアスカを見つけられたね」羅奈は僕に目を向ける。
「ちょっとだけ安心したかも。他にも私達みたいな人がいたから」羅奈はアスカを見る。
スマホが振動した。
「キャッ!」アスカは驚いた。
「大丈夫。ケモノはいない。これだから」僕は両手に塞がっているケースを床に置きポケットの中からスマホを取り出す。
「なんだ~それか!びっくりした!」アスカは床に座り込んだ。
スマホの画面に映し出されたのは送り主不明のメールが着信した通知だった。丁度羅奈も背中から見える位置だったらしい。
「次の指令は何だろう?痛い」長い黒髪が頬に触れた。微かに髪の匂いを感じた。
「ケースの中身の確認をしてほしい。ケースには何が入っていたか稔内に連絡してくれ。このメールを読んだら削除してくれ」僕と羅奈は読み終わり、削除した。
ここで僕は羅奈の怪我の手当てをすることにした。床に羅奈を寝そべらせて裾が黒ずんだズボンをたくし上げる。すると生々しい赤黒ずんだ傷が目に入る。
「ラナ、どうしたの?」アスカはふくらはぎの傷を見やった。羅奈は自分の傷を見ないようにそっぽを向いていた。
「アスカ。包帯を持ってきてくれないか?」僕は傷を見つめているアスカに問いかけた。
そのあとは羅奈の傷口に消毒液をかけガーゼを当て、アスカが持ってきてくれた包帯を巻きつけた。滲んだズボンの裾がどんなに羅奈を苦しめたか物語っていた。僕が手当てをしていたら羅奈はヨロズの侵入で疲れたのか眠ってしまった。
「ちょっとケースの中身を確認するから、用があったら奥のレジに来てよ」アスカはその言葉に返事をして、レジを飛び越えた。アスカはその場所が好きなのだろうと勝手に思った。僕は両手に提げた硬いケースを奥のレジの上に置く。
*
「くそ!あのケースだけは奪われたくなかった!」
社長室という札がぶら下がっている木製のドアを開き、机を飛び越えると同時に椅子に座り込む。行儀が悪いが机を飛び越えたほうが時間はかからない。
二人はどこに行ったのだろうか。二つのケースを奪い取った二つの背中が段々と小さくなるのを俺は動かしたいけども動かない身体が震えるのを感じながら見届けるしかなかった。特定が出来ればケースを取り返そう。
「なあ~いるの~?」
突然、木製のドアがバタンと開いた。奥には女がいた。その女は細く長い腕をしていて髪型がポニーテールで、首に黒いチョーカー、服は紫のトップス、青色の半ズボンを身に纏っていた。低身長だ。
「いたぞ!」
女は首を横に向け誰かに話しかけた。長いポニーテールが揺れ動く。ポニーテールを束ねている青色のシュシュのようなものが目に入った。俺はその女がビルに入ってきたことに驚いた。誰者かが入ってきた時には必ずこの小型モニターに映し出されるはずだ。と小型モニターに目をやると黒い画面となっていた。反射して驚いている俺の顔が見えた。いつの間にカメラと切断されたのだろう。
「どうした?なんで私が九階の社長室に辿り着けたのかって思ってるだろう?」
確かに俺は疑問に抱く。昔の警備員にこのビルのセキュリティを強化させたのだ。
そうか。あの時だ。
一度扉のコンピュータシステムが故障したことがきっかけで警備システムが同時に故障したのかもしれない。
「じゃあ、入るよ~」
女は社長室に入ってくる。足元を見ると裸足だ。
「さっき何か大事なものを盗まれていたね~私ずっと見てたよ~しっかりとこの目でね」
女は自分の目を指差した。同時に口角が上がった。
「何の用だ。用がないなら速くこのビルから出ていってもらおう」
俺は机を飛び越え、女の胸ぐらを掴んだ。なんだか腹立たしい。
「なんだ~せっかく取引をしようとここに来たのに…帰ろっかな~」
女は廊下にいる誰かに話しかけた。だがその返答は聞こえてこない。
突然女は俺の腹に回し蹴りをしようとした。その脚を手に掴んだ。
「やるねえ~見極めているね」
女は口角を上げながら目を細める。俺はまだ足を掴んだままだ。
「一体何のようだ?」俺は問いかける。
「あの二人が奪ったものは貴方がとても必要なものでしょう?私は奪い返すための手助けをしてあげる。その代わりに私達の指示で戦ってくれない?」
私達?
「もう入ってきていいよ、カイ」
廊下を見やると男が現れた。いかにも中性的な感じの男だ。こいつがカイなのか。
「私達はあなたのように戦闘には向いていない。だからあなたにお願いをする」
「俺からも頼む」
カイというやつは寡黙な男のような感じがした。カイは俺に少し頭を下げた。女とは違って誠実さが滲み出ている。カイを見て女の脚を離した。
「ねえ~お願いって。オメ…間違えた師定?」
女は何か言いかけたが、特に意味もないだろうと触れないでおいた。
「それともう一つ話があるけど~聞きたい?」
女は屈んで俺の顔を上目遣いして見つめる。
「ここからは俺が話そう。下がって」
カイは一つ俺の方に歩み、女の肩を掴んだ。
「じゃあ私はここで待っとくよ~」
女は軽やかに机を飛び越え、椅子に座り込む。
「ケースを奪い取った二人に違和感はありませんか?」
違和感?俺は特に感じ取ることが出来なかった。
「俺からその違和感を言おう」
なぜこの世界にニンゲンが残っているのか?
カイがそう呟いた。たしかに「この世界にニンゲンが居残っていることがおかしい」ことには気が付かなかった。
俺は目を見開いた。勝手にあいつらが俺と同じ生き物と思い込んでいた。
あいつらが知らないわけがない
あいつらからケースを何としても取り返す。俺のために取り返す。
「ご理解いただけただろうか」
カイは俺を見る。
「ねえ~まだ?話し終わったでしょ~」
女は何を考えているか分からない。
*
僕はヨロズの受付にあったケースを開ける。
ケースに入っていたのはノートパソコンが入っていた。
僕はノートパソコンを取り出しケースを閉じ、その上に置き起動してみる。画面からブルーライトが放出される。
起動した画面に映っていたのは「デス・イレイズ・マインのプレイヤー情報」と書かれたExcelのファイルデータだった。
ファイルデータを開く。
すると、そこにはプレイヤーの名前とプレイヤーが扱うキャラクターの名前が表でまとめられていた。僕の名前と僕が扱っていたキャラクターのコジの名前や羅奈の名前と羅奈が扱っているキャラクターのカジの名前もあった。プレイヤーのキャラクターの名前が書かれている欄の横にある物が記されていた。
「裏技使用回数と裏技経過時間?」
デス・イレイズ・マインでは一時間しかプレイできないのだが、ゲームのコンピュータープログラムの欠陥で一時間以上プレイできてしまう方法が出回っている。これを巷では「裏技」と呼んでいる。このデータによると裏技使用回数とは今まで裏技を使用した回数であり、裏技経過時間とは裏技を利用して不正にプレイした時間を表しているらしい。七割は裏技を使用していないと記されていた。裏技を使用した人は様々いたが、中には裏技使用回数が百二十回、裏技経過時間が三十時間というデータがあった。
一見、万がナイフを出してまで取り返したかった代物には見えない。
「ケースに入っていたものは何だったの?」
後ろから羅奈の声が聞こえた。
「羅奈、起きたの?どうやらデス・イレイズ・マインのゲーム情報とか裏技を使用したプレイヤーの情報が入ったノートパソコン」僕は言った。
「これが送り主不明の人が欲しかったものなのかな?」
たしかにこのケースは命令されて獲ったものだ。どうしてこれが欲しいのか疑問が残る。万もこれを取り返すために別のジェラルミンケースとの取引を行おうとした。
「もう一つのケースには何が入っていたの?」羅奈はレジの上に置かれているもう一つのジェラルミンケースを指差す。取手は白かった。
開けると中に入っていたものに羅奈は興奮した。
「コンティニューブレス!デス・イレイズ・マインのキャラクターの手首に巻かれているやつだよ!すごい!」
羅奈の目は輝いている。羅奈はコンティニューブレスを手に取り白い左手首に巻く。
「これ実物大だよ!おもちゃだけど本物みたい!」羅奈ははしゃぐ。
僕はコンティニューブレスが入っていたジェラルミンケースの中を再度見ると、紙の冊子が入っていることに気が付いた。
「なあ。羅奈。ケースにこれも入っていたみたいだけど…」羅奈に冊子を渡す。
僕は冊子を手に取る。肌触りが良く上質な紙で作られている冊子の表紙はコンティニューブレスのデザイン画が描かれており、デザイン画の上にコンティニューブレス取扱説明書と大きく印刷されている。表紙の右下に小さくローグルシステムとあったが何のシステムかはよく分からなかった。表紙をめくると目次がある。一番下の目次を見ると二十四ページに使用上でのご注意が書かれているとわかった。二十四ページを開くとそのページが最後のページであることが分かった。羅奈を見るとコンティニューブレスをてくびをうごかしながら見ている。羅奈はデス・イレイズ・マインをプレイしてから
使用上でのご注意といえども手首にきつく巻きすぎると手の壊死の原因となりますだとか、振り回すと不慮の事故が起こるため身の回りを確認して下さいだとか、幼い子どもに与える場合は保護者がちゃんと見守っておくようにだとか、おもちゃの説明書とほとんど同じことが書かれている。
僕はまた目次のページを開く。使用方法が四ページに書かれていると分かったので四ページを開く。コンティニューブレスを使用する手順が書かれていた。
コンティニューブレスを左手首に巻き付ける」
羅奈はこの手順を終えているため次の手順へと目をやる。
「二、DEATH ERASE MINEで操作していたキャラクターに左拳を向け、画面の右上にあるスイッチを押し、目を瞑る」
違和感を抱いた。おもちゃならば「画面に映っているキャラクターに左拳を向け」と書くだろう。だが「DEATH ERASE MINEで操作していたキャラクターに左拳を向け」と書かれている。理解が及ばない。「操作しているキャラクターに」ならまだしも「操作していた」と文型が過去形となっている。
羅奈は僕が開いている冊子のページを見る。羅奈は冊子の上に頭を動かし僕の視野の中は羅奈の後頭部だけになった。冊子が見えない。
「見えないって羅奈。どいてよ」僕は羅奈の頭を掌で押し出す。
「力が強いって。暗くて見えないもん」
羅奈が退いてくれないのでノートパソコンを操作する。そうするとパスワードがかかっているファイルデータを見つけ出せた。
このファイルには何が記録されているのだろう?
「これってなに?」
本棚の方からアスカの声が聞こえてきた。
「私、見てくるよ」
羅奈はふくらはぎを擦りながら歩んでいった。
「まだ、痛むの?」僕は気にして質問する。
「うん、ちょっとね。でも心配しなくていいから」
羅奈は振り返って僕に言った。少し胸がざわめいている。
「アスカちゃん、何を見てるの?」
僕もアスカが何を見ているか気になったので少し覗いてみた。アスカは本のラックの前で両膝を横に曲げて座り込み、絵本の表紙を凝視している。目が輝いて見えた。
「これはね絵本っていうんだよ」
コンビニの本棚に絵本があることは稀に見るがこの周辺には子連れの家族が多く住んでいる。今は人すら見かけないのは何度でも言っている。
「私が読み聞かせしてあげようか?」羅奈はアスカに問いかけながらアスカと同じ様な恰好で横に座り絵本の表紙を見ている。
「ヨミキカセ?なにそれ?」
アスカは読み聞かせを知らないのか。
僕は稔内にメールでケースの中身の内容を送ろうと画面に映し出す文字を押しながら文章を作り上げる。
「白い取手のジェラルミンケースには再生機器、もう一つのジェラルミンケースにはデス・イレイズ・マインのプレイヤー情報のデータが入ったノートパソコン」
緑色の丸い送信マークに指紋を合わせた。
先ほどの送り主不明からのメールの内容を思い出す。
「ケースの中身の確認をしてほしい。ケースには何が入っていたか稔内に連絡してくれ。このメールを読んだら削除してくれ」一見、普通の指令メールに思い込むが、一つ疑問が生じた。「送り主不明が稔内峡と繋がっているのではないか」ヨロズのビルでは指令は主に送り主不明がしていたのだが、稔内峡が指令したのは僕が社長室で閉じ込められた時だけだ。それなのに今となっては稔内峡が主に指令をしている。
送り主不明と稔内峡の関係。
この携帯は僕が白い光に包まれてから肌身離さず持っているが、連絡先は送り主不明と稔内峡しかいない。この時点で何かしらの関係を持っていると推測できたかもしれない。
「それじゃあ読むよ」
羅奈の読み聞かせが始まったようだ。
アスカは楽しげに羅奈が読み上げる物語を聞いている。読み聞かせを始まったときは上半身を左右に揺らしながら聞いていたが、羅奈の読み聞かせが上手いのか途中から上半身を一切揺らさずに目だけを絵本に集中させて話を聞いていた。
羅奈はアスカに笑顔を向けつつ絵本を読み進めていった。登場人物のセリフを読む際に声の高さやトーンなどを微妙に変えて話していた。関係ないかもしれないが羅奈は昔の頃から読書が好きだったからか音読が巧かった。
僕はそんな二人をちらりと見てはコンティニューブレスの説明書を読み進めていた。
羅奈の読み聞かせが終わったと同時に説明書を読み終わった。細かくは見ていないが使用方法や注意点を改めて見た。あの操作方法以外は謎に感じた箇所は見当たらなかった。
自動ドアが開いた。二枚のガラスが左右に開いた。
「アスカはおるか?」
そこには腰が曲がった白いマントを纏ったおじいさんが現れた。おじいさんは木の杖を突きながらコンビニに入ってきた。
「あ、セニオルさん!」
羅奈はおじいさんを見るとそう呼びかけた。そういえばセニオルというお年寄りに会った話を聞いた。それがこのおじいさんなのか。
「お、羅奈がここにおるのか!これは奇遇じゃな」
セニオルはアスカと羅奈を交互に見合わせた。
「まさか、アスカとラナは知り合いじゃったのか⁉」
「そんなわけないですよ。今日初めて会いましたから」羅奈は目を見開いているセニオルに答える。その間アスカは羅奈の身体に小さな腕をぴったり密着させている。
「それにしてもアスカがこんなに懐くことはないんじゃないか?わしもびっくりじゃ」
僕はすっかりと会話の輪から除外されている。僕のスマホをレジの上に置く。
「あの、僕もいるんですけど」
三人に声を掛ける。
「何?陽向人。会話の輪に入れてなくて寂しいと思った?」
羅奈は僕の図星をつく。
「紹介するね。前に話していたセニオルさん」羅奈はセニオルに目を配らせながら話してくれた。一軒家が炎に包まれていたのを杖の一突き、しかも一瞬でというすごいおじいちゃんだと聞いている。
「セニオルさん、僕は伊乃…」
「おまえさん、どこかで会ったことがあったか?」
僕が自己紹介をし終える前にセニオルが発言した。その言葉に疑いを持った。セニオルを見たのはここが初めてだ。
「わしの記憶違いじゃったか。名前をいっとる前に話してしもうてすまん。もう一度名前を聞かせてくれんか」セニオルは少し頭を下げ、杖を持つ手とは逆の手を顔の前に持ってきて謝罪するポーズをとった。
「いいですよ。伊野陽向人です。ヒムトと呼んでください」僕も少しセニオルに向け頭を下げた。
「ヒムトは今、何が起きておるかわかっとるのか」
この質問は前にも万師定から受けた。万への返答は肯定の内容だが、セニオルへの返答はどちらが最適なのだろうか。
僕は今起きている状況については半分知っていて半分は知らない。否定でも肯定でもどちらでも言い難い。
「陽向人は何か知ってるの?」
羅奈は言葉を放った。僕が知っていると言えば何が起きているのか聞いてくるだろう。僕は出来るだけ今起きていることを羅奈にはあまり伝えたくない。
「知らんかったら、それでもいいんじゃが」
セニオルが助言をしてくれた。僕はその助け舟に乗ることにした。
「知らない」
これで難を逃れられたかもしれない。
「わしにはラナとアスカ、それとヒムトに伝えなければならないことがあるんじゃ」
僕は固唾をのんだ。セニオルは僕が隠しておきたかったことを言うかもしれない。それだけはやめて欲しい。もしそのことだったらどうやって口止めをしようか。
「わしには尋ね人がおる。その尋ね人を見つけ出すためには長い距離を移動しなければならないかもしれない。ラナに一度話したことじゃがまた旅に出る決意を持ったのじゃ。だからラナやヒムトにもし尋ね人がおるならば一緒に旅に出ようではないか。当然アスカは子どもじゃから長い距離を歩かせるにはいかない。このまま建物にお留守番をしてわしが帰ってくるのを待っててほしい」
口止めをする必要はなかった。むしろ耳をよく傾けなければならなかった話だ。セニオルは一度、自身を落ち着かせるために一息ついた。
「わしが旅に出るのは明日、日が出るころにはわしが旅立っていることだろう。それまでわしはアスカと共にこの建物の中にいる。一緒に旅に出たいならばわしに話してくれ」
セニオルはアスカの顔を見ながら涙目になりながら話し続けた。
「アスカ、わしを待っておくんじゃよ?」
セニオルの瞳から一粒の雨が目尻の皴を伝わり、頬を這いながら流れ落ちた。
「セニオル、セニオル!」
アスカは背中が折れ曲がったセニオルに走りながら抱き着いた。セニオルはその反動で倒れかかったが杖を突きなおすと踏ん張ることが出来た。
羅奈を見やると瞳を潤わせていた。
その時、僕のスマホが振動した。
「なに?いいところだったのに」
アスカとセニオルとの雰囲気がぶち壊しになり、羅奈は頬を膨らませた。羅奈の瞳の潤いも引いているような気がした。
「ごめん、メールかもしれないから見てみるよ」
僕はレジに置いたスマホを取りに行く。スマホを手に取り起動するとそこには送り主不明からメールが届いていた。
「お前に探してほしい人がいる。陽向人は忘れているかもしれない。これは羅奈に見せるな」
僕は下にスクロールした。するとそこには名前が書かれていた。僕はその名前を見た途端に目を見開いた。
「どんな内容だった?」
羅奈が僕に質問をした。目を見開いたのを見られたかもしれない。僕はその名前に聞き覚えがあったからだ。
「稔内峡」
*
私達は尋ね人の名前を聞いて驚いた。稔内峡は知らない名前ではない。
「稔内峡の特徴とか送られてきてないの?」
既知の名前ではあるが、容姿や特徴などその他の情報は全くない。会ったこともないはずだ。陽向人と私の会話を一言も喋らずに聞いているセニオルとアスカちゃんは何が繰り広げられているか分からずに立ち尽くしている。
「稔内峡の特徴も何も送られてきていない。どんな特徴か聞こう」
陽向人はスマホを右手で持ちながら親指で文字を打ち込んでいく。
「ラナ、一つ聞いていいか?ヒムトは何をしているのじゃろうか?」セニオルは陽向人をじっと見ている。何が首を傾げる原因となっているのだろうか。
「すまーとふぉんは絵を一瞬で描けるものではないのか?なのにヒムトはすまーとふぉんを下に向けて指を動かしておる」
二回目に会った時にスマホについて話していたが、セニオルはスマホを写真が撮れる機械だと認識していたようだ。確かに私の説明だけではカメラの機能しか喋っていない。
「スマートフォンは写真が撮れるだけじゃなくてメールも出来るんですよ」私はスマホをポケットから取り出しメールのアプリを開く。
「めーる?メールとは何じゃ?」セニオルはメールも知らないのか。
「メールは簡単に言えば手紙みたいなものですね。この機械さえあればすぐに伝えたいことが伝えられるんですよ」この説明でスマートフォンのことは分かってくれる。
「テガミか。何のことかさっぱりわからん」
セニオルは諦めたのかアスカに目線を向けて会話をする。
「返ってきたよ」陽向人の声がレジの方からしてきた。
「ケースの中身に特徴のヒントがあるかもしれないだって」
「それってノートパソコンのこと?」
「そうかもしれないね。探ってみるよ」
陽向人はレジ台にスマホを置いてパソコンを開く。するとまたセニオルから質問の声が出てきた。
「あれは何じゃ?折畳んでいたようじゃが、カチャカチャ煩いのう」
これはセニオルがパソコンを知らない表れなのだろうか。
「あれはパソコンって名前で色々出来るんですよ」
「ほえー。この世界には奇怪なものが増えたんじゃのー」
セニオルはまたアスカとの会話を続けた。
少し時間が経ってから陽向人の声がした。陽向人がこちらに来る足音が聞こえてくる。
「このパソコンにはゲームのプレイヤーのデータしか入っていないことが分かった」
陽向人は液晶画面を私に向ける。
「送り主不明からの返信が正しいなら、稔内峡はデス・イレイズ・マインのプレイヤーだった事になる。プレイヤーの名前を五十音順にして、さ行を見ていくと…」
画面からは稔内峡の名前が映し出された。私達は稔内峡が扱うキャラクターが書かれている欄に視線を横にする。私達は寒気が止まらなかった。
その欄には一切の文字が書かれていなかった。
「裏技使用回数も裏技経過時間も、扱うキャラクターまでも空欄だ」
陽向人の言葉を聞いてさらに視線を横にすると裏技使用回数も裏技経過時間も空欄だ。私や陽向人は扱うキャラクターもちゃんと記載されていた。私達は裏技を使用していないため、ゼロの数字が隣に書かれていたが稔内峡はそれすらも書かれていない。
「稔内峡の特徴のヒントすらも空欄だ。名前以外何のヒントも無い」
陽向人が画面を睨みながら言葉を発する。これは万師定が消去したものなのだろうか。真実は定かではないが、そうとしか考えられなかった。
「名前しか知らない人を探す方法か…」
陽向人が呟く。しかし私は何回頭を捻っても同じ考えしか浮かばなかった。
「出会った人達に稔内峡を知っているか聞くしかないのかな?」
陽向人は渋々、浮かない顔で頷く。
二人の中でため息をつく音がした。あまりにも無茶であることが分かっているからだ。稔内峡の特徴のヒントを私達だけで探る必要がある。
「ヒントがないから、僕達に指令をしているのかな」陽向人は薄暗い天井を見上げながらゆっくりと息を吐き出す。二度三度、瞬きをしてパソコンの画面を見返す。
「他に空欄がある人を探してみよう。稔内峡と共通点がある人物かもしれない」
陽向人はキーボードの下らへんを人差し指でなでる。画面を見るとカーソルが動いている。そして画面が上や下にスクロールされる。空欄が無いか私も出来る限り目を動かしたがスクロールする時間が速すぎて途中から画面を見ることをやめにした。
相変わらずセニオルとアスカは会話に勤しんでいる。アスカは笑顔にしているがセニオルは口角だけが笑っていた。
「明日にはわしはここに顔を見せに来ることはないかもしれん」
「いつか帰ってくるんでしょ?わたし、待ってるから」
アスカはとびきりの笑顔をセニオルに見せつけたが、セニオルはそっぽを向いている。
「あった」陽向人は私の肩を二回叩いた。
「さとうひとし。この人は裏技使用回数と裏技経過時間が空欄だけど稔内峡とは違って扱うキャラクターはちゃんと表示されてる。ほら」陽向人が指差している箇所を見ると確かに陽向人の言葉通りだった。ちゃんと扱うキャラクターには「オノム」と書かれている。
さとうひとしの漢字表記を見てみる。
「佐藤一師」この漢字は見覚えがあり、更に聞き馴染みがある。
「これって私達の体育の先生の名前じゃない?絶対そうだよ!」
この人は名前を知っているし、顔を見たことがある。挨拶も何度か交わしている。名前しか知らない人物とはれっきとした違いだ。佐藤一師先生なら見つけ出すことは可能だ。
「もう帰ろう。明日に向けて家でゆっくりと休もう」陽向人はノートパソコンを閉じ、脇に挟んでケースへと仕舞う。
「羅奈の足の怪我が早く治らないと、長旅になったときには治りがひどくなるからな。ほら捕まって」陽向人は肩を寄せた。足の怪我はもう大したことはないがまだ治りかけだ。痛みがぶり返すかもしれない。私は陽向人の肩を掴み、体重を預けた。
「じゃあな。ラナ、ヒムト。明日の日が出るころに出発するから、ここで待っておく」
「わかりました。アスカちゃんに別れの言葉を言ってあげてくださいね」私はこれから会えなくなるアスカちゃんに別れを伝えていなかったが、アスカちゃんは瞼を閉じて眠りの淵へと入っている。右腕に巻かれた包帯に左手を置いて寝ている。
「あぁ、伝えておく」セニオルはしわだらけの手をアスカちゃんのショートボブの赤毛越しに頭をなでる。この子はこれから一人になってしまうのはとても辛いことだけど、そうするしかない。
私達はコンビニの自動ドアを出た。陽向人の家とは反対の方向へと足を運ぶ。
「家に帰ったらバリアセキュリティを再起動しておいてね」
陽向人の左腕にはパソコンが入ったケースが抱え込まれている。
「あとコンティニューブレスをいつまで着けてるんだよ?外したらどうだ?コンティニューブレスが地味に当たって痛いんだけど」私は左手首を見やる。
「ごめん。すっかり忘れてた。今から外すね」
陽向人は立ち止まった。私は怪我している左足に負担をかけないように、右半身に重心をかけてコンティニューブレスのベルト部分に手をかけた。金具に力をかけた。
「あれ、外せない?」
外そうとしても金具は言うことを聞いてくれない。
「そんなー。ちょっと貸して」陽向人は私の左腕を引っ張った。
「痛いって!」ベルトを手首から抜こうとしても私の皮膚に痛みを感じさせるだけだった。こんなに力を込めても抜けない。外せない。
「羅奈が強く巻き付けたから、外せなくなったんじゃない?家に帰って外してきてよ」
陽向人の考えた理由に納得がいった。好きなゲームに出てくる道具に興奮してしまってきつく巻いたのだと考えた。
数分すると私の家が見えてきた。
「ここまででいいよ。後は私一人で歩いていく」私は陽向人に預けていた体重を戻そうとした。でも私の反対の方にぬくもりを感じた。
「少しでも早く足を治してほしいから、玄関まで送っていくよ」陽向人の言葉に甘えて、家の前まで陽向人に身を預けることにした。
私は家に帰りついた。「真海」と書かれた表札を掛けている玄関先まで陽向人は送ってくれた。
「ありがとう!今日は早く休んでね」私は陽向人に向かって感謝の意を込めながら手を振る。陽向人はそれに手を振り返してくれた。しかも笑顔の特典付きだ。
私が靴を脱ぎ、リビングへ上がると外出する前の風景が広がっていた。まだ電気を付いていないので、扉付近にあるスイッチをオンにする。ソファには薄い布団が膨らんで置いてあった。布団を床に移動させてソファに座り込む。私の身体に柔らかい温かさが包む。
セキュリティバリアを再起動させておかなくてはいけないことを思い出した。一度手順をおって起動しておいたので使い方は把握している。
「この使い道、未だに理解できていないなー」
私は機械が疎いため、何がどうなってセキュリティバリアしているか、ちんぷんかんぷんだ。陽向人は原理を分かっているのだろう。いつかセキュリティバリアの仕組みについて教えてもらいたいと思った。
再起動方法は起動するときと違い、機械に繋がれているチューブの先からヘルメットのようなものを頭に取り付ける。それを被りながら目の前にあるつまみを上げる。数分待つと機械からアラームが鳴ってヘルメットを外す。ただそのバリアセキュリティの機械は重量があって、キャスターもないので部屋から持ち出せない。そしてその機械が置いてある場所が壊れた機械が散らかっている私の部屋で、いるだけでも気味が悪くなってしまう。出来るだけここに居たくない。
アラームが鳴った。ヘルメットを取り外し、スマホを手に取る。スマホの画面には充電残量が六パーセントを示す警告メッセージが表示されていた。私はリビングに戻り充電器をコンセントの穴に二股の金属を入れる。私はスマホが充電開始を告げるバイブレーションを掌で感じ取った。私は充電をしながら木目の床に座り込んだ。
メールの通知を確認した。稔内峡からのメールが一件。そして送り主不明からのメールは二桁を超える件数が来ていた。もうとっくに終わった指令ばかりだったが「稔内峡を探してくれ」の指令が私には来ていなかった。
私はスマホの電源を落とし壁際に寄せる。気だるい身体をソファに預ける。外は非常に寒いため手足が悴んでいる。両手の指をもう一方の指で揉み解す。適度に温まってきたので足を折りたたむ。左ふくらはぎに痛みを感じながら白色の靴下越しに足先に血液が通るようくるぶしから先を手で温める。
それでもちっとも温かくならないので頭から布団を被る。布団の重みを首で支えながら布団の端を両手でしっかりと握り込む。
窓の隙間から風が吹き込む。寒気を感じると身を縮こませて寒さを凌いだ。
私は冬が大嫌いだ。寒すぎる。陽向人がどんな皮膚感覚を持っているのか。
瞼がだんだんと閉じているのを目で確認できた。
眠気がピークに達してきた。
私は眠りの淵へと追いやられた。
*
俺はカイからの取引に乗ることにした。
「じゃあ、このケースはもらって行くね~」女は取っ手が黒いジェラルミンケースを片手にこの場を去ろうとした。俺は咄嗟に女の方に手を置き、歩くのをやめさせた。
「そのケースはお前たちにはやらない。返してもらおうか」
そのケースはあの二人が持って行ったケースを取引するために提示し奪われていないほうのケースだ。そのケースをカイたちに取られたら俺には利益が生まれない。
「このケースの中に何が入ってる~?」女は重いケースを軽々と空中に放り投げた。ケースは縦横に回転しながら舞っている。俺は掌を大きく広げながら跳躍する。
「何をしてる?中身が壊れたらどうするんだ?」俺は宙でケースの角を掴み、動きを止める。着地して中身が大きく揺れ動いたのが手の平で感じ取られた。
「私は何もしてないよ?なんで怒っている顔してるの?」
女は口角を上げながら俺に、はにかむ。俺は女の言動に腹を立てたので肩を掴む。自然に腕の筋肉を強張らせる。
「そんなに大切なものが入ってるんだ~どんなものか見せてほしいな~」
女の顔は一切痛みを感じさせない笑みを浮かべている。女は赤い瞳を俺に見せつける。さっきまでは黒く濡れた眼差しだった。こうして見ると不気味に見える。
「あなた、私と一緒ね」女は簡単に俺の腕を突っ撥ね歩みを始める。
何が女と俺の共通点なのだろうか。
*
私は寒気を感じて瞼を開ける。意識が戻ってくるにつれて寒気が押し寄せてくる。
「そうだ。ゲームしよ」
私は夏の暑い日、白い光に包まれてから何かと疲れていた。明日からも旅に出ると言われ、私は首を横に振ることは出来なかった。疲れた体を休憩させたいのは山々だが見慣れた景色が失われた世界を直したい思いが募ってばかりいる。
私は少しの力でも何かの役に立ちたい。そう思った。でも実際何にもできていなくて、自己嫌悪を抱くこともあった。
私はゲームをする理由はそれだ。成功すれば嬉しいのは言わずもがな、失敗すれば悲しくなる。ゲームでの達成感を味わいたくてデス・イレイズ・マインをプレイする。
私はパソコンがどこにあったか思い出してみる。最後にプレイしたのは夏の日だった。私はどこでプレイしていたか……そうだ。私の部屋だ。私はため息をついた。またあの部屋に行かなくてはいけないのか。でもデス・イレイズ・マインをしたい願望はあの部屋への嫌悪より勝っていた。私はパソコンがある部屋に駆けていった。
窓からは薄暗い月光が差している。この家はまだ電気が通っている。部屋が見えてきた。ドアを開くレバーを捻り中に入る。今まで使っていたパソコンを探す。壊れている機械たちを退けながら私は薄暗い部屋の中でデス・イレイズ・マインをやるために手を動かす。度々線が切れた機械が火花を散らすことがあったが気にも留めなかった。
あった。
私はパソコンに電源をつける。黒くなっていた画面に光がともる。デスクトップ画面になるとデス・イレイズ・マインにマウスを合わせダブルクリックする。
画面はいつも通り起動してスタートして左下にカウントダウンするアナログ時計が映し出され、画面の中央には緑の髪色をしたカジが映し出される。はずだった。
デス・イレイズ・マインを開いた途端、黒い画面で全く動かなくなった。マウスを動かしてもキーボードを押しても何一つ進展がない。
パソコンの調子がおかしいのだろうか。温かい布団とソファーがあるリビングへと足を運ぶ。月光は少し弱かった。
いつか楽しいデス・イレイズ・マインが出来たらいいなと願っている。少なくとも送り主不明からの命令が遂行できて家に帰れたら目一杯遊びたい。一日一時間しかできないけど。私はまだ外れない左手首に巻かれているコンティニューブレスに目をやる。
なんで外れないんだろう?
布団にくるまると、左足に痛みを感じた。コンビニにいた時よりは痛みが引いてきたが痛く感じる。もう一度眠りへと落ちる。
夢を見た。
私は両手に銃を持っていた。一心不乱に銃口の先にある黒い何かに銃弾を撃ち込んでいる。黒い何かは必死に足掻こうと襲い掛かってくるが体を軽々と翻し攻撃を避ける。
誰かは分からないが小さな泣き声が耳にしっかり聞こえていた。辺りを見渡すと瓦礫が散乱していた。足場が悪くても平地のように軽々動いている。
左手首を見るとコンティニューブレスが外れていなかった。しかし見慣れていない光をコンティニューブレスが放っていた。左足を見ると傷口ひとつ何も目立った外傷がなかった。私の身体ではないように脚が綺麗だった。
私ではない風貌に少しむず痒いような感触があった。脚が露わになっていて風が余計に強く感じてしまっている。
そこで夢は覚めた。
この夢を見て夢心地は無かった。窓から太陽の光が目覚まし時計のように差していた。
*
僕はまだ日が出ていない頃に家を出た。稔内峡とセニオルの尋ね人を探し出せれば旅が終わるが、もし探し出せない場合も備えて僕の背中には多くの食料とラジオ、五百ミリリットルのペットボトルの水を何本か詰め込んである大容量のリュックサックと
がある。僕の右手にはデス・イレイズ・マインのプレイヤー情報を見ることが出来るパソコン、コンティニューブレスの説明書、送り主不明と稔内峡のメールが送られてくるスマートフォン、それを充電するためのモバイルバッテリー二つを入れたキャリーバッグが提げられている。
準備は万端だ。何も怖いことはない。
僕はセニオル、アスカがいるコンビニへと向かっている。段々と日の出が迫っているため薄明るくなっていく。息を吐くたびに白い靄のようなものが口先で作られていた。
突然、地鳴りがした。
音は遠くから聞こえてきた。ケモノが暴れ出したかもしれない。
最初にケモノを目にしたときは身の毛がよだつほど奇妙に感じた。ケモノは僕を喰らおうと大きな口を開け襲い掛かってくる。同じようなケモノはパソコンの画面の奥で見てきたのにいざ目の当たりにすると恐怖を覚える。
*
突然、地鳴りがした。
音はかなり近くだ。私は旅へ出る準備をしていた。陽向人に連絡するとたくさんの食料を持って行くらしい。陽向人に合わせ必要なものを揃えていたのだが身の危険を感じた。
巨大な足音が聞こえてくる。足音が聞こえてくるたびに鼓動は速くなってきているのを感じた。自然と呼吸も速くなり心臓が苦しい。
何かが崩れる音がした。
リビングのカーテンを開くと隣の家が壊され瓦礫の山へと成り果てていた。
私の家が震えている。壁や天井にひびが入っていく。しまいにはリビングの大きな窓ガラスが割れている。
私は咄嗟に逃げようと準備した荷物を手に玄関へと足を向ける。
大きな音が天井から聞こえてきた。
上を見ると青い空が澄み渡っていた。天井がない。中央には黒い牙と舌があった。
獣だ。
私を襲い掛かろうとしている。
周りには天井の破片が散乱していた。私は窓へと走った。左手に荷物を持ってコンビニへと駆ける。もうこの家には戻れない。
【ブフォォォォォ――――】
獣は私の住んでいた大切な真海家を踏み散らし瓦礫の山へと変化させた。
走ったまま後ろを見やると獣が私を追いかけている。獣はイノシシみたいな形をしている。最後にデス・イレイズ・マインで討伐したケモノと同じような容姿をしている。左足に痛みを抱えながら足を動かす。
*
羅奈にメールを送ったのだが返信が来ない。僕はもうコンビニに着いていることを伝えて十分は経つ。
「ラナちゃん、いつ来てくれるの?早く会いたい!」アスカは自動ドアの前で外を見ながら体育座りで羅奈が来るのを待ち惚けている。
「アスカにはとても悪いことをしてしまうことになるんじゃが、ケモノに襲われてしまう危険もある。わしもアスカを一人にさせたくない」セニオルはアスカの揺れ動く小さな背中を見ながらつぶやく。
「セニオルさんの探している人ってなにか手掛かりはありますか?」僕もアスカの背中を見ながらセニオルに訊く。
「手掛かりを探すために旅を出るんじゃ。殆ど手掛かりはない。ヒムトもそうじゃろ」
そうだったのか。ゼロからのスタートになる。
僕達は羅奈が来るのを待ち続けた。羅奈が遅刻をすることはざらにある。今回も例外ではないだろう。危険である旅の幕開けだ。
*
どこか小道に入って獣の追跡を逃れるしかない。ケモノは約三メートルあり幅もある。私が細道を通れば獣は通れなくなる。
何か力があれば獣に抵抗が出来るのだが、私は獣から逃れることしか出来ない。
辺りはずっと住宅街だった。家との隙間に逃げようとしたのだが獣は家の天井を粉砕するほどの巨大な体型をしている。
そうだ。コンビニへの急坂の入り口は普通自動車でも入るのに手間がかかるほど狭かった。あの巨体なら突っかかって私を追跡できないはずだ。
私がいる地点から急坂まで走って五分。歩けば十分で着くはずだ。
スマホが振動した。
このタイミングでメールが来るのは陽向人に違いない。時間はもう過ぎているはずだ。返信したいのは山々だが命を優先した方がいい。
スマホから電話の着信音が鳴り響いた。仕方ない。電話ぐらいだったら今の現状を伝えられるはずだ。文字を打つ余裕な時間は私には無い。ポケットからスマホを取り出し緑色の通話ボタンを悴んだ親指で押す。
「今どこにいるんだ?」陽向人は変わらない低いトーンで話しかけてくる。
「私いま、獣に襲われてるの!すぐにそっち向かうからそれまでになんとか獣を対処するからさ!少し待っててよ!」
「本当⁉どこにいるんだよ?」
「私の家から近いとこ!家が壊されたの!」
「そうか!ケモノはどんな形?」
「イノシシみたい!」
後ろを振り返ると家から出たよりも距離が近くなっている。このまま走っていると追いつかれそうだ。
「イノシシだったら直進すると止まれない。ケモノはどれくらいの大きさ?」
「大体、三メートルぐらい?」
「なら、近づかれそうになったら横に躱すんだ!」
そうか。デス・イレイズ・マインでもイノシシ型のケモノ討伐した際に何度も躱した。
私は再度後ろへ振り返るととても近くにいた。獣の足踏みが私の脚から震えあがってくるほど近い。獣の鼻息が聞こえる。
「躱すしかない!」
ちょうど丁字路に差し掛かった。右と左に道が続いている。前には白いガードレールがありその先に川がある。決して澄んでいるとは言えない川だった。川岸はコンクリートの階段状になっていて、ちらほらコンクリートのヒビから雑草が生えている。
「獣は直進しか出来ないって考えるとガードレールを突き飛ばして獣は川へと身を投げ出す!逃れることが出来る!」
「決して無理するなよ!」
スマホから通話が切れた電子音がした。スマホをポケットに入れる。
自然と荷物を持った手に力が入る。私の感じた振動は心臓からか、獣の足踏みか分からなくなっていた。胸が押し寄せる。
丁字路の分岐点へと走る。やがて分岐点に行った。
私は左に足先を向ける。
目の横に黒い塊が見える。
そのあと、右側から水しぶきを上げる音が聞こえた。
私のロングヘアーが水滴で濡れているのが分かった。
【ブホォォォォォォぉ―――――】
耳にとても響いた獣の鳴き声が不快に感じた。
すると他方から小さな地響きが鳴り響いた。
私が見たものはとても驚愕させるものだった。
*
僕は冷や汗と鳥肌が収まらなくなっていた。もしこの世に羅奈がいなくなってしまったら僕は怖くなってしまう。虚無感しか感じられなくなる。脱力感が体に纏わりつく。
「ヒムト!どうしたんじゃ?冬にそんな汗をかくなんて…」
「あぁ。セニオルさんごめんなさい。羅奈がケモノに襲われているって。だから旅に出るのはもう少しだけ待って欲しい」ふとセニオルに声を掛けられて我に返る。
「またか。ラナには生きていてほしいもんじゃがな」
「また?セニオルさんは何かケモノに関して知っているんですか?」
「わしはケモノについていろんなことを知っている」
僕は様々なことについて知りたい。だが羅奈の安否が気になる。
「ラナは絶対にここに来るんじゃな?」
僕は絶対に羅奈がここに来ると信じる。羅奈はまだこんなところで死ぬようなニンゲンじゃない。
「絶対きます。百パーセントきます」
「そうじゃろ。あの子は会った時から何かが違うと分かっていた」
突然、地響きが足から伝わった。
「なんじゃ⁉これはケモノか?」セニオルは細い目を見開いた。じっと聞いていると足音がずっと聞こえる。沢山のケモノがいるのだろうか。
「あ!おねえちゃんだ!」
アスカが能天気な声でコンビニの店内を響かせた。
アスカの後ろ姿を見ると外を小さな手の人さし指で差している。店内が暗いせいか赤い髪色のショートカットが赤黒く見えた。アホ毛もなぜか元気がなさそうに見えた。
僕はアスカの指差す方へと目を向けた。
僕は目を見開いた。こうやって現実を目の当たりにすると、しどろもどろになる。
「おお!あんたがこの周辺にいたのか!」
セニオルは杖を突きながら外へと歩みを進める。
*
「なあ。そろそろカイが自己紹介したんだからお前もしろよ」
この女はカイに何もかも押し付けて事を進めようとしている。この女は名前すら教えてくれない。流石に「この女」と呼ぶのに飽きてきた。俺は後ろから呼びかける。
「なあに?私の名前が知りたいってぇ?そんなに私の名前を呼びたいって思ってるの?」
「いや。名前を呼びたいわけじゃない。取引するにはお前たちのことを知る権利があるだろう?」カイに視線を向けると俺と目があった。カイはすぐに目を逸らした。
「やっぱり私の目に狂いはなかったわ。なんだか嬉しい」
女は振り返り、俺の右肩を撫でる。
「俺が訊いているのは名前だ」俺は女の手を払い除ける。
「ふふ。教えてあげなぁい」女は俺の後ろを通り反対の肩を撫でる。
「なあ。ケモノが動き出したようだ。多数のケモノだ」カイが俺の方を振り返って女と目を合わせる。
「足音が聞こえたのね。あなたはどうする?」
少なくとも俺の耳には足音が聞こえなかった。カイは本当に聞こえたのだろうか。女は俺の背中をそっと撫でてくる。少しむず痒い。
「あなた、カイの言うことを信じられないような顔しているわね。私のカイは嘘を言わないわよ。耳に狂いはない」
「そうなのか。聴覚が一般の人より少し発達しているだけか」俺はカイを見やると耳をそばだてていた。
「なあ。本当に名前を俺に教えてくれないのか。女はそれでいいのか」
「ふふ。私のことを【女】って呼ばれるのは好きじゃないなぁ。それなら名前で呼ばれたいけどぉ、本当の名前はまだ教えてあげられないの。あなたって勘が鋭いじゃない?万が一、私とカイの関係が名前で分かっちゃうかもしれないし、でも私は乱暴な呼び名で呼ばれたくないのぉ。私は今、名前で呼ばれたい欲求と教えてはいけない理性が頭の中で戦っている」
早く教えてくれ。回りくどい。
「じゃあ、あなたには嘘の名前を教えてあげるわ。【ミユ】この名前を私の名前にしといてくれるかなぁ?」
「お前の名前はミユなんだな?」
「私、【お前】って呼ばれるのも嫌いなの。今回は許すからこれからはミユって呼んでほしい」
「あ。ケモノ以外の足音が聞こえる。この歩調はニンゲンのような感じがする」
カイが発した言葉はとても驚く内容だった。一体カイはどんな聴力を持っているのだろうか。まるで能力者みたいだ。
「ミユ、師定、面白いことになるかもよ?」
カイとミユは駆けだしていった。俺もそれについていく。
よく見たらカイは革の靴を履いている。なぜミユは裸足で歩いているのだろう。疑問を抱きながら俺たちは階段を駆け下りた。
玄関の自動ドアが開きっぱなしだ。先ほどの電気系統が故障したのか。玄関の外に見えたのは変わらない風景だった。
外に出てみても何一つ変化ない。
「こっちだ」カイはそう呟くと右へと走っていった。
*
「何だか騒がしいな」
カメラの画面から黒い影がぞろぞろと沸き上がっているのが見えた。他の画面を見てみると、デス・イレイズ・マインの会社から出てきた髪が長いニンゲンが走っていた。髪が少々濡れている。どうやらケモノに追われているらしい。
「イノシシのケモノが出てきたのか?」
俺はそう呟く。あいにく男はどこか出かけている。
また別の画面を見ると三人が走っているのが見えた。一瞬だったため顔が見えなかったが、二人の姿は見覚えがある。二人が元気にやっていると安心する。
他の画面を見ても同じ箇所を映し出している。
*
イノシシのケモノの叫びが仲間達を呼び寄せたことを私には理解が出来なかった。
私は一瞬水飛沫を被って一度立ち止まってしまった。寒さに耐えながら凍える身体を感じた。私の耳にケモノの叫びが響いた。そしてすぐに、数多の足音が聞こえだした。
丁字路から小さな黒い影が飛び出してきた。
小さなケモノの大群だ。イノシシとは大きさが違う。ウリ坊といったところか。私は後ろを振り向きながら懸命に走る。道幅いっぱいにウリ坊たちが敷き詰められている。
大きなケモノとは違う高い鼻息が多数聞こえている。高さは五十センチぐらいか。一匹ならとてもかわいらしいフォルムをしている。目が赤く煌めいている。
私はゆっくりとした坂を駆けあがる。目指すコンビニは川の向こうにある。幸い橋まであと十メートルぐらいだ。そこから向こう岸に渡って逃げることが出来る。
【ブヒィィ】
後ろからだんだんと追いつかれている。
十メートル進み、右へと曲がる。
ウリ坊たちはイノシシと一緒で右へと曲がり切れずに身を投げ出しているのが見えた。
あと五分でコンビニへと辿り着ける。
橋は市道で動いていない車が点々とある。私は車道を走る。アスファルトの道は擦りむいた足に激痛を走らせた。ケモノに追いつかれたら命の保障はないのか。
後ろを振り向かずに全速力で駆けようと思った。
橋を渡ると右側に運送センターがある。トラックが何台か並べられている。今はただ動く気配がない。私はただ走っていくしかない。
*
僕は見覚えしかない姿を見終わった後セニオルに話しかけた。
「あの人って本物ですよね?」未だに世界の真実を受け入れないでいた。
「あの子はまだ元気じゃぞ?」セニオルは不思議そうな声色で返事をした。
送り主不明から送られたメッセージは一瞬疑いの目を持ったが、煮え切れずに理解をしたままだった。こうして確信できるような証拠が目の前を通り過ぎた。今までに何度か証拠は見たことがあるが、それでも真実について背けていた自分がいた。
僕はもう変わらないといけない。
この世界をまた変える。僕らの宿命だ。また変えないともう帰ってこない。あんなに愛しい世界は今どこにもないのだ。
コンティニューブレスもケモノも真実の証拠だったんだ。
背けても着いてくる真実。これは信じがたい真実だったんだ。
「羅奈に話さないと、羅奈に世界の真実を知らせないと!」
僕は双子のように親しくしていた羅奈を今更恋しく思った。話さないと僕らは。
取り残されたニンゲンなのだから。
僕は意識せずともコンビニの自動ドアの向こうにある外へと駆けた。
「おい!ヒムト!まだラナが来ていないぞ!」
「ラナが来る前に、僕が迎えに行く!」
「待つんじゃ!」
背中からのセニオルの怒号を無視して駆けて行った。
荷物も持たずに走っていた。羅奈が危ない。昨日の会話で最後になるかもしれない。
白い肌で黒い髪の羅奈。今ならこの世界の真理について話せるが出来るかもしれない。
羅奈の夢が壊されるのかもしれない。でもこんな世界で生き抜くには現実を話す必要性
がある。この世界の真理。
送り主不明からデス・イレイズ・マインの会社に行かされた理由。
万師定から奪ったケースにデス・イレイズ・マインに出てくるコンティニューブレスが入っていた理由。
アスカやセニオルがこの世界にいる理由。
すべてあの世界の真理に繋がる。
*
私は陽向人と座ったバス停留所のベンチまで辿り着いた。後ろから高い鼻息が聞こえてくると同時に足踏みの音が近づいてくるのが分かった。
「だめだ……もう耐えきれない……」
私は左足の痛みを背負いながら走って来たけど痛みに耐えられなくなってしまった。私は後ろを見やると五メートルにも満たない距離にいる。立ち止まってしまってはウリ坊達に飲み込まれる。
また一歩。また一歩。
歩みを進めてもさほど前進しているとは思えなくなっていた。歩幅も痛みで小さくなっていることを感じた。
私は足を止めた。
このまま飲み込まれても世界は静かに終わっていくのだろう。
私は静かに瞼を落とした。手にある荷物を放した。
冬の青空は澄んでいて、心地よい暗さだった。雲の形はぼやけている。
ここで死ぬのかな。
私はまた瞼を開ける。ウリ坊達はあと二メートルで私に追いつく。左腕を見やる。
コンティニューブレスだ。デス・イレイズ・マインをもう一度プレイしたかった。
画面の中央にいるカジ。緑色の髪をしていて美しかった。
いつかまたエレクトさんと一緒に戦いたかった。
綺麗なグラフィックで本当にあるような世界が美しかった。
死ぬことってあっけないんだなと思った。
私は後悔しかなかった。
ふと欲望を抱いた。
陽向人に会いたい。
私は陽向人に足の怪我を看病してくれた恩を返せていない。
私の人生は陽向人でいっぱいだったのかな。
*
ニンゲンは生きることに諦めたようだ。モニター画面から分かる。
愚かなニンゲンが一匹でも減ることには喜ばしく思う。
小型のケモノがニンゲンを飲み込むのと創造すると脳が痺れるような快楽に堕とされる感覚に襲われる。
さあ。俺は瞬きせず脳に焼き付けるほど見てやる。
*
「おい!止まるな!死んでしまうぞ!」
私の耳から男みたいな野太い声が聞こえてくる。声の方向はウリ坊達が襲来しているところだ。後ろを見やると筋肉質で銀髪の男が大剣をウリ坊達に振り翳している。まるで私を死から食い止めるようにケモノを薙ぎ払っていた。
「今まで見てたけど、武器を持っていないのか⁉」
男は私に問いかける。片手で大剣を振っている。
「私を助けてくれたの?」
「当たり前だ!命が目の前で消えていくのを見たくないからな!」
下を見るとウリ坊達が黒い液体を身から噴き出している。黒いのは血だと分かった。
「ここにいると、俺の剣が切りつけるかもしれない!その荷物持ってどっかに逃げろ!」
私は男の言葉を糧にまた走り出すことが出来た。私は地面に落ちた荷物を持った。
陽向人と会いたい思いが叶ったかもしれない。
右に曲がるとコンビニへとつながる急坂の入り口が見えてきた。
道脇にフードを被った人を見つけた。こちらへ歩いている。この人は顔が良く見えない。冬だというのに脚を大胆に出している。寒くないのか心配する気持ちが沸き上がってきたが、今は陽向人とセニオルさんが私を待っているため、無視することにした。
「ふふ」私とすれ違った時に微かな笑い声が聞こえた。女の声だった。
この人はのちにまた会うことになるが、後のお話だ。
私は急坂の入り口へと差し掛かった。
「羅奈!大丈夫だった?」
その声は聞き覚えがある。ずっと聞きたかった声だ。
「陽向人!怖かった…」
私は双子のような友達に会えたことが一番の幸せだった。また会えてうれしい。
陽向人に思わず抱きついた。
「羅奈…良かった」
命の危険を感じた。九死に一生を得た。
私はどんなに幸せ者なのだろうか。
「羅奈、怪我はない?」
「足の怪我がまた痛くなっちゃった」
「また、手当てするからな。セニオルさんもアスカも心配してるしコンビニに行こう」
陽向人は私に背中を向けながらしゃがんだ。
「歩き疲れたでしょ?おんぶするよ」
私は陽向人に身を預けた。陽向人の背中は暖かかった。
*
「ちっ。ニンゲンごときがのうのうと生きやがって!」
俺は見逃さなかった。俺たちの仲間がニンゲンを庇った。筋肉質の銀髪の男が大剣で一歩も動くことなく、直立でケモノを薙ぎ払う姿がモニター画面にいた。小型のケモノが死体へと次々に成り果てる。
「おい!止まるな!死んでしまうぞ!」
俺は無音の画面を見ながら口元を見る。お前はなぜ見殺しにしなかった?
「今まで見てたけど、武器を持っていないのか⁉」
当然、あのニンゲンは武器もケモノに対する力も手に入れていない。
「私を助けてくれたの?」
ニンゲンは銀髪の男に質問をする。
「当たり前だ!命が目の前で消えていくのを見たくないからな!」
なぜニンゲンに対してその感情を抱ける?銀髪の男はこの世界の苦痛を見たことがないのか?
「ここにいると、俺の剣が切りつけるかもしれない!その荷物持ってどっかに逃げろ!」
この男、見ていて腹立たしい。
すると、部屋の扉が開いた。
「よう」
男は疲れ切って椅子にもたれかかった。男は画面を見る。
「あいつか」
「あいつ、ニンゲンを庇った。もしかしたらニンゲンの仲間かもしれない」
「まあいいさ」
画面を見るとニンゲンはどこかに走り去っていた。筋肉質の男は未だに押し寄せてくるケモノを大剣で払っていた。
奥からフードを被った人影が見えた。その人物は足を露出している。
「おい!見てないで少しは手伝ったらどうだ!」
筋肉質の男はフードを被った人物に対し呼びかける。
俺はフードの口元を見るために目を凝らすが、よくわからない。
フードを被った人物は走り去ったニンゲンの後ろを見送る。ニンゲンの後ろ姿が見えなくなるとその人はフードを脱ぎさると同時に上半身を覆った布を払い除ける。
腰に革であろうホルダーがある。髪は緑色をしていて肩まで伸びている。
女だ。
女は右腰にあるホルダーから何かを取り出す。
それは一丁の銃だった。ケモノを討伐するために作られた武器だ。
「さあ。始めよう」
女は小型のケモノに向け駆ける。
「やっとその気になったか」
筋肉質の男は剣を地面に突き刺し、女に目を向ける。
「私はケモノを討伐することが使命なの」
緑色の髪の女は一気に跳躍した。女が空中にいる間にまた左腰にあるホルダーに手をかける。同時に地にいるケモノ達に銃口を向ける。左腰から同じ形の銃を引き抜き、二丁拳銃をケモノ達に鉛弾を発砲する。ケモノ達は標的を銀髪の男から女に変わった。
女は着地する。着地点に多くのケモノがいる。すぐさま女は跳躍する。身を一回転させる。空中から銃の引き金を引き銃声を上げる。短いとも長いとも言えない髪が揺れ動く。
「身のこなし方が美しい…」
俺は思わず声を上げた。ケモノ達は銃口の波動に耐えることなく野垂れていった。
「相変わらず動きが軽いね!」
「そう?」銀髪の男と緑髪の女は会話する。
「俺も動くか!」筋肉質の男は大剣を引き抜きケモノの大群へと突っ走る。
こいつらは只者ではない。と単に感じた。
*
「ラナ!無事じゃったか!良かった!」
坂の上でセニオルさんが呼びかける。セニオルさんの後ろにはアスカちゃんがひょっこり顔だけ出してこちらを窺っている。赤のアホ毛が微かな風で揺れ動いている。
「ヒムト!すぐさま旅に出るぞ!」
「はい!」陽向人は元気に返事する。私の心に会った今まで感じていた絶望感と孤独感を、陽向人の柔らかい優しさで、暖かいほっこりとした気持ちが満たされている。
「羅奈、これまで言えなかった真実を伝えないといけない。これを言わないと旅の途中で躓いてしまう。長くなるし気が動転してしまうし訳が分からない話かもしれない。でもちゃんと聞いてほしい」
「うん。分かった。ちゃんと聞くよ」
陽向人の背中からでは顔にどんな思いが浮かべられているか窺えない。
「ラナ!ヒムト!早く来んか!」
セニオルさんは目を見開き大声を上げる。
「ごめん。話はあとでな」
陽向人の歩調が速くなった。
私はずっと考えていたことがある。
夏の日、ファミレスで謎の男から私達を訪問してきた。そこからずっとおかしかった。謎の男は自分の名前を「伊乃陽向人」と名乗った。そしてデス・イレイズ・マインの会社があるという住所に行くとそこは空きビルだった。十一時を迎えると白い光に私達は包まれた。意識を戻すと冬になっていた。世界は静寂に包まれ人がいなくなっていた。自動車の走行音などの雑音もかき消されていた。再度デス・イレイズ・マインの会社に行くとちゃんとそこに会社はあった。
まるで急に会社が作られたみたいだ。会社に入ると送り主不明から次々と命令が送られてきた。私は階段に閉じ込められていたからわからないが、蛍光灯が消える代わりにシャッターが開いて小型ナイフを持った万師定が私達を襲い掛かった。会社にはデス・イレイズ・マインのプレイヤーと扱う登場人物、さらに裏技経過時間や裏技使用回数のデータが記録されているノートパソコンがジェラルミンケースの中に入っていた。あとデス・イレイズ・マインに登場するコンティニューブレスがもう一つのジェラルミンケースに入っていた。すべて謎の男の命令で私達は動いている。
セニオルさんも不思議だ。火を容易く消してしまった。どこかでセニオルさんを見たことがあるがいつ見たか未だ思い出さない。
静寂な世界の代わりに獣たちが沸いていたのも謎だ。
「ねえ、陽向人?この世界についてどこまで知っているの?」
おんぶしてもらっている陽向人に問いかける。
「半分ぐらい。でも半分知っていれば旅は躓かない」
急な坂を上り終わった。
「さあ。ヒムトはその建物の中にまだ荷物が残っているぞ。取りに行かんか」
「わかりました」
陽向人はおんぶしていた私を置いてコンビニへと駆けて行った。私は膝を震わせながら立っていた。
「ラナちゃん大丈夫?怖かったでしょ?」
セニオルさんの影から私の胸までの身長しかない小さなアスカちゃんが飛び出て私を、きつく抱きしめる。
「わたし、ちょっとケモノに追いつかれそうになった時、諦めかけちゃった…わたしって本当にバカだよね…」私は下にいるアスカちゃんに優しく話そうとしたが思わず涙が溢れ出そうになったので上へと向いた。
「ラナちゃん、そんなに怖かったの?泣いてるよ?」
私は本当にバカだ。陽向人やアスカちゃんの優しさに気付かずに命を落とそうとした。
「アスカちゃんは本当に優しいね…」冷たい風が顔に直接あたるのに対し、脚に伝わるアスカちゃんの体温がとても暖かかった。
今からアスカちゃんを置いて私達は旅を出ようとしている。一人ぼっちになるアスカちゃんを想うとさらに涙が止まらなくなる。
これからの旅は「稔内峡」を探すために陽向人と私は出る。
セニオルさんを見やると急坂の奥を眺めている。だが急坂は少し曲がりくねっていて壁しか見えていなかった。
「ケモノ達はなぜラナを追わなくなったんじゃ?」セニオルさんは質問する。
「大剣を持った男が私を助けてくれたんです」私は乱れた髪の毛をかき上げながら隠れて溢れ出てきた涙を拭きつつ、セニオルさんに返答する。
「なに?そいつは良かったな」一瞬セニオルさんの顔が曇った。
「お待たせしてごめんなさい」陽向人がキャリーバッグと登山用のリュックサックを持ってやってきた。私はあまりにも多くの荷物に笑い出してしまうところだった。
「羅奈がやってきたところからケモノが出てきてしまうかもしれないから別の道から旅に行こう」陽向人は坂道とは違う市道を指差して踏み出す。大剣を持った銀髪の男がケモノを倒してくれている。
私はふとフードを被った人は誰なのか気になり始めた。すれ違った時に聞こえた笑い声は女の人だった。少し不気味だが引き込まれる声だ。
「それじゃあ、アスカちゃん。またいつか会おうね」
まだ私の脚に抱きついているアスカちゃんに離れるように促す。
「ラナちゃん、また会おうね!」
アスカちゃんが離れると脚に伝わっていた温かさが奪われた。
「あそこにずっと居るんじゃよ。外にはケモノがうじゃうじゃおるからな」
セニオルさんはアスカちゃんにコンビニへと行くように促す。
「じゃあね!みんな!」
アスカちゃんはコンビニへと走る間に後ろを向きながら、私たちに手を振る。アスカちゃんが自動ドアの前に立ち電気が灯っていないコンビニの中へと消えていった。
自動ドアはアスカちゃんを隠すように閉じていった。
「アスカのためにも、旅へと進もうかのう?」
セニオルさんはアスカちゃんの後ろ姿を見て呟く。
「もし僕にケモノを倒せる力があったら羅奈を救い出せたかもしれない」
この世界は白い光に包まれてから何かがおかしい
黒い獣達の存在がいつもの風景を破壊した。
「さあ。アスカとは一生会えないわけではない。またここに帰ってこよう」
セニオルさんはそう言いながらひび割れたコンクリートの道路にまばらにある車を避けながら歩き始めた。私達はセニオルさんの背中を追いかけて荷物を手に取り歩み始めた。
陽向人の言う「ケモノを倒せる力」があれば、逃げてばかりではなくなるのかな。
セニオルさんと私達は「使命」を持ち旅へと歩みを始めた。
「これからは諦めるようなことはしないようにするんじゃ。ケモノに立ち会ったとしても必死に生き続けるんじゃぞ?」セニオルさんは私達に真剣な眼差しで訴えた。
*
「ねえ。おじいちゃんとニンゲンたちが動き始めたよ」
カメラのモニターは荒れ果てた世界からの風景を映し出していた。
「俺も動き始めようかな?」
俺は檻の外で座高の高い椅子に座りながらモニター画面を腕組んで見入っている男に向かって冗談を言ってみせる。限られた檻の世界でしか俺は動けないのだからこの冗談は男を笑わせられるだろう。
「お前は檻の外に出てはいけない。絶対に」
男は冗談を真に受けとったらしい。俺は男に笑いかける。
「この檻は出口が外から鍵で閉められている。少なくとも俺はこの鍵を開けることは出来ない。ほんとに冗談が通じないなあ。でも…」
男は俺の話に耳を向けない。話を聞いてもらおうと言葉を紡ぐが、かえって悪影響になることを察した。
「お前が檻から出られないんじゃあ、俺が動こうか?」
男は腕を組んだまま俺の方へと身体を向け、こちらへと歩いてくる。
「俺を檻に放り入れたのはお前だろう?お前しか動ける奴がいない」
「じゃあ動こう。ちまちま殺してもキリがない」男は歩く方向を変え部屋の外へと出た。
「俺はこの檻の中で動ける限りで動くんだ」
俺は檻の鉄柱に握り拳を打ち付けた。そして俺が昔、口癖のように言い放っていた言葉を口に出す。この言葉を放つのは何年ぶりだろうか。
「お前らは、俺の檻から逃れられねえんだよ!」
今ではすっかり俺は檻の中に閉じ込められている。立場が逆になっている。
「男も動いた。あいつらも動いた。俺たちも動く。」
息が混じった声で俺は檻の中から叫ぶ。
「デス・イレイズ・マイン。死が己を消し去る…」
手の震えが止まらなくなる。
「ゲームスタート!」
俺は咆哮と似た宣言を告げた。
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