勇者妹、あらわる

 その後スマタバックスコーヒーを出て、怪しい同人誌ショップがある細い路地へ抜けようとしていたら、後ろから殺気が飛んでくるのを感じる。


「……別れるなんて、許さない。認めない……」


 低い声が聞こえ、思わず後ろを振り返ると。


 ぶんっ!


 何か鋭利なものが俺の顔横をかすめた。


「のわっ!」


 バランスを崩しながらも、暴漢と距離をとる──って、優花じゃん! 暴漢じゃねえ、暴ビッチだった!


「……あ、アイスピックで突くなんて殺す気か!」


 うろたえながらそう言うのが精いっぱい。優花がなにやら殺戮マシーンのように見えてきた。感情とは無縁な。


「アイスピックじゃない……千枚通しだよ」


「同じようなもんじゃないか! なんでそんなもん持ってるんだ!」


「……あたしの危険日が来たら、貴史の使用するゴムに穴をあけるために持っていただけ……」


 なんじゃそりゃ。

 いやそんな理由とかはどうでもいい。生命の危機ですよ真面目に。

 痴情のもつれで地上でもつれる。どうせもつれるならベッドの上がいい。もう心臓バクバクですわ、なんでこういう時に限ってまわりに誰もいないんだこんちきしょう!


「こんな別れ方するくらいなら、貴史を殺してあたしは……」


「心中はごめんだ!」


「貴史との思い出を胸に秘めて、ずっと独りで暮らすよ」


 それただの殺人じゃねえか。情状酌量の余地なし。

 だが優花の目がいまだに座ってる。なにを言っても話が通じなさそう。


「な、なあとにかく落ち着け。こんなところで暴れてたら警察が来るぞ? タイーホされちゃうぞ?」


「ふふふ、心配いらないよ。痛いのはほんの一瞬だけだから」


「その後快楽すらやってこないのはイヤだなあ……」


「と、いうわけで観念してね、貴史?」


「すっかり目的が『殺る』ほうになってるうううぅぅぅ!?」


 暗殺者のように身構える優花に気後れした俺は、逃げようと動かした足をもつれさせ倒れてしまった。


「やばっ!」


「覚悟してー!!!」


 逝ったーーーーーー!!!


 ああ、誠よろしく、クズ男の最期なんてこんなもんか。

 手をかざしつつも、思わず目をつぶってしまう俺。助けて言葉! 世界に殺されちゃう!


 だが。


「お兄ちゃあーーーーーーん!!!」


 ボスッ。

 どこかで聞いたような声とともに、千枚通しを受け止める音がした。


「……な!?」


「薄い本も、十冊重ねれば厚い本になるの! 間一髪だねお兄ちゃん!」


 おそるおそる目を見開くと。


「……り、莉菜ああああああぁぁぁぁぁぁ……」


 思わず涙を漏らしちゃいましたわ。小便は漏らしてない、ちびっとだけしか。

 絶句する優花、腰を抜かした俺の前に立ちはだかったのは、なんと莉菜であった。なんて頼りになる妹だ。


「よかった、薄い本の調達に来たついでに出張帰りのお兄ちゃんを誘ってこの前できなかったメイクラブをしっぽりずっぽりねっとりやりつつ大阪でデリ呼んだのか追及しようと思いながら店から出てきたらちょうど争ってる二人を見かけて雲行きが怪しかったので心配になって近づいてきたらこんなことに……」


 なにやら前半に聞き捨てならない言葉があったが、俺の命に比べれば些細なことだ。許す。


「……ど、どこまであたしと貴史の邪魔をすれば済むのよぉぉ、この六十四点妹!」


 ああ、優花の目から見ても莉菜はその点数なのか。無慈悲な攻撃だな。


「うっさいよ! あんたなんかカノジョじゃない、サツジンハンじゃん! まずはその物騒なものを放して! お兄ちゃんを殺そうとするなんて……絶大なる快楽の損失だよ!」


「……え? え?」


「お兄ちゃんが死んだら、おカタい息子も死んじゃうんだよ!? なんてことしてくれるの!?」


「むすこ、も、しぬ……ああああああ、それはいやあああああぁぁぁぁぁ……!!!」


 ──俺の価値はどこにあるんだ。おまえらに尋ねていいか?


 そう言いたいが、莉菜は莉菜で興奮しながら罵倒しているし。優花は優花で我に返ったのか、自分がしようとしてたことがとんでもないことだと気づいて呆然としている。


『おまわりさんこっちです』


『そこ! 何を騒いでる!』


 そんなこんなのうちに、誰かが通報したのか、お巡りさんが駆けつけてきた。


「やばっ!」


 めんどくさくなりそうなので、逃げよう。まだ会社クビになりたくないもんね。


 というわけで修羅場から脱出したが、果たして全員逃げ切れたかは謎である。

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