復讐するは俺にあり

「もうだめ……死んじゃう……死んじゃう……」


 うわごとのようにそう繰り返す莉菜の様子に、激しく自己嫌悪。


 素人童貞男をもてあそびやがった堕天使に対する怒りをついぶつけてしまった。

 借金があるのを盾にして、断れない莉菜をいたぶってスッキリしようだなんて、俺は兄失格だ。


 こうも賢者タイムになると思考が違うのか。ホルモン恐るべし。


「……悪かった、莉菜」


 俺は横たわる莉菜の上にタオルケットをかけてやる。


「はにゃあああぁぁぁ……」


「こんな兄ですまない。もう、貸した金のことは忘れる」


「はひいいいぃぃぃ……」


「だから、借金を身体で返そうなんて思わなくていいんだ。これでチャラでいい」


「はえええぇぇぇ……」


「実の妹をストレス解消のための道具のように扱う兄など、許されるわけがない。本当に申し訳なかった」


「ひえええぇぇぇ……」


「これからは心を入れ替えて優しい兄になることを誓う。もう莉菜が嫌がることはしない」


「ふにいいいぃぃぃ……」


 おい、聞いてんのか。

 しかたない、確認しよう。


「……くーるまに?」


「ぽぴいいいぃぃぃ……」


 どうやら聞いていたようだ。一安心。


 そこで俺は莉菜の頭を優しくなでた。

 六十四点の顔立ちも、妹と思えばかわいく思えるなんて不思議だな。


「これからは仲のいい普通の兄妹を目指していこうな」


 頭をなでる手をそっと離し。

 俺は莉菜が起き上がるのを待たずに、ひとりで部屋から退出。


 ──さあ、きょうから本当の兄妹になるんだ。遅すぎることはない、取り返しのつかないことはしてしまったけれど。



 ―・―・―・―・―・―・―



 俺は気分転換もかねて、家から外へ出た。


 だが。

 なぜか知らないが、足が先ほどお世話になった病院に向かってしまう。


 もういるわけないよな、牧原さん。

 分かっちゃいるけど、一言文句を言わないと気が済まない。

 そんなふうに思っていたのだろうか。


 そして、病院の正面入り口に来ると、そこにはどこかで見たことのあるグレーのスーツを着たチャラ男が立っていた。


 …………


 ひろあきいいいいいいぃぃぃぃぃぃ!


 思わず衝動的に近づこうとしたら。

 一人の女性が手を上げながらチャラ男に近づくのを確認。


 …………


 まきはらああああああぁぁぁぁぁぁ! ……さん!


 おま、ちょ、なんであいつらが病院前で待ち合わせしてんだあああああぁぁぁぁぁ!

 ひょっとして牧原さん、宏昭とつきあってんの? ひそかに喜んでいた俺、バカじゃね?


 思わず殺意の波動に目覚めそうになった。が、ピエロな俺にはあの二人に近づいて文句を言う度胸もない。

 仕方なく、〇原悦子よろしく素人童貞は見た。木陰から。


 が、様子がなにやらおかしい。

 少しだけ話したあと、牧原さんは来た時と同じように手をあげながら、ひとり立ち去って行った。


 …………


 別に付き合ってるわけじゃないのか?

 わからん。こんな時は牛乳に相談だ。宏昭一人なら殴りかかっても文句は言われまい。


 というわけで、この前の続きを開始しよう。


「ここであったが百年目!」


「のわっ!」


 スカッ。

 死角から近づいて殴りかかったのに、反射でよけられた。これだから勘のいいチャラヲタは嫌いだよ。


「避けんな!」


「ッ無茶いうな! ……って貴史かよ!」


「てめえ何してやがったこんなとこで!」


「バカ落ち着けや! 第一こんなところで乱闘したら、容赦なく警察呼ばれるぞ!」


「……」


 確かにその通りだ。心をいったん落ち着けよう。


 振り上げたこぶしを下ろし、殴る代わりに俺は宏昭をキッとにらんだ。

 少し怯んだように宏昭が口を開く。


「……ったく、人の話を聞けよ」


宏昭おまえがそんなこと言える立場か。なんだったら場所移動してこの前の続きでもいいぜ」


「やるわけないだろ、貴史に殴り合いで勝てるわけないし」


「……で、病院前で何してやがった」


「おお、そうだそうだ。貴史も覚えてるよな、牧原優花さん!」


「……ああ」


「いやな、ちょっと心配事があってここの病院で診察してもらったんだが、牧原さんがここで看護師やってて、偶然遭遇してな!」


 少しだけ宏昭のテンションが高い。いやまあわかるんだけどな、高校時代はこいつも牧原さんに好意を抱いていたことは明白だし。


「……で?」


「久しぶりに会ったことだし、今度ヒマな時にでも飲もうぜ! って声かけたらOKもらったので、牧原さんに診察終わるまで少し待っててもらって、俺の番号にワン切りでかけてもらったというわけだ。連絡先ゲットだぜ」


「……ふーん」


「いやー。きれいになったよな、牧原さん。もともと美人だったけど、なんというか大人の色香をまとったというか……」


「……まあバツイチらしいからな」


「おお。元・人妻。いいねーもえるねー」


「やっぱり宏昭、おまえは俺にぶん殴られたいみたいだな」


「やめろ馬鹿! 牧原さんの番号教えるから、それで許せ」


 宏昭が許せとばかりに右の手のひらを俺に向けつつ、左手で着信アリのガラケー画面を見せてきた。

 なんでガラケーなんだ。通話専用か?


 …………


 数度、画面の番号を確認したが。

 やっぱ俺に教えてきた番号と違うじゃねえかこんちくしょう!


 世の中顔か。やっぱ顔なのか。確かに宏昭は高校時代が嘘みたいな進化してるけどよ!

 おまけに五時で仕事上がりだったはずなのに、宏昭の診察が終わるこんな時間まで待ってたわけだろ?


『連絡先教えます。ただしイケメンに限ります』


 こんな不条理が許される世の中であってはならない。

 俺の心の中に、宏昭に対する怒りよりも大きな復讐心が湧き上がった。


 ──牧原優花、許すまじ。

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