デリバリー地獄《ヘル》
「お互いに初対面みたいなものだから、緊張していたんだよ」
そんな言い訳をして何とかその場をしのぎ、戻った自宅。オヤジとおふくろは、当面の荷物を運び込んだあと、ふたりで買い物に出かけていった。
残される、俺としおりちゃん。いや、俺と莉菜。もう何を発言しても、自爆テロになりそうである。
莉菜もそう感じたのだろう、リビングにふたり、無言で佇む。窓から燦々と日の光が注ぎ込むのに、雰囲気はどす黒い。
だが、さすがにこのままではいられない。多少ダメージを負う覚悟を固めて、莉菜と話すことに決めた。
「……莉菜、デリヘルで働いていたこと、おふくろは知ってるのか?」
莉菜はまたまた飛び上がるくらいに体をビクッとさせ、下を向いたままで答えを返してくる。
「……知ってるわけ、ないじゃない」
「じゃあ、ホストクラブにハマってたことも、か?」
無言でコクンと頷く莉菜を見て、俺は無意識に目頭を押さえた。
「……なんてこった」
俺はそうとしか言えず。まさか、童貞を妹で失う兄になるとは。なくしたのは単なる童貞ではなく、普通の兄なら一生守りきるはずの『いもうと童貞』であったのだ。
背徳感と罪悪感と気恥ずかしさ。その他もろもろがミックスされて、わけのわからないカクテルが出来上がった。それを飲み込んだ俺は、顔を真っ青にし、すぐに真っ赤に変える。
ダウナー系とアッパー系のドラッグを同時に摂取したときの気分はこんな感じなのだろうか。最悪だ。
「……まさか、実の兄とやることになっちゃうなんて……こんなことなら、情にほだされて許しちゃうんじゃなかった……」
莉菜も後悔ありありで小声のつぶやきを発する。一億人以上いるこの日本で、どんな奇跡的な偶然なんだろう。もう神など信じない。
「莉菜、おまえ、客みんなにあんなこと……させてるのか? デリって本番禁止だろ?」
「みんなじゃないけど、わたしだって必死なのよ! お世辞にも美人じゃないわたしは、そうやってお得意様を増やすしかないじゃない……」
「……だからってなあ……」
「借金返すためには、そうするしか、ないの……」
気恥ずかしさと同時に、妹がビッチであることになぜかやたらと落ち込む俺がいる。ああ、二十二年ぶりに再会した妹は、節操がなくなってました、ってか。
「六十四点だもんな、仕方ないとは言え……」
「……ちょっと。六十四点って、なに? なんかわたしにとって不快な感情が込められたように聞こえるけど」
「気にするな」
「…………ふん。なによ、童貞を実の妹で捨てた、鬼畜兄のくせに」
「ぐはっっっっ」
「まったく、妹相手であんなに早かったんだから、笑っちゃうよね」
「う、うるせえよ! そういう莉菜こそ、実の兄相手に感じてたじゃねえか!」
「………………」
「………………」
「……この話は、やめましょ」
「……賛成だ。お互いの精神衛生上、それがいい」
童貞兄に、ビッチ妹の組み合わせ。まさかの事態にお互い混乱していたが、なんとなく落ち着いてきたような気もする。
「だいいち、なんでホストクラブなんかに、借金してまで通うんだよ……」
少し冷静さを取り戻した俺は、至極まっとうにそう質問してみたのだが。
「なんか、じゃないの! あそこには、夢が詰まってるの!」
「…………」
莉菜に熱く返された。
「男がお金で快楽を買うのと同じように、女は夢を買うの。ホストクラブには、本の中にしかないような夢があるんだよ! 現実ではあり得ない夢が叶うの!」
……あー、いわゆる読書好きと言っても、どうやら純文学だけじゃなくて、たっぷり夢が詰まった本も好きみたいだな、こいつは。シャレたセンスの薄い本、だから無職のくせに現実逃避しちゃったわけか。
そう悟ったはいいとしても、現実は残酷である。さすがにホストクラブに入れ込んだあげく、借金地獄で一家離散などという悲劇は避けたい。
「……押し寄せる現実に引き戻すような発言で申し訳ないが、借金はいくら残ってるんだ?」
家族平和の維持に必要な金額を俺が尋ねると、莉菜はVサインを俺の前にソローリと出してきた。
「……身内だから遠慮なく言わせてもらうが、アホンダラ。無職のくせに、ちったあ自分の身をわきまえろ」
「…………ううぅ…………」
さすがにそれを言われると、返す言葉もないらしい。小さく小さく頭を下げたまま消え入りそうな莉菜を見ていると、仕方ないな、という気になる。
これが、兄の思いやりってやつか。
「……はあぁぁ……」
ため息をはいた後、俺は自分の部屋から通帳を持ち出してきて、莉菜の前に投げた。
「……えっ?」
「せっかく家族が揃ったのに、こんなことでまたバラバラになったら目も当てられん。これで借金を清算してこい」
目の前に通帳を出されてわけもわからずうろたえている莉菜に、優しく説明をする俺。
まあ、社会人になってから遊ぶ暇もなく、金などたまる一方だった。特に使い道がないならば、やっと対面できた妹のために使うのも悪くない。
パラパラと通帳をめくる妹には、『信じられない』という感情が浮き出ていたように思う。
「足りないか?」
「……ううん、そんなこと、ないけど……本当にいいの?」
「まあ、二十二年ぶんの利子だと思っておいてくれ」
俺のその言葉に感極まったのか、莉菜はソファーを立ち上がって、俺に抱きついてきた。
「お兄ちゃん! お兄ちゃん! ありがとう……ありがとう!」
俺の胸にしがみつきながら泣いて喜ぶ莉菜の頭を撫でると、一昨日の夜の莉菜との行為を思い出させる甘い香りが俺の鼻をくすぐってくる。
「コレに懲りたら、もう自分の身もわきまえずにホストクラブ通いに狂うんじゃないぞ」
「うん、うん……」
不埒な思いと必死に戦いつつ、莉菜から言質を取って、そのまま落ち着くまで待ったのだが。
「……ね、お兄ちゃんの部屋、どこ?」
泣き止んだ莉菜が、首を傾げながら俺の方を向いて、質問をしてきた。
「あ、ああ、二階の一番奥、突きあたりだが……」
質問に答えるやいなや、莉菜は俺の手を引いて階段を駆け上がる。俺は引っ張られるがままだ。
「お、おい、いきなり人をひっぱって、どうしたんだ」
「わたしはプロなの。タダでお金をもらうわけにいかないから。奉仕はきちんとするよ」
即座に意味を理解し、やめろと叫ぶ俺だが、そんなことは気にもせずに、莉菜は俺の手を掴んだまま二階の奥へ進む。
「ふふふ、でも本音はね、そんなこと関係なく、お兄ちゃんを気持ちよくさせたいの。そのくらいしか、わたしが感謝を表現できないから」
「おい、実の兄妹なんだぞ、俺たちは」
「もうすでに一回しちゃってるんだし、別にいいじゃない。むしろ燃えない? 背徳感にあふれた、実の兄妹の禁断の行為、なんてね」
あ、こいつそっち方面の本も読んでるのか。自称・文学少女なんて妄想力豊かなだけなんだな、もう憧れは持つまい。
世の中の真っ当な文学少女が知ったら全力で非難されそうな、そんな心の声を口には出さないまま、莉菜によって俺は自分の部屋に引きずり込まれた。なすがマザー。お母さん、再会したばかりでこんなことになってごめんなさい。
「……さあ、一緒に、我を忘れましょ?」
前髪の奥にある莉菜の目が鋭く光り、俺を射抜く。射抜かれた俺は、まったく身動きがとれなくなってしまった。
避妊具を口にくわえたまま怪しく微笑む、妖艶な雰囲気の莉菜を、俺は生涯忘れることはないだろう。
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