宝くじに当たるより難しい

「うん、出張終わり。貴史、お疲れ様」


「お疲れ様でした、先輩。いろいろありがとうございました」


「ああ、じゃあな」


 日が暮れる前に会社への報告も済み、今回の出張は無事終了した。この出張は、俺にとって人生の転機になることは間違いない。

 さて、あとはもうひとつ大仕事が残っている。久しぶりの母との対面。


 その確認のため、俺は父親も住む自宅へと向かった。


 オヤジは仕事を終えて帰宅していた。まあ、その時間帯をねらってきたのもあるが、俺が帰宅して玄関のドアを開けたときのオヤジの顔は、なんとなく幸せいっぱいに見えた。


「なんだってだらしない顔をしてるな、オヤジ」


「ほっとけ。仕方ないだろう、明日なんだから。……そういうおまえもなにやら顔がゆるんでるぞ」


 オヤジを茶化したつもりがやり返されてしまい、慌てて顔を引き締める。今の俺は、気を緩めると無意識のうちに昨日の出来事が思い出されてしまうようだ。


「ま、まあそれはおいといて。明日はどういうスケジュールなのか確認しておきたくて」


 オヤジに対して話題転換をしながら、玄関で靴を脱ぎ自宅のリビングへ進む。オヤジはコーヒーをふたりぶん淹れて、リビングに運んできてくれた。俺はオヤジの向かい側のソファーに座って話を聞く。


「明日、洋子ようこ莉菜りなが来るのはお昼過ぎくらいのはずだ。東京駅じゃなく上野駅でおちあう手はずになっている」


「……洋子って母さんだよな。……莉菜?」


「おまえには妹がいただろ。まあ記憶にないのも仕方ないにしても、前にも何度か伝えているはずだが」


 そう言われてみればそうだった。母さんのことで頭がいっぱい……いや、昨日のことと母さんのことで頭がいっぱいで、俺には一歳違いの妹がいる、ということなど片隅にすら残っていなかった。


「記憶にすらないから。妹と言っても、会うのなんて二十二年ぶりだし、他人だよな他人」


 俺は、妹に会う期待感など全くない、とあらためてオヤジに意思表示をする。だいいち、俺と同じ遺伝子ならば間違いなく可愛いわけがない。


「とは言っても、ちゃんと貴史の妹なんだぞ。私も会うのが小さい頃以来だから詳しい外見はわからないが、莉菜は読書好きな文学少女で、大学も文学部を卒業したらしいな」


「ふーん」


 どうでもいい情報を一応記憶しておくふりをして、適当に会話を続ける。


「明日の新幹線で到着したら、上野のピービル二階の中華料理館で昼食がてら対面をする予定だ」


「……新幹線?」


「ああ。洋子と莉菜は、いまだに仙台住まいだからな。洋子はともかく、莉菜はまだ就職してないらしいから、こちらに引っ越してくるのに支障はないようだ」


「へー」


 それをもっと早く知っていれば、宮城出張中に会うこともできたのになあ。ま、少し早く会ったところであまり変わりはないのか。話も弾むことはなかろうし。


 ふわふわとまとまりなく思考を巡らせながら家の中を見渡すと、俺が出張の間にでも実行したのであろうか、断捨離が済んで広くなった室内に気づく。


「気合い満タンだな、オヤジ。明日からすぐここに住むんだろ?」


「あたりまえだ。二十年ほど遅い家族水入らずができるんだぞ? 気合いも入るわ」


「……そうだよな。俺も楽しみだ」


 浮かれているオヤジに釣られるように、俺も心が軽くなってくる。ニヤニヤしながら鼻の下を伸ばすオヤジは気持ち悪いけどな、本音を言えば。


 その日は、母と、ついでに妹に会うことを楽しみにしつつ、いつもより早く寝た。


 なんとなく幸せがやってきそうな、いや、きっと幸せがやってくるだろうという確信。


 だが。


 その確信は――――錯覚だった。



―・―・―・―・―・―・―



 待ち合わせ場所の、上野の中華料理館。久しぶりに会った母さんにハグされ、感動の親子対面をしていたその脇で、ひたすら脂汗を顔全体に浮かび上がらせながら、呆然と立ち尽くしていた女性がいた。


 前髪が長すぎて目がはっきり見えない。いわゆるメカクレというやつだ。俺は母さんとのハグを終えてから、妹とおぼしき、その女性に視線を移した。


 のだが。


 なんだ、この『どこかで会ったような』感じは。妹なんだからおかしくはないのかもしれないが、会うのは二十二年ぶりである。おまけに、つい最近会ったばかりな感がひしひしと。


 だらだら脂汗を流しながら青ざめた顔をしていられると、さすがに具合が悪いのだろうかと心配になってくる。ただ、前髪のせいで目が見えない。


「……えーと、莉菜、だっけ? 青ざめた顔してるけど、具合悪いの? 大丈夫?」


 そう言って、妹の前髪を俺がかき分けると、飛び上がるくらいビクッとした妹は、こちらに視線を合わせようとすらしなかった。


 そして気づいた。


 左目の下にある泣きぼくろ。そして、前髪をかき分けたときに感じたイモくささ。


「……!?」


 ――ノーメイクだが間違いない、この六十四点感。つまり――莉菜、イコール、しおりちゃん。なんてこった、メイクしなきゃ五十九点じゃないか。


 今度は、莉菜の前髪を払った手を硬直させたままで、俺が青ざめ脂汗を浮かび上がらせる番であった。


「……ふたりとも、どうした?」


 オヤジが怪訝そうに声をかけてきたが、兄妹ふたりともそれに対応できる精神状態じゃねえわな。

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