サヨナラ童貞

 初めてのラブホ。怪しいベッドだが、回転式ではないようだ。部屋代ケチったからかな。

 怪しい物が入っているロッカー式の自動販売機。コレは敷居が高すぎるから今回はパス。

 怪しい照明、なぜか備え付けてあるパチスロ機。ベッドの棚に乗っているゴム製品。あんま機まである。


 へー、こんなふうになっているんだ、という好奇心と、これから性的なアレやソレが始まるのかという緊張感とで、俺は部屋に入ってすぐにベッドに座り込んでしまい、身動きできなかった。


「じゃあ、まず決まりだから、シャワー浴びてからにしましょ。一緒に浴びる?」


「!?」


 あっけらかんとしおりちゃんが言ってきたが、童貞に、一緒シャワーはいきなり敷居が高すぎる。とんでもないご提案に首を縦にも横にも振れない俺は、額から流れ出る汗を拭うだけしかできなかった。


「……どうしたの? 一緒はイヤ?」


 そんな俺のようすを不審に思ったか、しおりちゃんがちょっと不安そうに首を傾げながら訊いてきた。


「そ、そんなわけなくて、緊張して」


 ああ、我ながら童貞臭い返答。だが、しおりちゃんはその言葉を聞いて安心したらしい。


「……そっか! よかった。チェンジされちゃうのかな、と思って……」


「……チェンジ?」


「好みじゃない娘だったら、違う人に来てもらうこと。……わたし、あまり綺麗じゃないから、いっつもチェンジされちゃうんだ。だから、指名が久しぶりで……」


「…………そうなんだ」


「うん、すごく嬉しかったの。わたし、わけありで稼がなきゃならないから」


「わけあり?」


「あは、バカな理由だけど……ホストクラブにハマっちゃって、ちょっと借金がすぎてね。さすがにカードローンもこれ以上借りれないし」


「……大変だね」


 世界が違いすぎる話だが、今まで俺がそういう世界を経験してなかっただけか。少なくとも、そんな世界に身を置きながら生きている人は存在するのだから。


「ううん。自分がバカだっただけ。この業界に入っても、なかなか思うように稼げなくてね。指名なくて宮城から離れようと思っていたから、今日、たかしさんに指名してもらって感謝です」


「…………」


「そんなわけだから、たーくさん、サービスするね! さ、一緒にシャワー浴びよ?」


「………………あの」


 自分の事情をあからさまにぶちまけるしおりちゃんに、隠しごとするのは無粋に思えてきた俺は、すべて正直に話す決意をした。


「どうかしたの?」


「実は……俺、風俗どころか、女性経験すら皆無なんだ」


「……えっ?」


「そう、童貞。だから、なにをどうしたらいいのかまったくわからなくて……今日も先輩に押し切られて、無理矢理というか」


「…………」


「……だから、うまく相手できなくて、ごめん」


 俺はかろうじて自分の恥をさらし、燃え尽きたボクサーみたいにベッドの上でうなだれた。だが、しばしの間をおいて、しおりちゃんは静かに俺の横に腰掛けてきた。


「なにも、恥ずかしいこと、ないよ」


「……え?」


「むしろ、わたしにすらそうやって気を遣ってくれるたかしさん、素敵だよ」


 そう言って、俺の肩を優しく抱いてくれるしおりちゃん。六十四点なんて言って申し訳ない。たとえ客に対するリップサービスだとしても、この言葉で俺は堕ちそうだ。いや、半分すでに堕ちてる。


「でも、初めてのデリ、わたしが相手で本当にいいの?」


「……俺は、しおりちゃんがいい。他は、いやだ」


 はっきりとそれだけは伝えると、しおりちゃんが抱きつく腕を二本にしてさらに密着してきた。間近に広がる甘い香りに脳味噌も溶けて、なにも考えられなくなりそう。


「嬉しい。わたしも……ねえ、たかしさん」


「……なに?」


「とりあえずシャワー浴びよ。そしたら……トクベツにわたしのすべて、教えちゃう」


「………………え? え?」


「誰にもナイショにしてくれるなら……わたしのここ、使わせてあ・げ・る♪」


 ここ、といいながらしおりちゃんが指さして示してきた場所は……自分の下腹部だった。


「………………え? まさか……」


「ふふっ、ふたりだけの秘密ね。全部、卒業しちゃおうよ、たかしさん」



―・―・―・―・―・―・―



 嗚呼。


 俺は、人生で一番大事で、一番優先すべきことを、すばらしい相手と経験してしまった。


 これが、新しい世界か。


 いや、大げさじゃなくてね。なぜ俺は、生まれて今日まで童貞だったのだろう。

 こんな快楽がこの世にあるのならば、他のすべてを犠牲にしてでも成し遂げるべきであった。性的な行為を。


 俺は今、猛烈に感動している。好勝負だった。いやまああっさり果てたんだけどな!


「……なんだ貴史。やたらツヤツヤしてんじゃねえか、おまえ」


「……ぼー」


「このやろ、ボーッとしやがって。そんなによかったのか、しおりって娘は」


「…………控えめに言って最高でした」


「ああそうか、よかったな大当たりで。こちとら無愛想なのに当たってつまらなかったわ。ちくしょー!」


「…………ぼー」


 ふたりとも出張先の滞在ホテルに戻ってからの反省会。先輩が脇で不平不満をぶちまけていても、俺は解脱したような精神状態のままでいた。

 というか、どうやってあれからホテルの部屋まで戻ってきたのか記憶にない。それだけ夢のような時間であった。今の俺に残ったのは『素人童貞』というどうでもいいものだけである。


『たかしさん、わたし待ってますから。絶対、また指名してくださいね』


 しおりちゃんはそう言ってくれた。俺はもちろんと言って別れたが、もう俺がこの土地でしおりちゃんを指名することはないだろう。なにせ、明日には出張が終わってしまうのだから。

 でも、また来たら、絶対しおりちゃんを指名しよう。それだけは心に決めた。


 しおりちゃん、俺の童貞を奪ってくれた女神。俺の中では、キミは八十三点にランクアップしたよ。


「……ふっ」


 俺の賢者タイムは、なぜかやたらと上から目線だった。

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