騎士エリシュとレオを乗せた軍馬が王都にたどり着いたのは、結局出発を一日待った場合と大差ない頃合いだった。敵軍がすぐそこまで攻めてきているにもかかわらず、市街地は戦などどこ吹く風といった賑わいだったが、王城の門はさすがに開放されてはいなかった。門の上に増員された兵士が部下に弓矢をつがえさせ、門前のエリシュに大声で誰何した。
「何者か!」
「領主イライザ様の使者、騎士エリシュ!王命により、騎士リカルド殿のご子息レオナルドを連れて参った!国王陛下にお目通り願いたい!」
「……そこで待て!」
当直の兵士の中に今回の件を知らされている者はいなかったようだ。しばらくして、金属板で補強された巨大な門が音を立てて開き、その内側を守る太い金属の格子が上がり、堀に橋が渡されると、レオとエリシュは王に謁見することなく、じかに兵舎へ回るよう指示された。
練兵場の隅の兵舎には火砲や攻城兵器の格納庫が併設されているのだが、その内部に天井から幕を吊って秘匿された一角があった。レオが幕をくぐると、いかにも急ごしらえといった作業場に、ほの暗い灯火で照らされた巨大な人型構造物が片膝をつき、その周囲に組まれた足場のそこかしこで十名足らずの魔術師と、剣の稽古に使う木偶人形に似たパペット達がノミを振るったり、ヤスリをかけたり、床に落ちたゴミを掃き清めたりして忙しく立ち働いている。作業台で拡大鏡を手に小さな部品とにらめっこしていた老魔術師が立ち上がり、レオの背後のエリシュに声を掛けた。
「待ちかねておりましたぞ、騎士殿。しかしご婦人とはのう」
「お爺様、操縦者は殿方のはずでしょう。重要人物なんだから護衛だって付けます。そちらは護衛の騎士様と……従者さんかな?」
整備中の魔鉱兵の腕が装甲を開放した胸部から手前にゆっくりとスライドし、その手のひらに乗った紺のローブの利発そうな少女が、先端部だけでも人間の頭より大きい親指に掴まってぴょんと床へ飛び降りた。
「失礼ですが、レオナルド様はどちらに?」
ぼんやりしていたレオの背中をエリシュが無言で叩いた。こういうときは最初が肝心なのだ。
「きっ、騎士リカルドの息子、レオナルドです。レオって呼んで下さい」
「……あなたが?」
レオの差し出した手は無視されてしまった。少女は眉をひそめ、銀の甲冑のエリシュと埃まみれでみすぼらしい服装のレオとを見比べている。
「紹介が遅れましたな。この子はわしの孫、魔鉱兵開発チーム主任のスズと……わしはただの助っ人のじじいです」
「助っ人だなんて!」
「鉱石魔術に関してはお前のほうが詳しいじゃろ?」
「騎士エリシュと申します」
「ようこそおいで下さいましたな。スズ、さっそく起動実験じゃ」
「はいお爺様」
スズは魔鉱兵の手のひらに戻ると、レオに手招きをした。だが手を差し伸べて引き上げてくれるわけではない。巨大な手のひらはレオがどうにかよじ登るのを待たず動き出し、胸部の操縦室の脇で停止した。打撃や砲弾などの衝撃を受け流すように斜めに面取りされた胸部装甲は、上から三分の二ほどが頭部の前に跳ね上がり、暗い開口部の奥には乗り合い馬車の内装を思わせる革張りの座席が見える。しかし、窓もないのに装甲を閉じてしまったら外が見えないのではないか?疑問はいろいろあったが、驚くばかりのレオの口は老魔術師が先ほど言った聞き慣れない単語をおうむ返しに喋るのが精一杯だった。
「魔鉱兵って、これが新兵器?」
「そう。魔鉱兵は、あなたの魔力で動かす魔法鉱石製の甲冑みたいなものよ。もっとも甲冑にしては大きすぎるから、“着る”って言うよりは“乗り込む”って言うほうが正確なんだけど。はい、これ」
スズは懐から金具のついた小石のようなものを二つ取り出し、一つをレオに手渡すと、レオに例示するように髪を掻き上げて手元の一つを自分の耳の穴に嵌め込んだ。なるほど、この金具を耳介に引っかけることで、小石が耳の穴からこぼれ落ちたり、逆に奥へ詰まって取り出せなくなったりすることがないようにできているのか。
「声を出したときの頭の骨の振動と魔力とを相互変換する魔法回路を刻み込んだ魔法鉱石です。……理屈はともかく、これを着けていれば操縦室にいても外と話ができるわ」
目の前にスズがいるので今はあまり実感できないが、小石を耳に嵌めてみれば確かにそこからもスズの声が聞こえてくるような気がする。耳元からの声はなんだかくすぐったい。じきに慣れるわ、と笑うスズに促されるまま、レオは剣帯を解いて長剣を操縦席の肘掛けの外側にあるホルダーに固定し、握り拳ほどの大きさの水晶球が半ば埋め込まれている奇妙な装置を跨いで操縦席に腰掛けると、身じろぎして座席の詰め物の具合を背中で確かめながら胸部装甲が自動的に閉じるのを待った。
《肘掛けの先端に丸く盛り上がった部分があるのが分かる?そこに両手を置いて下さい》
闇の中、スズの声が聞こえる。操縦室は闇、完全な闇だ。左右の肘掛けの先にある冷たい半球状の石に手のひらを当てると、そこを中心にして幾条もの稲妻が音もなく操縦室内を駆け巡り、座席の手前で光る水晶球からレオを囲む前後左右と頭上の装甲裏に外界の様子が投影された。水晶球の丸みに合わせて装甲の裏側にもゆるやかなへこみがあるので、どの方向の影像もほぼ歪むことなく投影されている。眼下に並んで拍手する魔術師達をよく見ようとレオが頭を動かすと、影像も同じように動いた。これなら背後を見るのに背もたれの後ろを覗き込む必要はなさそうだ。
《ひとまずは成功ね。じゃ、立ってみましょうか。……っと、その前に注意点が二つ。ひとつ、今見えている影像はあなたがいる胴体ではなく、頭の高さの影像です。もうひとつ、立ち上がる前にハーネスを締めて下さい。座席の裏にあるわ。起動には成功したから、もう肘掛けから手を離してもいいわよ》
背もたれの裏側に垂れ下がったベルトを手探りで捕まえて、両肩と腰を固定するベルトのパズルのような四つの金具を
《なかなか好調のようですね》
耳元にスズのものではない穏やかな声が混信した。足元を見ると、魔鉱兵を見上げるエリシュと魔術師団とスズの隣で異様な人物が微笑んでいる。人物……?いや、トカゲの顔に表情はないはずだが、大きく裂けた口角がわずかに上がっているために微笑んでいるように見えるのかもしれない。レオは竜人の実物を見るのは初めてだった。白いローブに身を包み、全身がプラチナのように白く透き通った鱗で覆われている竜人はこちらに小さく手を振った。
《今次作戦の指揮を執るルミラです。到着したばかりのところ申し訳ありませんが、今は時間が惜しい。可能ならばプロトナイトはそのまま出撃して下さい》
「港まで歩かせる気!?」
「それぐらいできなければ実戦兵器とはいえない。でしょう?スズさん」
確かに、起動状態の魔法鉱石は常にごく薄いマジックフィールドで覆われており、物理攻撃に対しても魔法攻撃に対してもわずかな抵抗力があるため、歩行によるパーツの摩耗は金属より遅い。だが問題は操縦者の魔力を動力源としている点であって、乗り続けて疲労が溜まれば精神力と密接に関係している魔力の供給量も落ち、魔法回路を維持できなくなる危険性がある。機体はなるべく台車で運んでもらいたいところだが、実際に集中力の限界に達するまで乗ってみたことはないのがスズだった。
《プロトナイト?》
スズの思考にノイズが入った。馬鹿な質問はしないでもらいたいものだ。王都の大学で身につけた鉱石魔術の全てを注ぎ込んだウェルスランド王国初の魔鉱兵の操縦者が、あの凛々しい女騎士だったらどんなによかったか……。
《その機体は帝国軍で量産されているナイトの模造品なのよ。王国製ナイトのプロトタイプだからプロトナイト。レオ、港町まで歩ける?》
「戦なんだろ?やってみなくちゃ」
《では、そういうことで。レオナルドくん、君に手伝ってもらいたいのは、これから行く港町の奪還と、港を占拠している敵戦力の殲滅です。僕の部隊はあとから追いつくので、騎兵隊長さんの指示に従って先に仕掛けていて下さいね》
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