魔鉱兵の調整をしなければならないスズやレオと違って特に仕事のない騎士エリシュの関心事は、船が現在どこにいるのか、戦場にはいつ着くのかであり、一日の大半を船長室で海図とにらめっこしているレッドクロスの元を頻繁に訪れることになるのは当然の成り行きだった。そうでなくとも、同年代で同性の話し相手がいるというのはうれしいものだ。レッドクロスもそう思っているらしく、よほど忙しくなければ雑談に付き合ってくれた。そんなあるとき、見覚えのある船員が申し訳なさそうに入室すると、エリシュの前で汗まみれのバンダナを取って一礼した。

「なんだ、剣の錆になりに来たのか?」

「このあいだは失礼なことしちまって、すいやせんでした。あんた美人だからつい見とれちまった。本当に面目ねぇ」

 エリシュは船員の差し出した手を無視した。

「ん……海の上ではあなた達が頼りだ。世話になる」

「騎士さん、あたしの前だからって遠慮してないかい?腹の虫が収まらないんなら、こいつの奥歯の一本や二本はくれてやるよ?」

「自分から謝ってきた者に追い打ちをかけたくはない。それに、本気で殴ったら殺してしまう」

「ハハハ勘弁して下さい」

「で、用件はそれだけかい?」


 現在、海賊船は帝国軍の目を盗むべく、小島の多い海域を島影に隠れて縫うように航行しているのだが、船員の報告によれば、見張りが島のひとつに未知の拠点のようなものを見つけたというのだ。私掠船であるレッドクロスの海賊団にはウェルスランド王国の海上拠点の座標ならば知らされているので、未知の拠点となると商売敵の海賊のアジトか、他国の……帝国海軍の物資集積所かもしれない。レッドクロス達が甲板に出ると、左舷前方の小島の海岸に土嚢で保護された即席の拠点のようなものが確かに見える。砲台は確認できないが、もし設置されているなら艦載砲などより射程が長いのだから、とっくに撃ってきていることだろう。

「周囲に敵影なーし!」

「海賊旗上げ!左舷撃ち方、全砲門発射用意!」

 海賊船は、拠点のある島が左舷の大砲の射程圏内に入るタイミングを待って微速前進した。発砲しながら島の前を通り過ぎたら、今度はUターンして右舷の大砲から砲弾を叩き込み、その間に左舷の大砲に次弾を装填するのだ。メインマストの上に、レッドクロスの顔の古傷を模した真紅の×印を刻んだ黒旗が掲げられる。海賊船の上げる黒旗は“抵抗しなければ命までは取らない”という意思表示であり、海賊船に襲われた船や港は白旗で応じることによって降伏もできるのだが、謎の拠点からの返答はなかった。降伏はしない。しかし抵抗もしない。ということは単純に無人なのか?

「罠……かな。どう思う?騎士さん」

「この距離ではどのみち発見されている。見過ごせば連絡されて追っ手がくる。潰しておいたほうがいい」

「ま、ここらでひと稼ぎしておくのも悪くないか」

 レッドクロスの合図で土嚢を崩す第一波の砲撃が加えられた。が、なにかがおかしい。土嚢の奥には何名かの死体が見えるものの、その他には粗末なテントがあるばかりで物資らしいものは見当たらない。……そのときだった。


「右舷に敵!」

 見張り台の船員を振り落としながらマストが大きく揺さぶられ、船が右に傾いた。甲板上の固定されていないあらゆる物と人が右舷から海へ転がり落ちてゆく。何者かが海中から船腹に鎖のついた銛を撃ち込み、すさまじい力で船を右へ引っ張っているのだ。エリシュは手近なロープにしがみつき、レッドクロスは転がり落ちていった操舵手の代わりに舵輪を取って左に全体重を乗せる。

「海の化け物なら、釣りの要領で……!」

 甲板がやや水平に戻りかけたとき、左の昇降口からレオが這い出てきた。

「俺がプロトナイトで出ます!」

「無茶を言うなレオナルド!今、搬入口を開けたら船が沈んでしまうぞ!」

「いや、この船の貨物室は細かく区切られてて、搬入口から多少水が入ったぐらいじゃあ浮力を失わないようにできてんだ!」

 船腹に二本目の銛が撃ち込まれ、よろけたレオは甲板が垂直に近くなる前にレッドクロスの胸のクッションに救われる格好になった。やわらかい……。

「行きな坊や!あんまり長くはもたないけどね!」

 レオが舵輪からさらに転がり落ちた先は幸運にも甲板の右の昇降口であり、階段から通路へ投げ出されたレオはその勢いのまま、今や床も同然となった右舷側の壁を走ってプロトナイトが格納されている貨物室を目指した。


 搬入口を開けるまでもなく、貨物室の壁はすでに装甲を継ぎ目から剥ぎ取られて大穴が開いていた。壁に沿って取り付けられていた階段には途中から先が無く、床に鎖で固定されているプロトナイトまでどうして辿り着いたものかとレオが躊躇していると、パペット達と一緒にプロトナイトにしがみついていたスズが力尽きて落下してきた。

「レオ!」

 あわてて抱き止めたレオだったが、顔面に激突したスズの胸元が存外に固かったために一瞬目が眩み、自らも穴の外へ放り出されそうになってしまった。船腹の穴の縁に引っかけた片手の握力だけでは、スズと自分の体重をとても支えられそうにない。さらに、そうしている間にも足元で渦を巻く海中から伸びる銛によって船が激しく揺さぶられ続けている。目を凝らすと、海中へと続く鎖の先になにか巨大な白いものが見えるような気がする。海の魔物、クラーケン。伝説によれば、無数の触腕で船を襲い海底に引きずり込むという……。

「なあスズ、魔鉱兵って遠隔操作もできるんだよな?」

「なに考えてるの!あなたの魔力がよほど強いか、専用の魔法装置がないと無理よ!」

 レオは白銀の魔鉱兵が遠隔操作で自分の乗るプロトナイトを圧倒したのを覚えていた。プロトナイトの片腕だけでも、こちらへ動かすことができれば。

「なら、スズが装置になればいいだろ!」

「そんな都合のいい展開あるわけないじゃない!」

「できなきゃ死ぬだけだ。俺は、死にたくなんかない!」


 スズを抱き締める腕に力がこもり、同時に、その腕からスズの身体にあたたかい何かが流れ込んでくる。それは魔力だけではなく精神力、身近な人を死なせたくないという、はっきりとした形はないが強い意志だ。不器用な奴……!スズは歯を食いしばるレオの横顔を見てから、自分もまた上を向いてプロトナイトに意識を集中した。するとプロトナイトの指先に幾条もの稲妻が走り、肩から胴体を経由して頭部の巨大な両眼が点灯した。こちらを向いたプロトナイトは腕に絡みつく固定用の鎖を引きちぎりながら片腕を伸ばし、いともたやすく二人を掴み上げて、整備のために開放されていた胸部装甲の前まで運んだ。


「すご……できちゃった……」

「感心してる場合じゃないぞ。船底が軽くなったら、船はもっと不安定になる。スズはプロトメイジで船のバランスを取ってくれ。俺はあいつと……」

「海に潜って戦うつもり!?無茶よ!プロトナイトは泳げないし、操縦室に防水処理もしてないのよ!?」

「なぁに、息を止めてりゃ平気だって」

 レオは巨大な甲冑の四肢に魔力がみなぎるのを待って、垂れ落ちる鼻血を拭った。深く息を吸って吐けば、操縦席のレオと外界とを隔てる装甲の壁は意識の外へ溶けて消え去ってゆく。全身を固定していた鎖を身じろぎして完全に引きちぎり、スズをプロトメイジの操縦室へ送り届けたプロトナイトは、海中から射出された銛をとっさに避けて掴んだ。銛の穂先から上下左右に四つの鈎爪が飛び出し、空を掻いて穂先に収納された。


 激しい水音とともに海賊船が大きく揺さぶられる。

「坊やが出たのかい!?」

 レッドクロスはマストの付近にしがみついている生き残りの船員に声を振り絞って指示を出し、船が引き込まれかけている方向、すなわち右舷からの風を受けるように帆の角度をどうにか調節させた。続いて舵輪に備え付けの伝声管を取り、左舷船底の注水弁を開かせる。細かく区切られた船底の片側だけを意図的に浸水させれば、いちかばちか、喫水が深くなる代わりに水平を取り戻すことができるはずだ。舵輪には今や何名もの船員が取り付いて、さらにその船員達も別の船員達に全力で左へ引っ張られている。

「この筋肉バカども、いいかげんにしないか!舵が折れちまうよ!!」


 船が揺れるたび、白銀の甲冑が甲板に激しく叩きつけられる。手にしたロープをたぐって少しずつマストの根元に近づいていた騎士エリシュだったが、あとひと踏ん張りというところでロープがエリシュと甲冑の重さに耐えきれずちぎれてしまった。水しぶきでぬめる甲板を滑り落ちる身体に勢いがついてしまえば、両手と両つま先の摩擦力などなんの役にも立たない。エリシュは甲板に弾かれてバウンドし、自由落下するだけになったその足元に白く泡立つ巨大な渦潮が迫ってくる。レオナルドが、あの子が戦っているのに、私は護衛を任されながら、自分の身ひとつ守れず無様に死ぬというのか……。

「騎士さん、しっかり!」

 エリシュの手首を聞き覚えのある声の船員の手ががっしりと掴んだ。あの薄汚れたバンダナの無礼者だ。船員は渾身の力でエリシュをマストまで放り上げると、代償にその反動で遙か下の海面へと吸い込まれていった。それから程なくして、船の揺れが収まった。

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