リレー小説テーマ【夏】ちわりい&p-man組

ちわりいPart


夏が、私の玄関のチャイムを押した音で目が覚めた。私は汗をかいていて、一瞬頭が真っ白になってから、急いで起き上がり、服を着て、玄関に走った。ドアを開けると、やあ、と笑う夏が立っていた。実に一年ぶりだった。私は、寝癖がついたままであることを思い出して、いらっしゃい、と言いながら、手で頭をがしがしとやった。夏は、寝起き?と私に聞いた。うん、さっき起きた。まあ上がりなよ、と私は言った。お邪魔します、と夏は言った。ドアを閉じる夏の背後から、ゆっくりと蝉の声が小さくなっていくのを感じた。

久しぶりだね、と言った。どちらも同じように。夏は、小さいテーブルの前に、胡座をかいて座った。今年は来るのが遅かったね、と私は言った。そうかな、よく覚えてないや。昨日産まれたから。と夏は言った。そっか、と私は言った。ありがとうね、来てくれて。と私は言った。今日のために冷やしておいた麦茶を、四角い氷を入れた二つのコップに注いだ。君が好きだからね、僕は。と夏は言った。私もだよ。と私は言った。私はコップをテーブルに置いた。そっか、と夏は言った。夏は、確かめるようにゆっくり、一度だけ瞬きをした。もう一度、そっか、と夏は言った。

コップの麦茶が半分まで減った頃、そういえば、花火はまだ咲いてる?と、夏は言った。随分小さくなったけど、まだ咲いてるよ。覚えてる?と私は言った。少しだけ。去年の僕に聞いたから。と夏は言った。そっか、と私は言った。持ってくるよ、待ってて、と私は言った。うん、と夏は言った。私は立ち上がり、窓辺に置いていた花瓶を掴み、夏の前に置いた。花火は、去年は大きな一輪咲きだったが、今はもう小さな花がいくつもくっついて、ぱちぱちと分裂してしまっていた。なんだか紫陽花みたいだね、と夏は言った。たしかに、と私は言った。同じタイミングで笑った。どうする?枯れるまでまだ置いておく?と夏は言った。もう、いいや。私、大きい方が好きだから。また新しいのを頂戴。と私は言った。少し目を伏せて、分かった、と夏は言った。夏は、私に鋏を持ってきて欲しいと言い、花瓶から花火を取り出した。夏は、鋏で茎をほとんど切り取り、花だけを残して、掌にのせた。そうして、夏は、優しく花火を撫でて、ゆっくりと飲み込んだ。私は口のなかで、またね、と言った。夏は、暫く胸に手を置いて、丸く蹲っていた。私はそれを見ていた。背中を擦ってあげられない。麦茶の氷が、からんと泣いた。

氷が小さくなった頃、夏は大きく息を吸って、吐いた。握り締めていた手のひらを開くと、朝顔のような種が、一粒だけちょこんとあった。夏は、はい、とそれを私に手渡した。ありがとうね、と私は言って受け取った。暫くは透明なコップにそれを入れて、窓辺に置いておいてね。と夏は言った。水を毎日取り換えて、でしょ?と私は言った。うん。と夏は言った。夏は額に汗を浮かべて、麦茶を一気に飲んだ。結露が垂れて、テーブルに水の輪ができていた。

致死量の暑さを少しでも和らげるために、扇風機を付けた。夏はクーラーの風の冷たさが苦手らしく、一昨年付けてみたら、寒そうにしていた。人工的な風は嫌なんだ、と一昨年の夏は言っていた。きっとこの夏も同じだろうと思った。夏は、嬉しそうに扇風機の前を陣取って、声を震わせながら、宇宙人の真似をしていた。柔らかい前髪が、風で上に浮かんでいた。好きだな、と思った。人を殺してしまうくらいに、優しくて苦しい。

あれ、紫陽花みたいな味がしたよ。と夏は言った。紫陽花みたいな味?どんな味なの?と私は言った。毒があるなって。食べたらなんとなくわかるような感じ。と夏は言った。そっか、と私は言った。君は食べちゃ駄目だよ。毒だから。と夏は言った。食べてみようと思っていたのがばれていたのかもしれない。食べないよ、大丈夫。と私は言った。コップの水に沈んだ種を見つめながら、この花火はどんな味がするのかな。と私は言った。違う花の味がいいな。と夏は言った。例えば?と私は言った。朝顔とか、木槿とか、白粉花とか。と夏は言った。いいね、可愛いから好きだよ。と私は言った。夏は、私の顔を見ながら、紫陽花は?好き?と言った。私は、夏の顔を見ながら、好きだよ。と言った。大丈夫、ちゃんと好きだよ。

それから暫く私たちは、なにも喋らなかった。寝転がったり、本を読んだり、冷蔵庫のなかに入れてあったアイスを食べたりして過ごした。居心地がよかった。

突然、ねえ、散歩しに行こうよ。と夏が言った。今から?と私は言った。今から。と夏が言った。窓の外は、蝉のがしゃがしゃした声の下に、蜩の冷たい声が混じり始めていた。ラムネ、飲みたいんだ。いいでしょ?と夏は言った。私は少し考えて、わかった、いいよ。行こう。と言った。それから夏は、嬉しそうにしながら、読みかけの本にまた視線を落とした。私は出かける支度をして、行こう、と言った。うん、と夏は言った。

夏は、私の家までサンダルを履いてきていた。去年の夏とは違うものだった。私はそれに気づかない振りをすることにした。私は、去年の夏が褒めてくれた、可愛いワンピースに着替えた。夏は気づいていないような気がした。ドアを開けて、暑い空気を数秒間だけ部屋に入れて、すぐに閉めた。私より背の高い夏は、わたしを少し上から見下ろしていた。同じタイミングで歩き始めた。夏は、いつも私の歩幅に合わせてくれる。優しい、と思った。だから夏は、すぐに死んでしまうのかもしれない。優しいから。

アスファルトが焼けて、水溜まりのような苦い陽炎が、じりじりと揺れていた。信号機が、暑さで左に少し曲がっていた。道に咲いている花の名前を考えたり、元気に走る子供を眺めたりしながら、歩いていた。やっぱり、喉乾くね。と夏は言った。ラムネあるかな、と私は言った。あるよ。と夏は言った。そっか、と私は言った。どうしたって、夏なのだ。私の隣で歩いているのは。

ラムネの瓶でできた、透き通った店についた。店先の、冷たい水を張った桶に、いっぱいに浮かぶラムネ瓶を、二本選んで手にとって、買った。店の奥には鳥居があって、何かがいたのを感じた。私、ラムネ開けるの苦手なんだよね。と私は言った。溢れるもんね、開けたげようか。と夏は言った。ありがと、お願い。と私は言った。瓶の上に体重をかけて、エー玉をがこん、と落とした。じゅわじゅわと泡を吹いて、収まった。はい、と夏は私に手渡した。ありがとう、と私は言った。瓶は濡れていた。私と夏は、ベンチに座って、瓶に入った200mlの宇宙を飲み干した。あっけなかった。美味しいね、と夏は言った。少ないよね、ラムネって。と私は言った。夏は、瓶を振って、からからと鳴らした。私は汗をかいていた。

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