p-man→紅玉 第二話完結 紅玉


「あーおじちゃん、おけましておめめとー」


凡愚の子供が早速挨拶を交わしてきた。

確か太郎と歳の変わらない従兄弟の第二子だったか。よちよち歩きだが律儀に頭を下げている。


「もう、あーちゃんたら、あけましておめでとうはまだ先よ」


従兄弟の嫁がさっと子供を引き寄せながら語りかけると、周囲ではどっと笑いが起こる。

太郎には、何が面白いのか皆目見当がつかない。

まだ世に出でて3、4年の子供がの言葉が拙いことは当たり前の常識的事項である。


ちっとも愉快ではない笑いよりも、太郎には従兄弟の嫁が自分から子供を引き剥がしたことのほうが気にかかった。


「太郎は今何をやってるんだい?」


父の兄が酔っ払いの赤ら顔で笑いながら尋ねてくる。

ついに来たか。

太郎が答えるよりも先に、母が慌てたように声をあげた。


「今は転職活動中なんですよ〜」

「あれえ?去年もそう言ってなかったっけえ?」

「おほほ、この子は昔からのんびり屋さんで」


そこから太郎が幼少期に押し入れの中で眠りこけて大捜索が行われた話が始まる。

いつも、心配のあまり泣き崩れている母に太郎があくびをしながらおやつをねだったオチで爆笑の渦が起こる。これに機嫌をよくした伯父は今度は自分の武勇伝を語り始める。


毎年毎年、お決まりの流れだ。


よく飽きずに一年ごとに新鮮に笑えるものだと太郎は呆れて乾いた笑顔を頬に張り付けて、餅の焼ける台所へ足を向ける。


騒々しい親戚の集まりなど犬に食わせればいい。

凡愚共のくだらないお喋りに付き合うくらいなら、その時間でネットサーフィンでもしていた方が遥かにマシだ。


レンジの中ではじりじりと焼かれる餅がぷくうっと膨らんでいく。

Ωの記号を餅だ餅だと仲間と喜んでいた学生時代。それももう遠い太古の出来事のように感じる。

マイクロ波によってジワジワ焦げ目がついていく餅。鼻をつく香ばしい餅米の匂いに涎が分泌される。


「おじちゃーん」


餅の焼きあがるのを今か今かと太郎が電子レンジと向かい合っている背後に、いつのまにか幼い子供が立っていた。

あーちゃんと呼ばれていた、従兄弟の子供だ。


背後を取られるとは不覚。餅に夢中になるあまり気づかなかったようだ。

まん丸の純粋な両眼がスウェット姿の太郎を映し出す。


「おじちゃんはどーしてみんなと遠いところにいるのー?」

「……餅が焼けるのを待っているからだよ」

「おもち、まだまだ時間かかるってママがゆってたのに?」

「…………」


勘のいいガキは嫌いだよ。とはよく言ったものだ。

あーちゃんとやらの言葉に、従兄弟の嫁や伯父のような侮蔑の意は感じられない。当然だ。こいつはまだ年端も行かない子供なのだから。


「おじちゃん、てんしょくかつどーってなあに?」


それが聞きたくて付いてきたのか。まったく、凡愚の子供の興味は親と同じくどうでもいいところに向くようだ。


「仕事を辞めて、次の仕事を探すことだよ」

「ふうーん?おじちゃんは次に何するの?」

「さあ、分からないな」

「あーちゃんはねえ、お花屋さんになるの!」


自分から聞いてきたくせに、答えもまともに聞かないで自分の話をしてきた。

お花屋さん。凡愚らしい、無個性な夢だ。どうせ花に特別の興味があるわけでもないものを。


顔を顰める太郎に一歩近づいて、あーちゃんは何が楽しいのか満面の笑みを刻む。


「あのね〜、お花屋さんになってお母さんになって、あとはかしゅにもなりたいの。いっぱいなりたいものがあるの!」

「お母さんともう一つくらいで我慢したらどうかな」

「えーなんで?」

「大人になったら全部をやる時間なんてなくなるんだよ」


餅との大切な時間を邪魔したあーちゃんに対する嗜虐心から、そう言ってしまった。

しかし、あーちゃんにはピンと来ていないようで首を傾げられる。



「大人ってたいへんなんだねえー、そしたらおじちゃんもなりたいもの全部は出来ないんだねえ」



遠くから除夜の鐘のぼんやりした鈍い音が響く。百八の煩悩を取り除いて行くという眉唾物の鐘。


その重低音と反する軽快な音がレンジから聞こえた。

餅が焼き上がったようだ。


「あっ、こらあーちゃん!すぐどっか行っちゃうんだから。すみません面倒見ていただいちゃって」


餅を取りに来た従兄弟の嫁が幼い娘に気付いて抱き上げる。


「いえ……」


この従兄弟の嫁も「お母さん」という責務に努めている。

あちちと餅を落としそうになりながらも皿に盛って親戚一同の集まる居間に行き、「お義母さんいいんですよ、私がやりますから」なんてやり取りをしている。


凡愚であることは難しい。

どれほどの労力を要して凡愚になれるのか。


太郎は台所に残った餅の残香を辿り、ゆっくり賑やかな声のする方へ歩いて行った。

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