pulse

『自我喪失事故が起き、販売が禁止された電子ドラッグについて、政府は自我喪失に対する特効薬の製造が事実上不可能であると発表し、国民に混乱が——』

 砂嵐とともにカーステレオが途切れる。奇跡的にエンジンの掛かった廃車の助手席に座る少年は、俺が渡した携帯食料を頬張りながら、目を瞑るだけでラジオの電源を落とした。

「ありがとう、ございます。餓死するかと思ったから……」

「それ、食べたらちゃんとケースに入れよ。ったく、余計な出費になった……」

 自販機にあったポテト・バーは簡易的な栄養食で、味はそこそこだ。俺も同じものを口に運びながら、運転席の窓から見える風景を眺めていた。人工太陽の出力が高まり、仮初めの朝が始まる。


「俺も仕事なんで、お前に死なれたら困るんだよ。兄貴に怒られるんだ」

「兄貴? あぁ、あの人、ですよね。やっぱり怖い人、なんですか……?」

「口は悪いけど、金払いはいいんだ。俺に仕事を紹介してくれたのもあの人だし、この脚だって……運び屋稼業に向いた改造を勧めてくれて、支援までしてくれたんだ」

 少年は黙った。食料をしっかりと噛み、ごくりと飲み込む。

「……なんだ、君もか。お互い、大変ですね」

「…………?」


 俺が目隠しのために貸したコートを羽織り、少年はポテト・バーの包装ををくしゃくしゃと丸めた。そのまま助手席のドアを開け……逃げようとする!

「待て、待て待て待て!!」

 義足の速度は普通車を簡単に回り込むほど速い。俺はすぐさま少年を羽交い締めにし、他の駐車スペースに置いた強化ジュラルミンケースまで引き摺る。

「放して、ください。行かなきゃいけない、場所が、あるんです!!」

「時間をかけさせないでくれよ……。兄貴にがっかりされるだろ!?」


 少年が目を瞑って抵抗するたびに、義足は奇妙な不具合を起こす。自分の意思ではない足のもつれに、何度もたたらを踏んでしまった。

 何とかケースまで近づけ、俺は肩で息をした。何とか組み伏せてはいるが、義足なしで出せる限界ギリギリの力だ。相手も疲れているのか、二人揃って白線が引かれただけの砂地に転がっていた。


「ソラに、行きたいんです」

 組み伏せられた身体を捻り、少年がポツリと呟く。ドームに映る景色は未だミルク色の朝靄で、その奥にあるはずのそらを隠していた。少年は、俺と同じ願望を抱いているのか?

「あの人たちの仕事に付き合わされれば、自由なんてない。僕は雇われてるわけじゃなく、所詮買われた所有物なんですから」

「兄貴なら、ちゃんと話せば考えてくれるよ。だから、お前は安心してここに入って……」

「パルスです。お前じゃなく、パルス」

「……悪かったな、パルス」


 自由。金を貯めて、宙の外で見られる景色。この窮屈なドームを突き破って、広すぎる世界で見つかる沢山の可能性。俺はそれを求めて走り、パルスはそれを求めて逃げているのだろうか? だとすれば、俺はこの仕事を完遂するべきなのだろうか? きっとそうだ。問題ない。兄貴ならパルスの望みも叶えてくれる。だから、これは正しい選択なんだ。


「俺も宙へ行くのが夢なんだ。だから、兄貴に掛け合ってみるよ。一緒なら、きっとわかってくれるだろうし!」

「君も、宙に? 友達って呼んでいいですか!?」

「急に距離詰めてくるな……。いいよ。それと、君じゃなくてダストな。友達なら覚えてくれよ?」

 『ダスト』と何度か繰り返し、パルスは笑った。あまり言い慣れないのか、言葉の裏に少し照れたようなニュアンスを残している。

「〈施設〉では、こんな呼び方したことがないので……」

「施設?」

「僕が生まれた、場所です。そこで、宙の噂を聞いて。この世界を囲うレドームがあって、中で使ってる電波を反響で増幅させてる、って。僕はその電波を感知して……」

 難しい話だった。俺がパルスの長い話から読み取ったことといえば、彼が施設で特殊な訓練を受け、電気信号を狂わせる能力を得た事くらいだ。義足の不調もそのせいなのだろう。その能力が兄貴のどんな仕事に役立つかは知らないが、何か大きな事を為すための準備だと思うと、妙に心が躍った。


「都合が合ったら、二人で宙に行かないか? 金がまだ溜まってないから時間は掛かるかもしれないけど。いつか〈飛行場〉からシャトルでドームを出て、その景色を一緒に観に行こうな」

「僕が貯金残高を操作すれば、すぐに行けないですか?」

「お前、そんな事もできるの!?』

 澄ました顔でサムズアップするパルスを見て、俺は思わず吹き出した。

「とにかく! 早く目的地まで行こうぜ? 兄貴に話して、仕事後の自由をもらうんだ」

 パルスは渋々といった様子で頷き、ケースに入ろうとした。それを遮ったのは、遠くから聞こえた声だ。


「その必要は無いんだよ、お前ら」

 部下を連れた兄貴が、こちらに向かってゆっくりと歩いてくる。金の腕時計が太陽光を反射して輝き、俺は思わず目を細めた。

「兄貴、ちょうど良かった!! 実は、相談したい事が」

「どこで油売ってんのか心配してたんだが、全然進んでないんだな? ダスト、俺は『至急運べ』って言ったぞ?」

 兄貴は部下に耳打ちすると、砂まみれのジュラルミンケースを起こす。中身が空のケースは虚しく立ち上がり、風を受け止めていた。

「なぁ、なんで開けた? なんで外に出した? なんで、俺が来た瞬間に中身はお前の背中に隠れてるんだ? 教えてくれよ、ダストォ……」


 兄貴の声には、明らかに苛立ちがこもっていた。こういった場合は言い訳するだけ無駄だ。俺は兄貴の表情を窺いながら、会話のきっかけを探る。

「俺、パルスを説得してたんです。俺への報酬みたいに、こいつにも仕事後の自由をあげてほしい。そうしたら納得してついて行くらしいんですよ。だから……」

 兄貴は何かを考え込み、納得した様子で表情を緩めた。

「なるほど、確かにそれも一理ある。納得は優先されるべきだな。よくやってくれた。報酬は後で払うから、そいつを今受け渡してくれないか?」


 やっぱり兄貴は話のわかる人だ! 理のある話をすれば、納得してくれるんだ……と考えて、俺は一つの疑念に突き当たる。不意に心の内から湧いて出た、どうしようもない不義理が。

 俺の報酬は担保されても、パルスの自由については何も語らないじゃないか。本当に、兄貴はパルスを解放する気があるのか?

 口ぶりにも違和感がある。さっきまで苛立っていたのに、今の口調は柔らかすぎる。今まで関わってきた態度とまるで違うその違和感に、俺は最後の最後で不信を抱いてしまった。


「どうした、ダスト?」

「兄貴、俺は……」


 その瞬間、気付いてしまった。遠くで待機する兄貴の部下が、俺に向かって銃口を構えていることに。


「ダスト……!!」

 銃声とともに発射された弾丸が、俺を襲うことはなかった。部下は何かに操作されたかのようにお互いを撃ち合い、砂地に崩れ落ちる。手の甲からバチバチと火花を散らしていた。目を瞑ったパルスが部下を瞬時に操ったんだ。

 兄貴が露骨に表情を歪める。やはり苛立っている様子だ。

ほだされやがって。これだから、そいつの能力が必要なんだよ……」

「兄貴、俺は信じてたのに。なんでこんなこと……」

「わかるか、ダスト? お前みたいな運び屋は代わりがいくらでも居るんだ。だがな、そいつの能力は唯一無二なんだよ。ドローンの物流だって、電子ドラッグ中毒の自我喪失者だって操れる。俺の部下を見たか? 電子ドラッグ中毒の、哀れな自我無しどもだ。そいつの能力で同士討ちされたがな。だから、俺はお前に任せたんだ。義足が暴走したとしても、お前なら目的地まで届けてくれる、ってな」

 兄貴は俺に向かってせせら笑った。確かに俺のことを信頼していたんだろう。ただし、便利な道具として。

「いいか? そいつは俺が施設から買ったんだ。高い買物だったよ。そんな奴を、今の仕事が終わったからって無意味に手放すわけないだろ。壊れるまで使い倒してやるよ……!」


 俺は思わず駆け出した。パルスを小脇に抱え、兄貴の部下から銃を奪う。咄嗟に、銃口を兄貴に向けてしまっていた。

「おいおい、お前が俺を撃つのか? 人を殺した事もない運び屋のガキが、兄貴分を? 手が震えてるぞ、ちゃんと撃てるか?」

「……兄貴も俺をどうこうできないだろ? 命の取り合いにパルスを巻き込んだら、それこそ計画の失敗だもんな」

「なるほど、人質か……」


 硬直した場の空気に緊迫感を与えるように、荒野に吹いた風が俺と兄貴の間を抜ける。お互いに静止しながら、俺は震える手をなんとか抑えた。

「ダスト、考え直せよ。俺についてくれば、面白い景色を見せてやる。クスリに狂った金持ちどもが皆操られて、俺たちの天下が始まるんだ。お前の夢も叶う。だから……」

「そこに俺の立ち位置はないだろ。俺も、パルスも、アンタに程よく使い倒されるだけだ。今まで育ててくれたことには感謝するけど、俺たちの夢を叶えるために、アンタには退いてもらわないといけない……!」

「……交渉決裂か。なら良い、実力行使をするだけだ。お前の義足、誰が手術に口を出したと思う?」

 兄貴だ。兄貴の薦めた技師に作ってもらった義足で、俺は今まで運び屋を続けていた。

「これは最終手段だ。お前の側にそいつがいる状態で使うのは賭けだが、こうでもしないと方法がないんだよ」


 兄貴は服の袖をまくり上げ、そこにあるはずの腕を白日に晒した。その無骨なシルエットは、俺の義足と同じ。金属製の義手だ。

「いいか、これはマスターキーだ。お前の義足さえこれの前では玩具と化す、そういうシロモノだよ……」

 兄貴の義手が金属音を放ち、俺の義足は制御を失った。背後でパルスが目を見開き、砂地に伏した俺は悔しさに歯噛みする。義足なしでは、何もできないのか?


 頭上に感じる気配は、間違いなく兄貴の物だ。パルスを捕らえる前に、俺を仕留めようとしているのか?

「じゃあな。今まで役に立ってくれて、助かったぜ?」

 見上げれば、義手に格納されたガトリングの銃口が俺に向かっている。俺は義足を引き抜こうともがきながら、パルスの様子を伺った。

「パルス、逃げろ……!! 俺が数秒稼ぐ。その間に、お前だけでも……」

「……嫌だ。一緒に、宙に行くんでしょう? 逃げるなら、二人で……」

「ゴチャゴチャうるせぇよ。死ねや……!!」


「二人で、逃げられるくらいの脚力があればいいんですよね?」

 義足の出力が跳ね上がり、蹴り上げた脚がガトリングに直撃した! 弾道を逸れたガトリング弾は空を切り、兄貴は一瞬虚を突かれる!


 握っていた銃が震える。もう迷いはなかった。俺の弾丸は兄貴の肩口を撃ち抜き、オイル混じりの血を噴出させる!

「これは餞別です。兄貴、今まで世話になりました!」

 地面に伏してこちらを睨む兄貴を見据え、俺は昂る気を抑えるように呟く。

「今ので……急所、狙えたはずだ……。なんで……俺を生かした……?」

 命まで取らなかったのは、慈悲じゃない。俺の弱さだ。心のどこかで巣食っていたカストマ兄貴への感謝は、消したくて消せるものではなかった。

「まだまだ未熟なんですよ、俺は……」

 あなたにも残る傷になればいい。ふと浮かんだそんな美辞麗句を心の内に吐き出し、俺は兄貴に背を向けた。


 俺はパルスを背負い、義足のブースト速度を最大まで上げる。

「じゃあ、逃げますか!」

「えっ、どこに、ですか……?」


 兄貴を倒したことで、俺たちは困難な道を歩むことになるだろう。単に後ろ盾を失っただけじゃない。復活した兄貴が再び襲撃しに来ないとは限らないし、他の組織がパルスを狙いに来るかもしれない。

 それでも、俺とパルスなら乗り切れる。そんな気がしていた。

 それは、自由を手にした高揚感が理由かもしれない。兄貴を倒した、という自信が生み出したおごりなのかもしれない。


「飛行場、とりあえず行ってみないか? ちょっとセキュリティ狂わせれば、シャトル乗れないかな、って」

「……僕はいいですけど、ダストはそれでいいんです? お金貯めた目標とかじゃ……」

「お前が言い出したんだろ!? いいんだよ、次またいつ行けるか分からないし! 今年最後に夢叶えるの、よくない?」

「……じゃあ、行きましょうか!」

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塵迅パルス @fox_0829

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