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デパートについたのは午前十一時を少し回った時刻だった。とくに買い物の用事はなくまっすぐ七階へ向かい、広々としたスペースの中に写真展らしき会場を見つける。
歩いていくとそこだけいくらかの賑わいを見せている。
無料だからなのか実のところ後藤田ツクモ氏はここF県では名の通った人物なのか。白壁に囲まれた明るく簡素な空間となっている展示場に入ってゆき、センスよく壁に配置された彼の作品群をゆっくりと眺めて回る。
モノクロの写真からカラーの写真、抽象的なものから美しい自然を捉えたものまで対象が幅広い。近代建築も廃墟も女の裸体もある。
後藤田氏はスレンダーな女体が好みと見える。被写体の女性はみな痩身だった。といってもモデル体型とまではいかないナチュラルな肢体を好むようだ。この点は徹底している。
結局、いつの間にか食い入るように俺は裸体の写真に集中していた。見事に引き込まれていたのだ。
そんななか突然、左横から声をかけられ俺はびくっとした。
「あれ? ウッシー?」
驚いた、北見さんである。いつもより小綺麗な出で立ちでジャケットにデニムというコーディネイト。
「お前も後藤田さんのファンピョンか?」
「あ、いえ招待状もらったんでたまたまです。奇遇ですね。わざわざ?」
「実家に用事があって休みとって来たんだ。ちょうど写真展があったから立ち寄ったのよ。いまは有名じゃないがこれからの人だよ」
「そっか、実家ここですもんね、近いんですか」
「まあ近いようなそうでもないような。歩いて三○分くらいかな。……帰るといつもお前の話題になるよ。出世頭だからな」
「いえいえ。本業はまだまだですし」
「作家だって考えようによっちゃ芸人だろ……芸なんだから。……でな、正直な話、時間があるなら俺の家族に顔見せてほしいんだけど。無理強いはできんが」
「べつにちょっと挨拶するだけでしたらいいですよ。帰るのは明日でもいいんで」
「助かるピョン。いい酒あるから思い切り呑もう」
はいはい、わかりました。
俺にとって北見さんは隠れた恩人だ。俺は彼を登場人物のモデルにこっそりと使ってる。使い倒してる。あくまでベースとしてなので他人にはわからない部分だ。
例えばプロレスに詳しいKさんはキャラのモデルとして使いやすそうで使いにくい人物である。どのように扱おうとKさん本人になってしまうのだ。あまりに強すぎる個性はモデルに活用しにくい。その点、北見さんは絶妙だった。
見た目は一般人に近くさりとて内面はふつうではなく屈折しており世を斜めから見るところがある。この内面が表ににじみ出ているさまが絶妙なのだ。変わったサラリーマンからサイコパスまで変幻自在に幅広く活用できる。
俺が人物造形であまり苦労がないのは北見さんのおかげの部分が大きい。執筆にあたり、なにより気持ちが楽なのだ。使い勝手のよいカメレオン型俳優を擁する劇団オーナーの気分である。
商業地域を抜けると住宅地がつづき、俺が連れて行かれたのは周囲に溶け込んで目立たない洋風住宅だった。北見さんのご両親に挨拶したあと俺は二階にある彼の部屋に上がり、その飲み会は始まった。
俺たちはそれからここへ来るまでの道すがらに交わしてきたテレビ界やお笑い界の話のつづきを始め、時おり熱くなりながら酒を呑み、語り合う。
二時間ばかり過ぎ、互いに酔っぱらってきたところで話題は俺の作家業についての話に切り替わった。
「宣伝たいへんそうだな」
そう言われてつい弱音をこぼす俺だった。
「何がたいへんって、生活全体が虚しいですね。削られていくばかりのように思えて。虚しさとの闘いみたいな感じですよ……俺は何なんですかね」
「芸人だろ」
「本の宣伝に明け暮れる営業マンですよ」
「現役の芸人だから注目されてるんだろ。引退してなりました、じゃたいした期待はできん」
「なんでですか、退路を絶って臨むんですからいいんじゃないすかねえ」
「だから現役てのが重要だろ。お前の場合は現役芸人であることに人は覚悟を感じてるんだ。口にはしなくても。文学者として成功したたった一人の芸人だろ。エッセイとかならたくさんいてもさ」
「現役の重要さの根拠がわかりません」
「根拠は長いから省く……肝心な点はお前に資格があるってことさ。Mさんについて語る資格がある、お前にはな」
え? なんです突然。お笑い界におけるピラミッドの頂点に位置する名を突然言われましても。
「どういうことですか?」
「俺たちのいる世界にはトップオブトップがふたりいるわけだが……せっかくいい機会なんでファンタジーの話をしておこうと思う。人間、いつ死ぬかわからんからな」
「はい」なんでしょう。
「わかりにくい個人的見解が混じるからそのつもりで聴いてくれ。あとで全体像がわかればいくらかはしっくりくるんじゃないかと思う。
……さて、ここ三五年の日本のカルチャーを大きく総括したとき、その中心はどこだったか……それが《お笑い界》であったことは多くの人が認めるところじゃないかと思う。
漫才ブーム後のテレビ界はバラエティ番組が流行り、やがて流行りを越えてテレビ界全体がバラエティの時代を迎えるようになる。……そこで主体となってきたのは芸人だった。
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