第2話『もみじ歩道』
私はロープウエイの開始時刻になり、人の通りの多くなった紅葉谷公園を後にすることにした。
「これからどこへ行くんだ」クロノが聞いて来る。
「紅葉も大分撮ったし、もみじ歩道を通って大聖院に行ってみようと思う」私は答える。
「うむ、悪くないな。よし、行くぞ」
喋る黒猫のクロノが先導するように駆けだした。
小さな体で足音も無く飛び跳ねる様に少し走り、こちらを振り返って待つ。
私は紅葉の絨毯を踏みしめながら後を追う。
「なあクロノ、君の目的は何だい」
「目的? ふむ、別に無い。美宏が面白そうだからついて行く。ただ、それだけだ」
「そうか……」
真っ赤に色付いた紅葉の中を子猫に導かれて歩む。確かにこんな光景あっても良いと思える。
公園の端に位置する小さな社の
「夏にはここで 〝たのもさん〟があるんだ。知ってるか」クロノが問う。
「うん、知ってる」
この神社では旧暦の八月一日に当たる日に〝たのもさん〟という祭りが開かれる。たのも船と言う小舟に団子などを乗せて沖へと流し対岸の村々の豊作を祝うと言う祭りである。
石の鳥居をくぐり賽銭箱にお賽銭を入れて手を合わし、写真を一枚。
レンズは広角の55㎜。社の横に回り見上げる様に撮る。
それから、藤の棚公園へと向かって行った。
四宮神社から西へと少し歩いたところにあるのが、この藤の棚公園と山村茶屋である。
ここには藤棚が設置されている。五月に来れば満開に垂れ下がった藤の花を見ることが出来るのだが、今は葉も散って枝だけが這っている。その周辺には多くの鹿がたむろって居る。公園の脇にある山村茶屋では店のおばさんが、開店の準備に忙しそうに働いていた。
店の前を抜け、もみじ歩道へと入る。
この道の周りにも紅葉が植えられ色付いている。この小路は展望も良く宮島の街が見下ろせる。
それらを見ながら歩いていると道が二本に別れた。左へ上がると平松茶屋。見晴らしの良い茶屋である。
千畳閣の五重塔を見ながら右の道を歩いてコーナーのところから大鳥居を見下ろす。
「お、今日はよく見えてんな」私の背後からクロノが身体をよじ登り肩口で囁きかける。
「うん、そうだね」
よく晴れ渡った空のおかげで遠くまで見渡せた。樹々の合間から見える波打ち際の大鳥居。穏やかな景色が広がっている。
しばし、景色を眺めてから私は先へと進んだ。
少し歩いて出口の滝小路が近づいてくると、鮮やかに色付いた樹々が増えて来た。
日当たりが良い所為だろうか、ここの方が紅葉谷よりも少し暖かい。私はクロノに付いて行きながら、落ちて来る枯葉の中をゆっくりと眺めて歩いた。
「おや、あそこにいるのはロクだな」
クロノの視線の先――、体の一回り大きい牡鹿が地面に落ちたどんぐりを食んでいる。
「知り合いかい」
「ああ、あいつはこの島の鹿の
「もしかして、彼も喋ることが出来るのかい」
「はあ? 何を言ってる。鹿が喋る訳ないだろ」と喋る猫のクロノは言った。結構理不尽な事を言われた気がする。
「なあ、彼の写真撮っても良いかな」
「うーん、やめといた方が良いな」
「どうして」
「あいつ、普段は弥山の東側を縄張りにしてるんだが、今年は秋口に人間い掴まって、角を切られてしまったんだ。だから気が立ってる。近づかない方が良いな」
確かにロクの頭には角がなく、僅かに根本だけが残っている。
宮島では観光客に怪我をさせないために、九月ごろになると角切りと言うのが行われる。男たちが取り押さえ鋸で鹿の角を落とすのだ。多分その所為だろう。
「……まあ、鹿の角ってのは権威の象徴だからな、切られて怒るのも無理はない」
「だったら、近づかないで撮影するよ」
私はカメラバッグからカメラを取り出し、200㎜のレンズに交換した。
EV11――絞りF5.6 シャッタースピード1/60。
手前の紅葉を写し込むようにフレーミングして動きを待つ。
ロクが耳をそばだて、上を見上げた瞬間に〝カシャッ〟シャッターを切る。
まるで、花札の鹿の様な写真になった。
次は少しアングルを変えて……。
その時、ロクが振り向いた。
〝キャンッ!〟空に向かって一声吠えると山の中へと入って行った。
「普段はもっとどっしり構えていて、あんな奴じゃないんだがな……相当腹に据えかねてるんだろ」
「食事じゃましてしまったな」
「まあ、気にすんな」
私はバッグにカメラを仕舞い、クロノに先導されて滝小路へと歩き始めた。
〇動物写真の基本は待つことです。餌やおもちゃなどで誘導する場合もありますが、自然な表情で動物を撮影するにはじっくりと腰を据えて撮影する必要があります。特に野生動物の場合は警戒心が強く容易に近づくことが出来ません。そんな時には望遠レンズを使用して遠くから撮影しましょう。
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